2022年富山リトリート(初級)体験談 No.8

2022/6/3

2022年5月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリートat富山(初級)の体験談をご紹介します。

ウラ夕起子様
現地スタッフの皆様、参加者の皆様、スワミ師、ババジ猊下、アヴァター様方、ありがとうございました。
スタッフや仲間との温かい交流、そしてアヴァター様やスワミジ師の導きや大いなる力がどれだけわたしを支えてくれていたのか、そしてそれをどれだけわたしは受け取れていなかったのかを実感する反省と感謝のリトリートでした。
美しいロケーションと可愛い花々、ウグイスや小鳥の声、清々しい山の空気に抱かれてのびのびと心が開放されるような素晴らしい会場でした。
また美しい彫像や曼荼羅に囲まれての瞑想も静かで神聖な気持ちを呼び起こし、皆さんもサイレンスに入りやすかったと思います。
静かで穏やかな空気が漂っていました。
わたしにとっては初めての会場で、夜の宿泊棟にはわたしともう1人しかインストラクターが居ないので、参加者の人達に連絡が行き渡らなくてお風呂の順番やアルターを毎日片付けることが毎回スムーズにはいかなくて、苦手な対応力が試される気がしました。
それでも参加者の方はどんどん自発的に動いて助けてくれました。わたしよりも遥かに器用で賢い方たちがいるのだから、最初から1人で抱えずにこうやって助けてもらえば良かったのだと思いました。
頼れなくて1人で抱え込み、消耗してしまいがちだった過去のわたしはなんであんなに苦しんでいたんでしょう。
仲間である参加者をお客様のように扱ってしまうことで成長した姿に気が付けなかった。
初期の頃には「ご飯まだ?」「お風呂は?」「車は?」とクレームをされることもあったのですが、そんなこともありませんでした。
わたしはずっとそんな過去の記憶に振り回されて文句を言われないようにという恐れで動いていたように思います。
みんな親切でした。アイディアを提案し、気持ちよく動いてくれました。
わたしの身体をケアしてくださる方もいました。
とても助かりました。ありがとうございました。
現実は自分が作るとしたら、わたしは少しは人を信頼することができたのでしょうか。
工場で働いていたことで日常に巻き込まれ、自分がどれだけ波動を落としていたのかも残念ながら実感しました。
去年の夏のコロナ後遺症で浅い呼吸しかできなくなったこともあり、瞑想に前ほど深く長く入れなくなっていました。
自分が参加者のお風呂の時間とか会館の職員の方と約束したお昼の時間とかお支払いいただいた実費の整理とか、リトリートのことではあるのですが、そういうことにとらわれていたこともスタッフとのやり取りでこっそり気付き、密かに恥入りました。
参加者の人たちはおもてなしを受けに来ているのではなく「覚醒を求めて」来ているのだから、時間を守るよりも、一歩でも覚醒に近づけるように瞑想時間をたくさん取れるように、良いエネルギーを保持できるように、スワミジ師がリードする流れをうまく作れるようにすることが1番大切なのです。
そんなエゴの部分の自分を観て手離すために、最初の2日間は浄化のための時間のようでした。
至らなさ、ダメさ、甘さ。
無意識であること。
カップをお尻の後ろに置いてしまい、講和中に落として大きな音を立ててしまいました。
「瞑想性がないからだ」とスワミジ師におっしゃられ、その通りで恥ずかしく悲しくなりました。
エゴの話、一瞬の大切さ、自分を愛することなど今回の講話はとても深く心に染み込みました。
これまでどれだけ自分が無自覚でいたのか、至らなかったのか、気がついてしまい申し訳なく悲しく辛かったです。
消えてしまいたい。
空っぽになりたい。
そんな風に瞑想に入りました。
すると右側に女性の存在が(見えたわけじゃなくそう感じました)がやってきました。
白いローブドレスに小さな星々の模様がついた黒い前掛けのようなものを着ていて、そっと優しくわたしの右肩に触りました。
何かを言われたわけではないのだけれど労られたのだと思いました。
今度は左側にオレンジ色の存在が来ました。
「これはスワミジ師だ」と感じました。
いつものアストラル体のスワミジはわたしの肩甲骨の真ん中、ハートの後ろのあたりに手を置いてくれました。
自分の至らなさを恥じたけれど、そこで自分を責めたり、いじけたり、腐ったりしないで、ただこれから精進すればいいのだと思えていることは、サンカルパヨガを続けてきたお陰かもしれません。
自分を変えてもらってきたのだと思いました。
スワミジ師とは2018年冬からのお付き合いですが、わたしが覚醒の意志を持ち続ける限り至らないことがあってもスワミジ師はここにいることを認め許してくださってきました。
わたしはその慈悲や深い愛を側で見てきました。
有り難いなあ。どれだけ与えられているのか何も分かってなかった。涙が出ました。
諏訪仙人さんがスワミジ師が覚醒を求める人々のために自ら自然にカルマを引き受けて下さっていることを話してくださり、再確認しました。
自分のエゴのせいで見えていない恩寵がどれだけあるのだろうかと思いました。
スワミジ師やババジ猊下やアヴァター様は惜しみなく与えたいのだと思いました。
振り返るといつも見守られ導かれてきました。
素晴らしい出会いや良いご縁が与えられてきました。
こんなわたしにこんなにも愛を注いでもらえてきたとはなんて恵まれていたのだろう。
「わたしが」「わたしらしさが」「世界は完全だ」「全ては愛だから心配いらない」「今の生活を愛する」とエゴが抵抗する。
「地に足をつける」「生活が大事」と言いながら世間一般のスピリチュアルな人たちの優しい甘い光のように聞こえる言葉がどれだけ自分のエゴに都合が良いのかを思う。
覚醒という地球からの輪廻転生脱出は精神性の進んだシリウス出身の方でさえ25000年かかっているらしいと聞いて、エゴの巧みな罠が地球に踏みとどませようとする力の強さに驚く。
そうやって自分で掴み取れなくしている恩寵、ギフト。
やっとここまできて、そこから飛び出す方法を知って、それを助けてくれる方にも出会えているのだ。
そうそう、深く出来なかった呼吸も3日目にはコロナに罹る前のように出来る様になっていました。
移住は今は出来ないですが、必要ならばこの生活を変えるべき時が否が応でも来るだろうと思います。
とても愛してくれたように見えていた前の夫に突然、離婚を言われたように。
アヴァター様や大いなる流れを信じて抵抗せず全ての起きてくることにただ委ねていこうと思います。

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