サンカルパ・サマーディーヨギへの道

2022年6月8日

★サンカルパ・サマーディヨギへの道

マハヨギ・パイロットババジ猊下は私にこう仰いました。

「生を楽しく生きるのも良い。生をより良く美しく生きるのは良い。人々と愛し合い、助け合い、高めあう生き方は素晴らしい。しかし、我々が最終的に望むのは“生死を超えた道”だ。

“生というマーヤ、死というマーヤの世界を超えた道”を我々は求めているのだ」

私は、ババジ猊下が「生死を超える道」という表現をされたことに驚きました。仏教でも同じ表現をするからです。仏教徒は「仏教はヒンドゥー教より上で教えが違う」と刷り込まれているので、ヒンドゥー教に接した時に基本的な教えが同じであることを知って驚きます。私もそうでした。

私はババジ猊下のお言葉を伺って目が覚めました。

そうだ!私が求めてきたのはこれだった!「生死を超える道」だった!この世界をよりよく生きることも素敵だが、それよりも私が求めてきたのは、このマーヤの世界から解脱することだった!

だからこそ、猊下のように、サンカルパ(意思)の力で、何時でも真如の世界に往き来できる存在になるまで、ヒマラヤを降りる気はありませんでした。

私は1989年にサマーディを成就して、宇宙の根源に還りました。生死を超えた世界に還りました。

そこには超意識としてのマインドさえもありませんでした。ただ観るものとしての「純粋観照者」と、観られるものとしての宇宙が存在していました。

時間はありませんでした。時間がないことが永遠であることを知りました。無量の命、無量の時間とは、逆説的に聞こえますが「時間が無い永遠の世界」だということを知りました。

疑似宇宙意識体験でも似たような経験はします。そこでもワンネスの感覚はあります。しかし、真のニルヴァーナ(涅槃)、真のサマーディにおけるそれとは全く違います。

皆さん同じような表現をするので、真のサマーディ体験者以外は真のサマーディか疑似サマーディか判別できません。

古代から定義されているサマーディの定義は明確です。それは『クンダリーニの上昇』です。或いはクンダリーニの覚醒です。
とはいえ、クンダリーニの上昇は、世間一般で理解されているようなものとは全く違います。それは極秘になっていますので、もし貴方がそれを体験したとするなら、ババジ猊下かヨグマタジ、或いは、この私にそっと教えてください。真偽の判別は簡単です。私は体験したから解ります。
私はクンダリーニの上昇を経て宇宙の根源であるプラクリティ(自然・自性)が遠くに小さく見えたプルシャ(純粋観照者)でした。
 
それはマインドの観照者や、超意識をも遥かに超えたものでした。
少なくても『第一チャクラから第二チャクラに移動して』みたいなエネルギーの移動ではありません。
光速を遥かに超えて宇宙の根源、即ちマーヤの世界から解脱したプルシャの世界に還りました。それが本当の意味でのクンダリーニの上昇です。
それはプラーナの上昇や下降とは別のものだし、臨死体験の時のような上昇とは全く違います。
臨死体験は得難い体験です。常人が誰でもできる体験ではありません。
でもそれに留まってなりません。まだまだ先があるからです。
 
増上慢に陥っては折角得難い体験をしても、増上慢に陥れば元の木阿弥になることもあります。
私はプルシャに還る体験をしましたが、パイロットババ猊下のように、何時でもどこでも自由自在に意志(サンカルパ)の力で行けるステージに比べればまだまだです。私は上には上が有ることを知っています。
それを自覚しないと増上慢に陥ります。
釈尊(お釈迦様)がブッダガヤで最初のサマーディを成就したとき、それは確かに起こりましたが、いつでもどこでも成就出来る段階ではありませんでした。
 
だからこそ、後代「釈尊のブッダガヤでのニルヴァーナ(涅槃)は完全ではなかった。釈尊はニルヴァーナ成就後も精進を続け、ついにマハパリ・ニルヴァーナ(大般涅槃・だいはつねはん)という完全なニルヴァーナを成就した」という説が発生したのでしょう。
しかし、サマーディ(ニルヴァーナ・真如)を体験していない学僧はこのことを誤解しています。
彼らは釈尊(お釈迦様)が亡くなった後に「マハパリ・ニルヴァーナ=大般涅槃」を達成したと言います。それは事実です。
 
実は、サマーディ世界・真如(真実の世界)には肉体では往けません。意志(サンカルパ)の力で、呼吸停止、心臓停止、脳波停止という肉体の死を経て、サトルボディ(微細身)で真如に往くという事実を知りません。意志(サンカルパ)の力で真に往けると往けるということは、同時に意思の力でこのマーヤ(幻想)の世界に還ってくることが出来るということを意味します。
そのようなステージの覚者をヨガではサンカルパヨギと言い、仏教では
如来←→如去と言います。
こういう事実を知った上で「釈尊は肉体の束縛を離れて完全なニルヴァーナに到達した」と語る方は居ません。私もババジ猊下に教えてもらうまでは知りませんでした。
 
 
★ サマーディ(ニルヴァーナ・解脱)が起こった覚者と意志(サンカルパ)の力でいつでもどこでも真如(梵: tathatā)に往き来できる覚者。
ババジ猊下はこうも教えてくださいました。覚者には2種類あると言うのです。
一つは「サマーディが起こった覚者」であり、もう一つはサンカルパ(意思・決断)の力で何時でもどこでもサマーディの世界に往き来できる「サンカルパ・サマーディヨギ」です。
言うまでもなく、後者のステージは前者より遥かに高いものです。
ヨガではそのような覚者をサンカルパ・サマーディヨギと呼びます。
仏教者もこういう事実を後年知ったので、釈尊はブッダガヤでの悟りに留まらず、それを凌駕したステージに到達したという理解が生まれたのではないかと私は推測しました。それがマハパリ・ニルヴァーナの理解でした。
 
しかし、サマーディ成就者でない学僧たちは、その事をうまく説明できなかったので、『肉体があるうちは肉体の束縛がある。肉体を離れた後で、偉大で完全なマハパリ・ニルヴァーナに到達した』とだけ解釈したようです。
でも事実は全く違います。
サマーディ・ニルヴァーナ、真如と呼ばれる世界に往くには、肉体(粗大身)は死の状態になり、サトルボディー(微細身)と呼ばれる身体で往くしかないのです。それが肉体の死を通してヨガではコーザル体と呼ばれ、仏教ではマハパリ・ニルヴァーナと言われるステージに到達するのです。
それを意志(サンカルパ)の力で何時でもどこでも往き来できる存在が、サンカルパ・サマーディヨギと呼ばれます。
 
仏教ではそれを如来←→如去と呼びます。
如来とは真如((梵: tathatā))とは、真実の世界より来生(らいしょう)する存在です。
如去とは如来←→如去とは反対に真如に去る(=往く)存在です。
如来←→如去とは何時でも何処でも釈尊(お釈迦様)がブッダガヤで体験した涅槃寂静の世界に往き来できる存在です。
私は、釈尊(お釈迦様)は後年このステージを達成したのではないかと思っています。それで如来←→如去という思想が発生したのではないかと考えています。
因みに、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリがシュリ・ユクテスワールジのシッディーパワーで宇宙意識体験(The experience of Cosmic consciousness)をした時は、それが起こった段階でした。
 
でもパラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの映画「永遠のヨギ」の中では、晩年の彼はサンカルパ・サマーディヨギに到達したような描写がありました。
私もそうだったのではないかと思っています。
私はサンカルパ・サマーディヨギになるために、命を賭けて瞑想しました。
それは1999年のことでした。最終的に私は240日間不眠断食瞑想しました。
断食しながら、最初の頃から1日最低24時間は寝ないで座禅していました。
瞑想を始めてすぐに72時間は無心で座り続けました。
 
ずっとノーマインド(無心)でいると時間感覚がなくなるので3日以上だったこともあります。
不眠断食瞑想は、最初の頃は時計の日付で何日間座り続けたか分かっていましたが、3ヶ月も不眠断食座禅瞑想をしていると全く時間を気にしなくなりました。
従って、一回の瞑想が72間くらいまでは把握していますが、それ以上だと
一週間なのか10日ほどなのか判らなくなるくらい無心であり続けました。
日本にヨガ仏教を伝えた道昭は1週間から10日間ほど坐禅したと伝えられています。
ノーマインドでいると3日であろうと10日であろうと一瞬のうちに過ぎ去るので、何日不眠断食瞑想をしたのか気にすることは無くなるのです。
 
外には雪が降り、部屋の中でも零下になる冬のヒマラヤで座禅しました。暖房などありません。蝋燭1本の熱が暖房でした。
冬着はありませんでした。寒くて仕方がないので、無心になるしか逃げ道はありませんでした。だからすぐに無心になりました。暖かいところだと、こうはいきませんでした。厳しい環境だからこそ集中できたのです。集中ができれば、無心は近づきます。無心は何段階もありますが、一番深い無心になれば、サマーディが起こります。
パイロットババ猊下は、ノーマインド(無心)はサマーディから来ると仰っています。
無心になれば、睡眠は必要が無くなります。ひょっとして睡眠は、無心に至る過程で道を間違えた状態かもしれないと思いました。深い睡眠は無心に少し似ているからです。
 
★240日間不眠断食瞑想をババジが止めた経緯。
不眠断食座禅を始めて8ヶ月経ちました。後3ヶ月で死ぬというところで、ババジ猊下に瞑想を止められました。
毎日が浄土の世界に在るので死は眼中に有りませんでした。
浄土からすればこの世界は狂気の世界です。
内側の静寂な世界に在ればこの世界に戻って来ることなど考えもしなくなります。
この世界で偽マスターをやりたいとか、社会的に成功したいとかそんなくだらないこと等考えることは有り得ません。
 
私は命を捨ててサンカルパ・サマーディヨギに到達したかったので猊下に懇願しました。
「このまま死ぬまで修行させてください。既に生も死もマーヤ(幻想)だと悟っています。死など怖くはありません」
ババジ猊下は私にこう仰いました。
「貴方は既にサマーディを成就した。今度は人々にその功徳をシェアしなさい」
それを聞いた途端、ババジ猊下のお言葉が光の本流となって私の頭頂から第1チャクラまで突き抜けました。私は一瞬にしてババジ猊下の意思を悟りました。そして、私はヒマラヤを下山しました。
 
★マスターに不向きなタイプの修行者も存在する
私はマスタータイプの人間ではありません。マスターとして教えるテクニックもありませんでした。何故なら私は、サマタ・ビパサナ瞑想を始めてから僅か3ヶ月でサマーディを成就したからです。
私はパイロットババ猊下にサンカルパヨガ瞑想を教えられたヨギにサンカルパヨガ瞑想を教わりました。
私はサンカルパヨガ瞑想をそれとは知らずに始めて僅か15分くらいでSamadhi(三昧)が起こりました。
私に起こったことがサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)であるという事実を、私自身、中々認められませんでした。私がキリストや釈尊(お釈迦様)のステージに到達したと認めることは困難でした。
 
でも太母さん、ババジに真実を教えられ、ヨグマタジに認められ、最終的にあれがサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)だったと確認できたのは地下鉄サリン事件が有った年なので、サマーディを成就した6年後の事でした。私は一万二千年間秘密のサンカルパヨガ瞑想とは知らずに初めてやってみました。すると僅か15分くらい後にサマーディを成就しました。
私ばかりではありません。
パイロットババ猊下は少なくても10人もの弟子たちを公開サマーディやプライベートサマーディに導きました。
パイロットババ猊下のサンカルパヨガ瞑想が最強、最速、最短の道である証拠です。
 
私は何の苦労もなくニルヴァーナを成就したので、理論を教えることより
証果を得ることに、すなわち覚醒することに力を注いでいます。ただ実践あるのみです。そして2024年現在では四泊五日のリトリートで最長100時間、平均でも80時間の不眠断食瞑想成就者を輩出しています。
デーヴァダッタ(提婆達多と音写)のように釈尊(お釈迦様)を裏切り、ヘッドで屁理屈ばかりこねている人はこの瞑想の世界から脱落します。
有難いことに私の周りはアヴァターフィールド・ブッダフィールドで護られているようなので数々の奇跡が起こり続けています。
論より証拠です。
以下はこれまで起こった数十の奇跡の実際です
 
★覚醒は一朝一夕では怒らない。
パイロットババ猊下は私にこう仰いました。
「貴方は過去世からずっと修行をしてきた。教科書に載るような僧侶だった」
1994年、ババジは私を観るなり「Oh ○○」と仰いました。
富山県射水市大門町が生んだ世界的に有名な覚者である
太母さんは○○さんと或る僧侶の名を言いながら、私の膝に甘えてきました。
二人とも教科書に必ず出てくる僧侶だったので私は驚きました。
私は過去世から修行してきたおかげで、今生(こんじょう)はたやすくサマーディ(=ニルヴァーナ・解脱)を達成できたらしいのです。
ある意味、教えはさほど重要ではありません。
問題は覚醒です。
 
極端に言えば、教えは「サンカルパヨガ瞑想は、ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方が一万二千年かけて生み出した史上最高の神秘的な瞑想法だ」という程度で十分です。
「それを実践すればサマーディに到達する」という事実だけで十分です。
瞑想できない人ほどヘッドで教えを理解しようとします。
そういう方は経典から色々ヘッドで学びますが、仏智は学問からは得られません。
 
真の瞑想者は瞑想をヘッドで理解しようとはしません。そうではなく、心を空っぽにすることによって、真実を体得する道を選びます。
彼らは覚者の臨在と存在にサレンダーするだけです。
アヴァターフィールド・ブッダフィールドへの信頼だけが必要です。
そうなれば、事は自然に起こります。
真の覚者の周りでは奇跡が起こります。
そして真の弟子たちに恩寵をもたらします。
 
我々はヘッドの知識を得るために教えを学んでいるのではなく、サマーディ成就の為に学んでいるのです。
仏教では「戒、定、慧の三学」と言って智慧を大事にします。
それは仏智でありマインドの知識ではありません。
仏智はマインドが空っぽになった時にやってくるものです。
マインドの知識のようなものではありません。
知識だけの人は自分には体験が無いのに上から下に覚者をジャッジします。
私はババジをさえジャッジする愚か者達を何人も見ました。
 
私はサンカルパヨガ瞑想を体験する以前はサマタ・ビパサナ瞑想を三か月しかしていません。だから私は瞑想テクニックをほとんど知りません。私にとってテクニックは、さほど必要では無かったのです。
実は、色んな瞑想テクニックを試しているうちは、深い瞑想に入れません。
自分に合った瞑想法に出会うまでは色々試しますが、それが決まれば後は
ただ座ればいいのです。
 
私はサンカルパヨガ瞑想に出会ってからは座ることができるようになりました。ヒマラヤでは最初から24時間から72時間座り続けられました。
それ以上座ったこともありますが、無心なのであっという間に時は過ぎ去りました。
たぶん1週間から10日ほど座っていたことがあるのですが、瞑想三か月になると向こうの世界が素晴らしすぎるのでこの世界のことなど気にならなくなります。
三か月目から私はボディーダルマ(=達摩大師)のように半身不随になりましたが、
それでさえまったく気にしませんでした。
当然カレンダーなど見なくなりました。
 
只管打坐になった時が一番深い瞑想状態に入れました。何故なら、瞑想とは「Nothing to do」だからです。「あれこれやること」をやめて「在ること」に至る道です。「在ること」に至るまではトータルにやるのですが、その後は只管打坐です。
釈尊もトータルに苦行しました。やることをやりつくして、良い意味での断念が起こった後に、ブッダガヤでサマーディを成就しました。
釈尊はそのサマーディを「サマ・サマーディ(巴:sammā-samādhi)」と名付けました。これはサンスクリット語ではなくパーリ語です。
釈尊はブラーミン(婆羅門、僧侶カースト)ではなく王族だったので、カースト的にはブラーミンの一つ下になります。古代、サンスクリット語はブラーミンしか習えないので、釈尊は解さなかったのです。
 
サマーディはサンスクリット語では「samyak-samādhi」といいます。中国翻訳僧はそれを三藐三摩地(サンミャクサマジー)と音写しました。
パーリ語のサマ・サマーディの「サマ」は正しいという意味です。従ってサマ・サマーディは「正しいサマーディ」という意味になります。釈尊はヨガの行者でしたから、最初はサマーディというヨガの用語を使用しました。
中国翻訳僧は、サマーディを三摩地(さんまぢ)音写して「サマ・サマーディ」を正定と翻訳しました。
釈尊の説いた「八正道」の最後のステージが正定です。マインドフルネス瞑想でよく言う、サマサティー(正念)の次のステージが正定です。
正念は「正しい気づき」ですが、気づきといっても普通の気づきではありません。殆ど解脱に近い意味での気づきです。口語で「ここが正念場」などと使われますが、本来の意味からはかけ離れています。
ヨガの八正道であるアシュタンガヨガ(ヨガの八つの道)でいう「瞑想」の定義が、日本人の考える「悟り」の概念より遥かに高い意識状態であるのと同じく、八正道でいうところの「正念」は、日本人のイメージする「悟り」の概念を遥かに超えた意識状態です。
 
本当のことを言えば、マインドで正念を保つことなどできません。正念はマインドを超えた意識ですので、あれは方便です。しかし、役に立つ方便です。
私が、色んな修行をしてきたのなら、他者にも教えることが出来たでしょうが、私にはそれが出来ません。現代の日本人に必要な初心者向けの瞑想法を私は殆ど知りません。私はセラピー的瞑想の資格を一切持っていません。
 
★ 一万二千年間かけて創られたサンカルパヨガ瞑想
私が教えるのは「一万二千年秘密のクリヤヨガ」だけです。そして、あるのは「サンカルパヨガ・ファンデーション代表」の肩書だけです。勿論、これだけで十分です。
クリヤヨガのテクニックは、誰でもすぐに憶えられます。一つ一つのテクニックは、誰でも知っているハタヨガの呼吸法と一緒です。
このテクニックを習得しただけで、ババジ猊下の元を離れた人もいます。彼らは、それを教えてビジネスにしようとしたのです。こういう人たちがクリヤヨガを無意味なものにしました。
 
ババジ猊下やヒマラヤのアヴァター(神の化身・権現)様達と繋がっていなくてテクニックだけを憶えても、ただのハタヨガの呼吸法と同じになります。それはただの健康法にしかなりません。
その呼吸法で解脱は出来ません。何故なら、宇宙の源のパワーであるアヌグラハをいただいていないからです。
ヨグマタジのHPでは、アヌグラハをこう説明しています。
「神の恩寵(祝福、恵み、慈しみ)のこと。
すべてを創造した至高なる存在、高次元の意識からくる神のパワーであり、心身を浄め、まるで原子力のような強大な力を持つ。
シッダーマスターは至高なる存在とつながっているので、アヌグラハを与えることができる。その力によって、速やかに内側を浄化し、変容させることが可能になる。」
 
「クリヤヨガをした後に瞑想が深くなった」と仰る人が、たくさんいらっしゃいます。そういう方と私は出会い続けたいのです。私のようなスタンスでは、瞑想をビジネスとするのは難しいのです。
人々はあれやこれやの技法を求めます。呼吸法をやったり、ハタヨガをやったり、音楽療法、アロマテラピー等、様々な技法をやりたがります。勿論それはそれでOKです。私もそういうのは大好きです。
でも、貴方が本当にサマーディを成就したいのなら、テクニックは「サンカルパヨガ」だけで十分です。人によってはクリヤヨガだけでも十分です。
しかし、これではビジネスとしては成り立ちにくいです。だから私はボランティアで瞑想指導をしてきました。でもそうすると、準備が出来ていない人が集まるのも現実でした。
 
私は29年間、サマーディ成就を隠して来ました。ほんの一部の人にしか話してきませんでした。私が体験したことをシェアしようとしても、受け入れてくれる方が少数だったからです。
私が神秘体験を話しただけで、古い友人は去りました。それを匂わせただけで敬遠されました。「サマーディを成就した」などと言えばどうなるか目に見えていました。
私は10年間頑張ったけれど、話を聞きたいと思われる方はごく少数でした。反対に、私をジャッジして攻撃する方が多くいました。私の話を自慢話だと言う方が山ほどいました。
私は世間にうんざりしていました。こんな面倒臭いプロセスを我慢して「偽グル・偽マスター」をやりたがる人の気が知れませんでした。
 
「偽グル」をやりたがる人たちは、詐欺師の才能があります。彼らは馬鹿げたおとぎ話を飽きもせず永遠に繰り返しています。自分がマイトレアであり、救世主だと信じる人もいました。僅かの体験をしただけで「自分が選ばれた民である」と勘違いして、増上慢に陥る人は腐るほどいました。
私は自分に正直でありたいので「偽グル」には不向きです。人を良い方向に導くための方便としてなら「嘘も方便」で使います。それは良いことです。
 
しかし「偽グル」の嘘は、利益、名声、打算などのエゴから出てきます。そういう事をやっていれば、自分の霊性を貶めます。そんな馬鹿げたことは出来ません。深い瞑想に入り、内側の素晴らしい世界を知ったメディテーターは、くだらないエゴの世界などに帰りたくはないのです。
結局、私は世間に出ることをやめて、達磨大師のように少数の弟子と信者さんだけを指導する道を選びました。その私がこうして表の世界に引っ張り出されたのですから、地球はとても急いでいるのでしょう。
 
★ババジ猊下のヒマラヤでの過酷な修行
極寒のヒマラヤで不眠断食座禅するのは、一般の人には少しハードルが高い修行です。しかしババジ猊下は、私など及びもつかない過酷な修行をされました。
猊下はマイナス50℃の極寒のヒマラヤで、腰布一枚で一日50キロ以上歩く回峰行をされていました。しかも高度3000メートルから8000メートルまで、腰布一枚で昇り下りされたのです。人間業ではありません。まさに神業です。食料は4000メートルまで下がれば高山植物があるので、動物が食べる草を観察して、それを食したそうです。
 
猊下はササラン王国の王子として出生し、何不自由なくお育ちになりました。いわば、超のつくお坊ちゃま育ちだったのです。それにも関わらず、人間業とは思えない過酷な修行を貫徹されたのですから、やはり只者ではありません。
修行者になる前はインド空軍の中佐で、国民のヒーローだったのです。その後、映画監督になりヨガの映画を撮影していた最中に突然発心して、そのまま服を脱ぎ捨てて、乞食椀(こつじきわん)を1つ持ったサドゥー(遊行者)になりました。異色中の異色の覚者様です。
ババジ猊下が腰布一枚で、誰も登頂できなかったヒマラヤへ半日で往復する姿を見て、世界の登山家達は「ヒマラヤには神が居る。仙人がいる」と噂しました。
日本の登山隊のメンバーで歯科医師の方がその噂を聞いて、ババジ猊下にお会いしました。それがご縁となって、猊下が富士五湖の一つの西湖で3日間の水中サマーディをされた時、その歯科医師さんもお手伝いしたそうです。
 
★アセンション、選民思想の落とし穴
二極化が激しくなり、アセンションに向かう人と闇の世界に堕ちる人は、激しく選別されていると感じます。
最近出会う方は、殆ど準備が出来ている人たちだと感じます。複数の魂の求道者達に出会っています。
少しずつですが、そういう方達からサンカルパヨガ瞑想会に参加したいというお声があがっています。地域がバラバラなので現段階では調整が難しいのですが、アセンションに向けて事は運んでいます。というか、とっくにアセンションは始まっています。
アセンションが選民思想のような馬鹿げた差別思想と無縁であることを確認しながら、世界平和、一切衆生皆平等、母なる地球を護る事、人類覚醒の願いを成就したいものです。
道半ばの人たちがアセンションを語る時、「自分は選ばれた者で、他の人は劣っている」と慢心している姿をよく見かけます。
 
それは増上慢と言って一番危険なマインドトリップです。こういう人々の特徴は、覚者に対してリスペクトがなくて、とてもジャッジメンタルなことです。
ババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)にご縁を頂きながら、身の程を知らずにジャッジして、すべてを失った愚か者たちを私はインドで何人も見ました。
そういう方は、神秘体験と言うことも出来ないような僅かな体験をしただけで増上慢に陥り、猊下やヨグマタジをジャッジしていました。私もジャッジされました。
 
彼らがババジ猊下にさえ、「信頼を失った」などとブログで書いているのを見かけます。私は自分の身の程を知っているので、彼、彼女らのように傲慢にはなれません。
覚者は我々を色々テストします。私もこれまで何十回も、これでもか、これでもかという厳しいテストを受け続けました。我々の覚悟を試されるのです。
私が一切悪くないことで、批判を浴びる状況もありました。まさに受難でした。キリストは何も悪いことをしていないのに磔にあいました。しかし、私は最後まで猊下をリスペクトし続けています。
 
キリストにはユダが居て、仏陀にはデーヴァダッタという反逆者が居ました。しかも彼らは覚者とものすごく近いところに居ました。デーヴァダッタは釈尊の従弟で、阿難尊者の兄でした。彼らは覚者に反逆し、悪い見本として、ある意味世界に貢献しています。後世の修行者がユダやデーヴァダッタのようにならないための悪い見本となりました。
一例をあげます。かつてヨグマタジの信者だった人が、インドのババジ猊下のアシュラムに来たことがあります。それまでヨグマタジにさんざんお世話になったのに、猊下にお会いした途端に手のひらを返して、ヨグマタジをボロクソに言う愚か者達がいました。そういう人達さえも、猊下は大慈悲で受け入れました。
 
そうした者の一人、とりあえず彼女をJと呼びます。猊下は私に仰いました。
「Jは精神に異常がある。クックー(狂人)だ。彼女は必ずアディティヤナンダのワークの邪魔をする。私がJのケアをするから、貴方は彼女のことは放っておきなさい」
そして、猊下はJを特別扱いされました。自分が特別扱いされた理由を勘違いした彼女は、凄まじいエゴトリップをしました。
「皆は、ババジを批判しないで盲信しているが、私は違う。言うべきことは言う、他の人と私は違う」などと、強烈なエゴトリップをしていました。
覚者にサレンダーできない人は、皆同じことを言います。自分は特別だと勘違いしています。
Jは問題を起こし続けました。
 
ババジ猊下の高弟の一人に教えられたのですが、何を勘違いしたのかJはババジ猊下に結婚を迫ったそうです。当然、猊下は相手にされませんでした。
すると、今度は卑劣な手段でババジ猊下を脅したそうです。噂では「猊下にレイプされそうになったとヨグマタジに訴える!」と言ったと聞きました。ババジ猊下はJの話を一蹴しました。そしてアシュラムから追放されました。
もう1人のMも同じでした。その人もヨグマタジにお世話になったのに、ヨグマタジをボロクソに言い出しました。終には「ヨグマタは地獄に堕ちるだろう」などと暴言を吐きました。
それを私が咎めると、今度は私を攻撃してきました。このMも問題を起こし続け、結局アシュラムを追放されました。
 
そして驚いたことに、このMは平然とした顔でヨグマタジのところに戻ったのです。しかし「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」の諺通りに、総てが白日の下に晒け出され、彼女たちは出入り禁止になったと伺いました。
何時の世も裏切者は必ずいます。ババジ猊下に慈愛を注がれながら裏切ったJとかMのような脱落者達は私の反面教師でした。
覚者をジャッジする人は仏弟子としての資質に欠けています。結局そういう人たちは救済の網から漏れ、ババジ猊下の解脱の光を失いました。どうか、そうならないように気をつけてください。
 
私は、ワールドピースキャンペーン、ガイア(母なる地球)保護、人類覚醒の誓願のために動き出しました。ババジ猊下のワークのお手伝いの為に瞑想リトリートを開いています。
私は解脱を求める方に出会うために瞑想会を開いています。「生と死を超える道」を進みたい人に出会うためにやっています。
この世界をより良く生きるために瞑想することは素晴らしいことです。でも私は、この迷妄の世界から解脱するために瞑想する人と出会いたいのです。興味本位の人、道場破り的感覚で来られる方には関心がありません。
 
サンカルパヨガ・ファンデーションは組織ではないし、ビジネスでもありません。
ババジ猊下は私に「サンカルパヨガ・ファンデーションは独立した存在だ。私(パイロットババ猊下)にもヨグマタジにも属さない貴方のファンデーションだから貴方のやりたい方向でやりなさい」と仰いました。
私は、ヨグマタジをサポートするスタンスの方が、自分には合っていると思っていましたがグルの命には従います。
大きな流れには従います。存在が私に指示する流れには従います。
今回、私は表の世界に引っ張り出されました。私まで表の世界に引っ張り出す状況を創るということは、地球がとても急いでいるという証です。
 

Om Shanti Shanti Shanti(愛と平和を)🙏

タイトルとURLをコピーしました