2019年10月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡の体験談をご紹介します。
神奈川県 SZ様
スワミジ師、リトリートの運営のみなさま、リトリート会場の道場のみなさま、また、このリトリートへのご縁を繋いでくださったS.A.さんに深く感謝いたします。
リトリートに参加された皆さまに温かく接していただき、道場で過ごした3泊4日のリトリートの日々は、愛と平和がまさにキーワードとなった私の魂が喜ぶ体験と経験ができました。嬉しく思っています。
ありがとうございました。
瞑想の神秘体験は、初めて参加した瞑想時間でやってきました。
台風の勢いが増して行く中での瞑想。
風は吹き荒れ、雨は屋根に刺さるような音をたて、時折風圧で建物が持ち上がるような錯覚さえ覚える。
静岡の高台にある道場は、電気で水を汲み上げるため、停電になると電気も水もストップします。
最悪を考え最善を尽くす。
水の確保、保存食対応など考えていました。
なるときは、必然だと考えているので、先の心配は置いて、瞑想に集中しました。
瞑想の時にギリ先生から宗派を越えた愛と世界平和のお話を聞くことが出来て感動しました。
そして、教えて頂いたサンカルパヨガ瞑想は、もう何ともいえないくらいの感動を感じました。
体から力が抜けて、そこから更にチャクラを感じる体験は自分の体に宇宙があるのを感じました。
とても気持ちがよくてびっくりしました。
話が飛んでしまうのですが、
30代で食の大切さに気付き、野菜もそうですが、栄養とは別のエネルギーのある(波動の高い)食を研究するのが好きで8年前から自分の身体で人体実験(笑)?!してます。
更に、愛と世界平和の意思が受け継がれているオーガニックのティーリーフを取り入れて、より良い瞑想が実現できるように意識をして作らせていただきました。
瞑想の続きです。
身体が活性され、頭もクリアになり、閉じたまぶたの黒い闇の先にゆらゆらと光の糸のような絡みゆらめくものが見えたり、突然バッと抜けるような青い空の町並みが現れたりしました。
そして、何より驚いたのは、気配を感じたのです。私の斜め前から私をそっと見ている。
怖くもない、あたたかくて心地が良い気配、
私がリトリートを無事に過ごしたい気持ちにこたえてくれるかのような。優しく守られてる安心感が沸いてくるそんな不思議な気配でした。
その後、何度も電気がチカチカしました。
しかし、奇跡的に停電にも断水にもならず本当に有り難かったです。
翌朝、台風が過ぎ去ったお寺の業にご一緒させていただきました。
仏舎利搭やお墓などをお太鼓を叩き唱えながら廻るのですが、偶然に世界平和と刻まれた石碑に出逢いました。
台風一過と言うタイミングでキーワードが!!
引き寄せを感じました。
世界平和というと、とてつもなく壮大なことのように感じますが。
今回のリトリートで世界平和は自分の平和なんだと改めて感じました。
世界中の人が自分の平和に気付いたとき世界平和になるのかなぁと感じました。自分を平和にしてくれるリトリートは本当に素晴らしいと思います。
たくさんの人にリトリート体験をしてもらいたいと思いました。
そして、自分の平和を取り戻すきっかけを作って欲しいなと願います。
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スワミジ師からの返信
「身体が活性され、頭もクリアになり、閉じたまぶたの黒い闇の先にゆらゆらと光の糸のような絡みゆらめくものが見えたり、突然バッと抜けるような青い空の町並みが現れたりしました。
そして、何より驚いたのは、気配を感じたのです。私の斜め前から私をそっと見ている。
怖くもない、あたたかくて心地が良い気配、私がリトリートを無事に過ごしたい気持ちにこたえてくれるかのような。優しく守られてる安心感が沸いてくるそんな不思議な気配でした。」
私の解説が要らないですね。素晴らしい体験でした。
今回彼女は料理担当でした。従って瞑想に参加する時間が無かったので、「時間があれば参加して良いですよ」と言いました。
SZさんの凄いところは、サンカルパヨガ瞑想を実践してから20分くらいで、神秘体験が起こったことでした。SZさんの過去世からの良きカルマ(善業)があるからそれが起こったのですが、マハヨギ・パイロットババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様達の神秘的パワーを如実に感じさせられた出来事でした。
今から30年前のことです。
私もそれとは知らずにサンカルパヨガ瞑想を実践しました。
最初はただのハタヨガだと勘違いしていました。
サンカルパヨガ瞑想を始めてから、おそらく15分から20分くらい後に、サマーディーを成就しました。
実践の途中で宇宙意識体験をしたので、後から計算すると時間の見当がつくのです。
私にサンカルパヨガ瞑想を教えた人はOshoの高弟で、菩薩のステージにあると噂されていたヨギでした。宇宙意識体験から数年後にババジ猊下にお会いして分ったのですが、実は、そのヨギは猊下にサンカルパヨガ瞑想を伝授してもらった人だったのです。
Osho自身も猊下にヨガを教わっています。
ババジ猊下は「そのヨギは菩薩レベルであるが仏陀ではないので、誰かをサマーディーに導くことはできない。だから貴方自身の力でサマーディーを成就したのだ」と仰ってくださいました。
最初はもの凄い偶然だと思いましたが、後になって考えれば、偶然が数百回続いた上での偶然だったので、間違いなくババジ猊下の神秘的な力で、その方に引き合わせられたと確信しました。
今回、道場で出会った人たちは間違いなく過去世からの修行仲間でしょう。私の弟子だったことを思い出した方も何人も居ました。
だから瞑想初心者でも、ヒマラヤのアヴァター様達のサトルボディー(微細体)を実体として感じたに違いありません。
今回ヒマラヤのアヴァター様達に出会った方は、この体験に満足せずに、更に高みに昇って欲しいと願っています。
その方法は簡単です。
瞑想の先達達、瞑想性の高い人達と共に在ることです。一度や二度の体験で満足してはいけません。何度も何度もそれを起こさせるようしてください。
サンカルパヨガ瞑想は効果が凄い分、使い方を間違えると、精神に異常をきたしたり、時には死に至ることもあると、ババジ猊下は自著で述べています。
サンカルパヨガ瞑想は、覚醒したマスターと、覚醒したマスターに教えるのを認可された人だけが教えて良いことになっています。
SZさんは早速次回のリトリートに申し込んでくださいました。可能なら毎回参加してください。
SZさんのような方なら、あっという間に霊的進化が始まります。リトリート参加者で次のリトリートに申し込んでいない方はここで途切れると、ジャンプが難しくなるので参加できるように祈っています。
ババジ猊下のアシュラム(僧院)で開かれた4年間の「ヨガ&サマーディーリトリート」の最後の日に、猊下は参加者全員にこう仰いました。
「私が認可した人以外はサンカルパヨガを教えてはならない。コース修了者が教えて良いのは、初心者用の瞑想だけだ」
私が呼んだ人たちの殆どはコースを修了しました。
「テクニックは憶えたから、もうこれで良し」と考えた人、ビジネスのため人を利用しようとした人達は、それでご縁がきれました。
あるいはコース参加を一度しか許されない人もいました。ババジ猊下は、第三サマーディー中に未来に往き来出来ますので、参加者が許可なくサンカルパヨガ瞑想を教えているのを観られたのでしょう。だからその人たちは、一度目は参加を許されても二度目は許されなかったのだと推測してます。
昔から覚者に反逆することほど悪いカルマは無いと言われています。仏教においてはデーヴァダッタ、キリスト教においてはユダが地獄に堕ちたとされています。
「インド2000万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛される猊下の厳命に逆らうことはとても悪いカルマを作ります。
猊下は「初心者以上の内容を指導できるのは、覚醒した存在だけだ」と仰っていました。猊下は私に初心者以上の内容を指導して良いと認可してくださいました。上級者用のコースを指導する許可も頂いています。
私は最速最短でサマーディーを成就したので、コツは掴んでいます。
瞑想は自分に合うものを見つけるまでは色々試してもいいのですが、実は、あれこれやらなくてもいいのです。私は只管打坐から始めました。ただ座るだけです。
しかし、マインドが騒ぎ無心になれないので、マインドを観てマインドを止滅させるヴィパッサナーをしました。
ヴィパッサナーと言ってもただそれだけです。あれこれやりませんでした。あれこれやりすぎると、却って無心になりにくいのです。
そして思考と思考の間に入ると、「今ここに在れる」ことを発見しました。
そして「今ここに在る」ということが出来れば無心になることを発見しました。
多くの人々が「今ここに在る」と言いますが、本当の意味を知りません。
本当の意味で「今ここに在る」ことは無心なのです。禅で言えば無心は悟りです。
そして無心はサマーディーに至るスタートラインにすぎません。無心にも色んな段階があります。
多くの人が言う「今ここ」は、ただの享楽主義です。所謂、刹那主義です。
刹那とは瞬間のことです。瞬間に生きることが「いま、ここに生きる」ということです。ですので、刹那主義とは本来は悟りの境地です。
しかし、多くの人々が「今ここに在ること」を享楽主義と誤解しました。それで刹那主義という言葉自体が悪いイメージになりました。
ソドムとゴモラの住人たちの快楽主義が「いま、ここに生きる」ということになりました。
これではやくざの人たちが「太く短く生きる」と言うのと何も変わりません。
こういう風に、覚者の教えはいつもマインドによって風化させられます。だから、自分を大切にしたいのなら、貴方を愛し、高め合う人々と一緒にいるべきなのです。
だから、SZさんが次のリトリートにいち早く参加を表明してくれたことに喜びを感じています。
ヒマラヤのアヴァター様達は我々をいつも見守ってくださっています。道場であのような奇跡が起こり続けたことが、その証です。論より証拠です。
ヒマラヤのアヴァター様達を実体として感じたと言っても信じない人の為に、今期最強の台風19号ハギビスの直撃をくらった中での奇跡を見せてくださいました。
それさえも疑う人たちは、そもそも覚醒にはご縁がないのです。
釈尊は「縁なき衆生は度し難し」と言いました。「度す」とは「渡す」という意味です。
仏が人々を迷いから救う。 迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸(ひがん)へと人々を渡す。 済度(さいど)すると言う意味です。
釈尊は上から下の目線で仰っているのではなく、単に覚醒の種子が無い人は彼岸に渡せない。種子が無ければ果実はできない。先ずは瞑想して種子を作りなさいと言っているのだと思います。
私は、猊下やヒマラヤのアヴァター様達に逆らって悲惨な目に合った人たちを、今まで何十人も見てきました。自業自得とはいえ可哀そうな末路でした。
と言っても勘違いなさらないでください。猊下やヒマラヤのアヴァター様達が、彼らに罰を与えているのではありません。
その人たちが猊下やヒマラヤのアヴァター様達と離れたことによって、彼らの幸運も逃げて行っただけのことです。
私はそのことを熟知していますので、決して猊下とは離れません。心と心で繋がっています。
そして、猊下やアヴァター様達も私を護ってくださいます。我々を護ってくださっています。
私を霊視した人達は「貴方はアヴァター様達の光に包まれている。アヴァター様達は貴方を護ってくれている」と仰います。今まで何人もの覚者からそう言われました。サイキックの人達もそう仰ってくださいました。
だから、皆さん達がアヴァター様達のサトルボディー(微細体)を実体として覚知したという事実に、私は疑いを持ちません。
私も、猊下やヒマラヤのアヴァター様達のサトルボディー(微細体)を感じています。時にははっきり観えることもあります。
なので、皆さんがヒマラヤのアヴァター様達を実体として感じたことは、とても嬉しいのです。
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