2025年春期/後期アシュラムリトリート体験談 歩 様 

2025年春期/後期アシュラムリトリート体験談

歩 様

スワミジ師、サティヤプレムジさま、スタッフのみなさま、リトリート参加者のみなさま、至らぬ点の多い私にあたたかいお心遣いをいただき、ありがとうございました。

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私がリトリートに参加したのは、救われたかったからです。

子供のころ、親族の間で刃物が持ち出されるようなことがありました。運よく誰も死にませんでした。ただ、愛する者が殺しあわねばならぬのなら、この世界になんの価値があるのか、わからなくなりました。

実家のリビングではよくバラエティを映していて、しょうもない事でも笑えるのだと知りました。それはしばらく生きていくヒントとなりました。いまでも面白いことが好きです。追いかけることができます。そのあいだは安らぎます。私は機械です。アクセルを踏んでスピードが出ます。前に進みます。でも意味がありません。ごまかしなのです。虫歯になったのに歯医者に行かないようなものです。時折、傷が疼いてきて、色々とやる羽目になりました。

哲学が好きでした。語るとリアリティが変わるからです。しかし他人と共有できない。カウンセリングは対処療法で、根源的な問いの前では無力でした。教会に行けば、牧師の妻が疲れた顔で、あなたは真面目なのね。と言うので、行かなくなりました。

IT企業に勤めれば、脳とコンピュータが似ていることに気がついた。コンピュータをプログラムしたのは私です。では私をプログラムしたのは誰か。

なぜか昔から、読みもしないのに、無とか離脱とか神人合一とか、神秘主義が好きでした。そのあたりを思い出しました。行者が好きだった。真実が知りたかった。

ダンテスダイジを手に取りました。覚者の存在と行法の意味が書かれていました。前から自分の本棚にあったので、いつの間にか読めるようになっていたのです。彼の肉声が入ったテープのコピーを取り寄せて聴いたら、聞いたことのない声でした。限りなくやさしいが、それは人間のやさしさではないのです。理屈になっていませんが、それで信用しました。

ダンテスの情報をネットで集めていたら、ずいぶん前に更新の止まった掲示板の過去ログに、雰囲気の違う書き込みがありました。

「修行をしたければ正師のもとに行きなさい。パイロット・ババジ直系の弟子、スワミ・アディティヤナンダ・ギリジ師のもとへ…」

サンカルパヨガのホームページを見つけて記事を読みました。人間の意識と天候が関係していること、物理的制約を超えたヒーリングのこと、この世界や人間の身体が階層的になっていることは、見当をつけていました。これは事実だと思いました。

スワミジ師とメッセージのやりとりをさせてもらうと、「君の実存的苦悩…」という言葉を使われました。そのときは麻痺していて何も感じませんでしたが、私にぴったりの言葉でした。

登録していた転職サイトからスカウトが来て、休みの取りやすい会社に転職することができました。リトリートに参加する条件が整いました。たぶん、何かの采配があったのです。

あとは、リトリートの感想を書きます。

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初日は、スワミジ師、サティヤプレムジさまがあたたかく迎えてくれました。私はというと、疲れきっていました。マインドからすれば、リトリートに参加することはトラウマに接近することだからです。

スワミジ師が遠慮しなくていいよ、と仰ったので、自分は遠慮しているのか、とはじめて気が付くような有様でした。かといって、どうにもできませんでした。

みんなで応接間に集まって、自己紹介の時間がありました。私のマインドが取り繕ったり、壁を作ったり、わざと嫌われようとしたりしていました。スワミジ師は真実を知っておられるので、堂々としておられました。必要があれば一言、二言仰いました。何か、恥ずかしい気持ちでした。

瞑想ルームで座ってみれば、なんとも言えない良い香りがしてきました。たとえるなら、白檀のような香りです。それから、はじめて座ったので、とにかく足が痛かった。なぜか、時間の流れが早くなっていることがわかりました。気がつけば朝になっていました。

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2日目はディクシャの日でした。本当は初日がディクシャの日だったのですが、スワミジ師の体調がすぐれないので、ずれこんだのです。

応接間に集まり、ディクシャを受ける数人が師を中心に左右前方に並びました。スワミジ師は、昨日は座れましたか、とみなに尋ねました。私は、足が痛くて座れなかったので、少し俯いていますと、師は私を下からのぞき込むようにして目線を合わせていただき、顔を見ればわかるよ、と仰いました。続けて、ディクシャを受けるには心構えが重要だと続けられました。なんとなく受けるのと、恩寵を求めて臨むのでは結果が違ってくると。それから短い休憩が設けられました。

休憩のあいだ、なぜリトリートに参加したのかと自分に問いかけました。そうしたら、どうにもならなかったことが思い出されてきました。誰も助けてくれなかった。神はいないと思っていました。なぜか、神様、どうか救ってください。神様、どうか、弱く、みじめなぼくを、救ってください。そう心の中で唱えはじめました。行き場のなかった信心が出てきたのです。

休憩が終わりに近づいたので、応接間に戻って座り、目を瞑りました。ディクシャを受ける者は目を開けてはなりません。目を瞑ると内面を見るしかなくなります。心の中で唱え始めた祈りは、止まらなくなっていました。自然と涙があふれてきました。

涙だけでなく鼻水も出ました。恰好悪いものです。サティヤプレムジさまが、拭いてくれました。すみません、ありがとうございました。

ディクシャが終わった後、みなで応接間に集まって、体験をシェアする時間となりました。スワミジ師は、私のディクシャの際に「4」という数字が出たと仰いました。私は、情けないなとか鼻をかみたいなとか、外界の余計なことを考えていたので、何もわかりませんでした。集中していれば、シェアできたかと思うのですが、すみませんでした。

数字について、私は4次元のことかと口をはさむと、スワミジ師は、それは死のことではないかと仰いました。マインドでやりこめるなという意味です。ディクシャの反動なのか、マインドが出てきて嫌な奴になってきていました。それがとても辛かった。私は常に二重に分裂しているのです。自分でどうにもコントロールできない自分を見ているのです。

それから、トラウマが出て、父親があまり良い人間ではなかった、という話をしました。あまりネガティブな話をすると引っ張られるよ、とスワミジ師が仰いました。実際、ちょっとそんな雰囲気になりました。そのあたり、たいへん失礼いたしました。この話自体、もしかしたら3日目、4日目の出来事だったかもしれません。記憶違いでしたら、申し訳ありません。

3日目以降は、瞑想に入ると、そのタイミングで時間が飛んでなくなるような感覚になっていました。流れが早いというより、断続的に時間が無くなる感じが、最も表現として近いのです。あとになって知ったのですが、無心になっていたのでした。お腹はすかないし、眠くならないし、身体は軽くなっていきました。不思議なものだと思いました。

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最終日、みんなでリトリートの感想をシェアする場面がありました。私のひとつ前の順番の方が、みなさまありがとうございました、と感謝を伝えているのを聞いて、ああ、こういうとき普通は感謝をするのだ、自分は気がつきもしなかった、と焦りました。

私の番が回ってきて、感謝を伝えようとしましたが、マインドが自動応答を始めたので、結局、感謝は伝えられませんでした。

そうしたら、スワミジ師がすかさず、感謝の念を持つようにしたら、貴方の世界が変わるよ、と仰ったのです。私は、すべてお見通しなのだなと思いました。諦めと安堵感が入り混じったような複雑な気持ちでした。もしかしたら、ストレスで万引きをしている人が捕まったら、こんな気持ちかもしれません。自分が悪いことをしていると自覚していて、それがついに見つかって、やっと楽になれるというか。

スワミジ師は続いて、前日に私が話したトラウマ話をもとに、感謝ができないのは、よくない父親に育てられたからでないか、と仰いました。確かにそうです。でもそう言われると、父にも良いところがあったとフォローしたくなるし、他人のせいにしても仕方がないと考えたくなります。私があまのじゃくで、反対に考えるのを見越してのことなのではないかと思っています。それから師は、自分の父親もあまりよい人間とは言えなかったよと、ご自身の人生経験も引き合いに出して、私に寄り添っていただきました。

感想のシェアが終わり、みなが身支度をし始めました。その後もスワミジ師は、私をとことんまで気遣っていただきました。幾たびも、絶妙なタイミングでお声がけいただくのです。そして慰めの言葉をいただきました。たぶん人間には、言葉がお腹に入りやすいタイミングというのがあるのです。場面と場面のあいだの隙間、突然がよいのです。それをスワミジ師はご存じなのかなと感じました。

こうしたやりとりの中で、この方は私の欲しいものではなくて、必要なものを与えてくださるのだな。という感覚がやってきていました。また、神様が無理やりに人間をやってくださっているのだなとも感じました。

あっという前に、アシュラムを出発するタイミングになりました。スワミジ師が、見送りのため、玄関先まで来ていただきました。師は、我々のネガティブなエナジーを吸って、ぼろぼろでした。目の下のクマが深くなって真っ黒になり、唇は紫色でした。文字通り命がけでやっておられるとわかりました。ビジネスでやれることではありません。なんの霊感がなくても、見ればわかりました。痛ましいお姿でした。

スワミジ師は、今回、すこしはお父さんと和解できたんだよ、と私に伝えてくださりました。それがとても嬉しかった。それから、送り出しの最後に、私にハグをしていただきました。こんな愚か者が、くっついたりして大丈夫なのかなと、悪い影響がないかと心配になりました。どうかお元気で、と心の中で思いました。こらえたけど、ちょっと泣いたかもしれません。泣けばよかったのかな。

帰り道は、一泊してゆっくり休んでから、高速に乗って帰りました。胸中はとても静かでした。街に近づくほどエナジーが荒くなっていくのがわかりました。ポップソングをかけると、うるさい。感覚が変わっていました。でも街に近づくと、そのうるさい歌が面白く感じるのです。同調作用みたいなものが、あるのだろうと思います。だから、聖者の傍に行かなくてはならないのです。そう思いました。

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リトリートが終わってから、じわじわと、お世話になったなあという感覚が出てきました。私は素直でないので、そんな風に思いだすのに、ほんとうに長い時間がかかりました。リトリートの感想を書くのは、ワークを邪魔するのでないかと思い遠慮していました。ただ、私が感想文を書くことで、私が間違っていても、スワミジ師は正しい人だということは伝わるのでないのかと、思ったのです。
また自分の暗い部分にチューニングをするのも嫌でした。けれども、振り返ってみれば、サンカルパヨガのホームページにある、深い闇の中にあったから光を求めたというのは、私のことなのでした。そういう人生でした。

思い返せば、みんなが真面目に修行をしに来ているのに、私だけやり残した親子喧嘩みたいなことをしに来てしまった。スワミジ師は、誰がどうみても体調がすぐれないのに、私は所々しょうもない戦いを挑んでいました。それでも、スワミジ師は完ぺきに捌かれるのです。月並みな表現ではありますが、神業とはこのことでした。

それから、ディクシャが1日ずれ込んだことは、私のことを思ってなのではなかったか。そんな風に考える時があります。もし初日からディクシャを受けていたら、座れないのはスワミジ師のせいだ、と他人のせいにしていたかもしれない。そういう未来を視られたのかもしれない。もしくは、アヴァターフィールド・ブッダフィールドのお陰様で、うまく事が運ぶように調整されるのかもしれない。どちらにせよ、頭が上がりません。

今もなお、精一杯ごまかしながら生きており、素直になれない自分がいます。それでも、このようにして導師さまにお会いできたことを、心より深く感謝申し上げます。

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