マハヨギ・パイロットババジ猊下との再会は太母さんとパイロットババ猊下の仏仏想念から始まりました

マハヨギ・パイロットババジ猊下との再会は太母さんのサジェッションから始まりました。

太母様からサイババへのメッセージを伝える役は私にとってきついものでした。 「サイババが病気だ。私が治してあげるからそう伝えなさい」 「サイババを殺そうとしている者がいる。それを伝えなさい」 というメッセージと、ここでは書けないようなメッセージを伝えるのは、私にとって重い十字架でした。

私はこう言いました。 「太母様!サイババはキリストを地上に遣わした 主なる神の化身だと主張しています。そんなことを言ったら、私がサイババの信者に殺されます!」

しかし、太母様は毅然とした態度で、私にそのメッセージを伝えるように言いました。

私は「覚者の命は絶対である。従わねば悪業を作ることになる」と教わってきたので、従わない選択肢はありませんでした。
私はマハヨギ・パイロットババジ猊下と太母様が その時、仏仏想念していたことが悟っていました。 仏仏想念とは、仏と仏がテレパシーを遥かに超えた 「インナーコミュニケーション」で情報交換することです。

インナーコミュニケーションで有名なのは、キリスト教の大聖者で、聖フランチェスコ会の開祖である「セント・フランチェスコ」です。彼はアッシジのフランチェスコとして知られています。

実は、あの頃、私もインナーコミュニュケーションができるステージに達していました。 以前FBの記事に書いたとおり、 この後、多くの人にインナーコミュニケーションを起こしてきました。 私は既にサマーディーを成就していたので、 マハヨギ・パイロットババジ猊下と太母様のインナーコミュニュケーションのエナジーを覚知していました。

それにサイババはマハヨギ・パイロットババジ猊下の友人なので、太母さんのオーダーを断ったら、もうスピリチュアル世界にはいられなくなると感じていました。

後年、太母様の予知が事実であることが判明しましたが、太母様の予知を聞いたその時は、マインドとしては半信半疑でした。

勿論、高い意識では理解していました。 高い意識では悟っていても、低い意識が邪魔することはよくあることです。 私の体験では、高い意識に従わないで、低い意識に従うと、病気になったり、怪我をしたり、何かしらトラブルに巻き込まれたものです。 そういう、分かりやすい因果応報の事実を直視して、 慢心に陥らないようにすると、状況は一変しました。

私は「煩悩具足の凡夫である」と謙虚に思うことで 増上慢に陥ることを避けてきました。 マハヨギ・パイロットババジ猊下と太母様が 高い意識でインナーコミュニュケーションを起こしていることは私の高い意識が覚知していました。
そこにサイババがコネクトしているのも解りました。

このオーダーは直接的には太母様からのものでしたが、実はババジ猊下からのお願いであることは、高い意識の中では明白でした。 そこに猊下の友人であるサイババが協力してくれたと理解するのに、少し時間がかかりましたが、今ではそうだったと確信しています。

普段、太母様は「私は予言をしない。予見をするだけです」と仰有るのですが、そう仰いながらも しばしば神通力をお見せになりました。
サイババに関する予知は、典型的なシッディーパワーの発露の例です。

メッセージの内容を考えると、 喜んでサイババアシュラムに行く気にはなれませんでした。 貴方ならどうしますか? 憂鬱になるはずです。私もそうでした。 だから、サイババアシュラムには行かず、 3ヶ月ほどインドの和尚コミューンでお茶を濁していました。

しかし、案の定、存在からお迎えがきました。 「サイババ・アシュラムに行け」という明確なサインが来ました。 私は、ようやく重い腰をあげて、「サイババ・アシュラム」が有る、南インドのプッタパルティーという町に向かいました。

プッタパルティーに到着したのは、 偶然、私の誕生日でした。 しかもその日は、シバ神の生誕祭である「マハ・シバラトリー」の日でした。シバラトリーは太陰暦に基づき2月か3月に行なわれます。 シバムーンという新月の日にお祭りがあるので、生誕祭の日にちはその年によって違ってきます。

こう言うところが日本とは違います。 例えば、日本では、お釈迦様の誕生祝である【仏生会】は4月8日になっていますが、インド、タイ、スリランカでは5月の満月の日になります。 だから、毎年仏生会の日にちが変わります。 偶然、私の誕生日とシバ神の大祭が被ったのは、良いサインだと思いました。

実際この後すぐに、私はシバ派最大のサドゥーのアカラである「ジュナ・アカラ」の最高指導者のマハヨギ・パイロットババジ猊下にお会いして、シバ派のスワミ(=神・高僧)に選んで頂きました。

サイババアシュラムに到着するなり、私はアシュラム内の日本人にコンタクトしました。 彼らはサイババアシュラムでは古参の日本人でした。 「日本の太母様という覚者から、サイババに重要なメッセージを託された。他者には見せられない内容なので、サイババと一対一でお会いしたい。それをマネージ出来る人を紹介して欲しい」と頼みました。

彼らは私に「ヒラさん」という名前のインド人を紹介してくれました。会ってみると、彼は流暢な日本語を喋ったので驚きました。後で知ったのですが、彼は沖縄の平(ひら)さんという女生と結婚して、平性を名乗っていたのでした。

彼は元々宝石商で、沖縄の恩納村というリゾート地に、10階建てのホテルを幾つも所有する富豪でした。 彼ならサイババとダイレクトにコンタクトできるというので、私に紹介してくれたのです。 しかし、会って話を聞くと、期待に反して、彼でさえもサイババと一対一で会わせることは出来ないと言うのです。

◆ 太母様と縁のある女性とマハヨギ・パイロットババジ猊下を日本に紹介した女性に出会う

私の期待に答えられなかったことに、責任を感じてくれている様子だった日本人の方々は、済まなそうにこう仰しゃってくださいました。 「サイババにコネクトできなかったけれど、 アシュラム内で太母様の歌を歌っているHKさんという日本人女性と出会いました。会ってみませんか?」 勿論、私は直ぐにお会いすることにしました。

翌日、私はその女性とお会いしました。 その女性は4人の日本人と一緒でした。 私は開口一番こう言いました。 「或る事情があってサイババに個人的にお会いして太母様のメッセージを届けたいのです。でも不可能でした」

すると、一人の女性が「マハヨギ・パイロットババジならサイババに会わせられるのだが」と言うではありませんか!

お名前を聞くと彼女の名は“ももこさん“と仰いました。 私は内心“ヤッター!」と思いました。 何故なら、私はババジ猊下から“ももこさん”のお名前を伺っていたからです。ババジ猊下が、私と“ももこさん”を会わせるようにセッティングしてくれたのだと一瞬にして悟りました。

どういうことか説明します。 私がババジ猊下に「どのような経過でヨグマタジはババジをお知りになったのですか?」と尋ねた時のことです。

猊下のお答えはこうでした。 猊下はある時、氷河地帯で、 半年間の氷中サマーディーに入定された。 そこに“ももこさん”という日本人女性がトレッキングでその氷河に立ち寄った。 猊下が冷凍状態になっている氷河の周りには、 ロープで結界が張られ、お弟子さんが交代で24時間見張っていた。 ももこさんは、興味を持ち、「この結界はなんですか?」と尋ねた。

すると弟子は答えた。 「これは氷中サマーディと言って、この世界がマーヤ(=幻想)であり、死の世界もマーヤであることを証明するための【証行】です」

「何故「証行」というか説明します。普通はサマーディ成就するために色々修行します。 その結果サマーディが成就されます。 サマーディが証されるので「証果」と言われます。 つまり行→証果の流れです。証果を略して「証」と言います。

しかし、猊下はサンカルパ(意思)の力で、何時でもどこでもサマーディという証果を成就できているステージです。

既にサマーディという証を得ています。 だから、サマーディ成就以前の修行から、サマーディという証果、即ち結果に向かう行ではありません。 サマーディという結果を得た後、「公開サマーディ」という新たな証を行ずるのです。 これがお出来になるのは世界中でマハヨギ・パイロットババジ猊下だけです。ババジが公開サマーディに導いたお弟子さんにはできません」

今回ババジ猊下は「サマーディ、ニルバーナ(涅槃)解脱(モクシャ)、或いは、真如と呼ばれる世界が、寓話ではなく本当に存在することを証明する為に、半年間のサマーディに入定しました。 肉体は冷凍しないともたないので、半年間冷凍保存しています」

「猊下はこの世界の中では半年間ですが、サマーディーの世界では無限の時間の中で、過去に行ったり、未来に行ったり、惑星間旅行したり、根源の宇宙に戻ったりして宇宙の秘密を探求しています。故に覚者は物理学者の知らない世界をたくさん知っています」

「肉体はただの乗り物です。真のサマーディ成就者は肉体の縛りを抜け出して、アストラル体で時間旅行をしたり、惑星間旅行ができます。その間、肉体は 死の状態に在ります。土中サマーディなら最長5日間、肉体が持ちますが、それ以上は無理です。 猊下は水中サマーディでは20間川の中で死の状態でしたが、20日目にはこの世界に還られました。ただ、魚に皮膚を食われるのか、水中サマーディから戻られた直後の猊下のお体は、ボロボロで見てはいられませんでした。ともあれ水中で肉体がもつのは20日が限度です」

「でも氷の中に肉体を保存すれば、長期間肉体を保存できます。我が師、マハヨギ・パイロットババジ猊下は、今回は半年間の「氷中サマーディ」をエンジョイされます。」 *肉体をこの世界に置いたままアストラルトリップするイメージは、常人には理解し難いものです。 今、私なりに説明します。 私はパソコンでこの原稿をタイピングしています。 さて、パソコンはこの部屋にあります。 物体としてはどこにも移動していませんが、 PCのデータ情報はインターネットで世界中どこにでも発信できますし受信もできます。PCというハードウエアーが肉体みたいなものです。ソフトウエアーやデータが意識みたいなものになるのでしょうか?

こう考えてみると、少しはイメージがつかめます。 ただし私のPCは死んでいないのですが、 サマーディの場合、肉体は一時的に死にます。 そこを説明するには別の比喩が必要です。

「肉体は借り物で、覚者は肉体を超えて、意識、魂を自由に他の次元に往き来させることができる」と說明するのがベストかもしれません。

ももこさんはババジ猊下のお弟子さんから、 以上の話を聞いて、とても驚いたそうです。

彼女は日本に帰国後、「週刊宝石」という当時、とても有名な週刊誌に「「氷中サマーディ」の記事を投稿したというのです。

それで、一躍、マハヨギ・パイロットババジ猊下の名前が日本では有名になったそうです。

その“噂のももこさん”と、こうしてお会いするとは思いもよりませんでした。これもマハヨギ・パイロットババジ猊下のセッティングだと即座に理解しました。 大きな計画の一つだとすぐに理解しました。 猊下は、私がももこさんに会うように仕向けていて、 ももこさんに会う前に彼女の話を私に語られたのでしょう。

ももこさんと出会った後、私はすぐに北インドのマハヨギ・パイロットババジ猊下のアシュラムにお電話いたしました。

私は、猊下に一通り事情を説明しました. 猊下は私の話しを聞き終えると「心配するな。 これからサイババに電話してあげる。 貴方はすぐにサイババに会えるよ」と仰いました。 私は猊下にお礼を言い、一旦、電話を切りました。

しかし、電話を切った後で私は後悔しました。 こんな重要なことをマハヨギ・パイロットババジ猊下というグレートマスターに電話一本でお願いするのは失礼だ。猊下にお会いして直接お願いするべきだと思いなおしました。 そこで私は再び猊下にお電話いたしました。 その時、猊下はインドの首都デリーに有るオフィスにいらっしゃいました。 電話に出られた猊下は、私の話を聞くとこうお答えになりました。 「貴方がデリーに来る必要はない。私が明日バンガロールに行く。貴方はバンガロールの空港で待っていなさい」 北インドの首都デリーから南インドのバンガロールまで1700キロメートルは離れています。 こんな遠くまで猊下が来てくださるというのです。

私はあまりのことに呆然としました。 とてもこれが現実とは思えませんでした。

私は本当に驚きました。こんなことが現実に起こるのかと訝りました。 私は大いなる意思の力が分かりやすく顕れる場合、必ず存在からのテストが有ることを、これまでの経験から知っていました。 無意識でいれば必ずミスをすることを知っていました。

私は、万一猊下にお会いできない場合に備えて、猊下がバンガロールのどこにお泊りになるのかお尋ねしていました。 猊下のお答えは「我々はカイラッシュアシュラムに行く。バンガロールで一番大きいアシュラムだから、誰でも知っている」とのお答えでした。

翌日私は、件のHKさんという太母さんの歌を歌っていた女性と共に、バンガロールの空港の到着口で猊下の一行をお待ちしました。 ところが、待てど、暮らせども飛行機は来ません。 こんなことはインドでは日常茶飯事です。 飛行機や列車が遅れるのは普通です。 結局5時間近く待ちましたが、猊下の一行を見ることはありませんでした。

私は、しびれを切らして空港のスタッフに 「マハヨギ・パイロットババジ猊下が来るのを知っていますか?」と尋ねました。

すると「勿論知っています。マハヨギ・パイロットババジ猊下はインドではとても有名な覚者です。 今朝、新聞で猊下がバンガロールに講演にやってくる記事を見ました。でも猊下の乘っている飛行機は遅れています。もう少し待っていてください」との答えでした。

その答えで、猊下がたまたま講演でバンガロールに来られたのだと知りました。 しかし、こんな偶然がある訳がありません。 すべて大きな力で仕組まれていたのです。

やがて、飛行機が到着しました。 私とHKさんは、眼を凝らして降機者の中から猊下の一行を探しました。 当時バンガロール空港の到着口は、7メートルくらいの幅しかありませんでした。

二人で目を凝らせば、目立ちやすいオレンジの法衣を着た猊下を見逃すはずがありませんでした。 その筈でした。 しかし、降機者の中にオレンジの法衣をきた方は居ませんでした。

降機者が居なくなった後、私は空港職員に尋ねました。 「マハヨギ・パイロットババジ猊下はまだ到着していませんか?」 すると空港職員はこう言うではありませんか! 「エー!今ババジ猊下はゲートを出ましたよ! あんな目立つ格好だったのに気づかなかったのですか?」

しかし、我々にババジ猊下のお姿は見えなかったのです。 後で知ったのですが、ババジ猊下のお付きの人たちは確かに居ました。そのうちの一人はマレーシア人の弁護士の女性で一度見たら忘れられないような強烈な印象をもたらす女性でした。

マハヨギ・パイロットババジ猊下にお会いした後で私は猊下と行動をともにしましたが、その女性は必ずババジ猊下の横にいました。 その女性はあそこに居たのに、隣にいたはずの、とても目立つオレンジの法衣を着た猊下のお姿だけが我々には見えなかったのです。

猊下はまるで隠れ蓑を来ていたかのようでした。 猊下はシッディーでお姿を隠し、私をテストしたのです。その理由は、この後説明します。

こういうこともあろうかと思い、私は猊下の行き先を伺っていたので余裕がありました。 猊下は私にこう仰いました。 「バンガロールで一番大きいアシュラムだから誰でも知っているはずだ。カイラッシュアシュラムと言えば知らない人はいない」

我々はすぐに空港のインフォメーションセンターに行きました。 そして「カイラシュアシュラムはどこですか?」と尋ねました。 当然、すぐに分かるだろう思っていましたが、 空港職員の返事は意外なものでした。 「そんなアシュラムは知りません」というではありませんか! 私が「バンガロールで一番大きなアシュラムですよ!」 と言い返すと、職員の答えはこうでした。 「バンガロールには大きなアシュラムが3つ有ります。 一つはサイババアシュラムです。 もう一つは「シュリ・シュリ・ラビシャンカール アシュラムです」 そして「シュリ・シュリ・ラジテンプル」の3つです」

サイババアシュラムで無いのは解っていたので、残るは二つです。 私はシタール奏者のラビ・シャンカールが好きだったので、同じ名前の「シュリ・シュリ・ラビシャンカール・アシュラム」を選びました。

我々はすぐさまタクシーをつかまえ「シュリ・シュリ・ラビシャンカール・アシュラム」に行きました。 シュリ・シュリ・ラビシャンカール師は、当時アメリカでは、ババジ猊下と並ぶ程有名なマスターでした。

我々がシュリ・シュリ・ラビシャンカールアシュラムの前についた途端、和尚のマラをつけた3人のインド人とばったり出会うではありませんか!

私は心の中で「ヤッター!」と叫びました。 太母さんのメッセージを伝えにサイババシュラムに着いた日が、偶然私の誕生日で、しかも、偶然シバ神の大祭だった。

サイババとのコンタクトする方法を探していたら、太母さんのガータ(伽陀(かだ)・偈陀(げだ)・詩)を歌う日本人女性に会った。

その女性と一緒に居た女性がももこさんという方で、この女性がマハヨギ・パイロットババジ猊下を日本に紹介した方という偶然出会えた。

翌日、マハヨギ・パイロットババジ猊下の講演がバンガロールで開催されるという信じられない程の偶然。

そして今度はシュリ・シュリ・ラビシャンカールアシュラムで、最初に出会ったのが和尚の弟子とくれば これを偶然と思うのなら、スピリチュアリストとして 失格です。

私は当然このアシュラムに猊下が来ているのだと確信しました。

ところが予想に反して、猊下はこのアシュラムには居なかったのです。 それでくだんの和尚サンニャシンにババジ猊下の事を尋ねたら「今朝の朝刊で「マハヨギ・パイロットババジ猊下がバンガロールで講演」と言う記事を見た。 どこのアシュラムかは憶えていないが、バンガロール の和尚センターに行けば分かる」と話しました。

後で分かったことですが、和尚の弟子たちは 私が和尚と言う名前を提案した事を知り「そういう人間をパイロット・ババジという他のマスターの弟子にしてはならない」と思い和尚センターに呼んだそうです。

センターリーダーに引き合わせれば、彼の魅力でババジ猊下に会いに行かないようになると踏んだようです。

私は和尚センターに行きました。 そこで新聞を見ると、マハヨギ・パイロットババジ猊下は「シュリ・シュリ・ラジテンプル」の中の「カイラシ・アシュラム」で講演するということが判明しました。

インド人の話では 「シュリ・シュリ・ラジテンプル」と言えば 誰でも知っているが、「カイラシ・アシュラアム」まで分かる人は少ないとの事でした。

私はやっぱり大きなテストだったのかと安堵しました。 このテストの結果、私は猊下にお会いする態度が大きく変わりました。

「太母様という覚者のメッセージをサイババという聖者に伝える大きな役目を、私の不注意で不首尾に終わらせたら、大変悪いカルマを造る」そういう危機感が私を真剣にさせました。

私は魂の底から「マハヨギ・パイロットババジ猊下にお会いしたい」と思いました。 そういう必死の思いを持って会うのと、そうで無いのとでは雲泥の差があります。 *そう考えると、これは総て猊下と太母様の御計らいによる大きな計画であり、その計画に サイババも協力してくださったのだと思えてきました。 覚者様達、アヴァター様達の有り難い御計らいに私は感謝いたします。

色々ありましたが、翌日になって私はやっとマハヨギ・パイロットババジ猊下にお会いできました。


◆南インドに呼ばれた真相 ―――ヒマラヤへの召喚

私に会うなり、猊下は開口一番こう尋ねました。 【貴方はヨガナンダ・ギリを知っているか? 彼の或るヨギの自叙伝」という本を知っているか?】

私はパラマハンサ・ヨガナンダ・ギリを知りませんでしたので「知りません」とお答えしました。

猊下は一瞬、意外そうな表情をお見せしましたが、 こうお話を続けました。 「その本の中に「5000年秘密のクリヤヨガ」が紹介されている。このヨガは解脱者が、解脱寸前の内弟子にだけ教えることが出来る秘教だ。 私はその秘教のヨガを、貴方に3ヶ月間、マンツーマンで教えたい。だから私のアシュラムに来ないか?」

このお言葉を伺い、私は狂喜しました。
勿論、猊下のお話を謹んでお受けしました。 そして、何故太母様が、私にサイババへのメッセージを頼まれたのか完全に理解しました。

マハヨギ・パイロットババジ猊下は、太母様やサイババと連携を組んで私を南インドにこさせたのです。

太母様が私にメッセージを託す前のことです。 私はマハヨギ・パイロットババジ猊下から太母様へ テレパシーを超えたインナーコミュニュケーションで私の情報を伝えたことを覚知していました。

ババジ猊下は私の過去世での僧侶の情報やサマーディのステージ等の情報を太母様に 「仏仏想念」で伝えたのですが私もそれを感知してしまいました。

但し、高い意識では悟っていても、私のインナーコミュニュケーション能力は完全に開花していなかったので、低い意識には完全に伝わっていませんでした。

だから良かったのです。 そういうからくりが最初から解っていたら、 猊下にお会いしたいという強い思いが形成されなかった筈です。後で判ったからこそ感動が大きかったのです。うまく出来ていました。

太母様とマハヨギ・パイロットババジ猊下のインナーコミュニュケーションが起こった後、 太母様は私に「あんたさん。私のソウルメイトなのよ」と仰いました。おそらく猊下がタイムトラベルをして私の過去世を調べ、その結果を太母様に教えたのでしょう。

総ての謎が解けました。 覚者に何となくお会いするのと、必死の思いでお会いするのとは全く違います。何もかもが違います。

「覚者は状況を創る」と言います。 太母様からサイババへのメッセージを頼まれてから、 「偶然に次ぐ偶然」という状況を創ってくださいました。 偶然に見える事の裏側に観える、ババジ猊下や太母様の大いなる意思を私は確実に理解できました。

覚者様達の意思を確実に理解した私は、ヒマラヤ行きを即断しました。 そこに迷いが起こる道理はありませんでした。 私が猊下に師事し「5000年秘密のクリヤヨガ」を伝授して頂き、ヒマラヤのアヴァター様達の願いである「世界平和」「母なる地球・ガイアを護る」「人類覚醒」の願いを成就するために、ヒマラヤの「マハヨギ・パイロットババジ猊下」のアシュラムに向かうことになりました。

因みにヨガナンダはアヴァター様たちを数千年生きていると書いていましたが、パイロットババジ猊下によれば、アヴァター様達は一万二千年間、肉体を交換しながら生きていると仰いました。

肉体はいずれ朽ちるものだからヒマラヤの氷中に保存してエコ利用します。
時には死者に乗り移ったりするそうです。

そればかりか、マハヨギ・パイロットババジ猊下のように前世で覚醒しても今生(こんじょう)胎内から生まれるアヴァター様もいらっしゃると聞きました。

釈尊の久遠実成の仏と言う考えが仏教に在りますがそれが神話ではなく事実だと知り仏教研究者だった私は驚愕したものです。

◆インドビザを取るためにネパールへ行く

私は猊下の有り難い申し出を謹んで承りました。 すぐに猊下のアシュラムに行くことを決意しました。 ただ、インドのビザがもう少しで切れるところだったので、ネパールに行ってインドビザを取得してから、アシュラムに行かせて貰うことにしました。

私はネパールの首都であるカトマンズに行き、インドのビザを取りました。 現在、インドへはビザ無しで入国できますが、 当時はインドに半年間しか滞在出来ませんでした。

カトマンズについてビザを取得した帰りのことでした。 街中で偶然、和尚のマラをつけている、ネパール人の和尚の弟子に会いました。 私が彼に声を掛けると、これから、カトマンズにあるOSHO瞑想センターに行くと言うので、私もついていきました。

センターの運営者は「アナンド・アルーン」という男性でした。彼は和尚ラジニーシの最初の弟子の一人で、 ネパールの和尚の弟子のトップリーダーだと言うのです。

私は唐突にアナンド・アルーンに聞きました 「貴方はマハヨギ・パイロットババジ猊下を知っていますか?」 すると彼は、思いもかけない返事をしました。

「勿論知っています。我々和尚の弟子はマハヨギ・パイロットババジ猊下に深く感謝しています。」と言うのです。 私はそれはどういう事か彼に尋ねました。

「貴方も知っているように、レーガン大統領によって、和尚ラジニーシはアメリカから国外追放されました。その後、アメリカの圧力を受けて21ヶ国から入国拒否されました。終には母国インドからも入国拒否されました。その時助けてくれたのが、マハヨギ・パイロットババジ猊下です」 「マハヨギ・パイロットババジ猊下は、信者であったネパール国王夫妻に頼み、和尚をネパールに入国させてくれました。

ネパールを出国した後、和尚は自国のインド政府にも入国拒否されましたが、その時もババジ猊下が助けてくださいました。 猊下は、当時インド首相だったラジブ・ガンジーを説得して和尚をインドに帰国させました。 だから、我々和尚の弟子はババジ猊下に深く感謝しているのです」

私は驚きました。この話を聞いて私はババジ猊下に対する思いが更に深くなりました。 と同時に、あの時、和尚マラをつけた和尚の弟子に出会ったのは偶然ではないと確信しました。 すべてが大いなる意思によってプランニングされていました。

後日、私は猊下に「どうして和尚を助けたのですか?」と尋ねました。 猊下のお答えはこうでした。

「彼がまだ大学教授だった頃、クンブメーラに参加した。彼のキャンプはたまたま私のキャンプの隣だった。 ラジニーシは私に「サンカルパヨガ瞑想を教えて頂きたい」と 懇願したので私は教えた」と仰有るではありませんか!

和尚にサンカルパヨガ瞑想を教えたのが猊下だと知り、私は嬉しくなって、猊下に対する親近感とリスペクトが更に深まりました。

続けて猊下は仰いました。「私はラジニーシの良いところも認めているが、受け入れられないところも色々ある。 例えば、彼は瞑想をしたことがない人間を、無条件に弟子にしている。 男性には「スワミ」という尊称をつける。女性には「マ」という尊称をつける。 これは受け入ることができない」と仰有るのです。

「スワミ」と「マ」と言う尊称は、「大僧正」とか「猊下」みたいな言葉ですから、そう言われれば確かにそうです。

日本円に換算すれば、僅か数百円かそこらのお金を出せば、その尊称が名乗れるので、質の悪い弟子も多くいました。それ故、多くのインド人からOSHO(和尚)とOSHO(和尚)サンニャシンは批判されていました。

「私はそういう点は容認できないが、彼の良いところもたくさんあるので、私の信者のネパール国王夫妻に頼んで彼の入国を許可して頂いた。」 「しかし、彼はある失言をして、ネパールを追放された。そしてインドに帰国しようとしたが、母国インドからも入国を拒否された」 「そこで私は、友人でもあるラジブ・ガンジー首相を説得した。」 「ヒンドゥー教は、総ての宗教に寛容だ。 仏教やイスラム教にも寛容だ。貴方がインド人であるラジニーシの入国を拒否すれば、ヒンドゥー教の歴史に汚点を残します。貴方自身も歴史に汚点を残します」

結局、ラジブ・ガンジー首相は猊下の説得を受け入れました。 猊下は、ササラン王国の王子だったので、 ガンジーファミリーとも親しかったのでした。 そればかりではなく、 ラジブ・ガンジー首相とババジ猊下は共に空軍中佐でした。 同じ空軍中佐として親交があったのです。 だからこそ、ラジブ・ガンジー首相は、 猊下の意見を無視できなかったのです。

実は私は、ババジ猊下にお会いする前は、 和尚を愛していました。愛しすぎていました。 だから、和尚以外のマスターには、まったく関心がありませんでした。勿論、太母様だけは特別でした。 和尚が「太母様がエンライトしている」と認めていたからです。 その太母さんからサイババへのメッセージを託され、サイババのアシュラムで、太母さんの信者さんに会い、 その人と一緒にいた人がマハヨギ・パイロットババジ猊下を日本に紹介した“ももこさん”という偶然がありました。 そして、猊下が偉大マスターなので、サイババに一対一で対面するお膳立てを頼むのに、電話一本で済ますのは余りにもでは失礼だ。きちんとご挨拶に行こうと思いなおして、再度猊下に電話したら、「貴方がこちらに来る必要はない。私が明日バンガロールに行く」という驚天動地のお言葉を頂きました。 たまたま、その日に猊下がバンガロールのアシュラムで講演する日だったいう、考えられないような偶然が続きました。

そして猊下にお会いしたら「5000年秘密のクリヤヨガを、三ヶ月間マンツーマンで教える」という有り難いお言葉をいただきました。

そして、猊下のアシュラムで「5000年秘密のクリヤヨガ」を教えて貰うために、ネパールにビザを取りに来たら、路上で和尚マラをつけた和尚の信者に出会い、その人が連れて行った、ネパールの和尚アシュラムの責任者が和尚の最初の弟子の一人で高弟だった事。

その彼から「マハヨギ・パイロットババジ猊下が和尚を助けた」という話を聞く偶然。 *これだけ偶然が重なると、いかに 頑固な私でも、「これが単なる偶然である訳が無い」と確信しました。

実は、この他にも色々な偶然があったのですが長くなるので省きました。

ヨグマタジにこの経緯をお話しした時、 「おもしろい!おもしろすぎます!やはりババは貴方をずっと呼んでいたのですね!ずっと待っていたのですね!」と仰しゃってくださいました。

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