2024年11月前期リトリート体験談 藤田健太郎 様

2024年11月前期リトリート体験談
藤田健太郎 様の体験談
今回、リトリート3回目の参加となります藤田健太郎です。
これまで2回目のリトリートのような神秘的体験や深く瞑想に入れた充実感はありませんでしたが、大切な気づきをいただけた、ある意味でもっとも大きな分岐点となった、すばらしいリトリートであったと思います。
リトリート3日目、いつもなら深い瞑想に入れるタイミングと思っておりましたが、まったくかなわず、神秘体験もなく、嫌になっていました。
もうやめようかなんて思考も何度かありました笑。
その時はなぜだかわかりませんでしたが、後でそれが、自分のプライドというエゴが抵抗している状態をみていることであり、うわべだけのサレンダーであったことを知りました。
体験のシェアの時、自分の言葉に元気がなく、言葉が出ないので驚きました。
講話の時にスワミジ師から、僕のエゴが抵抗しているとお話されていましたが、その時はわかりませんでしたが、
後でそれがプライドというエゴであったとわかりました。
医師という仕事や小さい時の家庭環境、学生時代をとおして肥大したこれらは、確かに生活の中の端緒に見られており(昔から、人の言うこと、とくに先生という人の話を聞かない、マニュアルを読まないなど)、結果リトリート前にスワミジ師の記事をしっかりと読んでいないなどの態度に出ていました。
スワミジ様は講話やそれより以前の時から、話の端々に僕のそのようなエゴを伝えていただいており、またそのようなシチュエーションを作って見せてくれていると後から感じました。
リトリート後にそれらはすっきりして、最後にスワミジ師とハグした時に「ああ、とれているね」と言われた時、「おかげさまでありがとうございます」と素直にいえました。
リトリート期間中、2日目にディクシャを頂いた時に体に電気が走るようなぞわぞわした感じを受けたり、プラクティス中でも、誰かが横にたってエネルギーを注いでくれているのを一度だけ感じ、ああ、これもすべて浄化してもらったのだと感じました。
当然、やるぞというこちらの意思力によって持ち上げることも大切ですが、そう思わせるきっかけと、仕上げは全てしてもらっているのだなと感じました。
これら全てにわたり、この感謝にお答えすべく、これからも進んでいく気持ちは変わりません。
しかし、今生、気合を入れて覚醒の道に進みます!と言えるかと聞かれたら。
これだけの愛を注いでもらっているのに「はい、やります」と応えられない自分がいることも確かです。
呼吸ひとつとっても、瞑想中の雑念にしても、そんな半端な事では、覚醒なんてできないのでは?もっと上の状態の自分にならないと、と言ってきます。
それに対して、リトリート中での気づきの一つに、「できる、できない、うまくいった、いっていない」と短期的にジャッジを下してしまいますが、「そのような小さなマインドで何がわかる」と逆にふっきれて、そこは価値判断を下さないことにしました。
それに結論を下すには、まだ早すぎるし、判断できる能力が小さすぎるからです。
インドの巡礼でも感じましたが、大きなことはその場では理解できず、後からわかることが多いからです。なので、判定保留です。
そんなわけで、あまり深く考えないことにしました。
今回もそしてこれまでも素晴らしい成長をいただけたことは間違いなく確かで、そして素晴らしい恩寵、力を常に注いでくれていることも確かに感じます。
後ろを振り返ると、あの頃からは信じられないくらいの場所まで登っていることも事実です。
マインド劇場の中の小さな僕は、背伸びせず、淡々と、この道を楽しんで進んでいけば、ベストなタイミングでそこにいけると思うようにしました。
最後に、いつも以上にスワミジ師とサティヤプレムジ(サリーさん)、アヴァター様方に感謝の気持ちを伝えたいのと、今回はともに参加してくれた、素晴らしい仲間達、魂の同士たちと一緒に登っていけることがほんとうに嬉しくて、この家族を大切にしていきたいと改めて思いました。
ありがとうございます。

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