第二部
さて、「好事魔多し」と言いますが、良いことがあった後は、悪いことも同時に起こります。毎度の事なので最近は「ほら来たよ。またかいな」と笑ってスルー出来るようになりました。
先日、OSHO(和尚)の名を提案した話の改訂版を書いたら、一部の人たちが30年前の私のことを取り上げ、ジャッジしていました。
その人たちとは、30年以上会っていません。 彼らは私のヒマラヤでの修行も、現在サンカルパヨガ・ファンデーションで起こり続けている恩寵も知りません。
「さてこれから偽物のマスターの出現を見れる」と揶揄されました。(笑)
あの頃の私はタントラの道を歩んでいました。
私はスートラ的聖者の道ではなく、タントラの道を歩んできました。
スートラ的覚醒の道は聖者の道ですが、儒教的な聖人君子の道ではありません。 私は、この世界がマーヤ(幻想)として覚知された少年時代から、世界に違和感を覚え、世間とうまく付き合えませんでした。
私は親鸞に出会った時からタントラ的にやりたいことをやってきました。
この点は、OSHO(和尚)系の人も同じはずです。
だから昔のことを批判されても否定しません。
私は皆さんに素直に同意します。
しかし、あの頃の私をジャッジすれば、その批判の矢はご自分に突き刺さるはずです。
ジャッジするばかりでなく、自分の問題として捉え直すことができる人は成長します。
そうでない人たちは古い着物を着続けます。 霊的成長は望めません。
私がスートラ的なストイックな道を歩んだのは、パイロットババ猊下に出会ってからです。
240日間不眠断食座禅がその極みでした。
一回に24時間から72時間座り続けました。或いは1週間くらい無心で座ったかもしれません。
無心で在れば時間が無いし、サマーディに在ればこの闇の世界に関心が無くなります。 時計のカレンダーを見たのも最初の内だけで、そのうち見なくなりました。
瞑想三ヶ月目くらいで達磨大師のように半身不随になりました。
毎日が無心で在るか、一秒に一回神秘体験が起こるような日々は余りにも素晴らしい。
無限の至福の世界は、仏教で言えば極楽世界です。
この世界に帰ってくる気は無くなりました。
240日目にパイロットババ猊下から「これ以上瞑想を続ければ後三ヶ月で死ぬから止めなさい」と言われた時、やっと五濁悪世の世界から極楽世界に還れると喜びました。
あの頃の私は、死などまったく恐れてはいませんでした。
パイロットババ猊下に「貴方は達成した。日本に帰ってその功徳を人びとにシェアしなさい」と言われた時に、全身が光に包まれました。私は歓喜の中で、気がついたらパイロットババ猊下にプラナーム(接足作礼)していました。
顔が濡れていたので、何かと思ったら涙でした。
泣いていたのにも気づきませんでした。
私はヒマラヤから下山することを了解しました。 でも私は半身不随でした。 私はパイロットババ猊下に訴えました。
「この通り私は立つこともできません。どうやって帰国できるのでしょう?」
すると猊下はこう仰いました。
「心配するな。私が治す」
そして僅か3日後に私は歩行できるようになったのです!
帰国して私のMRIを見た医師はこう言いました。
「これは奇跡です。こんな状態で立てる人は学会でも報告されていません」
〇私はヒマラヤでの極楽世界から還りたくなかった。
至福の世界を知った人は偽マスターをやって無意味なエナジーを使いたいなどとは思いません。
極楽に在るのに、何故、悪夢の世界で、キリストや釈尊(お釈迦様)のような受難・法難を蒙りたいと思わなければならないのか?
私は世間に帰りたくなかった。
でも、猊下に諭され泣く泣く「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」の為に帰ってきました。
そういう思いの人間を嘲り、非難する人たちがいることは最初から承知していました。
しかし、真に覚醒を目指し、世界平和とガイアを護るハートを持った魂の友たちに会うために、私はヒマラヤから下山しました。
当初の予想通り、15年近くうまくいかないことの連続でした。
私は世間に戻った後も隠遁状態でした。
キリストや歴史上のブッダ(覚者)の苦労を思えば、なんてことのない苦労と思い、自分を励ましましたが、私の願いは空回りし続けました。
私は機が熟すまで、世間の中で隠遁しました。
しかし、これまでの努力が報われ、ここ数年はやっと御同朋・御同行が集まってきています。
今になって判ります。
最初のサマーディの前の長い無明の時は、サマーディ成就の為に必要でした。
無明に苦しむことが覚醒の種になったのです。
サマーディ成就後の苦悩は、マスタ―になる為のものでした。
マスターワークでの数々の失敗が、私を鍛えました。ヒマラヤでのスートラ的修行が、私のマスターワークの基礎作りをしてくれましたが、世間でのマスターワークはその応用編になりました。 私は数々の失敗、数々の闇を潜り抜けました。
そしてやっと、「スワミジの覚醒の慧によって燈(=燈・あかり)がつきました」という人々が現れてきました。
私の御同朋・御同行は、口先だけの自称メディーテーターとは違い、40時間瞑想を貫徹できます。
2022年の11月のサンカルパヨガ瞑想リトリートでは生まれて初めて瞑想をした女性でさえ、アヴァターフィールド・ブッダフィールドの中で 初日から10時間座れました。そればかりではありません。彼女は、瞑想上級者にしかできない瞑想法を誰にも教えられず独自に編み出しているのです。それは私がブラックホールメディテーションと名づけているものです。或いは、思考を映画のテロップのように流し、離れてただ見る瞑想法を二日目に編み出しています。 これがアヴァターフィールド・ブッダフィールドの恩寵です。
これがスートラ瞑想です。 スートラ的瞑想は瞑想の王道です。人をジャッジするばかりで、僅か1時間も無心で座れない人々とは全く違います。 論より証拠です。 我々は実績で証明しています。
〇スートラ(経典)とは経糸(縦糸)という言葉から派生しています。
経典は経糸で作られているからです。
ストイックで、一段、一段、段階的に修行をする修行者の王道です。
地図の経度という言葉はここから来ています。
ヒマラヤでの修行は100%スートラ的修行者の道でした。
経糸(縦糸=スートラ)に対してタントラは 横糸(緯糸)です。
横は横柄や横着の横で、わがまま勝手という事です。
空海が中国に行った時、持ち帰った理趣経は、典型的なタントラ経典です。
スートラで禁止された飲酒やセックスなどが、肯定的に捉え直されています。
つまり、セックスや飲酒も瞑想的にすれば悟りを得る事が出来ると言うのです。
チベットの歓喜仏のように、セックスを獣的なセックスではなく仏のセックスと捉える立場です。
先ほど申しましたように、私は自由気ままに生きてきました。
しかし、それは本当の自由では無かった。
瞑想を始める前は苦悩の中に有りました。
私はこの世界が真実ではないことを知っていたので、生きているのが苦しかった。
真実の世界に居ないことを知っていたので、荒んだ心に苦しみました。
私はセラピーやら、セラピー瞑想やらでは治らない重い病にかかっていました。
或る日、私を根本的に救うのは、セラピーや1時間セットの瞑想の準備段階的瞑想などではなく、解脱しかないと気づきました。
その時、私は生まれて初めて覚醒を決意しました。
このマーヤの世界の呪縛から解脱することを決意しました。
私は、闇の中で苦しんだからこそ光を求めました。
闇はエンライトを求めるために必要なものだったのです。
北伝仏教(大乗仏教)では煩悩即菩提と言います。
煩悩があるからこそ菩提(覚醒)は起こります。
まさに、煩悩即菩提でした。
私は三ヶ月必死でビパサナ瞑想をしました。
直ぐに最初のステージの無心を体験しました。
無心と言っても実は何段階もあります。
最初の無心の状態は、小さい頃から有りました。
ビパサナ瞑想を始めた時に二ヶ月目くらいでノーマインド(無心)を達成していました。
パイロットババ猊下によれば、無心はサマーディ(=ニルバーナ・真如)から来ます。
しかし、ビパサナで体得した無心など比較にならないほどの衝撃的な体験が起こりました。
私は、それとは知らずサンカルパヨガ瞑想を始めて僅か、10分か15分程度の短い時間でサマーディを成就しました。
それはビパサナ瞑想を始めて僅か三ヶ月の事でした。
ビパサナでは到達できなかったサマーディの世界に僅か10分か15分で到達できたのです。
サンカルパヨガ瞑想の物凄さを私は体験しました。
実は私にサンカルパヨガ瞑想を教えたのはヨギ・チンマヤでした。
私はOSHO(和尚)コミューンでボディーサットヴァ(菩薩)の位だと噂されていたヨギ・チンマヤに出会いました。
その彼から教えられたヨガを実践中に、サマーディを成就したのです。
10年後くらいに分かったことですが、彼は猊下からサンカルパヨガ瞑想を習っていたのです。猊下は彼にサンカルパヨガ瞑想を教えていたのです。
私は、それがサンカルパヨガ瞑想とは知らずに実践中、僅か10分か15分後に最初のサマーディを成就しました。
何故その時間が判ったかと言うと、サンカルパヨガ瞑想の中のクリヤヨガの時間が大体決まっているので、後で達成した時間が推測できるのです。
その後OSHO(和尚)コミューンでうんざりするようなことが相次いで起こりました。
OSHO(和尚)が肉体を離れた後だったので、私は覚者に会うために、OSHO(和尚)コミューンを出る決意をしました。
先ほど申しましたように、或る古いOSHO(和尚)の弟子が私にこう言ったことが私の背中を押しました。
「OSHO(和尚)は、瞑想が深くなった人はこのコミューンを出ざるを得ないように設計していると語った。そういう人は、ヨギ・チンマヤのところに行くことが多い」
この話を聞いていたので、私はヨギ・チンマヤに会いに北インドのバゲシュワールという聖地にある彼のアシュラムに行きました。
そして、後年、パイロットババ猊下がヨギ・チンマヤにサンカルパヨガを教えたことを知りました。そればかりか、OSHO(和尚)がヨガを教わるためにパイロットババ猊下に懇願した事実を知りました。
OSHO(和尚)が無名時代に、パイロットババ猊下はサマーディ成就者として、既に有名だったのです。
その事実を知った時は本当に驚きました。
すべては、ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の大いなる計画により、OSHO(和尚)や太母さんに邂逅して最後にヒマラヤに行きついた事実を知ったからです。
〇私がチンマヤのアシュラムに行った時、あいにく彼はチベットに旅行中で不在でした。
ヨギ・チンマヤの弟子の男性が私を迎えてくれました。
彼はOSHO(和尚)コミューンで門番のワーカーをしていたので、顔は知っていました。
彼は私に言いました。「スワミジ(ヨギ・チンマヤ)は1週間ほどしたら帰る」
私は「それまで、ここで彼を待ちます」と答えました。
すると予想外なことに彼はこう私に言うのです。
「ここにいるより、パイロットババジ猊下がヒマラヤで瞑想キャンプをしていると聞いている。彼はエンライトしている有名な聖者だ。
彼の瞑想キャンプには、険しい山々を越え、危険な氷河を越えて行かねばならない。
貴方はヒマラヤのトレッキングの経験はありますか?
もし経験があるのなら、パイロットババ猊下の瞑想キャンプに行ったらどうですか?」
普通、弟子は自分の師を勧め、他の師を紹介はしないものです。
それを知っていた私は彼のアドバイスを意外に思いました。
しかし、私は覚者を求めて旅に出ました。
そして私は大きな流れを信じてきました。
私は躊躇うことなく、マハヨギ・パイロットババジ猊下に会うためにすぐにヒマラヤに向かいました。
行ってみて分かりましたが、ヒマラヤは雲が無い時は15度の気温でも、夜はマイナス15度になりました。
私はそれを知らず夏服のまま、パイロットババ猊下にお会いしに出かけました。
下界は摂氏45度だったので、ヒマラヤは涼しくていいだろうと甘い考えで行ったのでした。おかげで良い修行になりました。
半袖短パンでマイナス15度の世界で瞑想するには無心になるしかなかったので、簡単に無心になりました。
だから完全防備でヒマラヤに行かなくて良かったです。
トレッキングコースは厳しいものでした。
数百メートルの氷河の崖には、手すりも何もなく、滑ったら死ぬしかない道を何箇所も通りました。
道と行っても30センチメートルほどのアイスバーンです。
私は滑って落ちそうになったり、ライトも持たずに出かけたので真っ暗闇で道が見えなくなる寸前で安全なところに辿り着きました。
山を知る人から見れば、夏山を舐めた馬鹿な奴と思うでしょう。
私はこの道中だけで二度死にかけました。
しかし、ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のシッディーパワーにより、二度とも助かりました。
それが大きな力のお陰だと確信することができたので、私には良かったのです。
実は私の生涯で死の寸前から助かったことが、これまでに七回はありました。
その度にすんでのところで助けられたので、私は大きな力のご加護を信じられるようになりました。
私は無謀な装備で、危険なトレッキングに出かけました。
私は、覚者(=仏陀)にお会いして、私に起こったことが何であったか確かめるためには命を捨てる覚悟で行きました。
それでパイロットババ猊下にお会いできました。
だから、それで良かったのでした。
私がパイロットババ猊下にお会いして1時間後に猊下はこう仰いました。
「貴方は公開サマーディの準備ができている。私が総てを準備するからやりなさい」
私は伺いました。「公開土中サマーディとは何ですか?」
すると、パイロットババ猊下は、聞いたことが無いヨガ用語で、スクシュマ、イダ、ピンガラ、チャクラやクンダリーニの説明をされました。
私にはさっぱり分かりませんでした。
何とか理解できたことはこうでした。
「3日ほど土中で入定する。肉体は死ぬが死の世界には行かず、真如(真実の世界)に往く。だからキリストのように復活する」
私が「そんな!」という表情でいたらパイロットババ猊下はこう仰いました。
「私がいるから大丈夫だ。心配するな。昨年(1991年)私はヨグマタジ(相川圭子師)をサマーディに導いた」
これがパイロットババ猊下との今生(こんじょう)最初の出会いでした。
私はパイロットババ猊下にお会いした後、ヨギ・チンマヤの弟子に聞きました。
「何故貴方はヨギ・チンマヤでは無くパイロットババ猊下を私に勧めたのですか?」
彼は驚いたように答えました。
「私がそう言った?私がそう言う訳はない。私はスワミジ(ヨギ・チンマヤ)を紹介するはずだ。私が他のマスターを紹介するはずがない」
私は内心「やはりな」と合点しました。
ババジ猊下がシッディーパワーで、ヨギ・チンマヤの弟子にそう言わせたのだと納得しました。
太母さんの使いでサイババのアシュラムに行った時、有り得ない偶然が続きババジ猊下に再会した時もババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のシッディーパワーを感じました。
思えば、パイロットババ猊下にお会いするまでも、総ての出来事がパイロットババ猊下にお会いするように仕組まれていたのでした。
私は大きな力に引き寄せられて、幸運にもヒマラヤで修行させていただきました。
その中でも、『240日間不眠断食座禅』は最も素晴らしい体験でした。
〇最初、私は、タントラの道を歩みました。
親鸞の道もOSHO(和尚)の道もスートラではなく、タントラでした。
しかし、猊下から、タントラで往けるのはサマーディのスタートラインであるエンライトメントまでと伺いました。
私は大きな力、ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方に召喚されヒマラヤ秘教の修行に出会い、ついには、240日間不眠断食座禅を貫徹しました。
昔の私を批判して貰ってもいいし、今の私を批判して貰っても構いません。
私は今でも普通の人間だし、神ではないので、完璧な人間ではありません。
覚者(=仏陀)が完全な人間と言うのは、覚者を偶像化するポップな人々の幻想です。
これは「綺麗な女優は排便しない」という信仰(?)と変わりません。
禅の世界では「人間なんて所詮糞袋である」と言います。
禅の世界では古くから使われてきた言い回しです。
240日間不眠断食座禅はおろか、僅か10時間も無心で座れない人たちが何を言おうと虚しいだけです。
OSHO(和尚)がよく言っていました。
『この瞑想の世界は実力主義だ。瞑想が出来ない人には何も言う資格が無い』
OSHO(和尚)は“いま、ここに生きる”事を強調しました。
また、“ジャッジするな”と再三言いました。
一部の人は30年前の私をジャッジしています。
あれから一度も会っていない私をです。
彼らは“いま、ここに”と言いますが、“いまここ“に居ないのです。
彼らは、OSHO(和尚)の願いとは裏腹なことをしていると思います。
OSHO(和尚)が度々語ったムラナスルディンの逸話のように『悪口を言いたい人は、何をしても悪口を言う』のは事実です。
反対に、達磨大師のような放蕩男が改心して禅を中国に広めたような事例を知っている人は、「あんな男でもこんなに変わるのか!」と驚き、50年後の私に歩み寄る方もいます。
私は神ではないので欠点はあります。
エンライトしてもマインドや性格は残ります。
覚醒しても性格が無茶苦茶な人は居ます。
OSHO(和尚)がよく言うクレージーババです。
私はOSHO(和尚)のクレージーババの話が好きだったので、
クレージーな修行者には好感を持っています。私は私をジャッジする人たちのように、クレージーババをジャッジしませんでした。
パイロットババ猊下の『ヒマラヤへの扉』(原題訳:ベールを脱いだヒマラヤの秘密)の中でヒマラヤのアヴァター様方でも感情が有ることを猊下は指摘しています。
皆さんはエンライトメントを体験していないから、空想でマスターを理想化します。
それは『綺麗な女優さんは放屁もしないし、排泄などしない』というギャグと似たような話です。
覚醒してもマインドは残ります。
マーヤの世界ではキャラは必要です。
キャラで覚醒は計れないのです。クレージーババの性格を見て覚醒を計ることはできないのです。
私はサマーディの種子の有る方が発芽して欲しいのでそのお手伝いをしています。
私が会うべき人達はサマーディ成就を決意した人たちです。
出来るかできないかではなく、それをサンカルパ(意思・決断)することが重要です。
私は何時でも何処でも瞬間にエンライトして、真如(真実の世界)・サマーディの世界に往生して、何時でもどこでもこの世界に還って来られるサンカルパ・サマーディヨギのステージではありません。
パイロットババ猊下のように、釈尊(お釈迦様)が6年もかかって達成したニルバーナ(涅槃)の世界に、0コンマ1秒で往生して、何時でもどこでも還って来られるステージには程遠いです。
釈尊(お釈迦様)でもそこまで到達していなかった。
後年サンカルパ・サマーディヨギの伝説が仏教にも伝わった。
それが如来←→如去の話です。
それが如来←→如去のステージです。
仏陀(覚者)が真如(真実の世界)に去る時が如去と言われます。
反対に真如(真実の世界)・サマーディの世界から来生(らいしょう)する時は如来と言われます。
私はパイロットババ猊下の公開サマーディを見るまでは、
如来←→如去の話は伝説で在り、そんなことができる仏陀(覚者)が本当に存在するとは夢にも思いませんでした。
私の目標は、パイロットババ猊下のように、何生かかってもサンカルパ・サマーディヨギになることです。
ユーティさんのセッションの後に、私はSさんの弟子で或る日本人のYDさんのセッションも受けました。
YDさんにSさんとユーティさんのセッション内容を話すと、私が嘘を言っていると思ったのか、明らかに信じていない様子でした。
YDさんが私のリーディングを始めたら、Sさんやユーティさんと同様にすぐに終わりました。
彼女はリーディングが終わると同時に、日本人らしく、私に土下座してこう言いました。
「先ほどは大変失礼しました。貴方の話を伺った時、実は疑っていました。
観れば直ぐわかると思っていました。
そしてすぐに解りました。
貴方のチャクラはすべてレゾナンスです。
総てのチャクラがエンライトしています。
教えてください。貴方はエンライトしているのでしょう?」
私はこう答えました。「私は何も分からない人間です。でもエンライトしていないことだけは解ります」
私は、以前から何かを妄信をしないように心がけていました。
何ほどでもないちょっとした体験をしただけで、エンライトしたと勘違いする西洋人が沢山いたので、私の体験がサマーディだと結論することには慎重でした。
勿論、私に起こったことを冷静に考えると、答えはサマーディ成就しかなかった。
でも増上慢に陥りたくは無かったので、答えを保留していました。
答えがはっきりしたのは、太母さん、パイロットババ猊下、そしてヨグマタジ(相川圭子師)にお会いした後でした。
この後、私はOSHO(和尚)コミューンの上層部と接触することになり、サンニャスセレブレーショングループに誘われました。
しかし、ハイヤーセルフからの指示があってそれを断りました。
お陰で私はOSHO(和尚)コミューンを出ることになり、パイロットババ猊下にお会いできました。
Sさんは或ることでOSHO(和尚)コミューンの上層部の一人によって窮地に立たされました。弟子のユーティさんも窮地に立ち、後日、リーディングの結果を翻しました。
Sさんは私がサマーディを成就する前にリーディングしましたが、ユーティさんは
サマーディ成就後にリーディングしたので食い違いが出たのは当然です。
Sさんは同じく弟子のYDさんに彼女のリーディング結果を翻すように言ったそうです。
でも、彼女はこう私に言いました。
「私は自分で観たことは翻せない。ユーティはSに言われて日和っているが、私は自分に嘘がつけない」
私はYDさんを見直しました。
結局YDさんのリーディングが正しかった。
私はその後、猊下にヒマラヤのアヴァター様を紹介された時、サマーディ(=ニルバーナ・真如)を認められました。
残念なことに、YDさんもその後、立場を変えましたが、太母さんという覚者、ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方という通常の覚者=仏陀を遥かに超えた存在の透視能力と、サイキックな人々のそれとは比べ物になりません。
〇私が一万二千年間肉体を交換して生きていると言われるマハ・アヴァターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アヴァターラババ)やアヴァターラ・ギリ・ババジを紹介された時の記事はこちらです。
一万二千年間肉体を変えながら生きていると言われるアヴァターラ・ギリ・ババジに出会った瞬間、私のサマーディ(=ニルバーナ・解脱)を一瞬に見抜いた話は以下です。
「一万二千年生きている」と言われるマハ・アヴァターラ・ギリ・ババジ
YDさんはその後、もう一度だけ観させて欲しいと私に頼みました。
私は了解しました。
その結果、彼女は私のマインドのあるトラウマを発見しました。
彼女はエンライトをしたら、総て問題が無くなると思っていたようです。
でもそれは違います。
エンライトメントはスタートラインに過ぎません。
エンライトメント『光と至福・ワンネスの体験』は素晴らしいのです。
それ以上望むことは何もないくらい素晴らしい体験です。
しかし、そこで満足してしまえば、更なるステージアップを達成できない。
だから、トラウマは必要なのです。
煩悩は次のステップの為に必要なのです。
OSHO(和尚)はラマナ・マハリシだったか、シルディのサイババについてだったか忘れましたが、彼が煙草を吸う事についてこう言っていました。
「覚者はこの世界を離れようとする。そうなると人々を救済することができなくなる。
だから、覚者はわざとこの世界に執着を残す。シルディのサイババにとってはそれが煙草なのだ」
OSHO(和尚)の話の要点は、私の話と被ります。
しかし、私はOSHO(和尚)が話していない真実を話しました。
YDさんは私の二度目のセッションをした後、私のトラウマを発見したが、新しい発見をしたとも言いました。
彼女はこう言っていました。
「でも私はもう一つ物凄いことを発見した。
OSHO(和尚)の弟子たちは、多かれ少なかれOSHO(和尚)スペースを持っているけれど貴方の中に○○スペースとしか言いようのないスペースがあるのです」
*○○というのは、OSHO(和尚)時代の私の名です。
YDさんの言う事は私も分っていました。
私は『アヴァターフィールド』の中に在ります。
サンカルパヨガ瞑想リトリートで神秘体験をした人は、一様にババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のアストラル体が物質化した存在を覚知しています。
中には私のアストラル体が物質化して覚知した人もいるのです。
彼ら、彼女らは『アヴァターフィールド』ばかりではなく『スワミジフィールド』を覚知していると言うのです。
だからYDさんの発見は正しいと思います。
何時の日か、つまらないことでいがみ合っているこの五濁悪世の世界でも、
愛し合い、助け合い、高めあう世界が訪れることを願っています。
今、サンカルパヨガ・ファンデーションの周りではそのような御同朋・御同行が集まってきています。
非難し合い、足を引っ張り合い、低めあう関係にうんざりしている御同朋・御同行が愛し合い、助け合い、高めあう世界を楽しんでいます。
一年前までは1時間瞑想も出来なかったスタッフさん達が40時間座れています。
今度は48時間瞑想にトライします。
物凄い瞑想空間なので、生まれて初めて瞑想した人でさえ、リトリートの初日から
10時間以上座れています。
論より証拠です。
圧倒的な大きな力を証明してくださっている、ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の
恩寵に深く感謝いたします。
Aum Namah Shivaay
第一部はこちらです。
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