2022年10月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡(中級)の体験談をご紹介します。
好田光宏様
7月にコロナに感染する少し前から心は闇の中にいました。(本当はもっと前からです。😓)
心に引きづられて体も絶不調でしたので、当然のようにコロナに感染しました。
病気が治っても自分でも引くほど酷い顔をしていたと思います。
過去に自分がしでかした行為から逃げ回って閉じ込めて蓋をしてた身勝手さから来るもので、身体的・精神的な苦痛でどれも自業自得に尽きるのですが、「ああもう自分はダメだ、死んだ方がマシだ」としか思えなくなってました。
そんなふうに思う以前は、
色んな人がスワミジ師の元に集ってはまた何処かへ去って行ったとしても、
自分だけはスワミジ師の元から離れないだろうと(お恥ずかしいことに)根拠のない自信を持っていましたが、現実は全くの逆でした。
サレンダーもバクティーも全然出来ていない自分が一番危うくて、いつ奈落に落ちていってもおかしくないんだと。
あの時の酷い状態で離れて行かずに、残っているのが今でもとても不思議です。
そんな状態から少しは良くなってきたものの、半ば投げやりな状態でどうにでもなれと参加したのが今回のリトリートでした。
痛いとか辛いとか悲しいとか苦しいとかから逃げ道を塞がれた状態で、嫌々ながらもこの数ヶ月向き合ってきた中で、上辺ではなく本当のことが知りたいと思っていました。
痛みとか苦しみってなんなんだろう?
癌細胞を手術で切り取ってしまうみたいにこの苦痛も取り除けたら楽になるんだろうか?
今までどうにかこうにか乗り越えてきた痛みとか苦しみを、ダメダメな自分から取り除いてしまったら自分には一体何が残るんだろう?
苦痛が自分を成長させてくれたのに、もうすでに自分のかけがえのない一部になってしまっているのに、不要になったらもうイラネとか、それっておかしくない?とか色んなことを考えていました。
スワミジ師のお話に耐え難い苦痛があったからこそ真剣に祈ったと仰っていたのを思い出して、この痛みが自分にどんな結果をもたらしてくれるのかを知りたかったんだと思います。
だから何時間座り続けるとかは少しは思ってましたけど、そんなことどうでも良いから座り続ける中で否が応でも訪れる痛みを観てみようとリトリート前から何となくですが決めていました。
実際には瞑想中はほとんど途切れることのない雑念と妄想ばかりで何度も断念していました。
そんな中、何とか痛みを観ようとしていた時に感じ取っていたことを言葉にしてしまうのはどうしようもなくチープになって嫌なんですが、痛みを観てるうちに、いつの間にか痛いのに痛くないという矛盾した状態になっていて、その状態でさらに続けて観ていると、その痛みが愛おしくて仕方がなくなり驚きと感謝の入り混じったような想いに溢れて満たされていました。
そうしていつの間にか朝のお勤めの時間になっていたのです。
後から思い出してマインドを働かせて言葉に置き換えるなら、私達の感じている痛みの正体は沢山の可能性を秘めた恩寵であり、サマーディーの種子ではないだろうか?是非ともそうであって欲しいです。
リトリートから帰ってきた今も、これまでの人生で無かったことにしたいと思ってきた痛みとか苦しみとか絶望を、自分から分かつことなく一緒に連れて行こうと思えています。
このような体験を自力で得たわけじゃないのは、当然ながら本当に救いようのない人間なんだということは自分自身が一番良く分かっています。
それでもそんな自分であるにも関わらず、リトリート3日目に約16時間も座れたのです。
皆さんならもっと凄い体験が出来るであろう事は明白です(時間とかではなく)。
スワミジ師をはじめ、一緒にサマーディーを目指す皆さん、パイロットババ猊下とアバター様方、そしてお寺のお上人様の織りなすエナジーフィールド(仏国土)に引っ張り上げてくださったからこそ、あの様な体験をさせて頂けました。
自分の身体中に植え付けられた沢山の痛み(サマーディーの種子)を大切に育てて、いつか花を咲かせたいと思います。
スワミジ師、ありがとうございました!
そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します。🙏