2024年7月 インド巡礼体験談 No.4

 

インド巡礼の体験談をいただきました。

No.4 藤田健太郎 様 

ハリドワール巡礼体験談 

今回、ハリドワールにあるパイロットババジのアシュラムに滞在させていただくという貴重な体験をいただきました。旅の最初から最後まで、そしてそれが終わった今も、全てが守られており、リトリートと同様に学びが詰まった時間でした。それに応えるべく、自分も真摯に1日1日を送れたと思っており、大変満足のいくものでした。

ババジ猊下、アバター様方を含め、スワミジ様、サティヤプレムジ(サリー)、ご一緒させていただいたサンカルパヨガのみなさま、そして出会ったすべての人、もの、場所に感謝いたします。

毎日が奇跡の連続で、アシュラム内のみならず、道を歩いているとき、買い物をしているとき、全てに学びが詰まっており、全て書くとキリがないので、もっとも印象に残ったことを3点書きます。

もっとも印象に残ったことはヤッギャの時です。滞在6日目ほどに、自分の中のエゴ、カルマが出て来ているのがわかりました。それは、嫉妬、傲慢、疑いといったものでした。今回、インドに来れたことから、自分たちが選ばれた存在なんだと慢心していたのでしょう。そのようなエゴが見え隠れしていました。
スワミジ様が、「ヨガは戦いの道である」とおっしゃったのを思い出しました。ラムサの学校でも、ラムサはよく「自分自身を征服しなさい、進軍し続けるように」といっていることを思い出しました。

くよくよ考えている場合ではありません。ヤッギャでは、肛門を締めて、炎の柱、ミツマタの鉾を思い出し、エゴを焼き尽くす、切り刻むべく、ひたすらエネルギーをあげていました。その時、あるイメージが湧きました。自分の背景ともいうべき漆黒の闇から、たくさんの白い粒子が舞い降りて、それらが自分を含む、様々な人や出来事へと形作られます。その中に自分もいます。


また、思考もそれらの一つの粒子から生じるのです。自分と思っていた体や思考はそれらの粒子であり、様々な物を見させられて、同じエゴの反応をしている舞台です。そのとき、自分はその背景、もしくは消えては現れる粒子全体を司る変化そのものになりたいと思いました。そこは心地よく、思考がないからです。そして1時間半ほどのヤッギャが終わった後は、すっかり心も軽くなっているのを感じました。

以前にとても大切に飼っていた鶏を締めた時、首にナイフを入れて血がポタポタと溢れる鶏の目を見て、ごめんね、ありがとうを呟きながらじっと見ていたら、その目には不安も恐れもなく、ただただ受け入れている姿勢がありました。その瞬間がとても崇高で、その空間全体が暖かく、清らかな光で包まれているのを感じたことがあります。鶏を通して、命そのものの光を見た気がしました。それまで、木を根本から切る時、野菜を根っこから抜く時、命を奪っているようで罪悪感を感じている自分がいました。

しかし、地球全体の命から見れば、それは形を変えて出たり消えたりしている命の変化そのものであり、その変化をとおして、常に我々を暖かく包んでいるのだと感じたことを思い出しました。それは、命の形を通して、僕たち一人ひとりの魂の成長と地球そのものの成長を求めているのかもしれません。
そのことがあって、変化そのものを生み出しているものに、思いをはせるようになりました。このありがたい全てに応えるべく、命をいただき、自分の成長を続けていこうと。

2点目は、今回のインド滞在中に人のエゴについての学びもありました。僕はあまりインドの宗教関係の言葉や習慣に無頓着なため、それが功を奏してあまり影響を受けないのかと思いますが、長くその道で修行されている方には、グルとの関係や自分の立ち位置などがとても大きく影響しているように思えました。それは師弟関係が自分以上に大切だからこそ生じる、この道ならではのものかもしれません。様々な嫉妬やエゴを手放せず自分を苦しめる姿も見せてもらいました。

グルにプラナームをして恩寵をもらうといわれますが、それは結果であって、決して恩寵をもらおうと思ってプラナームするものではないと感じました。グルの恩寵が注がれるワインだとすると、こちらのグラスが疑いや慢心といったエゴで満たされていると、それ以上は入らないからです。自分を克服していく道が先なのでしょう。そうしてグラスが空になって初めてワインが注がれ、自然とプラナームしたくなるのだと感じました。そしてこのワインは常に注がれているのだとも感じました。
それは先述の鶏から溢れた命の光や白い粒子がつねに注いでるのと似ています。それらに答えられるよう、日々それを意識して、グラスの中を掃除して、さらにグラス自体も大きくしていこうと思いました。

そして最後はグラス自体を大きくすることです。今回のインド滞在では、当初はババジ猊下にあってパワーアップしよう(笑)なんて思っているところもありましたが、それは見事に裏切られ、今、必要な学びをいただける最幸のものとなりました。その大きなものが、魂の成長は長旅になるので、このグラス(心と体)を鍛えて、大きくしていくということです。この道では、意思、霊性をとにかく鍛えて、心と体はそれについてくるという考えがあると感じていましたが、やはり凡人には、貧弱な心と体では旅を続けていくことは困難です。

インドでは、毎日ホテルからアシュラムまで片道20分の道を4回歩くことになり、たまに大雨が降ると、生ゴミと牛の糞が混ざった泥水の中をサンダルで歩きます。途中からアシュラムで朝の6時からヨガの体操に参加することになり、約1時間半ほどの参加で、じっとりと汗をかき、お腹の筋肉が筋肉痛になるほどのものでした(実際には腹筋が追いつかず、途中で休んでいました)。きっと、ヒマラヤのマスター達も、たくさん歩いて、過酷な環境の中で心と体を鍛えていたのだと思いました。そして、そのような今の自分に必要な体験をプレゼントしていただけたことに、感謝でいっぱいです。

この、常に注がれている愛の光(と勝手に呼びますが)、に応えるべく、心身ともに健やかに、食事、運動、心のあり方、人間性すべてのあり方に気をつけて、その根源に出会うべく、この魂の長旅を楽しんでいきたいと思います。

藤田健太郎

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