2025年3月SatyapremJi体験談
No.3
私のこの体験談シェアは私個人の事に留まりません。 私達は生まれて色々な環境で体験して記憶してキャラクターを形成し自分で善悪や色々な物差しを設定して生活しています。 これはマインドの世界です。マインドの世界は生きている時代や環境で全く違うものが形成されますね。 私達は本、先生の言葉、ネットの情報、口コミ?などなど、そしてそこから自分で体験した様々な情報を記憶して物差しを作っていきます。 しかしその情報が二流三流だったり、間違いが多かったりしたらどうでしょうか。 開祖の弟子の弟子の弟子の・・・先生が書いた本だとしたら? 私も本を読んだり学んだ時代も少しはあったのですが、スワミジ様とお会いしてそれを本当に正しく理解していないで知った気になっていた事に気づかされました。 ヴェーダンタの授業でもそう感じました。きちんとした先生から伝統の聖典を学ばず勝手に本を読んで自分だけで知った気になってしまうのは、むしろ読まない方が良いと感じました。 個人に起こる体験もそうです。その体験をしたからと言って「私凄くない?」と思って本人は善意でやり方とか色々伝えて行く・・・。 それは良いこともあるとは思います。けれども私はどうしても出来ません。教えたら?と言われただけで「ありえない!相手が間違った人生を送る事になる」と拒絶するのです。過去生でそんな教師をしていて失敗してるんじゃ無いかと思います。 どのジャンルでも(学校、仕事、趣味)同じ事が言えると思います。どの先生から学ぶのが一番良いか。
覚者の行動全ては未覚醒者を真実へ導くものです。これ本当だと私は確信しています。 覚者は未覚醒者と肉体は同じ様に出来ていますし、肉体に付随しているマインド(性格、感情、好き嫌いなど)も当然あります。 ですが覚者と接する際には、「未覚醒者は覚者と個人的な過去や感情などを共有して親交を深める単純な関係では無い」と言う事を 忘れてしまうと、覚者を間違って捉えてしまうと思います。 覚者にお布施や食べ物、音楽、舞などを捧げます。でも覚者はその賛辞は受け取らず、捧げた人へ賛辞以上の恩寵を贈ります。
(スワミジ様はあんころもちが大好物ですから喜びますけれどね)
覚者は何も受け取る必要が本来無いのですが、未覚醒者を霊的成長、浄化させるために存在してくれているんですね。 だけれども未覚醒者は神聖なものに慣れてしまって、いつのまにか人間関係のエゴが発生し始める訳です。
私たちの人間関係を見てみると、仲良くなる条件とはどんなでしょうか?
・お互いの趣味・嗜好が合っていて、それを共有する時に交流が深まる
・お互いの好みのものに興味を持ちあう
・お互いの話を聞いて話して、お互いに理解や同意や安心し合うために、メッセージやポジティブエナジーや物質のプレゼントをあげあう
上記の様に接すると仲良くなりますよね。信頼関係も生まれます。
未覚醒者だと人間関係は結構突き詰めるとgive and take の関係だったりします。(無償の愛というのも勿論あるでしょう)
この関係を覚者に求めるのは間違いです。
覚者との関係は一般的な仲良しな人間関係を越え、もっと深いところに覚者は恩寵を注がれます。 そしてとりわけ覚醒を目指す人に対して覚者がなされた行動は特に重要です。これを「覚者からの恩寵・チャンス」と受け取れる人は間違い無く霊的成長が出来ると思います。でも私の様に「正しく見る」事が出来ていないと、すぐに闇に引きずり下ろされます。 その時に「その闇の原因に気づきなさい」というレッスンな訳ですね。
例えば覚者に対して神に対して自分のエゴやネガティビティも全部お任せするとします。 しかし覚者はエゴやネガティブゲームには乗るわけではなく、相手が霊的成長できる様に覚者は接してくださいます。 覚者はその相手それぞれにあった方法で時には優しい言葉で元気づけてくださったり、ある時は厳しい言葉や行動をされる場合もあります。 またそれは覚者が覚者ご自身のエゴを満足させる言動では勿論ありません。 覚者は覚者ご自身で自分の全てを知っておられる存在ですし、もちろん未覚醒者の考えている事は全部見えています。
人は必ず生まれ老いて病気をして最期は肉体の死を迎えます。
病に倒れた時、死ぬ時に必ず自分を振り返るはずです。
「人間として本当に大切なこと、幸せはなんだろうか」 そこまで考え始める人は少ないのでしょうか?
分からないけど、私は生活が苦しすぎて大学一年の時にそう考え始めました。
一番は今肉体を持った覚者に答え合わせしていただくのが確実ですよね。
しかもコロナ後、ネットで世界中に連絡が取れる時代となりました。こんなチャンスが訪れるとは思いもしませんでした。
今ババジ(の肉体)亡き後、スワミジ様がこうして教えてくださる機会は本当に有り難い事です。 サンカルパヨガ瞑想によってハートの世界を体験する事は初回から可能です(言い切る私) そして深く深く入って行くと無心を体験します。
「時間よりも質でしょ」と言う人がいます。
もちろんマスターの質、瞑想者の質(子どものようにどれだけ空っぽにしてワクワク受け取れるか)は瞑想の質に直結しますので大事です。 その質を踏まえた上で長時間座るならば、私達が想像できない素晴らしい世界に行く事はこの説明だけでも信じてもらえるのではないでしょうか。
奇跡譚を読むと疑ったりする人がおられます。それはスワミジ様と共に過ごしているとその疑いは消えて行くでしょう。 何故ならスワミジ様が歩くとそこはミラクルだらけの巡礼になるからです。 スワミジ様の記事を読んだりダルシャンでスワミジ様の声を聞いたり、ラジオみたいに その周波数に合わせます、「意識合わせ」という言葉も良いかもしれません。覚者が見るこの世界、覚者が見通しているこの先のこと、覚者は今何をする事が大切だと言っているのか・・・
そういうものを一つ一つ自分の見方から覚者の方に合わせていきます。これがチューニングです。するとどんどん分かってきます。
スワミジ様は言いました。
「目の前に話している相手が居る。その相手に『あなたが今ここに居ることを信じます』って言うかい?言わないでしょ?『あなたがここに居ます』って言うでしょう?
真実が目の前にあるのに『ここに真実があると信じます』って言わないのと同じ。
これに何の説明が必要なんだろうね?どんなに説明しても信じてくれないだろう。
だってそれは信じるものじゃ無いから、理解するものじゃ無いから。
覚醒すると分かるよ、『ここに真実がある』と言うのがね。
それは言葉でいくら説明しても答えにならないんだ。その人が体験しない事には絶対に分からない。猿が人間にならないと人間の事が分からない様に。
マインドでは何も分からないんだよ。
だからマインドを捨てないといけない。
マインドを捨てるには瞑想だ。
マインドは死にたく無いからマインドの世界に留まって欲しくてあの手この手でやってくる。マインドが死んだら怖いとか心配しなくていい。マインドが止まったら(無心)楽になる。本当の自分にやっと向かうのだから。
覚者の元で瞑想するならば、何も心配しなくていい。
それは覚者の仕事なのだから。
覚者に全てお任せしたらいいんだよ。
覚醒は生と死を越えた真実の世界に行く事だ。
いつまでマインドの世界を繰り返して苦しむんだい。
かつての私もそうだったから早く救われてほしいんだ」
長くなってまとまらない体験談になってしまいごめんなさい。
これから始まる過去最長の12日瞑想リトリートご参加出来る方はおめでとうございます。普段の役割は玄関で靴と一緒に脱いで、幼稚園生の様なピュアなハートでリアルスワミジ様とお会いしてください。スワミジ様の皆を安心させる声、全く加齢臭がしなくて良い香り、とっても小さい女神の様な手、是非体験してください。
他の人を気にする必要は有りません。アイマスクと耳栓していますから誰も見ていないし聞いてません笑思う存分どうぞ内側の世界を楽しんでください。私は皆さんが私以上の体験をする事が出来る様に、精一杯セヴァをさせていただきながら瞑想をさせて頂きたいと思っています。
私の体験談が本物の瞑想に興味を持ち、覚醒を願う人たちのヒントとなります様に。
マハクンブメーラ、ネパール巡礼でご縁のあった全ての皆様に感謝致します。
そして未覚醒者の私達をこれほど深く愛して救ってくださっているスワミジ様の素晴らしさが、来世に於いても永久に伝わっていきます様に。
Satyaprem Giri