グジャラート州で開催されたサント・サミティの会議に招聘されました。
マハ・マンダラ・イシュワール・サンジェイ・ギリ・マハラジの尽力により
我々はグジャラート州で開催されたサント・サミティの会議に特別参加を許されました。
サンジェイ・マハラジの話では、
サント・サミティはインドのヒンドゥ教徒の大団結を目指して作られたもので、
仏教やジャイナ教を含むヒンドゥ教徒の代表者が集まっている一大連合団体だそうです。
そういうと仏教学者は仏教の独自性を主張して
ヒンドゥ教と仏教は違うと異を唱えるかもしれません。
私も仏教研究者時代はそう思っていましたが、インド人は仏教やジャイナ教をヒンドゥ教の一派としてしか見ていないし、実際そうだと思います。
ヒンドゥ教とはインドゥ教、即ち、インドの宗教と言うことです。
ヒンドゥ教も仏教もジャイナ教も、この世界がマーヤ(幻想)であり、一切皆苦の世界であり、そのマーヤ(幻想)から覚醒して真如(真実の世界)に還るべきだと言う主張は共通しています。
私は宗派を立てる意義を認めていますが、人を救うはずの宗教がその理想とは裏腹に、いがみ合い、憎しみあい、殺しあってきた歴史があることを思うと、独自性を主張するだけでなく和合することが必要だと痛感します。
例えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った兄弟宗教の争いは古代から現在まで未だに続いています。
もうそろそろ、宗教が憎みあい、争いあうのではなく、互いに手を取り、許しあい、認め合う方向に行くべき転換期に入っているのではないでしょうか?
さてインド2000万聖者の多くはAkhara(アカラ)という団体に所属しています。
大きなアカラだけで13団体あります。その団体の中で実質的な最高指導者様方
マハ・マンダラ・イシュワール(偉大なる宇宙の大神)と呼ばれています。
先日マハ・サマーディに入定された我が師パイロットババジ猊下もマハ・マンダラ・イシュワールでした。
パイロットババジ猊下は、クンブメーラという世界最大の聖者の祭典にダライ・ラマ法王を招聘しました。
パイロットババジ猊下は、ヒンドゥ教も仏教も共に手を取り合い「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」をしていきたかったからだと私に仰ってくださいました。因みに、朝日新聞デジタルによると2019年には一億三千万人もの人々がクンブメーラに集まっています。
ババジ猊下の宗教和合の追求を示すエピソードは他にもあります。
ババジ猊下はシヴァ派に属します。シヴァ派のサドゥー(遊行者)の挨拶はAum Namah Shivaayです。即ち、シヴァ神の聖名を称えます。
ところがババジ猊下は私たち弟子にビシュヌ派のOm Namo Narayan を称えるように指示されました。
何故なら、猊下は総ての宗教、すべての神をリスペクトするように教導されていらっしゃったので、他の宗派をリスペクトする意味で他宗派であるビシュヌ派の称名を採用されたのです。
そうすることによって宗派同士の争いを無くすことで、
世界平和の実現を願っていたのです。
サント・サミティには、13の団体のマハ・マンダラ・イシュワールの方々が集まっています。
インドの錚々たる大聖者様達が集結している一大サミットです。
そんなサミットに招聘されたのは恐縮でした。
何故なら、私自身は1989年にサマーディを成就しましたが、所謂、聖者ではありません。
私は釈尊(お釈迦様)やキリストと同じように聖者として生まれて覚醒したのではないからです。
釈尊は王族で、結婚もしていたし子供もいました。
キリストは大工の家に生まれました。
釈尊(お釈迦様)もキリストも仏教で言えばウパーサカ(優婆塞)という在家の出身です。
聖者のカーストではありませんでした。
ババジ猊下もササラン王国の王子として出生され、釈尊(お釈迦様)と同じように
30前後で修行の道に入りサマーディ成就されました。
私自身もサマーディを成就するまでは聖者の生活をしていたわけではありません。
むしろ反対に自由気ままに生きてきたし、その反面、苦悩の生をも体験しています。
私は闇の中でもがき苦しんだおかげで光を求め続けました。
かような苦悩の生があったからこそサマーディを達成できました。
この意味で私は悪人正機の典型だと思っています。
だから、親鸞さんと同じように煩悩具足の凡夫の自覚をもっています。
その自覚を持ち続けた方がグルトリップしなくて良いのです。
そのような私に思いもかけず、インドの大聖者様方のサミットにマハ・マンダラ・イシュワール(偉大なる宇宙の大神)の方々と同列で参加させて頂いたことは身に余る光栄でした。
Om Shanti Shanti Shanti(愛と平和を)

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