2019年10月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡の体験談をご紹介します。
埼玉県 いさお様
リトリート中、年甲斐もなくよく泣いていました。ちょっと気恥ずかしい思いがあります。瞑想の時には二回、そうしたことがありました。
1回目は、三日目の午前中の瞑想の時です。上方を見上げるように頭がどんどん動いていってしまい、動きと同時に涙が込み上げてくる体験がありました。
瞑想に入るとしばらくして、上方を仰ぎ見るような感じで頭が勝手に動き出しました。特に悲しみの対象になるものは浮かんできませんが、動きと同時に、涙がずっと流れていました。
途中で、大好きな地元のうちわ祭りの山車のイメージが浮かんできました。山車の人形は大国主命です。旗を背に立っています。旗を背にした姿を見ると、なんだかまた込み上げてきました。
山車のイメージはものすごく明確なものではありませんでしたが、そのイメージが浮かんだ時、旗のもっともっと上方には何があるんだろうという思いが浮かび、その思いと同時に、なお一層頭が上方にどんどん動いていきました。でも、上方には何も見えませんでした。
首が痛くなってきて、元に戻ると楽だなという思いが浮かびましたが、元の位置に戻ることはなく、瞑想終了までそのままの状態が続きました。
もう1回は、四日目の最後の瞑想の時です。浮かんできた僧のイメージに込み上げてくるものがあり、ずっと涙がこぼれてしまう体験がありました。
最後の瞑想の前にちょっと時間があり、その時に参加者のSさんに前世をみてもらいました。擦れて裾のほころんだ衣を着て、諸国を巡り、時には説法もしていた遊行僧だったとのことでした。
前世が僧であったという話に、少し思い当たることがありました。母から聞いた小さい頃のエピソードの中にお坊さんにかかわるものがあって、小さい頃から少し変わった子供だと思われていました。
大人になってからも仏教には縁があって、お坊さんになろうかと思ったことがありました。でも僕には、お寺は聖なる領域という思いがあり、元来、生臭な僕はお寺で生活することになったらきっと自己嫌悪に陥るだろうという思いがありました。
今までの人生で一番お世話になったA先生からも、「(お坊さんになったら、自分自身が)混乱する」と言われました。結局、僧になることはありませんでした。
瞑想に入ると、薄っすらとですが網代笠を被った僧の姿が浮かんできました。
衣の裾は、はっきり見えませんが、粗末な姿に見えます。何故、出家したのか、何を求めて諸国を巡っているのか、といった思いが浮かんできて、具体的な悲しみの対象があるわけではないのですが込み上げてくるものがあり、涙が溢れてきました。
周囲からどう見られようとも、自分としては納得できる人生を歩めたのだろうかという思いも浮かんできました。薄っすら見えたイメージからは、うらぶれた寂しい雰囲気が伝わってきます。納得のいく人生を送れずに亡くなっていったことが窺い知れるような雰囲気です。
そんな思いが浮かんでいると、今の人生も同じじゃないかと思えてきてしまい、また込み上げてくるものがありました。納得のいく生き方をしているとは、到底言えない状況です。なんとかしたいと強く思え、涙が溢れました。
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