沖縄リトリートat東村 体験談 No.14

2021年1月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリートat沖縄東村エコパークの体験談をご紹介します。

スワミジ、パイロット・ババジ猊下、アヴァター様、関わってくださった全てのみなさま 

1月のリトリートに参加させていただき、ありがとうございました。

静岡に続いて2度目のリトリート参加でした。

延期となった熊野リトリートの申し込み、その流れで始まったプレオンラインダルシャンのときからも、ずっと途切れ目なく続いているような、その時間も含めてのリトリートだったように感じています。

熊野リトリートの申し込みに尻込みして「だってわたしはなにもできないのに!」とスワミジにぶつけてしまったとき

「何もできなくても祈ることは出来ます。」と教えて下さいました。

祈りは意思であるというババジさんの言葉もシェアして下さいました。

思いが祈りであるならわたしは今何を自分に発し祈っているのだろう…

そんなことも時折考えたりしていました。

スワミジの、なにかの投稿記事の中にあった「誰に来るなと言われても自分のために行くんだよ」という言葉も不安になる度に何度も何度も自分の中で繰り返しました。

わたしはいつも自信がなく、自分自身に対する疑いの中にあり腰が引けて逃げる準備をしながら、同時に強く居なくならないで欲しいという願いも持っていました。ですので、タイミング、タイミングで 手を離すならそれもいいよということが起こり、それは自分の頭の中での一人芝居のようなものでしたが、あわわ嫌です!と、しがみつくことも繰り返していました。そのくせずっとビクビクしている自分でもありました。

12月のリトリートが終わってから、参加された方とやり取りをさせていただいたり、1月のリトリートチャットの中では何か言うと助けの手が方々から上がってびっくりしたりと唯々分け与えていただくものが多く、シェアって本当にシェアなんだなあ…経験や体験に生じた感覚を分けていただいているような…ちゃんと受け取れていますようにとありがたく祈るような気持ちになりました。

そのように多くを与えていただきながら初日の開始時刻に間に合わず、申し訳ありませんでした。

運転ができないので、空港で待ち合わせを取り計らっていただいたり、同乗させていただいた くさたにさんにも大変良くしていただきました。ありがとうございました。

道中スワミジやスタッフや一緒に参加するひとたちから たくさんご連絡、メッセージをいただきました。

会場に着いたときに、場の空気を波立たせ乱してしまっていたことを感じ漸くみなさまに対して申し訳ない気持ちに至りました。内側に向かう大切なときに気持ちを外へ他へ向けさせてしまい、静けさを揺らす行動でした。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

スワミジのお話を聞いているとき ふとすごく近くにパイロット・ババジさんの横顔が浮かび、 あぁスワミジはこんな風にパイロット・ババジさんのお話を聞いていたかもしれないんだな…という気持ちになり、全然スワミジのお話を聞けていなかった、受け取れていなかった自分に気がつくことができました。

長い年月を経て今スワミジのお話をこうして聴くことができることがなんて凄いことなのだろう。勿体ないことをしていた。出会えてよかった。。そんな気持ちが胸から溢れて気づけば泣いていました。

リトリート中は自分が如何に外側に対して期待の帯を伸ばして厚く壁を作っているかを感じていました。

静岡のときのようになるのかな? ならないな、わからないな…そういえばみんなアヴァター様に話しかけたり問いかけたりしていたなあ…

わからないのでわかるようにして下さい。

瞑想の時間にそう思ってみたら、背中を押され、頭を床につける姿勢からしばらく動けなくなりました。  ああ私は謙虚さが足りないのだな。すみませんと思いました。

時折、太陽に暖められた穏やかで円やかな海水の中にいるように感じていました。

リトリート中は何が思い浮かぶとかでなく、ただ不安を、歓びを感じて意味もわからず泣く経験をしていました。通り過ぎると余韻もなくなんだったんだろう…と不思議な感じでした。手放しが起こる中 祥子さん、みゆきさんたちスタッフの力強いサポートや一緒に参加しているみなさまにも常に守られているような安心感がありました。

また、スワミジのお話を聞きながら他の人の座る背中と背中の間の空間にふと、なんだか今回は参加者が多いなあ…と嬉しい気持ちになることが何度かあり、嬉しく思う自分が不思議でした。

ヨガの話の中で太陽の話を聞いていて思い出されたことがありました。

あれ? 期待の矢印って自分自身に向けるのか…?と思ったときに タットバと聞こえたときのことです。

そうしたら、なんとなくハートって地球だったりするのかなあ…だとしたら地球は呼びかけて呼びかけても通じなくて寂しいし嫌だろな。ごめんねと思いました。

みんなでするオーム三唱の時間がとても好きです。自然と輪唱の様になるとき手前が黒々と深い緑、奥の方に濃い青から水色透明に変化し連なる山々を俯瞰しているような感じがしてきたり、みんなでお経を唱えている感じがしたり、黄色い光の三角形があるように感じたりしてとても気持ちがいいからです。

一度、その三角形がうわんと伸びたときがあり、うわ大きくなった…!と驚いていたらスワミジが

みなさんが素晴らしいので一段階上げました。というようなことを言っていて ぽかんとなり

自分の正気を確認するためにこうだったけどどうだろうと話すのではなくて、自分が妄想の中にいるのでもなくて少なくとも何かを受け取れていることもある。と拒まず受け入れるきっかけにできたらいいなと思った出来事でした。

3日目だったか、瞑想中にスワミジの気配を感じてスワミジ、そこはガラスです。。と思ったら気配が消えたり、別の部屋にいるときもいらっしゃるのを感じて

あれ?そういえば右側にいらっしゃるんだなあ…

左側にいらっしゃるのではなかったのだっけ?と普通に受け入れている、話しかけたことに後から思い至ったりしました。目で見るのではないのだな…

スワミジが話してくださる話は、体験と共に後になって感触がうっすら立体になるようにわかるんだなぁ…と思いました。

お話の中で根拠のない自信というのは大事なんだよと言っていただいたり、自信がなく不安ならババジの手にしがみついていなさい。

ババジは自分から手を振り払うことはありませんとも教えていただきました。

はい。と胸にしまいました。

瞑想前の清掃や食事、最終日の片付けの時など みんなで動き出して、周りを見渡すと、あそこに1人いると動線が楽かな?と入らせてもらえたり あそこは終わってここが…とやりとりが聞こえてきたり漏れがないか確認する人がいたり。連携プレーが起きているその中にいて、とても気持ちよく楽しく活動できました。優しくしてくださり、ありがとうございました。

リトリートが終わり、日常に帰って

あ、と気付いたり疑問に思うことがあると次のヒントになることがすぐ目に入ります。人から話を聞いたりシェアしていただいたことを素直にうけとれたとき、いつも気づかないだけで奇跡は身近に沢山あるのかもしれない。そんな風にも思えてきます。

振り返ってみると感情は歪なマーブル模様の層のようになっていて私を助けてくれていたのかも知れないと思えたり、私はわたしを知らず責め続けてきたけれどわたしも愛かもしれない。そう思えて泣きそうになったりもします。

私はまだまだたくさんのものを握りしめていますし、ふと自分に投げかけられているように聞こえてくる「残念だ…」という声ではない声に怯えることもまだありますが、私はわたしを信頼したいです。別の何かを握りしめるのではなく何も知らないのだ、何もできなくてもいていいんだと受け入れていく強さが欲しいです。そしてスワミジのお話をもっと深く聴けるようになっていきたいと自分自身に願います。

参加させていただき、ありがとうございました。

(真綾)

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