2024年5月サンカルパヨガ瞑想リトリート体験談
No.8 澤波有吾 様
今回のリトリート参加にあたり、私は少し意気込んでいました。初参加だった前回、なかなか集中が続かなかった私は二階と一階を行ったり来たり。初めて行うクリヤヨガもやり方を覚えるのがやっとで、正直なところ「深い瞑想ができた!」という実感を得ることができなかったのです。今回こそは場所を動かずきちんと座り切り、深いところまで行ってやるぞと思っておりました。
しかし最初の夜、やはりなかなか集中状態に入れません。今回は2日目からの参加だったため、スタートが遅れた分早く追いつかねばという焦りの気持ちが常に胸の奥でくすぶっていました。さらに前日の夜は丸一晩、娘を抱っこしながら寝ずに飛行機に揺られてきたこともあり、腕は痛いわ腰は痛いわ、眠気はひどいわでクリヤヨガをする気力すらわかず、初日の夜は散々でした。
翌朝。掃除をしながら、私は自分の意志の弱さに打ちひしがれていました。しかしその後スワミジ師にプラナームさせて頂いたとき、ふっと気分が変わりました。それまでのネガティブな感情が消え、不思議なほど軽快な気分になったのです。さらに続く講和でのスワミジ師のあるお言葉が胸に響きました。
「瞑想中、集中できずマインドが出てしまっても、問題ありません。ノーマインドでいられたら、それはもう禅宗でいえば悟りだよ。それよりも座りづつけることが大事。たとえ集中できないときでも、瞑想のエネルギーは見えないところに貯まっているから。」
私は今まで、集中して瞑想できている時は修行が進んでいる、集中できていない時は修行が進んでいない、と考えていました。それゆえに、集中できている時こそ、その気持ちよさに浸っていつまで瞑想を続けられる反面、いざ集中が切れるとすぐに座っているのが嫌になり、体を動かしたり、考え事をしたりしていたのです。
しかし、そうではなかった。瞑想というのは、集中できている時もできていない時も、きちんと前に進んでいる。それは草花のようなもので、集中できている時は目に見える葉や茎が伸び、集中できていない時は目に見えない根の部分が伸びているんだ! その時集中できるかできないかは、私が決められることじゃない。そういう「結果」のことは宇宙に任せて、私は今ここでやるべき目の前のことだけを考えよう。
大切なことに気づかせて頂いたおかげで、2日目以降は前日とは打って変わってかなり集中することができました。そして3日目、ひとつの体験をしました。いつだったか時間はわかりませんが、あるとき私の全身が細かなバイブレーションに包まれたのです。それはとても心地よく、呼吸するたびに振動が波のように強くなったり、弱くなったりしていました。
意識を体の一部に集中すると、バイブレーションはその意識した部分に集まり、より強くなっていきます。足にそのバイブレーションを集めると、足がビクンビクンとけいれんしだしました。特に額のアジナチャクラからは、非常に強いバイブレーションを感じます。その時私は、このバイブレーションがプラーナで、それを感じている体がスワミジ師の仰る「微細身(サトルボディ)」なのではと思いました。
今回のリトリートでは、スワミジ師にとても大きな気づきを授けて頂きました。瞑想中に感じたバイブレーションは、この体験談を書いている今も常に感じています。特に頭を使う作業をすると、サードアイにバイブレーションが集まるようです。またクリヤヨガについても、プラーナを知覚しながら行うとそれぞれの動きの持つ意味がだんだんと分かってきました。次回のリトリートも楽しみにしています。本当にありがとうございました。
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