ババジ猊下のメッセージと祈り

2020年4月28日

昨年の12月に、私はヒマラヤのアヴァター様方(神の化身・権現)から或る啓示を受けました。

私はこの話をサンカルパヨガ・オーガナイゼーションのスタッフさんに打ち明けました。

その内容は以下の如くです。

1.来年の「サンカルパヨガ瞑想リトリート at 熊野2020」には風が吹いてこない。
何かが起こりそうな予感がする。

2.原夫妻が参加しなければ、熊野でのリトリートの意味がないので、リトリートは発生しないかもしれない。

3.今回のリトリートは、今まで以上に振るい分けが激しくなる。
だから、存在にふるい落とされないようにしてください。


アヴァター様の啓示は正しかったようです。

マハヨギ・パイロットババジ猊下による、新型コロナウイルスについての緊急メッセージの動画が配信された翌日に、先述の原夫妻から「新型コロナウイルス蔓延の状況を鑑み、今回は参加を辞退します」というメッセージがきました。

アヴァター様の啓示通りになったので、私は即座に延期を決め、すぐにそれを発表しました。

新型コロナウイルスについてババジ猊下はこう仰っています。

1.或る人々が人類を破壊するために新型コロナウイルスをばら撒いている。

2.それは彼らの経済的利益の為である。

つまり、新型コロナウイルスをばら撒いた連中は、既にワクチンを作っているのでしょう。

そして頃合いを見て、「やっと開発できました」と言ってワクチンを売り出せば、ぼろ儲けができるということなのでしょう。

人類破壊と言うことの意味は、自らを含めた全人類を破壊するという訳ではないでしょう。新型コロナウイルスは、一部の人以外は生き残れないようにする、おぞましい陰謀だと主張する人もいます。所謂、過剰人口削減陰謀論です。彼らはこう主張します。

「現在世界の人口はおおよそ78億人である。全人類に食料はいきわたらず、8億もの人々が飢餓に苦しんでいる。いずれもっと多くの人々が飢餓に苦しむようになる。だから人口を削減し、富める者たちだけで食料を確保しようとしている」

いささかぶっ飛んだ話ですが、実際、コロナが蔓延して真っ先に亡くなるのは、飢餓に苦しむ方たちです。

生物兵器を利用する時は、先ずワクチンを完成しなければならないのは常識です。ワクチンが完成していないのにウイルスをばら撒けば、自国民をも巻き添えにしますので、ワクチン完成後にするはずです。しかし、過剰人口削減陰謀説で取りざたされる陰謀者は人種や民族、国家を超えたスーパー支配者層だというのです。

私はそういう存在が本当にあるかどうかは知りません。しかし、残念ながら無いと言い切ることもできません。強欲に支配された世界には二つの種類の人間がいます。支配するものと支配されるものです。 世界の飢餓人口は、8億2160万人(2018年現在)と言われています。

実に、9人に1人が飢餓に苦しんでいます。この方たちは食べるものさえないのですから、コロナに感染しても病院に通えません。もともと病気がちの方が多いので、新型コロナウイルスに感染すれば、彼らが亡くなる確率は高いでしょう。実に胸が痛みます。次に危ういのは、生活困窮者です。

日本でも派遣社員は、真っ先に首を切られています。首を切られた途端、会社の寮を追い出される方が続出しています。これまでもそうですが、派遣社員は休業補償がないので、仕事を失った途端にネットカフェ難民になります。

そして、その後ホームレスになる方が続出しています。彼ら、彼女たちは、金もなく医療保険もないので、医者にも通えません。気の毒なことに、こういう方たちがウイルスを蔓延させてしまいます。

しかし、ババジ猊下は、我々に希望を与えてくださいます。

猊下は、我々のサンカルパ(意思)と、ヒマラヤのヨガの実践によって、コロナウイルスに打ち勝つことができると仰っています。そして猊下はこうも仰っています。

「自分の事だけでなく、他人へのサポートに気を遣いなさい。自分の事だけでなく、世界の事を思いなさい。世界について考える時、あなたはブラフマ(宇宙存在)になるだろう。ブラフマは宇宙そのものなのだ」

自分たちだけではなく、他の人々の為に祈り、思うとき、我々はブラフマになると仰っています。

私はババジ猊下の洞察の正しさを確信しています。今まで、私は、何度も死にかけましたが、その都度、ババジ猊下やヒマラヤのアヴァター様の不思議な力に助けていただいています。

この世界には、人知を遥かに超えた大いなる意思があることを、私は数百回も体験して知っています。だから明日を思い煩い生きる必要はありません。

“ いま、ここに生きる ” ことは大事です。

仏教では “ いま、ここに生きる ” ことを刹那主義と言います。刹那主義と言うと、享楽主義と誤解する人が多いのですが全く違います。

多くの方は、刹那主義をイソップ物語にでてくる “ 蟻とキリギリス ” のキリギリスのような、自堕落で享楽主義的生き方だと勘違いしています。自堕落な生を送ることが、“ いま、ここに生きる ” ということではありません。

刹那とは “ 瞬きする間 ” です。即ち瞬間です。貴方が深い瞑想に入れば解りますが、思考を見ることができるようになると、思考はゆっくりと流れます。思考がゆっくり流れるようになると、一つの思考と次の思考の間に間隙があることに気づきます。その間隙は空のスペースです。それが瞬間です。瞬間に入れば、無心になります。

本当の意味で、瞬間、瞬間に生きることは、無心であることと同じです。

ところが、この無心になることは口で言うほど容易くはありません。無心になるには、総てを捨てる必要があります。物、金、嫉妬や妬み、エゴ、理屈など、あらゆるマインドを捨てねばなりません。大いなる存在にエゴを明け渡し、大いなる意思を信頼することができるまで、いやと言うほど厳しいレッスンを受けます。

私はヒマラヤ修行時代、内なる神に祈りました。

阿弥陀仏やシヴァ神にも祈りました。或る意味では、信仰対象はなんでも良いのです。

フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは著者『重力と恩寵』で、「神は存在しないのだと考えて祈ること。」と書きました。祈る対象ではなく、祈りそのものが重要なのです。祈りそのものが聖なるもので、美しいものなのです。

確かに、古代人が想像しているような荒唐無稽な神は存在しないでしょう。古代人が想像しているような神より、自然そのものが遥かに神秘に満ち満ちています。自然はそれ自体、超神秘的です。古代人のマインドが作った神は存在しないかもしれませんが、神と呼んで良い神聖な何かは間違いなく存在します。それを釈尊(お釈迦様)はダルマ(法)と呼んだのでしょう。法とは自然の法であり、自然の理です。外側の神に抵抗がある人は内側の神に祈りましょう。

サンカルパの意味は意思、祈り、信心です。

信仰心もまたサンカルパなのです。

因みに、サンカルパヨガと言う名称は、半世紀前にパイロットババ猊下が命名されたものです。それからだいぶ経って、サイババの関係者の方がサンカルパヨガという名称を使いだしました。その意味は意思という意味より、信仰ということに比重がかかっているようです。

祈りは、祈りそのものが美しいのです。祈る心こそが大切です。

真の祈りは、自分のためだけではなく、必然的に人々の安寧を求める祈りに高められます。

その純粋な “ こころ ” が貴方を浄化します。

貴方自身や、世界人類、一切衆生を浄化して救済します。

まさに “ 天は自ら助くる者を助く ” です。

心の深い闇を知っている者ほど、光を求めます。闇があるから光があり、光があるから闇は存在します。北伝仏教(大乗仏教)では、煩悩即菩提と言います。煩悩は同時に菩提(覚醒)の種だと言うのです。

人間の深い苦悩を知った者だけが、根本的な解放、即ち解脱を求めます。人間の苦悩を知る者は、より高い意識を求めます。

苦悩を知った者が内側に光を求める時、光はもともとそこに在ったことに、いつか気づきます。

若い時は、救済や,信心、信仰などと言うと、新興宗教的な怪しげな考えと誤解するものです。私もそうでした。しかし、実は違います。

祈り、信心、信頼の力が、どれほどの奇跡を呼ぶものか、私たちは昨年の10月に体験しました。サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡で、リトリート参加者達にヒマラヤのアヴァター様(神の化身・権現)が物質的に顕現した事実は衝撃的でした。道場では、多くの方が祈りと瞑想の世界に在りました。そういう方の元に、ヒマラヤのアヴァター様が訪れられたのは、解りやすいお示しでした。

Om shanti shanti Om(愛と平和を)

 

 

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