
2025年春期/後期アシュラムリトリート体験談
T.A 様
十二日間不眠断食座禅、寝ない、横にならない、食べない、無心のサンカルパヨガ式四無行。T.Aさんは前期後期の参加で12日間不眠断食無心瞑想(寝ない、横にならない、食べない、無心のサンカルパヨガ式四無行)を達成されました。
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この度は、
12日間不眠断食無心瞑想(寝ない、横にならない、食べない、無心のサンカルパヨガ式四無行)
の全日程に参加させていただきありがとうございました。
スワミジ様 サティアプレムジ
他の全ての参加者の皆様方に、
心から感謝申し上げます。
今回は2回目のリトリートで準備も抜かりなく意気揚々と富山まで訪れました。
1日目の夜から翌朝までの瞑想は、とても素晴らしくあっという間に時間も過ぎてしまいました。
無心ノーマインドの深さも、さすが富山アシュラムでは一味も二味も違うので、瞑想から出てきたあとも「言葉に出来ない」異次元の何かを感動しながら味わっていました。
これからの12日間はきっと素晴らしいものになると期待に胸を膨らませていました。
2日目の晩は、2階の瞑想ルームの場が更に仕上がってきたのか、前日よりも素晴らしい天からの恩寵に満ち満ちた空間を感じながら、今後の瞑想への期待値がますます上がり、そのまま瞑想に浸りきるはずでした。
しかし、異変というか不穏な予兆、大いなる存在?に仕組まれている偶然と言うには出来過ぎている何かも同時に感じていました。
そして様々な出来事があり、結果として原因不明の腹痛が始まりました。
2日目と3日目まではひたすら耐え抜きました。
そのうちこれ以上は埒が明かないと判断し、何となく楽になる気がしたので1階へと移動し、他の皆様は2階で心ゆくまで素晴らしい瞑想を重ねている中、薄着だったので寒さに耐えながらやり過ごしていました。
今まで気が付かなかったけど、2メートルくらいの巨大な原虫か、サナダムシを腸に飼っていたのか!
と本気で信じたくなるほど、(随意で動かせないはずの)大腸小腸そのものが自らキュルキュル、ギュルギュルと捻じれるように動き出し、そのうち耐え難い痛みへと変わっていくのです。
それから強い痛みは、腹部の左半身の筋肉でも起きて時には右、下腹部、みぞおち、脇腹とランダムに場所を変えるだけではなく、
痛みの種類も鈍かったり鋭かったりミチミチ!ギチギチ!キュルキュル!ギュルギュル!ネチネチ!ビキビキ!
と発生部位も種類も常に変化するので慣れることが出来ずに、苦悶し続けていました。
無視して瞑想が深まるほど瞬時に痛みも増してくるので、最終的には声をあげるほど痛くて瞑想を中断する。
2日目から5日目頃
ずっとその繰り返しで困り果てていた所、スワミジ様に相談してみました。
スワミジ様の、昔の2週間にわたる壮絶な痛み体験を聞かせていただいたり、
確か「エナジーセンターが目醒めてきている」といったような話をしてくださり、
他の参加者の中には病気や、とても参加できない状態でも頑張っているのだから、
あなたも頑張りなさい,
と激を頂きました。
その場に居られた他の参加者の方からも、
各々の過去の似たような体験を聞かせていただき、再度瞑想に挑むのでした。
3回ほど、黄金色のババジ猊下から、フワフワした反物みたいな物をビジョンな感じで頂いたときは嬉しく、他にも色々と体験はありましたが、正直それどころではない感じでもありました。
6日目頃
「痛みは本来の自分ではない」
といった感じで我慢して瞑想し続けていると、自分の中で確実に今痛みを意識は超えている!!!と実感できる状態になり、ありありと新たな瞑想の地平が拓けてくる感覚がありました。
今までよりも明らかに清々しい拡大する感じがとても気持ちよかったのですが、数分後に写真を撮るので一階に行かなければならず泣く泣く中断しました。
その後、今でも不思議で理由は分からないのですが、
背もたれにもたれるだけではなく、
瞑想中の体幹部の角度を全く一切1センチも変化させていないのに、ただ触れるだけで腹部の痛みが出てくるのに気づきました。
もたれずに座り抜きなさい!
ということなのか?とにかく姿勢に関係なく、もたれなければ痛みは出ないのです。
しかし要求が少しずつ厳しくなり、時間が立つほどより更に良い姿勢にならないと痛みに襲われる事態になってきたので自分で一階に降りて気が済むまで自分で自分を治療して、再度瞑想するとノーマインドから出てきた後も姿勢が自然と伸びたままで痛みを最後までやり過ごせるようになってきました。
8日〜10日目頃
一見痛みを克服した様にも見えますが、結局痛みを避けているだけで根本的な解決には繋がっていない様な気がずっとしていました。
なぜかというと何となくマンネリ感を感じるようになってきたからです。
このままの方針で続けても、そのうち解決する現象かもしれないですが、相当時間がかかりそうで、残り少ないリトリート期間中でなにか大きな達成を得て帰るためには、
痛み自体を味わい切る方針も試してみるべき?
と煩悶しつつ、最後の夜の瞑想に臨むのでした。
11日目の最後の夜
背もたれにもたれて瞑想しだすと、さっそく
ミチミチ!ギチギチ!キュルキュル!ギュルギュル!ネチネチ!ビキビキ!
と発生部位も種類も常に変化する痛みが瞑想が少しでも深まればその分だけ徐々に強くなり、
最終的には瞑想を継続できない程の激痛になって思わず瞑想をやめてしまいたくなってきます。
最後の夜は瞑想というよりも、「ただ痛みをいつまでも感じ切る」これに集中仕切っていると、耐えがたい痛みがずっと続いていきました。
実は最後の夜にも関わらず、未だに迷いを抱えていて、
・ジスキネジア、パーキンソン病、まさかALS!?これはもう何らかの神経内科的な病気だ!
・自分もそのうち昔5年間働いた病院でよく見たあの人たちのようになってしまうのか!
と、最後の夜にも関わらず今までで一番内面はフラフラしていて、
ババジ猊下とスワミジ様にチューニングすると、ほんの少しづつですが確実に痛みが和らいできました。
そして何かがほどけた様な感じがしたので、そのまま僅かに勢いが減った痛みと向かい合う事だけを続けていくと、際限なく続くのですが、やればやるほど徐々に弱くなり最後は味わい尽くすと消えてなくなる。
というのが繰り返されていきました。
気が付いたら約17時間の瞑想のほとんどの時間はそれに費やされて、リトリート終了となりました。
途中経過ですが、
最後の夜に内側を観てみると
スワミジ様がエネルギーのセンターが目覚めてきていると仰って
いただけあって、あまり馴染みのない種類のスシュムナ管を感知しました。
スシュムナと言っても流派や系統や先生で定義も微妙に曖昧だったりします。
通る位置が背骨寄りのをスシュムナと呼んだり、腹側を同じ様に定義したり、またはその中間の串刺し状のラインとか、
太さも極細から体外を悠に大きくはみ出るものまで様々なモノがあると勝手に邪推しています。(スワミジ様の仰る真のチャクラやスシュムナ、クンダリーニは、ここでは一旦横に置いておいて)
その管が何らかの動きを示す度に、一番その時関係の深い部位の筋肉が反応してビキビキミチミチ締め付けだすのに気づいたので、スワミジ様が一番最初に仰った通りエネルギーのセンターが目覚めだしているのが原因だと理解できるようになりました。
迷いが無くなった後は前述のように唯ひたすら痛みと向き合うことを続けました。
最終的には背中や胸.顔の皮膚.頭皮までミチミチ引き攣りなごらも、なぜ現在、体のその部位に来るのか?
逐一疑似(プレ)スシュムナとの相関関係が理解できたので安心して、痛みと向き合い続けることができました。
そのうち今までに無い種類のナーダ音が聞こえてきました。
自分の理解ではナーダ音は、俗に言うチャクラの部位によって、うろ覚えの記憶によると下から換気扇の音のようだっり、フルート、更に高音、ドラム式洗濯機、金属っぽい高音、更に金属っぽい高音、頭頂に接している部分は風のザーザー音、その上の空間は高音、これ以上高音になれないところまで来るとチリチリ音が頭の中心で聞こえます。
コンディションによって微妙に変動しながら同じ部位でも階層が違えば音程も違う感じでしたが、スシュムナー全体から鳴り響く感じは初めてでした。
音や模様や形状、色を観察すると活性化されて活動が活性化されるようで、その流れに誘導されるように揺蕩っているとちょっとしたエネルギーワークのようになりました。
新たに感じた疑似スシュムナ管全体から鳴り響く音を聞いていると進行が加速するようで、かなりしつこくてうんざりしながらも捻れ運動?に引っ張られて筋肉の痛みが起きていたようで病気ではないと安心しました。
リトリートの帰り間際スワミジ様が、まだ続くよと言われましたが、1週間もしないうちにほぼ完全に無くなりました。
そしたら今度は自分の人生において全く未経験な、更なる肉体の変化がやって来ました!!
しかも2種類もです。
「まだ続く」とは!まさかここまで見越してらっしゃったのか?と考えたり、
これはもう、〇〇病では?!と
またまた焦りだしました。
肉体の異変に戸惑いながらも帰省直後からずっと忙しく、なれない肉体の状況に翻弄されつつどうにか順応しながらやり過ごしていながらも、とうとう自分も〇〇病になってしまうのか?!
と落胆しながらババジ猊下に「これって〇〇病ですよね?」と聞いてみても、
答えは「いや違う」でした。
(声が聞こえるとか明確に会話できるとかではないのですが、想いが伝わってくる様なフィーリングで8割方何が言いたいのか何となく感じるような感覚です)
いくらババジ猊下がそう言うからってこれはどう見ても〇〇病でしか無い!と確信していました。
どうにかしないとこのままさらに進行して脳や心臓にまで到達したら、緊急入院で本当にマズイと感じ真剣に考えました。
リトリート帰りでとてつもなくエネルギーが漲っており以前よりも、更に全く疲れない、超パワフルになっていたのですが同時に症状が発症していたので、全身の膜という膜をある程度調整すると、下半身の自覚症状は即座に消えました。
俗に言うクンダリーニ症候群は大抵下からの場合が多いので、熱っぽいエネルギーで直ぐに分かりそうですが、今回は天からのエネルギーで地下からほど熱感はない上に、莫大なエネルギーでもさすが富山アシュラム、微細なので感づくのに時間が掛かりました。
余計なところに溜まり続けて風船が割れるように限界の容積を超えてしまわないように
膜に引っ張られてエネルギーも余計な所に移動させられないように必要なところしか通らないようになるとスッキリしてきました。
でも目視では相変わらず7割方残っていました。更にリトリート中に思い当たる節があったのでそれ関係をどうにかすると、2.3日以内には表面上はほぼ全部消えました。
更に別の思い当たる一番の原因を特定するために、様子を見ながら一項目ずつ行い効果を検証したかったのですが、
焦りのあまり色んなことを一気に試したので、結局どれが一番効いたのか分からずじまいでしたが、元の穏やかな日々に最近になってようやく戻りつつあるところです。
ババジ猊下の仰るとおり、確かに完全な〇〇病ではなかったのかもしれませんが要観察と思います。
あと、リトリート後半にピンダリーグレイシャ渓谷で、足の古傷の肉が何事もなかったのに突然露出する体験談を聞いた時、ピンダリーは唯一360度すべて氷河の山頂に囲まれていると、もはやアヴァター様の世界、ヒマラヤ随一の空間なのでカルマの解放でそういうこともあるとの事。
アシュラム2階はピンダリーの間という名前にしようかと、冗談交じりに仰っていました。
帰省後1週間ほどで、自分も20年以上前、人生最大の強力な打撲のケガの痕跡が突然現われて驚きました!
過去に数え切れないほど調整し、
部位、大きさ、形、陥没度合い
間違いなく完全に消えていたはずが、ありありと深々と陥没している様は、驚きを通り越してホラー映画でした。
声には出しませんでしたが心のなかではキャ~! と叫んでました。
これについては放置していたのにも関わらず、現在は、ほぼ95%は無くなったようです。
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今回のリトリート富山アシュラムでまず感じたことは、
参加者の皆様が、前回よりも漏れなく全員、とても変容されていらっしゃる。
ということです。
皆さん同じ変容が起きていると
内心かなり驚いていました。
リトリート前、最中、後と、改めて思うことは、
サンカルパヨガ瞑想の凄さです。
ディクシャも勿論他の参加者の方の体験談にもある通り素晴らしいのですが、
サンカルパヨガ瞑想を、一度でもリトリートに参加したのなら、その後辞めるのは余りにも勿体なさすぎると声を大にして言いたい衝動に駆られている時期がありました。
(最近は少し落ち着いてきました)
サンカルパヨガファンデーションのFBかサイトに記載されていた
親鸞さんの言葉、
「教行信証 総序より」現代語訳
「ああ、 この大いなる本願は、 いくたび生を重ねてもあえるものではなく、 まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。 思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、 遠く過去からの因縁をよろこべ。 もしまた、 このたび疑いの網におおわれたなら、 もとのように果てしなく長い間迷い続けなければならないであろう。 如来の本願の何とまことであることか」
と、まさにこれに尽きる!
リトリート前後、最中においてヒシヒシと感じていました。
とても微細で繊細なうえに座標軸的に自覚しづらいルートから、
ひょっとしたらその魂にとっては、余りにも分不相応なほどの莫大な恩寵を頂いていると。
そして、サンカルパヨガ瞑想の技法自体は普通に知られている部分も多い 事を踏まえると、
結局サンカルパヨガ瞑想の凄さを強調しているつもりが、本当はヒマラヤのアヴァター様方、パイロットババジ猊下等の恩寵がいかに凄いのか!
それをただ強調したいだけだったのだとリトリート中気づきました。
結局真の「臨在」は全てを凌駕するといいますか、パイロットババジ及びヒマラヤのアヴァター様との繋がりのご縁の真の意義、そしてそこから「直通」のスワミジの正当さ。
これだけが一番大事なものだったと。
あとはひたすら無心の最果てを目指すのみですね!(遙か先かも)
制限している物を浄化し取り除いて、元々あった内側の輝きを引き出す。と感じています。
初めてスワミジ様を画面越しで知った時、「透明」という印象を感じました。
スワミジ様によると、パイロットババジ猊下も、黄金色に見えるようで、本当は透明らしいです。
それはあまり関係ないかもしれませんが、
他の参加者様方も、皆さん一様に塗り潰しているのではなく本来の内側から引き出されている感じがしていました。
熱心で愚直に頑張っていると見受けられる方ほど、特に元々の本来の内側からの輝きが強いような気がしました。
元々の本来の内側に宿る内在神(定義としてはサーンキャで言われるプルシャ.プラクリティほどの凄いものと同等ではない)
また神道方面から経由の一説によると、人間の誕生の時に内面に宿る地元の産土(うぶすな)神としての精霊、
胸の正中から右3センチの1点が入り口(とラマナ.マハリシが言及しているらしい)
昔から仏教や寺よりも、伊勢神宮や白山信仰好きだった者としては、
そこの力や輝きは自分から引き出すべきもので、
たとえ覚者とか言われている方経由でも、他人のエネルギーが干渉すると、100%邪魔にしかならないというのが一部で言われていて、自分も経験則から長年そう確信して生きてきました。
(崇高な存在としてリスペクトはしますし、存在そのものを全否定はしないように気をつけてはいました。)
しかし、あくまでも一個人の主観と経験にすぎませんが世界広しといえどスワミジ様だけは唯一違いました。
そこに気づいた時の驚きと衝撃は今でもはっきりと覚えています。
リトリート中は話す機会が無かったので、体験談の後半部分は思う事を吐き出せました。
各文章を細かく表現すると、文章全体のボリュームが複数倍以上にも膨れ上がり、相当な量の文章を端折りに端折ったので、かえって言葉足らずになってしまっているかもしれません。
また、読みにくくクドい偉そうな文章になってしまったかもしれません。
情熱の発露の顕れと、御寛容を頂けますと幸いです。