2025年春期/後期アシュラムリトリート体験談 山田哲也様

2025年春期/後期アシュラムリトリート体験談

山田 哲也 様

私にとって8回目のリトリートでした。

今回は12日間連続で不眠断食瞑想する方達がいる中、後期の4泊5日だけ参加させて頂きました。

12日間連続の方達の半分以下です。

霊性が高い人が後からやってきて、私を超えていくことは人類にとって喜ばしいので大歓迎です。

とはいえ肝心の私がもっと精進しないといけないですね。

少し気遅れしながらも、後期から初参加の方達の方が私よりもっと不安でしょうし、リトリートに集う皆様と上手く調和していけたら良いなという気持ちで開始時間を待ちました。

最初に瞑想会場に入ったときに、背もたれになるようなスペースが空いていなかったので、

わっ、でもこれは覚悟して座りなさいってことか!と気が付いて即座に受け入れました。

私は座椅子を持っておりません。座布団のみです。

ピンダリーグレイシアの岩の上にお座りになるパイロット・ババジ猊下と若き日のスワミジ様を見て

できる方達は骨と筋肉だけで、いやそもそも肉体を離れるんだもんなぁ、凄いなぁ。私もまずは形からチャレンジを!という感じです。

リトリート中、プラクティスの後は無心の状態が続き、意識が戻った時に脚や背中の痛みを感じることが多々ありました。

ですが何度か姿勢は崩しながらも横になることはなかったです。

4日目の夜にはその身体の痛みも呼吸で意識的に和らげることが出来ました。

前回のリトリートよりも具体的な気付きを得て実践ができました。

これを続けていくことで良いところまで行ける感触を得ました。

また今回は3日目にスワミジ様から2回目のディクシャを拝受して、あの感覚を表現するのは難しいのですが、空のスペースが広がったのだと思います。

お陰様でその後も何十時間も通して座り続けることが出来ました。

一瞬でもサマーディに近い無心状態になれていたなら嬉しいことです。

ところで私自身がサマーディを目指す理由は何ですか?と問われると何と答えて良いか難しいので整理してみます。

明白な事実を何故だかほとんどの人が理解できないように、私の自我も無意識に抵抗して受け入れていない時があります。

例えば、イエスが死から復活した話を聞いて「そんな奇跡がある訳がない。作り話でしょう。実際にあったとしてもそのことと私の間にどんな関係があるのか?」と言う人が多いと思われます。

サマーディとは肉体が一旦死んで、また帰ってくることです。

イエスの復活がサマーディからの帰還だという発想。仏様の悟りがサマーディだという発想。阿弥陀如来がサマーディ成就者だという発想。

あぁ、だとすればババジ猊下もスワミジ様も救世主なのです。

次にサマーディと自分自身を実体験で理解できたらどうなるのでしょう。

それは多分私だけではなく他の方達にとっても命題だと思います。

救世主は何人も居た方が世界と地球にとって望ましいはずなのです。

それにお一人にお任せしたら救世主も大変じゃないでしょうか?

ご協力させて頂きましょう。

浄土真宗の和尚さんの講和の中で、よく「私たちは一つのいのちで、そのいのちに帰っていくのです。ただただありがたく感謝して。」というような表現を聞きました。

ただ尊い考え方ではあっても肉体を通じて体験した記憶を伴ってはいません。

私達凡人には体験出来ないことだから、それを唯一成し得た仏様(ブッダ)に帰依しさえすれば、称名念仏だけでいいのだよとなりがちです。

しかしご存じの通りサマーディ成就者は歴史上お一人ではありません。

私がスワミジ様を師と仰ぐのは、浄土真宗の限界を超えた深遠なヨガの世界をお知りで真理を説いて下さるからです。

と言いつつ私は「南無阿弥陀仏」と唱えるとき、弥陀の第十八願を連想して時々涙しそうになります。

「全員救うんだ。そうでなければ悟りなど要らない。」

そう言って覚醒に至った阿弥陀如来を前に、形式的にではなく心から南無〜と平伏します。

私のような凡人を導いて下さる阿弥陀如来のような師、、、といってもスワミジ様は謙遜されるので、阿弥陀如来のようなパイロット・ババジ猊下から受け継がれたサンカルパヨガをご指導下さるスワミジ様に南無です。

長くなりましたが、次のリトリートでは更に長時間無心になりサマーディに近づきます。

ただ今リトリート終了後日常に戻っていますが、多少のトラブルには動じず大体落ち着いています。

スワミジ様をはじめ、サティヤプレムジ、全てのアヴァター様、ご一緒に参加して頂いた方々、セヴァで人知れず支えて下さる方々、今回も本当にありがとうございました🙏

山田哲也 記

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