パイロットババジ猊下が2010年にネパール最大のヤギヤを行った際に滞在されたVardan Resort N‘ Apartmentのオーナーであるマダン氏とスワミジ師は15年ぶりに再会致しました。
◆2010年のヤギヤのインタビューはコチラ
「日本壊滅の悪夢のシナリオを抑止した護摩法要の証言者」
https://sankalpayoga.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%a3%8a%e6…/
◆更にマダン氏はババジ猊下のシッディー(悉地と音写=神通力)のミラクルストーリーを紹介してくれました。ババジ猊下の本にもババジ猊下が3人の死者を蘇らせた事があると書かれています。中でもこちらのお話は2010年ネパール最大のヤギヤに一緒に参加したドクターのお話です。ドクターはある日危篤状態に陥りましたが、ババジ猊下のシッディー(悉地と音写=神通力)で蘇生され、2010年にはお元気になられたドクターと奥様がヤギヤに参加されたのでした。
①マダン氏のインタビュー
「パイロットババジ猊下のシッディーパワー・エピソード」
②ドクターの奥様がYoutubeで当時のお話を語っています。
ネパール語のインタビューを日本語へ翻訳・意訳いたしましたのでお読みください。
https://youtube.com/watch?v=eo2fQP1uYBo&feature=shared
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活動的な時間を続けながら、マダム・ドクター・スバナ・ポクネル・ジは、残りの人生をアディヤートマ(大霊)で過ごすという観点から、グルジを探していました。神の恵みにより、彼女はパイロット・ババと短期間知り合った後、パイロット・ババと出会いました。それは彼女の人生で最高の忘れられない日でした。また、彼女は偉大なグルの信仰と信頼でパイロット・ババ・アシュラムを建てました。
◆ドクターの奥様のインタビュー
今私は60歳です。その頃には、すべての義務と精神的な解放を果たしたように感じていました。私は、女の子にインスピレーションを与えるものを書きたかったのです。
その時、私の夫は心臓病を患っていたので、私たちは彼をガンガ・カル心臓病院に連れて行きました。
彼を病院に連れて行った後、医師は緊急手術または外科手術を行う必要があると言いました。医師は彼をカテーテル検査室(カテーテル挿入検査室)に連れて行きました。
私は突然の手術に打ちのめされました。娘の「プージャ」は家にいました。パイロット ババが娘に電話をかけて、「娘よ、お父さんは病院(カテーテル検査室)にいる。慌てないで。すぐによくなるよ」と言いました。
神の祝福により、夫の手術はうまくいき、夫は元気でした。パイロット ババが、ポクネル医師(夫)がカテーテル検査室で危篤状態にあることを、私たちはババに知らせていないのにも関わらずババが知っていたのは、とても不思議な事でした。彼はデリーから電話をかけてきて、娘に「私が助けるから慌てないで」と言いました。グルジ、パイロット ババの助けにより、手術は成功し、夫は元気でした。
私がアシュラムを建設し始めた後、私のグルジはヒマラヤがとても好きで、本も書いていました。私たちは1か月かけてヒマラヤを旅しました。ギャンペ・ダダ、アイタバレ・ダダからは美しいカトマンズ、バクタプル、パタンが見えます。私たちは雪崩(サガルマータ、アンナプルナ山脈)を見るためにヒマラヤを旅しました。しかし、道路の状態はひどいものでした。悪い状況にもかかわらず、私たちはアシュラムを建てたいと思い、それを実現しました。グルは私たちに寺院を建てるように言い、私たちは寺院の頂上に「シヴァ・リンガ」を置きました。後に私は寺院を「ソムナート」寺院と名付けました。グルの元々の名前は「ソムナート・ギリ」だからです。グルのファーストネームは「カピル・シン・ラージプート」でした。聖なる糸の儀式の後、彼は「ソムナート・ギリ」と名付けられました。アシュラムの中には、瞑想センター、図書館、グルジのための部屋が2つありました。キッチンと応接室もありました。私たちは開会式にグルを招待しました。彼は私たちに贈り物を持ってきました。それはインド通貨1億5千万の価値がある「シヴァ・リンガ」でした。もう一人の偉大なグルが「ホーマとムリティルジャイパータ」を執り行いました。
Homa→ https://en.m.wikipedia.org/wiki/Homa_(ritual)
mrtyunjaya pāṭha→ 死を克服するマントラを唱える儀式
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