◎心電図でババジ猊下の死と復活を記録したインド医学界の重鎮
マハヨギ・パイロットババジ猊下のサマーディーを疑ったインド医学会の重鎮が、猊下に心電図を付けて、実際に死んだ後に生き返るのかどうか実験しました。
猊下は一瞬にしてサマーディーに入定されました。呼吸は停止し、心臓は停止し、脈は停止して、肉体は完全に死の状態でした。猊下はこのとき5時間後に復活しました。
実験をした医学博士は学会にこうレポートしたそうです。
「私には何が起こったのか全く説明できない。ただ言えることは、マハヨギ・パイロットババジ猊下は確かに死んでいた。そして5時間後に生き返ったことは疑いようのない事実だ」
◎何が本当のヨガで何が本当のサマーディーなのか?
我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下は「何が本当のヨガで何が本当のサマーディーなのか人々に知らしめなさい」と私に命ぜられました。爾来、それを人々に示し続けるのが私のライフワークになっています。
猊下は続けて私に仰いました。
「ヨガの体操部門に過ぎないハタヨガをヨガの総てだと誤解している人が、世界中にあまりにも多い。
ヨガの最終目的はサマーディーである。仏教ではニルバーナ(涅槃)、ジェイン(ジャイナ教)ではモクシャ(解脱)と呼ばれるものと大まかな意味では一緒だ。
ハタヨガは、長時間の座禅で疲れた身体を回復するために開発された。貴方は経験しているから解るだろう?極寒のヒマラヤで長時間座禅した後に激しい運動はできない。それでハタヨガのようにゆっくりした動きのアッサンが開発されたのだ。痩身のために開発された訳ではない。
ヒマラヤのヨガ行者と言うと痩身のイメージがあるだろう。
私もヒマラヤ修行時代はマイナス50度の世界で、半年間断食しながら一日50kmキロ以上の回峰行をしたものだ。勿論そのような時代は毎日飢えていた。身体はガリガリだった。しかし、それは修行時代のことだ。
勿論、ヨガは美容と健康の為にはなるが、それが本来の目的ではないことを顕らかにしたい。ヨガという言葉が英語風にヨーガと発音されるようになってから、ヨガは本来のものとは全く違うものになってしまった。
現在ヨガと思われているハタヨガは本来の目的から外れ、痩身のため、健康維持のためだけに行われることが多い。美容や健康に留意するのは悪くはない。でも、ヨガの目的は『ヨーガ・スートラ』の冒頭に書かれているように心の止滅だ。それはサマーディー成就への道だ。
最近はヨガとは関係ないものを〇〇ヨガと名付けて、新しい商品にする人が多い。昨今、ヨガの技法を自己流に解釈して勝手に変えている人が多い。ヨガの技法はアヴァター様達が数千年にわたって開発してきたものだ。それを勝手に変えてはいけない。
ヨガを習いにインドに来た外国人たちの多くは短時間で母国に帰る。短時間の修行でヨガの真髄に触れることなど不可能だ。
彼らはアッサン(アーサナ、体位)の名前さえ間違って欧米社会に伝えてしまっている。まったく不勉強な人たちが、ヨガの教師として、ヨガとは無縁のものを世界中に広めてしまった。
本当のヨガは『アシュタンガヨガ』で語るところのサンヤマ(綜制)以上の部門のヨガである。
アシュタンガのアシュタとは、数字の8と言う意味だ。即ちヨガの八支則だ。仏教風に言うならヨガの八正道だ。
八支則とは次の8つの道だ。
1.ヤマ(禁戒)
日常生活で行なってはいけない5つの戒め
①アヒムサーサ=非暴力・不殺生
②サティア=嘘をつかない
③アステヤ=不盗
④ブラフマチャリア=邪淫を禁ずる、禁欲
⑤アパリグラハ=不貪
2.ニヤマ(勧戒)
日常生活で実践すべき5つの行いを勧める戒め
⑥サチャ=清浄にすること
⑦サントーシャ=足ることを知る
⑧スワディエ=マントラ読誦など
⑨タパス=苦行・自制
⑩イーシュワラ・プラニダーナ=自在神祈念(シヴァ神祈念)
3.アッサン(体位)
ジャパニーズイングリッシュではアーサナと訛っている
4.プランヤーマ(プラーナヤマ、呼吸法)
5.プラティヤハーラ(制感)
感覚を制御する
以下サンヤマ(綜制部門)
6.ダラン(ダラーナ、集中)
7.ディハン(ディアーナ、瞑想)
8.サマーディー(三昧)」
サンヤマ(綜制)について少し補足します。集中や瞑想といっても、皆さんが考えるものとは全く違います。
サンヤマについてヨグマタジ(相川圭子師)はこう説明されました。
「武田信玄の知恵袋で悟っていると言われた快川和尚が、織田信長に焼き討ちされたとき『心頭滅却すれば火もまた涼し』と言って、燃え盛る火の中で座禅しながら泰然と死んだというエピソードは有名です。
このステージがプラティヤハーラ(制感)です。つまり、熱いとか寒いとかいった感覚を制御できるステージです」
私はヨグマタジからこのお話を聞いた時は驚愕しました。快川和尚と言えば、日本では悟った僧侶として有名です。日本人で「心頭滅却すれば火も又涼し」という言葉を知っている人は多いでしょう。
その快川和尚の達成したプラティヤハーラのステージでさえ、まだヨガとは呼べないと仰るのです。
確かにそう言われてみれば、プラティヤハーラ(制感)と言うのは感覚を制御できるということです。
「燃え盛る火の中でも泰然自若として座禅し続けたとしても、感覚を制御できただけでそれが悟りではない。プラティヤハーラ(制感)の一段上のダラン(集中)からが、真のヨガだ」という主張は理屈としては納得できます。
でも、初めてこのお話を聞いた時は衝撃を受けました。「なんてヨガのレベルは高いのだ!」と驚嘆しました。
プラティヤハーラでさえヨガではないとするなら、ダラン(集中)やディハン(瞑想)とは、我々が考えているような意味での集中や瞑想とは全く違うことになります。
そして実際そうなのです。私はヒマラヤでの瞑想中にダランを体験しましたが、それまで私がイメージしていたような「集中」とは全く異なるものでした。
ディハンも私がイメージしていたような瞑想ではありませんでした。日本人がイメージしている悟りのイメージを遥かに超えた悟りの境地がダランであり、ディハンだったのです。そうであれば、サマーディーは想像もつかない高みです。
ババジ猊下はこう仰いました。
「瞑想が一生に一度起これば、貴方はラッキーだ」
ヨガでいう瞑想とは、普通の人が考えている神秘体験などを遙かに超えた驚異的なステージなのです。
それが何であるのか知りたければ、貴方に体験していただくしかありません。瞑想を概念や言葉で理解しても、それだけなら無意味です。
無意味どころか、しばしば有害です。瞑想体験が無い学者が瞑想を語るときほど虚しいことはありません。彼らは体験していないのに、さも悟ったようなことを話します。悟りを体験していない者が悟りについて語るとき、それは単なる推測であり、想像に過ぎません。そうして彼らは間違った教えを人々に広めます。
もう一度繰り返します。快川和尚の悟りのステージを超えたディハンについて、ババジ猊下は仰いました。
「貴方達に一生に一度でも瞑想が起こればラッキーだ。ディハンは非常に高いステージだ。ディハンはサマーディーの一歩手前のステージだ。“する瞑想”ではなく“起こる瞑想”だ。それは神からの恩寵だ」
ババジ猊下はこうも仰いました。
「最近、ハタヨガを習得しただけでヨギとかヨギニと自称する人が多いが、ヒマラヤでそう名乗れるのは、本来はサマーディー成就者だけなのだ。
ヨガがヨーガと英語風に発音されるようになってから、本当のヨガが誤解されているのは、人類の霊的進化において不幸なことだ。ヨガはジョガとも発音されるが、ヨーガと発音するのは英語の影響だ。
本当のヨガは、人々をサマーディーに導くためにある。ところが人々は、美容や健康の為にヨガを習う。健康を気にすることは悪くない。美容を気にするのも悪いことではない。それは良いことだ。ハタヨガで健康になることはできる。
しかし、ヨガの本来の目的とは美容や健康のためではなく、サマーディー成就のためにあるのだ。ハタヨガはサマーディー成就に至る手段の一つに過ぎない。座禅で疲労した身体をリラックスさせるためのもので、それが究極のゴールではない。
ヒマラヤのアヴァター様達がヨガを作った目的は、総てが苦悩であるマーヤ(幻想)の世界で苦しむ人々を悪夢から救いたいからだ。一切皆苦のマーヤの世界から解脱して欲しいからだ。
悪夢から覚めることを覚醒という。ヨガではサマーディー成就と言い、仏教ではニルバーナ成就と言う。ヨガの目的はサマーディーの成就なのだ。
ところが多くの人々は、ビジネスのために体操に過ぎないハタヨガをヨガの総てのように教えている。しかも間違えて教えている。アッサンの名前さえ間違えて伝えてしまっている。我々からすればヨガとは言えないものをヨガと言って教えている。
ヨガの技法は覚者が作ったものだ。それを覚醒していない人たちが勝手に『◯◯ヨガ』と命名してビジネス化しているのは嘆かわしいことだ。
真のサンカルパ・サマーディー・ヨギは、意志の力でいつでもサマーディー世界に往き来することができる。そこまで到達していなくても、覚醒を体験した人もいる。貴方はそのような人々と共に『世界平和』『ガイアの保護』のために、人類を覚醒させるワークに従事しなさい。
未だ覚醒はしていないが、魂が美しい人達も居る。彼らはサマーディーを成就していなくても魂が美しい。いつかは彼らも覚醒するだろう。貴方は彼らの気づきを伸ばしてあげなさい。貴方はそういう人達もサポートしてあげなさい。
覚者の意向とは反対に、ビジネスのためにヨガや瞑想を教えている人たちがいる。そういう人達の一部は貴方を利用しようとするだろう。クリヤのテクニックだけを盗んで、自分のビジネスに箔付けをしたがる人もいるだろう。
そのような“ビジネス体操ヨガ指導者”の中には、貴方を非難する人もいるだろう。ビジネス自体が否定されれば、自分が否定されたと思うからだ。
貴方はそういう人たちにかかわる必要は全く無い。そういう人たちはほっときなさい。そういう人々は、自然に貴方から離れて行くことになる。そして、彼ら、彼女達は、いつの日か自分が間違ったものを求めてしまい、何か大事なものを失ってしまったのか気づく時が来るだろう。
良質の魂を持った人々は自然に覚者のもとに集まる。準備ができていない人は、一度近づいても離れてしまうのがこの世の理(ことわり)だ」
◎ババジ猊下がヨガ&サマーディーリトリートを開設した理由
ババジ猊下が仰いました。
「私は貴方に【サンカルパヨガ・ファンデーション】を創設するように求めた。その理由は何が本当のヨガで、何が本当のサマーディーなのか、それを人々に伝えて欲しいからだ。
ファンデーションをランニングするにはお金がかかる。その資金を得るため、貴方に起こった神秘体験と出会った覚者について本を出版することを提案する。
もう一つ提案がある。私は貴方のファンデーションの発展の為にヨガ&サマーディーリトリートを開設しようと考えている。このリトリートを開催することで、貴方はファンデーションをランニングする資金を作りなさい。
このリトリートは、1年のうち10日間だけ開催される。それを参加者は4回受講しなければならない。つまり4年間で一つのコースを終了する形だ。
この4年間のリトリートの修了者は、ディクシャ(秘技伝授)を受けることができる。
ディクシャには4段階のステップがある。最初はマントラディクシャだ。次がサンスカーラディクシャ、その次がサンカルパディクシャ、最後がサンニャスディクシャだ。
サンニャスディクシャを受けた人が、正規の弟子であるサンニャシンと呼ばれる。或いはシーシャ(直弟子)と呼ばれる。そう簡単にはサンニャシンになれないのだ。
4年間のヨガ&サマーディーコースを終了したものはマントラディクシャが与えられる。これは入門のディクシャだ。
マントラディクシャを受けただけで直弟子だと名乗り、ビジネスをする者が現れるだろうが、そういう人は悪いカルマを積む。マスターが禁止したことを破る者は極めて悪いカルマを積む。
ましてコースを終了していないものが、サンカルパヨガ瞑想を教えるのは危険だ。私はこのような人々を一度は招待しても、二度目は招待しない。貴方はそのような人々を導いてあげなさい。
クリヤヨガを間違えて実践すると、時には過呼吸などで命を落とす人もいる。マスターの指導無しでクリヤヨガを実践することは危険なのだ」
参考)現在、ディクシャのステップは四段階から三段階に変化しています。また、ババジ猊下は超多忙な覚者様なので、ヨガ&サマーディーコースを開く時間が無くなっています。猊下は日本で私にその役割をお与えになってくださいました。
今までは色々理由があって、私は表に出ませんでした。ですが時が来て、私はババジ猊下の教えを公に発信し始めました。
◎猊下が私を【サンカルパヨガ・ファンデーション】の代表者に推挙した理由
猊下は私にこう仰いました。
「貴方はサンカルパヨガ瞑想を教えることが許されている。何故なら貴方は【サンカルパヨガ・ファンデーション】の代表者だからだ。
私は【マハヨギ・ファンデーション】の代表者であり、ヨグマタジは【ヨグマタ・ファンデーション】の代表者だ。貴方は世界で三番目のファンデーションの代表者だ。
貴方のファンデーションは、私のファンデーションにもヨグマタジのにも属さない。【サンカルパヨガ・ファンデーション】は、独立したファンデーションだ。
ファンデーションの代表者には、サマーディー成就者だけがなれる。“サンカルパ・ヨガ”という私が創設した新しいヨガの名を冠した【サンカルパヨガ・ファンデーション】の代表者として、人々の覚醒を促して欲しい。それがヒマラヤのアヴァター様達の願いであるワールドピースキャンペーンの成就に繋がるのだ。
貴方は人々が覚醒するお手伝いをしなさい。貴方が育てた人々だけを、私のアシュラムに連れてきなさい。
貴方は既にサマーディーを成就している。だから私は貴方に最初からサンニャスディクシャを与えた。貴方はシーシャ(正規の内弟子)だ。
しかし、暫くはその事を人々に隠しておきなさい。(注:隠す時期は過ぎたので現在は公開しています)人々は貴方に嫉妬し攻撃するからだ。
もう一度言おう。リトリート修了者の中には、マントラディクシャを受けただけで直弟子と名乗り、私が教えてはいけないと言った瞑想を教える人も出てくるだろう。或いは“12,000年秘密のクリヤヨガ”のテクニックを一度習っただけで『12,000年秘密の瞑想法を伝授された』と嘘をついて、ビジネスに利用する人もいるだろう。
そういう人たちは貴方に一度だけサンカルパヨガ瞑想を習ったら、二度と近づいて来ないかもしれない。でもテクニックを習っただけでは大した意味はない。それはハタヨガの呼吸法と変わらない。それはただの健康法にしかならない。
また、呼吸法はリスクが伴うので、覚醒していない者が教えると、時には気が狂ってしまうこともある。或いは、過呼吸などで命を失うことさえある。
テクニックを習っただけの人は、マスターと深いところで繋がることはできない。彼らはアヌグラハ(根源の宇宙のパワー)と繋がってはいない。それにもかかわらず、彼らはビジネスのためにサマーディーを成就するためのリトリートなどと銘打ったコースを開くだろう。しかし、サマーディーを成就していない者が、誰かをサマーディーに導くことはできない」