ババのサマーディ(墓所)にお参りしました No.1

 

◆ババのサマーディ(墓所)にお参りしました。

かねてよりババが予言されていたように、我々がここに来るまでに様々な困難がありました。
我々は良き時期を伺いババのサマーディに来ることが出来ました。

*この場合サマーディの意味はニルヴァーナや解脱ではなく墓所です。

思えばババに最期にお会いしたのはデリーのアポロ病院でした。

ババと同じくジュナ・アカラのマハ・マンダラ・イシュワール(偉大なる宇宙の神)であり、
ババの養子であるサンジェイ・マハラジの御計らいによって、我々はババのお姿をICUの外から拝見することができました。我々はマハラジに大変感謝しています。

ババの介護をしている病院のスタッフさんがICUに入るように手招きしてくれましたが我々は辞退しました。
何故ならババに何かの病気を感染させては大変だからです。

ICUの外の部屋では病院のスタッフが何人も仕事をしていました。
病院の医師もICUの外からババのお姿を見ることは問題がないと仰っていましたので、我々は医師のアドバイスに従いました。

◆ガラス越しに見るババのお姿は見るからに痛ましいものでした。

ババは喉を手術したばかりで唇全体が血にまみれていました。御眼は見開いたままで、そのお姿を見るのが辛くて涙が溢れてしまいました。
涙が止まらなくなり、短い時間にもかかわらず、一生分の涙を流したような気になりました。


この様な状態なので、前回のアーマーダバードの病院の時と違ってババと会話することはできませんでしたが、それは問題ではありませんでした。
私とババはずっと心と心で繋がっているからです。

◆ババは26年前からこうした事態を予言されていました。
あれは確か1998年の事でしたね?
ババは突然私に仰いました。
「我が子よ!これから貴方に色々な困難が訪れるだろう。でもこれだけは覚えて欲しい。何があっても私と貴方はハートとハートで繋がっている」

「貴方のサマーディ成就の事実は、時が来るまで秘密にしなさい。何故なら人々が貴方のサマーディ成就に嫉妬して攻撃するからだ」

私は最近までババのお言葉の深い意味が理解できませんでした。
人々というのは一般的な言い方だと思っていました。
しかしババのマハサマーディ(遷化)、仏教でいえば、マハパリ・ニルヴァーナ(大般涅槃)の後に、我々は人々の様々なエゴを見せられました。

そうした中で、我々は少しずつ“人々”とババが表現された人たちが誰であるのか具体的に見えてきました。

ババはかねてよりこうした状況をしろしめて、一生墓場に持っていくしかないような衝撃の事実を私に教えてくださいました。
且つ又、対応策等を録音させてくださいました。

と同時に、そういうネガティブな情報ばかりではなく、一般には語られていないようなサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)の真実も話してくださいました。

例えば、ババが信者や弟子たちをサマーディに導いた方法や、それに付随した問題も話してくださいました。

私に色々な困難が訪れることは、ババばかりではなく、富山県が生んだ覚者の太母さんも予見されていました。

予見と言いましたが、実をいうと、
太母さんが実名を挙げて話されたことは実際に起こってきたので、予見ではなくまさに未来予知でした。

実際に起こってきた数々の困難は私の発願した「世界平和・母なる地球の保護の為に人類の覚醒を願うワーク」に役立ちました。

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」と言いますが、覚者は大慈悲により弟子に試練を与えます。
それは弟子に大きく育って欲しいからです。

私はババの大慈悲を理解したので、これまで、愚かな人々のジャッジを無視してきました。ババは常々、無明の人々のジャッジを気にしても無意味だから無視しなさいと教えてきたのでその指示に従ってきたのです。

◆ババとお会いした一時間後に公開サマーディを勧められる

ババがシッディー(悉地と音写=神通力)で私をピンダリー氷河に呼ばれたのは1992年の事でした。
驚いたことにババはピンダリー氷河に私が来ることを既にご存じでした。

それどころか、ババは1989年に私自身で達成したニルビチャールサマーディについて最初からご存じでした。


私がババのお名前を知ったのはババにお会いする1週間前の事だったので、どうして私がやってくることや、私のサマーディ成就を知っていたのかとても不思議でした。

私がババにお会いして僅か一時間後に師はこう仰いました。

「貴方は公開サマーディの準備が出来ています。私が会場設置のお金やら、すべての準備するからやりなさい」

この時は知らなかったのですが、後年、ババの本にこう書かれているのを知りました。
「公開サマーディの準備が出来ている人は、ニルビチャールサマーディを成就している存在だ」

でもあの時の私は、サマーディという単語さえ知りませんでした。

そこで私は、公開サマーディとは何かと質問したところ、ババはこう説明されました。あの当時はババの話が凄すぎて理解できなかったが故に記憶が定かではなかったところもありましたが、最近少しづつ思い出したこともありますので補足しました。ババの常々仰っていることなので矛盾はありません。

「酸素が二日分しかない土中に3日以上入定する。二日を過ぎれば窒息死してしまう。
二日以内に自身のサンカルパ(意志)の力か、マスターの力でサマーディに入定すれば、死んだ後でもこの世界に還ってくることが出来る」

「ニルビチャールサマーディにおいては肉体(粗大身)は死んでサトルボディ(微細体)という別の肉体に乗り換える。
そこから、更にコーザル体(根源の宇宙体)に還るのだ」

「貴方は二日以内にサマーディに入定しなければならない。サマーディに入定すれば肉体は死んでいるので呼吸はしない。だから酸素が無くても問題ない」

「貴方は最低でも三日以上は土中に留まらなければならない。私は5日間土中に留まっていた」

「貴方が三日以上土中に入定して、
その後、この世界に還ってくれば人々は
貴方が最低一日は死の状態で呼吸をしなかったことが分かる。つまり貴方がサマーディに入定していたことが分かる」

「貴方がサマーディに入定しなければただ死んでしまう。死の世界に行けば
帰ってこられない。」


「貴方がサマーディに入定した後この世界に帰ってこない選択もできる。
しかし、死んだまま帰ってこなければ、人々は貴方がサマーディを達成したかどうか分からない」

「だから貴方はこの世界に帰ってこなければならない。公開サマーディヨギはサンカルパ(意志)で決めた時間にこの世界に還ってくることが出来るのだ」

私は内心こう思いました。
「肉体は死ぬけど帰って来られる?そんなこと可能なの?それをさっき会ったばかりの私にしなさいというのですか?」


「それはキリスト教で言うキリストの復活ということですね。あれは神話ではなかったのですか!」

先述しましたように、私はババにお会いする1週間前にババのお名前を知ったばかりでしたのでとても不安になりました。

ババは不安げな私の表情を見てこう仰いました。
「心配するな。私はこれまで何人もの弟子たちをサマーディに導いてきた。
昨年はKeiko Mata(相川圭子師)を導いた。だから心配しなくて良いよ」

私はついこの間までババのお名前も知らなかったし、Keiko Mata(相川圭子師)のお名前も知りませんでした。

それに我々外国人はインドで騙され続けてきました。
買い物をすればローカルプライスの数倍吹っ掛けられるし、タクシー代も同様でした。公共機関のバス代さえ吹っ掛けられたことがありました。

ブッダガヤのような観光地ではローカルプライスの100倍ほど吹っ掛けることもありました。

そんな状況で、どこの誰とも分からないインド人にこう言われるのです。

「貴方は一旦死ぬけど、キリストのように復活するから安心しなさい」

そう言われて即座にやりますと言える人はいますか?
いないと思います。

そういうわけで私は公開サマーディの要請を即座に受諾することはできませんでした。

この後、ババはシュリ・マタジ、チェトナ・ヨグマタジ、シュラッダ・ヨグマタジ、マンガル・ギリジと次々と公開サマーディに導かれました。

これらの事実はマハヨギ・ファンデーションのホームページに書かれてきたとおりです。

ババは「水中サマーディ」や氷中サマーディも成就されています。
驚くなかれ「水中サマーディ」では21日間川の中でした。
氷中では半年間冷凍状態でした。
勿論肉体(粗大身)は死の状態ですが
肉体では無い微細身やコーザル体に死はありません。
ババは私にこう仰いました。

「水中サマーディや氷中サマーディが出来るのは世界で私一人だけだ」

私は公開サマーディヨギが本当にニルビチャールサマーディを達成しているかどうか確かめました。

彼らがサマーディの秘密を知っていれば本当にサマーディ成就者であることが分かります。

その極秘情報をご存じだったのはババとヨグマタジ、ババジが公開サマーディに導いた弟子たちでした。

◆一万二千年間肉体(粗大身)を変えながら生きていると言われるアヴァター様方との出会い

私はババに一万二千年間肉体(粗大身)を変えながら生きていると言われるアヴァター様を紹介していただきました。

最初はヨガナンダの本で有名になったマハ・アヴァターババでした。

次はババのデリーアシュラムで偶然お会いしたアヴァターババでした。
アヴァターババはババの師匠のハリババのそのまた師匠です。

お二人のアヴァター様は、勿論、サマーディの極秘情報をご存じでした。

因みに、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの本では、マハ・アヴァターババは数千年生きていると書かれていますが、ババはこう私に教えてくださいました。

「マハ・アヴァターババとアヴァターババ、そしてクリシュナ神はマハバラータ戦争の時代から生きている。マハバラータ戦争は神話でなく史実なのだ。
それは一万二千年前に起こったことなのだ」

私は肉体に乗り移ったアヴァター様方にお会いしました。
よく、自称サイキックの人たちが、アヴァターババと霊的に一体化したなどと言ってしますが、殆どが彼らの願望による妄想です。私の場合はババと同様、現実にアヴァター様方とお会いしています。

ババは私に驚くべき真実を語ってくださいました。

アヴァター様方は一つの肉体ではなく、肉体を変えながら生きてきたと仰るのです。

実際、私がアヴァターババとお会いした時、マハ・アヴァターババとアヴァターババ様が肉体(粗大身)を共有していた事実を確認しました。
以下がその事について書いたサンカルパヨガ・オーガナイゼーションの記事です。

私がお会いしたヒマラヤのアヴァター様達

ババの御本である「ヒマラヤの扉」には、23人のアヴァター様たちはヒマラヤの氷河に肉体を冷凍保存しているが、必要な時期に肉体に乗り移ると書かれています。

しかも一つの肉体を複数のアヴァター様が共有していることも明らかにされています。
私はこの本を読む前に二人のアヴァター様方と出会い、
その事実を確認できました。

又、氷中サマーディで冷凍保存した肉体(粗大身)は氷でカチカチになっているわけですが、冷凍された肉体(粗大身)に乗り移る時、どのようにするのか尋ねました。

そのお答えは、凍った身体を数日間天日干しにして解凍するということでした。
これは流石に驚きました。

実際、YouTubeに半年以上氷中サマーディをされたババの解凍中のお写真が投稿されていますのでご覧ください。
半年間の氷中サマーディの直後に解凍中のバパイロットババジ猊下

元科学主義者だった私には頭がくらくらするようなお話でしたが、圧倒的な事実、神秘体験を通してそれが本当の話だと確信しました。

◆一万二千年間年肉体を変えながら生きているマハ・アヴァターババとの出会い

私は1998年にババに紹介されてマハ・アヴァターババにお会いしました。

勿論、一万二千年間肉体を変えながら生きてきたと言われる方ですから、
最初は半信半疑でした。
しかし、マハ・アヴァターババはサマーディ成就者しか知らない秘密をすべてご存じでしたので、私は彼が本物だと確信しました。

マハ・アヴァターババは、私にサマーディ成就者でも中々知らない秘密を沢山教えてくださいました。お会いした時間はおそらく4,5時間くらいだったと思います。

私は「ババはどんなヨガを教えているのですか?」と尋ねるとマハ・アヴァターババは「それはアッシュタングヨガだ」とお答えになりました。

それからマハ・アヴァターババは私にアッシュタングヨガの手ほどきをして下さいました。

その後、マハ・アヴァターババは私に名刺をくださりこう申されました。
「貴方にアッシュタングヨガを引き続き教えたいので私のアシュラム(僧院)に来なさい」
アヴァター様が直接瞑想指導してくださると仰るので狂喜乱舞しましたが、マスターであるババに許可を頂かなくてはならないと思い、その旨お尋ねしたところババは何も仰らずに眉を顰めました。ああそうかマスターをコロコロ変えるようでは駄目だと知り即座に断念しました。


しかし、今や名実と共に24番目のアヴァター様となられたババと23人のアヴァター様方が私を守護してくださっているのは実感しています。
だから私の周りでは奇跡が起こり続けています。

◆一万二千年間肉体を変えながら生きているアヴァターババとの邂逅

この出来事の数年後に、パイロットババのアシュラムで、今度はマハ・アヴァターババと同時代から肉体を交換しながら生きてきたと言われるアヴァターババと邂逅しました。

アヴァターババは私とすれ違った瞬間、私のサマーディを一瞬にして見破り「カピル!カピル!サマーディ!サマーディ!」と叫ばれました。

この後アヴァターババは、ババの部屋からババの信者や弟子ばかりでなく、ババさえも追い出して私と長時間話をしてくださいました。時間的にはマハ・アヴァターババと同様4,5時間だったと思います。


マハ・アヴァターババと同様に、アヴァターババは私にサマーディの秘密を教えてくださいました。

◆ サマーディを言語化することはできない。禅で不立文字というのは当然だ。

サマーディ(ニルヴァーナ・解脱)を成就すれば宇宙のすべてを知ると言います。
それは事実ですが、マインドを越えた超意識で超意識の世界を知ったとしても
この世界に還ってきたときに高次元の世界を説明することは不可能に近い事なのです。

例えばここに一匹の猿が居るとします。
この猿が突然人間になり、人間世界で長い間、量子力学を学んだとします。

ところが、ある日突然、何かの拍子で猿に戻ったとします。

この時、猿は仲間の猿に量子力学の説明をどうやってするのでしょう?
彼は人の言葉ではなく、猿語で説明しなければならないのです。

量子のもつれとは何か?とは例えば「キャキャキャ、キー」でしょうか?
超意識を体験したとしても、体験した事実と、そのことをマインドに翻訳することは別の作業なのです。
そうした不可能なことに覚者は挑戦しています。

覚者によってはブッダガヤでサマサマーディー(正定=正しいサマーディ)を成就した直後の釈尊のように、
人々に教えを説くことを断念する方もいます。
人々がサマーディの真実を理解するのは不可能だと悟ったからです。

神話では梵天勧請と言って、釈尊が悟った後に仏法を説くことをあきらめた時、梵天(ブラフマン)の勧請によって仏法を説く決意をしたとされています。

しかし、それは猿が仲間の猿に猿語で量子力学を説くようなものと考えていただければ、釈尊が仏法を説くことを断念した思いが理解できるでしょう。

私もサマーディ(ニルヴァーナ・解脱)を成就した時はサマーディを説くことは不可能だと悟り暫くはサマーディを宣言することさえしませんでした。


先ほど、猿に戻った猿が仲間の猿に量子力学を説くほどに覚者が覚醒していない人間に覚醒の意識を語るのは困難だと申しました。
しかし、実は、覚醒の意識と凡夫の意識の差は猿と人間の意識ほど近くはないのです。

グルジェフの弟子のウズベンスキーがグルジェフにこう尋ねました。
「覚者と普通の人間と覚者の意識の差は、人間とアメーバーの意識の差くらいあるのですか?」

グルジェフは答えます。
「冗談じゃない。人間とアメーバーの差ほど近くはない。人間とアメーバーの差など覚醒した意識から見れば無いに等しい」

そうなのです。サマーディの中では全宇宙のすべてを覚知しています。
だから普通の人間とサマーディ意識の差が人間とアメーバーの意識の差ほど近くはないというグルジェフの言うことは正しいのです。

そしてサマーディの状態からこの世界に還ってきた覚者の意識はサマーディの時と同じではないのです。
くだんの猿が人間に戻ったような状態なのです。

私は便宜上サマーディ意識と言いましたが、実をいうと、サマーディ(ニルヴァーナ・解脱)の世界は意識でさえありません。

サンキャ科学においては、ブッディ(菩提)は意識ではありません。
超意識でさえありません。
意識でも物質でもない何かなのです。

だからそれを言語化することは不可能なのです。

更に申しますとブッディ(菩提)の変化形はブッダです。

サンキャ科学の定義では、ブッディ(菩提)でさえ終着点ではありません。
ブッディとてプラクリティ(自然・自性)が作り出した最初のマーヤ(幻想)なのです。

ブッディは無我であり無心でありますが最終地点ではありません。

ブッディがマインドに近づくとアハンカーラ(我慢)というマインドの自我のルーツが出来ます。

この事についてババは私にこう教えてくださいました。「アハンカーラを英語に翻訳するとエゴになる。しかしアハンカーラはエンライトした自我なのだ。そこを知らない人たちはマインドでジャッジする」

そうなのです。自我と言ってもアハンカーラはマインドの自我ではありません。
アハンカーラの中国語訳は我慢です。
日本語の「我慢する」という意味ではなく、「慢心した我」みたいな感じですね。
エンライトメントの状態でも「慢心した我」みたいな定義であることを伺った時は驚きました。

多くの人は中国語の我慢や英語のエゴという翻訳語に引きずられています。

覚醒体験がない方たちが学問的にアハンカーラを語る時、それがエゴであり、自我であるから低いもののように語りますがとんでもないことです。

それは自我と言ってもエンライトメントしている自我なのです。
それはアスミータでありエンライトした自我なのです。

エンライトメントは「光と至福・ワンネスの体験」であり無我であり無心でもあります。
エンライトメントの遥か以前の「光と至福ワンネスの体験」でさえ無我であり無心でした。

アハンカーラは瑜伽唯識で言えば末那識に近いものです。末那識は六識を越えた意識です。
今風に言えば超意識と言った方が正確ではないけれどイメージはしやすいです。

六識とは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感・五識に意の識を加えたものです。六識である意の識、即ち、意識はマインドに属するものです。

その意識に先立つ意識的な何か、或いは、意識のルーツがサンキャ科学ではアハンカーラと呼ばれます。

先述したように、アハンカーラは瑜伽唯識では末那識と呼ばれるものに似ています。
似ていますが定義が違うので同じとは言えません。


アハンカーラは非常に高い意識ですが、それでもブッディ(菩提)の下位に属するステージです。

無我や無心さえ体験していない方がヨガスートラを語り、
大した体験をしたことのない人が「仏教は無我で、そこがヨガとは違う」などと説教します。

仏教はアートマンを否定しているという主張は釈尊が言った事ではないでしょう。

日本仏教学会の権威の中村元博士も間違いに気づきそれを証明しましたが、長い間続いた誤解を解くことは中村博士でも難しい事で、仏教学会の総意とはならなかったのでした。

Om Shanti Shanti Shanti (愛と平和を!)

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