ポップ化した覚者のイメージと真実の覚者

2019年2月7日

◎鎌倉の覚者、太母(たも)様の願い

太母様は、常々皆様にこう仰っていました。

「もう地球を収奪し、環境を破壊し続ける人間に残された時間はない。

母なる地球にとって、人類は宿主を殺して自分も死んでいくような、自殺願望を持った癌のような存在です。自分が死ぬだけでは飽き足らず、他者を巻き添えにして死んでいくような危険な存在です。

地球は自己防衛上、可愛い我が子である人類を、地球上から取り除かねばならないところまで追い込まれているのです。癌は切除せねばならないのです」

太母様は環境保護などという言葉も無かった時代に、そんな予見をされていました。予言ではなく予見です。予め見るということです。予言のようにサイキックな観え方ではなく、人類の悪業を見ていれば自ずとその結果が見えるので、予言ではなく予見だと太母様は仰っていました。

太母様は、第二次世界大戦中に日本は新型爆弾(原子爆弾)を投下され敗戦をむかえること、人工増加とそれに伴う食料危機、環境破壊の結果人類が滅びることを予見されていました。

そして太母様は上述した予見について、一冊の本を書かれました。

太母様は、ご実家のお寺の檀家総代であり、読売新聞の名物オーナーであった正力松太郎に本の出版を頼みました。しかし、正力は「いくら太母様のお願いでも、日本が敗戦するなどと書いた本を出版すれば、私が特高警察に逮捕され、拷問されて殺されます。流石にそれはできません」と断ったそうです。

正力松太郎は、太母様を大変尊敬していて、太母様の為にお寺を寄進しました。しかし、太母様は伽藍を造ってはいけない、環境を破壊すると言ってお断りしました。

太母様がお寺を受け取らなかったので、正力はそのスペースをアミューズメントパークにしました。それが、よみうりランドです。

その正力松太郎が、日本の原発推進者の先駆者だったのは皮肉なものです。太母様は正力の暴走を止めるために、正力が檀家総代をしているお寺にお生まれになったのではないかとさえ考えてしまいます。

私は太母様の薫陶を受けて、一貫して環境保護を訴えてきました。

ヒマラヤのアヴァター(神の化身・権化)様達が提唱し、マハヨギ・パイロットババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)が主導するワールドピース・キャンペーンには、当然環境保護の願いが込められています。

母なる地球を守らなければ、人類の平和はありえないからです。その願を成就するには人類の覚醒が必要だと、太母様やヒマラヤのアヴァター様達は訴えて来ました。

◎99%の人は覚者を認識できない

こうした考えに賛同する方は意外に多いのです。

しかし、誰かが解脱(モクシャ=完全な自由)を宣言して同じことを言えば、人々の多くはその方に距離を置きます。有名な覚者を尊敬する方でも、無名の覚者に対してはジャッジします。疑います。まあその気持ちは解らないわけでもありません。

そのような事情もあって、覚醒を世間に公表せずに隠遁している覚者も世界中にたくさんいらっしゃいます。そのような覚者は世間には出ていなくても、解脱の光輪を宇宙全体に放射しています。

このように言うと、「覚者の光は自然に流れるのだから覚醒を公言する必要はない。覚者の香りは自然に漂うものだ」と反論をする方が意外に多いものです。

確かに、覚者の解脱の光輪は果てしなく放射されています。でも、それなら何故、歴史上の覚者は覚醒を宣言したのでしょう?

それは簡単です。覚醒を宣言しなければ、人は覚者を認識できないからです。もし認識できるなら、覚者は覚醒を宣言する必要はありません。

皆が皆、覚者のオーラが観えるのなら話は楽ですが、それが観える方は圧倒的に少数です。

先日、高名な沖縄のユタ(シャーマン)さんである玉城丈正様が私を観て、

「何も仰らないでください。貴方を見ていれば悟ります。貴方の周りには無数の光体が凄い勢いで周っています。

この光はヒマラヤの頂きから来ています。神道で言えば、天之御中主神ですが、ヒンドゥー教では何というのですか?」

と仰られました。

私は「それはアヴァター様たちです」と答えました。

玉城様のようにオーラが観える方は稀なのです。皆が皆、覚者を観たり、感じたりすることが出来るのなら、覚者がわざわざ覚醒を宣言する必要はありません。

ババジ猊下や、ヨグマタジ、太母様のような覚者は私を理解してくださいました。

覚者以外で私の光を観た方達は、所謂サイキックな人々です。しかし彼らは、覚者が覚者を認識できるように認識しているわけではありません。99%の人は覚者を認識できません。覚者を覚者として認識する方は、非常に高い意識性を持たれた方です。

仏陀、キリスト、ババジ猊下やヨグマタジ、太母師が覚醒を宣言するのは、解脱の必要性や、環境保護、ワールドピース・キャンペーンの重要性を認識してもらうためです。

人々がきれいごとを言う時は、自分のエゴの抵抗をごまかす時が多いのです。

私はエゴが抵抗する時はエゴを落とすチャンスだと思い、ワクワクします。エゴが落ちれば、自分は楽になります。こんなチャンスは中々ありません

多くの人は覚者を偶像化して自分のイメージに合わせようとしますが、覚者が貴方のイメージに合わせるとは限りません。自分のイメージに覚者を当てはめようとする人たちは、覚者をジャッジし、ついては離れ、離れてはくっつきの繰り返しをします。そういう方たちは、何も得ることがありません。

◎偶像化されている覚者のイメージは覚醒の阻害要因となる

日本や中国の禅マスターの経典を見れば、ポップアイドル的幻想を覚者に求めている人は衝撃を受けるでしょう。

彼ら禅マスターは、多くの人たちがイメージしているポップアイドル的存在ではありません。「私は何者であるのか?」と尋ねれば「お前は糞袋だ!」と答えたりします。私はそういう禅マスター達が大好きです。

日本で悟っている坊さんの代名詞といえば一休禅師です。

一休さんは『狂雲集』という詩集を書いています。仏法を詩に仮託した法語詩です。

一休禅師は狂雲集の中で森女(しんにょ)という盲目の女性との性生活を詳しく書いています。あまりにどぎつい性描写なのでここで書くのは差し控えます。

一休さんの親友だった「本願寺中興の祖」の蓮如さんも型破りだったけれど、一休さんも型破りでは負けません。

「覚醒を三次元に持ち込まなくては意味がない」と言い切る方には、サマーディー成就者の98%はこの世界に戻らないという事実を考えて頂きたいのです。

私はそういう方を批判しているのではありません。ただ事実を理解して頂きたいのです。その理解が貴方をより豊かにして、より自由にするからです。

「総ての覚者はシッディー(神通力、悉地と音写)を持っている」と仰る方がいます。「覚者はシッディーパワーがあるから、他の覚者のオーラを観てすぐ悟る」と主張する人がいますが、それは幻想です。

ババジ猊下によれば、「過去世でシッディーパワーを開発する修行をした人は、覚醒した時、シッディーパワーを発揮する事ができる」と言うのです。

「シッディーパワーの修行をしなかった人は、覚醒後もシッディーを使えない」と仰っています。

実際、私のオーラを見てサマーディー成就者だと悟った覚者もいらっしゃれば、宇宙意識体験の詳しいプロセスを話したことで、私をサマーディー成就者だと悟った覚者もいらっしゃいます。覚者だからシッディーパワーがあるとは限らないのです。

かく言う私も、オーラが見えることもあれば、見えないこともあります。必要な時だけシッディーパワーが発動します。

シッディーパワーは、人を増上慢にしやすいので、危険でもあります。一旦、増上慢に陥れば、抜け出すことは容易ではありません。だから私は「煩悩具足の凡夫」の自覚をして、増上慢に陥らないようにしています。

覚醒とはマーヤ(幻想)から目覚めることです。ビデオゲームに熱中して、ビデオゲームと現実の境が消えてしまった人が、ビデオゲームの世界から目覚めるようなことです。

シッディーパワーは、ビデオゲームの中で超能力を使うようなものです。つまりマーヤの中で超能力を使っているのであって、サイキックの人達はマーヤから覚醒しているのではありません。

昔『マトリックス』という、とてもスピリチュアルな映画がありました。映画の中で、預言者や予言者の弟子である子どもたちが、念力などの超能力を使うシーンがありました。

その預言者達はあくまで電脳世界の住人です。電脳世界から覚醒した存在ではありません。これが覚者とサイキックの違いです。

ユダヤ・キリスト教世界の「預言者」は、神と人々を繋ぐ最高のミディアムです。でも、ヨガや仏教という、インドの優れて瞑想的な文化の中では「予言者」と雖(いえど)も、覚者に分類されません。覚者ではなくサイキックな人に分類されます。

マトリックスの作者はこの点を理解しています。サイキックの人々は、キアヌ・リーブスたちのようにマーヤから目覚めた存在ではありません。マーヤの中に存在する超能力者です。預言者です。

キアヌ・リーブス達は、電脳世界のマーヤから目覚めた存在です。つまりこの映画の中では覚者です。しかも、電脳世界の中で敵を遠慮会釈なしに殺していく電脳世界でのキャラを演じています。

マトリックスは「美人女優はトイレに行かない」というような、アイドル化された覚者のイメージを壊すにはもってこいの映画です。偶像化はどんな場合でも危険です。偶像化は覚者と非覚醒者の間に溝を作ります。

「ヒマラヤの聖者」に憧れを持つ人は多いようです。インド人の信者にもそういう方はたくさんいます。 

本物の信者は、覚者の真実を観ます。覚者がトイレに行き、おならをしても気にしません。インド人は豆を沢山食べるので、女性でも平気でおならをします。みんなそれを気にしません。

ところが日本人は、聖者がおならをするだけで幻滅します。「美人女優はトイレに行かない」と同じような馬鹿げた幻想です。この程度のことで幻滅する方は、覚者にご縁が無い方です。

マトリックスは「悟りのイメージ」「覚者の幻想」を徹底的に叩き壊します。禅の祖師達のように幻想を壊します。

とは言え、暴力を肯定していく思想だけはいただけません。その点は、声を大きくして叫ばねばなりません。それ以外は素晴らしい着眼点を持った映画です。

◎電話線はクンダリーニの象徴

主演のキアヌ・リーブス達は、電話線を通じて現実世界と電脳世界を自由に行き来します。この場合、電話線はクンダリーニの象徴です。現実と電脳世界を往き来できる存在は、如来=如去の象徴です。

但しこれは、あくまで象徴です。真如が映画の中で描写されたような、惨めな現実世界であるのなら、真如には何の魅力もありません。それなら、覚醒になんの希望もありません。裏切り者のサイファーのように、マーヤの世界でセレブな生き方をしたほうが良さそうです。

しかし、サマーディー、ニルバーナ(涅槃)、真如は惨めな現実とは全く違います。至福に満ちた素晴らしい世界です。その点が映画で描かれた「現実世界」とはまったく違います。

現実はマーヤです。この宇宙に物質や物理法則があるからと言って、現実が真実であるという証拠にはなりません。量子力学などの現代物理学の発展によって、現実がマーヤであることは、だいぶ証明されてきています。

「ブレーンワールド」「平行宇宙」などの宇宙論は近い将来実証され、普遍的な概念になるかもしれません。ヨガや仏教で語られてきた宇宙観にかなり近いのです。

私の話を聞いて、眼から鱗が落ちたと言う方もいらっしゃいます。私が黙っていれば、そうはなりません。私が覚醒を宣言したのはそういう理由です。

覚醒した存在が覚醒を宣言するのは、未だ覚醒されぬ方に目覚めて欲しいからです。覚者のエゴを表明しているのではありません。

誰かがサマーディーを成就して、尚且、狂人になっても総ての人が覚者を覚者として認められるなら、覚醒を宣言する必要はありません。しかし、そんな事は不可能です。

古代人は、狂人の中に覚者が存在することを知っていました。だから、洋の東西を問わず、狂人を聖者として敬う伝統があったのです。

「覚醒の光を三次元に持ち込まなければ意味が無い」と仰る方もいます。そのお考えに一部同意しますが、一部できかねます。

先ず、第一に「生死を超える道」を徹底する覚者は、この世界に戻らず、ヒマラヤで修行を続けます。自分を救えない者には他者を救えないことを理解して、自己を更なる高みに到達させたいからです。

この三次元世界に覚醒の光をもたらすことよりも、自己を更なる高みに押し上げたい覚者もいるのです。どうかその自由を認めて頂きたいのです。

この三次元世界に光を持ち込むことを、私は否定しません。ババジ猊下やヨグマタジ、太母様のような覚者のワークを、私は尊敬しています。だから、徹底的に覚者様達のワークのお手伝いをしていこうと決意しています。

でも、世間に出てマスターワークするのが苦手な覚者様達もいらっしゃいます。彼らは世間に戻らず、ヒマラヤで過酷な修行をされています。

私はそういう修行者に、実際お会いしています。その人は、アローンネス(独り在ること)が大好きで、俗人とは関わりたくないのです。

彼らは、覚醒の光を三次元に持ち込む事より、三次元世界を超える道を選択します。

彼らはサマーディーを成就しています。そして、彼が達成したサマーディーより、更に高いステージのサマーディーを成就しようとしています。

いずれの生には、彼ら覚者は三次元世界に戻らねばいけないでしょう。その時に、彼らは衆生済度の為の菩薩行に取りかかります。どうかそれまで待ってあげてください。

私だって本当はこの世界に戻って来たくなかったのです。

「観える方々」の霊視によれば、過去世で私は多くの人々を覚醒の道に誘ったらしいのです。歴史の教科書には必ず出てくる僧侶だったそうです。多くの成功をおさめ、同時に多くの失敗をしたのです。

だから、今生は現世でワークをするよりヒマラヤに留まりたかったのです。しかし、戻されてしまった。戻った以上やるべきことはやります。

聖なるものを敬い、自然を敬い、総てに感謝して生きてきた人々は、障害をもって生まれてきた人々にも、愛と感謝を持って接しました。

しかし現代では、狂人となった覚者は精神病院に隔離されます。現代ほど、スピリチュアリニティーが堕ちた時代はありません。こんなに物質文明に侵された時代はありません。

世間が何を言おうと、言うべきことは言う。やるべきことはやらねばならないと思い続けて来ましたが、聞いてくださる人がいませんでした。こういう思いを伝えれば、友人の多くは私に距離を置きました。近づいてきては離れ、又、新しい人々がやってきます。覚醒に渇きを持ち続けている人だけが、ずっと共に在りました。

私はヒマラヤで、ババジ猊下以外誰も達しえなかった過酷な修行をしました。その為に達磨大師のように半身不随になりました。医者には「後3ヶ月の命です」と宣告されました。

それにもかかわらず、あれから20年間も生かされ、半身不随の身体になるはずなのに奇跡が起こり続けているのは、ババジ猊下やアヴァター様達のお陰です。

しかしながら、今では座禅も出来ない身体になっています。昔のように240日間不眠断食座禅することなど不可能です。

私はヒマラヤを降りて普通の生活に戻りました。だから私は「ヒマラヤ聖者」ではありません。「普通の生活をしている普通の男」です。煩悩具足の凡夫です。

サマーディー成就者ではありますが、「ヒマラヤ聖者」ではありません。私は現在「煩悩具足の凡夫」を自覚して増上慢に陥らないようにしているスタンスでいます。

私に会いに来られる方で、会ってから幻滅されても申し訳ないので、この点ははっきり言っておきます。「ヒマラヤ聖者」と言えるのは、ババジ猊下とヨグマタジです。日本人ならヨグマタジに教えを請うのがベストです。

◎アセンション=次元上昇

私は小さい時「ノアの方舟」の話を読んで思ったものです。どうして、人は神とノアの言葉を聞かなかったのか?どうして人々はノアの必死の思いを、嘲り、笑い、馬鹿にしたのか?

人々は、歌って踊って享楽主義的に生きた。歌い、踊り、楽しむのは悪くない。その上、自然を愛し、人を愛し、感謝し合うのなら申し分ない。それなら神も人類を滅ぼそうとはしなかったでしょう。

だが神はノアの家族と、つがいの動物達以外のすべてを滅ぼしました。大洪水の日、世界は阿鼻叫喚の地獄になりました。人々は泣き叫び、助けを求め、神やノアに赦しを請いましたが、ノアには何もしてやれませんでした。ノアとその家族は何も出来ない自分達を責めましたが、どうしようも無かったのです。神は地獄に堕ちていく人々を助けませんでした。

ノアの方舟はアセンションの象徴です。とするならば、アセンションされる方はそう多くはいません。そう思える方だけが、修行の道に入ります。瞑想の道に入ります。

どうぞそのような人たちを、温かい気持ちで見てあげてください。ジャッジして救いの網から漏れるようなことをしないでください。

すべての覚者様達は、総ての人々に祈っています。

私はババジ猊下や、ヨグマタジや、「12,000年肉体を変えながら生きている」と言われる、マハ・アバターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アバターラババ)や、同じくアバターラ・ギリ・ババジにサマーディーを認められながら、今まで少数の弟子の指導しかしてきませんでした。

何故なら、私は多くの人に指導できるタイプではないからです。過去世の私は多くの方々を指導したようですが、多くの失敗をして、たくさんの反省もしています。今生の私は、己のサマーディー成就を最優先しました。

ですので、本当にサマーディーを成就したい方には日本人ならヨグマタジのところに行かれることをお勧めしています。

ババジ猊下は“2000万聖者の最高峰” “現代の仏陀”と呼ばれる最終サマーディーヨギです。猊下は超多忙な方で、人類を覚醒させるために世界中を飛び回っています。従って猊下の直接指導を受けることは現在とても困難です。

以前は、私がランニングする【サンカルパヨガ・ファンデーション】を立ち上げる為に、「ヨガ&サマーディーリトリート」を引き受けてくださいましたが、現在、猊下は超ご多忙ですので、お会いすることは物理的に困難です。英語が話せなければ、講話も理解できません。

そういう理由で、私はヨグマタジにご指導願うのが日本人にはベストだと思っています。私はヨグマタジへの架け橋になればそれで結構です。

私はOshoコミューンでもエンライトを認められ、総てのグループやコースにアシスタントかヘルパーとして無料で参加できる特権をいただきました。或いはOshoの図書館に自由に出入りして、書籍を自由に読める特権を頂きました。それはOshoコミューンでは二人しか貰えない特権でした。私は、コミューンで密かに作られたエソテリックグループ(秘教サークル)の最初のメンバーに選ばれました。

但し、私のエンライトを認めた方々はサイキックな方たちでしたが、エンライトした方達ではありませんでした。

従って、私は彼らの承認を私の覚醒の根拠にはしていません。ただ、結果的にですが、私にヒマラヤに向かう道筋をつけてくださったことには感謝しています。

私は覚者に会うためにOshoコミューンを出て、北インドに向かいました。色んな偶然が重なり、導かれるようにババジ猊下にお会いしました。有り得ない偶然が重なり続け、私はヒマラヤの聖地で猊下にお会いできました。

猊下にお会いして1時間後に「貴方は公開サマーディーの準備が出来ている」と言われました。

そして私は、ヒマラヤでの瞑想生活をエンジョイしました。内側での美しい世界に在れたことは、私の生涯で最も素晴らしい存在からのギフトでした。

申し訳ないけれど、世間に出て解脱を宣言する気になどなれませんでした。疑われ、ジャッジされ嘲笑されてもなんとも思いませんが、けっして楽しくはありません。自分の内側の世界のほうが、三次元世界より数兆倍も素敵でした。

しかし、猊下は「240日間不眠断食座禅」で死の直前まで行った私の瞑想を止めました。

私を世間に戻したのは猊下です。猊下は私に「貴方はサマーディーを成就した。今度はその恵みを人々にシェアしなさい」と申されました。

しかし、「シェアして欲しい」と望む方は中々現れませんでした。2018年、ご縁のある方から熊野で瞑想指導をお願いされてから、状況が激変しました。私はFacebookを公開しました。全国から私に瞑想指導をお願いする方が増えてきました。

私は240日間不眠断食座禅以後、後3ヶ月の命と医師に宣言されながら、18年間生かされてまいりました。瞑想のしすぎで一生半身不随になると医師に宣言されても、奇跡が起こり続け歩行できています。総てはババジ猊下やアヴァター様達の法力によるものです。

 

 

 

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