2024年11月後期リトリート体験談
CHA 様
初めて参加させて頂きました。
スワミジ様の講話、サティヤプレムジ(サリーさん)のアドバイスで心に響いた言葉がたくさんあったのですが、今回は瞑想中の体験を中心に書かせてもらいます。
瞑想中とても得難い体験をし、リトリート後も意識が以前よりクリアな状態で生活できている感覚があります。
⚫︎初日
自分は自宅で瞑想を時折りしますが、どんなに頑張っても最長で30分しか座っていられなかったのですが、最初から5時間ぶっ続けで座ることができて驚きました。
ただ、深夜になると足が次第に痛くなり、辛抱ができなくなり横になりました。
⚫︎2日目
初日に横になった悔いがあったので「朝が明けるまで座ろう!」と心に決めて臨みました。
瞑想中は、意識的に昔のことを思い出そうとしていました。
子供の頃から現在まで、時系列順に自分がどんな人生を歩んできたか。
自分は友人達と縁が薄く、常に孤独感を心の片隅で感じていたことが、顕在意識に上ってきました。
ただ、妻はどんな時でも自分のそばに居てくれているという気付きを得ました。
恥ずかしながら、リトリートに参加するまでは妻が自分のことを好きなのであって、愛情のパワーバランスは妻>自分であると思っていました。
ですが、人生を回想していく内に「あれ? もしかしたら自分の方が妻のこと好きなのではないか?」と思えるようになりました。
明確に理由が思い当たるわけではなく、ただ何となくそんな想いだけが浮かんできたという感覚です。
その後、しばらく経つと猛烈に家に帰りたくなりました笑
「家のソファーでのんべんだらりとしたい! だらだらとyoutubeが観たい!」という俗な欲求が浮かび上がってきて、どんどん暗闇に恐怖を感じるようになりました。
目を瞑ると闇と孤独感が襲ってくるように感じられ、恐ろしくて堪らなくなりしばらく目を瞑ることができなくなるほどでした。
ただ、横には絶対にならないと決めていたので、
スワミジ様とババジ猊下に「恐怖を乗り越える力を下さい」と一心不乱にお願いしていると、恐怖感が消え失せました。
ついさっきまで恐怖で震えることしかできなかったのに、スッと楽になり、自分がなぜ震えていたのか分からないくらいにまで落ち着いたのが、今にして思うと不思議な体験でした。
おかげで朝まで座っていることができ、それから横にならないで座り続けることができました。
⚫︎3日目
前日の体験もありリラックスしたのが良かったのかも知れません。
(前日のディクシャの影響もあるかも)
今回のリトリート中、もっとも強い印象を残す体験がありました。
普段の生活において、家族・自分に向けて祈りを捧げてから眠るのを日課にしており、ふと同じ祈りを心の中で唱えてみました。
この祈りの言葉を唱えると、必ずと言ってよいほど胸のあたりが熱くなるのですが、その時もいつものように熱を感じました。
そこで、ディクシャの際に授かったマントラを心で唱えてみました。
すると、家族への強い愛の気持ちが胸の中でどんどん膨らんでいき、両目から涙が溢れてきました。
自分の肉体がどんどんと大きくなっていき、瞑想ルームの一画を占めるくらい大きくなっていく感覚をリアリティをもって全身で感じました。
不思議とアイマスクを装着し、さらに眼を閉じていて視界が完全に塞がっている状態なのに、自分の体が大きくなっていく様子を見たような気がします。
今にして思えば幻視していたのかも知れません。
その時の感情は「至福」といって良いような気持ちよさ、心地よさでした。
家族への愛の想いは、次第に自然への愛に移っていき、生命への愛となり、最終的には今自分がこの場にいるに至った大きな流れへの感謝の念へと移り変わっていきました。
そして、天上からは無数の光のシャワーが降り注いでき(この時もまたアイマスクをしていたのに、自分の眼で見たような感覚がありました)、
自然に光に向かって仰ぐように両手を伸ばし全身で受け止め、合掌し大きな感謝の念が沸き上がってきました。
至福と共に涙はどんどん溢れ、止まる様子はありませんでした。
ここまでの大粒の涙は、遠い昔にあったかどうか…。子供の頃に体験したような気もします。
そのため、この感覚は初めて味わうのではなく、同じ愛の感覚を自分は昔から知っていて、ただ思い出したという気持ちも同時にありました。
普段から持っているのに、「男らしさ」「社会的な役割」といったような制約に押さえつけられ、蓋をされていたに過ぎないのだと思いました。
そして、この愛のエネルギーに限界はない、もっともっと大きく、無限大なのではないかという予感がしました。
至福の感覚は、次第に落ち着いてくると、
今度は打って変わって、心の裡にグロテスクなモンスターがひっきりなしに多数現れてくるイメージや自分の身体が傷つけられるイメージがどんどん湧き上がってきました。
大変に不快なイメージなのですが、
これは自分が子供の頃から、ときおり湧いてくる非常に鬱陶しいもので、そういう意味でも昔から馴染みがあるものです。
モンスターの造形のバリエーションは多種多様で、自分にそれを形にする造形技術があれば、モンスター造形作家になれたのではないかと思えるほどです。
朝までモンスターを消そうと格闘して朝を迎えました。
⚫︎4日目
前日の体験をうけて、胸から愛のエネルギーを感じることができたので、今度はサードアイを開けるのではないか、という想いに至り、額に意識を集中させたり悪戦苦闘しましたが、特に際立った変化はありませんでした。
なんとなくムズムズするような感覚はあるような気がしましたが、気のせいかも。
ただ一瞬、変性意識を少し感じましたが、長続きはしませんでした。
(このことについてサティヤプレミジ(サリーさん)から「サイキックになりたいんじゃないのか」と指摘されました。その時は咄嗟に否定してしまいましたが、ゆくゆく考えると自分は生粋の漫画好きで能力バトル漫画もよく読んでいることもあり、無意識でサイキックに憧れを持っていると思い至りました。サイキックを追い求めるのは今後止めます。)
時間が経つと、過去に人を傷つけた事柄に対する思いが湧き上がってき、罪悪感で苦しむようになりました。
この罪悪感をどうにか手放したい、救われたい気持ちがあり
〈内なる何か〉に
「どうすれば罪悪感を手放すことができる?」
問いかけました。
すると
「忘れろ」
という文字が浮かんできたように感じました。
いくら何でも「忘れる」なんてあんまりな解決法だと思ったところ、
「懺悔しろ」
という言葉も浮かんできました。
そこで祭壇で懺悔し、トラウマを吐き出すことを心がけると、すこし頭の中が晴れ渡り、落ち込んだ気持ちは無くなったように感じました。
全てを手放せたとは言えないと思いますが、救われた気持ちになり、その日はやり過ごすことができました。
(これについて後にスワミジ様から「中途半端な懺悔はかえって良くない」とお言葉を頂いたのが心に残っています。今は罪悪感を完全に手放すことを考えるのではなく、他者に何かを与えることができる人間になろうと思うようになってきました。)
そして、またもや前日に続きグロテスクなモンスターが現れましたが、
ディスカッションで共有して頂いたモンスター撃退法を試すとモンスターは霧散するようになりました。
また、自分はモンスターより高位の存在だと意識を集中させると、モンスターは自分に近づけないことに気がつきました。
モンスターは、低次元の存在であるということを初めて知りました。
長年悩まされていたモンスターが低次元のマインドから生まれてくるという発見は、自分にとって大きな気付きです。
「幽霊の正体見みたり枯かれ尾花」と言うように、正体がわかれば対処法もおのずと判明するので、怖がる必要はないと思えるようになりました。
体験は以上になります。
今回のリトリート全体を通して多くの学びと気付きがあったのですが、特に〈自己をより深く知ることができた〉ように思います。
自分には大きなエネルギーが内在していると実感できたのは、とりわけ大きな収穫でした。
現在、リトリート前よりクリアな清々しい気持ちで生活を送ることができています。
初日にプラナームをさせて頂いた際に、スワミジ様から「ハートのエネルギーが強い」というお言葉を頂いたのですが、今にして思うと3日目の体験を予言されたような言葉に思えます。
スワミジ様の言葉は、この他にも自分の奥を揺さぶるようなものがいくつもあり、その度に自分が非常に無知蒙昧な存在であるということが、実感できるようになりました。
自分の小ささを痛感し、謙虚でいることの重要さを学べたように思います。
これまで目上の方で尊敬できる人、憧れる人とは出会ってきましたが、自分の小ささを教えてくれる存在とは初めてお会いしました。
この出会いを与えてくれた大いなる流れに感謝いたします。
また、参加者の皆さまの真摯に瞑想をしている姿は、とても清々しかったです。
真心ある皆さまと共に瞑想できたのは、とても得難い時間でした。
リトリートから時間が経つにつれ、サティヤプレムジ(サリー)さんが仰っていたように、意識が3次元に戻っていくのを日々感じていて、意識を高く持ち続けることの困難さを感じています。
「覚醒への道」と「日々の生活」の持続可能な在り方を模索するのが、自分の一番の課題だと思いますので、向き合っていきたいです。
改めまして、
スワミジ様、サティヤプレムジ(サリーさん)、参加者の皆さま、ありがとうございました!
とてもすごしやすい空間をご提供頂いたおかげで、素晴らしい体験をさせて頂きました。
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