
2025年11月アシュラムリトリート体験談
5日から25日間の寝ない、横にならない、食べない、無心のサンカルパヨガスタイル四無行で25日間達成されました。
Satyaprem Giri 様
4週連続でサンカルパヨガ瞑想リトリートが開催され、希望者さんに毎週ディクシャをお授けするお手伝いを致しました。この様に沢山の求道者の方々が参加され、そして最長25日サンカルパヨガ式四無行(寝ない、横にならない、食べない、無心)を達成された皆さんのお姿にとても心が熱くなりました。瞑想リトリートに参加された皆さん一人一人の人生が輝きを増して行かれますことを心から応援しお祈り申し上げます。
今回はセヴァをしながら断食を継続し、更にプラクティス、瞑想と、まさに出家者らしい大変充実したサーダナ(修行)をさせて頂きました。
会話もせず、人と交流せず、ただひたすら瞑想をぶっ続けでする心地よさは2年前の100時間を達成した時に体験させていただきました。
今回はその時とは違い、徹底的に瞑想的にセヴァをする、四六時中瞑想的に行動するというトレーニング(出家者的に言うとサーダナ)を25日間もさせてもらえるなんて!本当に有り難い期間でした。
※※※
第1週目のリトリート二日目にして、なんとスワミジ様の腰痛が大変悪化してしまい急遽私は1日中スワミジ様の介助セヴァとなりました。参加者さんのお辛い腰のヘルニアを引き受けられたのが翌日わかりました。参加者さんに整体の先生がいらっしゃったのでとても助かりました。その後少しずつ回復され5日目あたりには一人で(杖は必須ですが)ようやく歩けるようになりました。リトリート中にスワミジ様がサンカルパヨガ実践中にレクチャーに参加できなかったのは今回が初めてで、更に私もあまり参加できなかったのも初めてでした。しかしスワミジ様がそこへお顔を出せなくとも、アシュラム全体にスワミジ様の慈悲のエナジーが満ちており、スワミジ様はアストラル体で毎日皆さんをケアされているのが分かりました。そしてスワミジ様を信頼してくれている参加者さんだからこそ皆さん立派にサンカルパヨガ瞑想をする事が出来たのだと思いました。また私が居なくても瞑想レベルが高い先輩達が初めての方々にサンカルパヨガをしっかりと教えてリードしてくださって何の問題もありませんでした。
第2週目が始まった頃にスワミジ様は歩くスピードも大分回復されました。そして第2週が終わる頃私は前回の瞑想リトリートの最長期間の12日を迎えました。第1週目から参加している方は沢山の浄化が第1週目に出て、第2週目を達成した頃にどんどんと皆さん一人一人のペースで霊的成長されて行っていました。
第3週目、私にとっては折り返し地点に入りました。プラクティス中、瞑想中に降りてきた?言葉が沢山ありました。いえ、それだけではなくて、沢山のビジョンも出て来ました。
◆ヴィジョンのお話
スワミジ様のご講話での言葉は耳や知識で受け取るものに留まらないのは前から体感していました。それは光、そして光は叡智であるというのは自分で体感したのはもう2年以上前でした。しかし今回はこの世界に存在するものを知覚、受け取るのは五感だけに留まらないんだなぁと気付きました。音だからと言って耳だけで、あるいは絵だからと言って目だけで受信しているんじゃないと感じたんです。全ては、、、言葉で表現できないのですけど、、、机とかそんな物質から気と言うかそんな物質でもないそれらまで、全部光、、、か分からないけど、細かいつぶつぶ?なのだと感じた、気づいた?んです。だからそれが目で受信しようとすると光とか物質とかと認識し、耳で受信しようとすると音と認識する、、、。
それともう一つ
スワミジ様のお話を聞いていた時、話している内容の答えというか、この世界の事象の答えのビジョンでした。沢山あり過ぎてぱっと例をあげられないのですが、それらが本当に第一週目からずっと色々出てくるので「何で色々と分かるんだ?これがマインドトリップかな。サイキック能力ってこうやって成長していくんじゃないかな」と思い、無視し続け誰にもこの事は伝えませんでした。だってこの世界のあらゆる事象の答えや意味が分かったとしても、それはサマーディへのヒントや答えじゃないと思ったからです。あくまでもこの世界のお話だからです。更に、私が見た答え達がもし合っていたとしたら、もしくはある意味私は悟ったとしたら、きっと私はその事を忘れないと思います。今思い出せないということは、きっとそれはマインドで分かった気になってるだけの事だと思いました。それらのビジョン達は素敵でしたし、そのビジョンひとつひとつを見た時に全て言葉にしたら面白かったかも知れません。が、それらは高速でビジョンが切り替わるので話すスピードでは追いつきませんでした。そのビジョン達にうんざりして吐き気がしてイライラしていました。
◆プラクティス中、瞑想中に降りてきた言葉のお話をします。
①口鼻で呼吸しなくてもこの身体を維持できる
この言葉が降りてきた後考えてみました
↓
エナジーを外側に大きく使う時、つまり五感を動かす時に呼吸を必要とするってことかな?
②はるか昔私達には睡眠と言うものは無かった。呼吸も必要無かった。水の中でも生きていた。
この言葉が降りてきた後考えてみました
↓
瞑想をして充電をする。目を瞑ると言うのは睡眠も同じ行為。目を瞑ると今の私達は睡眠に行ってしまう。しかし本来は目を瞑ると瞑想へ行くものなのだ。その分かれ道を見つけて、それを思い出すんだ。
③もうこれ以上死を悲しむのは終わり
この言葉が降りてきた時、私は息を止めていましたが涙が溢れ息を吸いました。
ここ最近知り合いの方々が身体を離れられたというお知らせを何件も聞きました。このように私達は死を目の当たりにし、見聞きし悲しむのを繰り返しています。その度に「今度は悔いのない様に生きよう」とか色々悔む訳です。それを何度となく繰り返してはまた気づかないうちに死んでるんです。死を悲しむ事をもうやめたいと心から思った瞬間でした。そもそも死は幻想なのだから悲しむことではないと教えてもらいました。私達は生死を越えた所に本来居たのに、そこからどんどん離れた結果この物質世界に落ちて劣化して泣いている。還っておいでと教えてくれているのが覚者様です。
④この世界の当たり前な行為とサマーディへの行為は真逆だ
この世界で生きる→息を吸う
サマーディに還る→真空、息はない?
この世界(肉体)の充電、休養→食物を食べる、眠る
サマーディは究極の休養、充電で、食べ物も睡眠もむしろ邪魔
この世界を感じる→五感、六感を使う
内側の世界を感じる→五感、六感は邪魔でそれを休ませる無くす無心になっていかないといけない
つまりこうして私達は神様だったところから人間になって、動物化が進んでいる訳ですね。むしろ動物の方から学ぶ事が多いと感じます。
⑤内側の世界へ進みなさい。
↓
この言葉が降りてきた後考えてみました
目を瞑り座りはじめる→皮膚感覚、耳、内臓機能が敏感になる→五感が繊細になると同時に外側への意識がある意味強くなる。外を感じたがる。食欲、音、色、言葉、動きへの欲など。
それらをいくら取り入れても、取り入れた時を忘れてまた欲しくなる。感覚つまりマインドは忘れん坊。常に動いて、存在し続けて欲しい。
しかし
内側の世界をちょこっとでも、ひとたび知ったら、その世界がとんでもなく広く果てしなく、そして美しく、素晴らしいものだと分かってしまったら。五感で感知できる物質世界(外側の世界)はこの肉体構造に備わったレベルで映し出されるシュミレーション世界だとはっきり違いが分かってしまいます。
カメラのレンズを覗いて対象にピントを合わせる、あの感覚。ピントを合わせるとその世界が知覚できる。レンズ次第で知覚できる世界は変わる。そんな粗大な、小さな世界なのですよ。しかし自分の感覚が浄化されると知覚できる世界は真実にどんどん近づくんだと体験をもってそう思います。だから神秘体験を知覚し、見たり聞いたり体験をするのだと思います。
話が外側の話に展開していってしまったから、内側の話に戻します。
まだまだ内側へ進もうとしていない。
全ての流れは内側へ向かっていくものなのです。内側の目で見ていく。内側から、あるいは上にチューニングしつづけて生活するというのを今回掴んだ気がします。だからリトリート中に特にババジ猊下のお言葉が貰えたり、気づきが沢山起きるし、言葉が降りてくるし、サードアイも強くなるのかなと思いました。
今回はその「内側の世界に進む」目を瞑って内側へ行こうとトライしてるのに、ボーっと座っていると(無意識に)私はいつも外側にベクトルが向いていると改めて気付きました。これは肉体の、五感習慣だと思いました。
また瞑想は起きるもの。だからその前段階として肉体、五感のシステムの反応を徐々にゆっくりにして最終的には止まるようにして行くんですね。様々な欲求からも離れます。止まった時に無心が起き、そこから瞑想が始まっていくのかなと感じました。断食は食べることの習慣、味などの好み等の欲求から離れていく。
耳栓をする事は耳断食で、つまり音や音からの意味を摂取する事から離れていく。アイマスクは目の断食。光を見たり色を見たり、物質を見てあれこれ考えたり、感じたりすることから離れていきます。動かず座ることは触覚の断食になるかな?温かさ、寒さ、肌触りなどへのこだわりからくる不満等も此処で手放して行ける気がします。会話をしない、人ととやたらと目を合わせないのは人とと関わりたい、外側のことを知りたい、誰かに聞いてもらいたいという外側コミュケーションの欲求から離れていくトレーニングになります。
未覚醒の方々の会話にはどんな内容であっても、必ず話を聞いたり話してエネルギーを受け取り満足したいという欲が入っています。これは音が奏でることのできる生き物にだけあるツールです。人間以上に鳴き声(会話)でコミュケーションを取る生き物は居ないんじゃないでしょうか。動物達は自然とテレパシーや、全体と繋がる連帯のセンサーがありそれで理解している。人間にもそれはあったのに劣化したんだと私は強く感じています。
リトリート中に向かうところは内側なんです。内側内側って何度もスワミジ様に言われてるのに、私今回ハッとやっと気づきました。とにかく座り続けて、五感の反応に流されず、マインドの反応(過去のことを思い出させてループ映像を流したり、喜怒哀楽がバーストしたり、変な夢を永遠と作り上げたり等など)にも引っ張られず、ただただこの肉体が何かをしようとする動きを放っておく。するとマインドが飽きてきて、音を上げはじめ、動きがゆっくりになる。最初の時はマインドや肉体の疲れのために寝落ちしてるかも知れないけれど、それがある程度落ち着くと眠りとは違うシーンとした状態に気づくことが出来てくる。この様に様々な断食をして、さらにサンカルパヨガを通じて六根清浄(それ以上の浄化力があるのは体験済み)を進めて、覚醒していく方向転換させる為に習慣化させる必要があるわけです。
二十五日間のリトリートはその点について、かなり習慣化させてくれました!
◆その他の出来事
その①
第二週目頃から第四週目まで有難いことに様々な神秘体験をしていました。それが起きる時にはいつも感謝と温かいハートが広がっていました。ここに記録しておきたい出来事が起こったのは第四週目の瞑想中、あれは一人で一階のガイアスペースで夜中瞑想をしていた時。いつものようにリラックスした姿勢と座り方で、お陰様で今回はどこも痛みが無く、気分もハイでもローでもなくとてもナチュラルに座り続けていた時、意識は眠いようなトロンとした状態、でも寝てはいませんでした。予想もせず突然第1のチャクラ: ムーラーダーラ・チャクラから法悦エナジーが一瞬で稲妻のように上昇しました。その出来事は意識して起きたものではないのでジワジワと来る感じは実感としてありませんでしたが、今思い起こすとスワミジ様のお姿のビジョンは見ていました。起きた瞬間にびっくりして目を開けて咄嗟に周囲を確認しました。この状況を誰か見ていたら、私が変な動作や声を出していなかったか恥ずかしくなって(笑) それとこの事象が三次元かどうか一瞬分からなくなったので。この出来事は一瞬で起きて一瞬で終了したようです。
法悦の体験は何度かありますが、毎回予想せずに起こりますし、どれも異なっている体験です。
2021年私にとって5回目の瞑想リトリート参加の瞑想中に初めて法悦体験をしました。下記がその時の体験談ですが、恥ずかしくて誰にも言えなかったのに、シェアリングで全員の前で参加者さんに質問されてしまい答え合わせになってしまいました。
その体験の内容を具体的にスワミジ様に相談したのはだいぶ日が経過した後だと記憶しています。
その時にスワミジ様が教えてくれたのは「その体験を否定する必要はないよ。そういう体験をした自分に何故自己嫌悪したりするの?瞑想中に起こる幸せな気持ちや気持ちいい体験を何故そのまま受け入れない。何も心配したり嫌悪したりすることはないんだよ。その体験を止めてはいけない。Sallyはトラウマが深いからそれを受け入れるのに時間がかかるかもしれない。誰の批判も気にするな、その批判する人は体験をしていないから嫉妬しているんだろう。何も気にするな、Sallyは笑えばいいんだよ」
この辺の体験と、更に去年の体験はまた別で体験談を書かせていただければと思います。
その②
ババジ猊下のサマーディの映画を観る度に、私のおじいちゃんであるババジ猊下(ダダグルジ)はトップの神様なわけなんですよね!!
神様は私達を連れて還ってくれる為にこの世界に来てくれている。今は私のお父さん(グルジ)、スワミジ様の肉体を使って私と共に過ごしてくれている。こんな自慢できること世界中で無いよなぁ。と今回のリトリートで気付きました。
私はスワミジ様にこんなにも引き上げてくださっているのに、相変わらず自分はいつも外側ばっかりになっていたことに第4週目に入って気付かされました。
「あぁ、本当に私ってこのレベルなんだなぁ。情けないけれど誤魔化せるものでもないし。自分の最大限で努力するしかないな。本当に引き上げてもらえるのは有り難い事だなぁ、ミラクルだなぁ」と感謝ばかりです。私は去年の神秘体験以降、スワミジ様のブレッスィングに包まれ続けていて、一人で居ても、常にスワミジ様の事が分かる様になって来ました。覚者であられるスワミジ様の意識、考え方、この世界の見方が日々認識出来るようになって来ている事はとても有り難い事です。
誰かに言われた言葉
「テレポーテーションとか水の上を歩けるとか、生き返るとか、インド人の達人には興味ないから。それよりも苦しんでる人たちをどうやったら助けられるか、幸せに暮らすことができるかでしょう?」
インド人の覚者様方がどれほどレベルが高いかなど、情報がないから日本人がその深みを知る機会は多くは無いので仕方ありません。覚者様方や神様への愛を普通の日本人には理解出来ないでしょう。
内側の世界に入り、歩みを進めなくては、本来の幸せには辿りつかない。というか、内側に入らないと、この世界の事に対してひとつも分からないと思います。この「分からないという事が分かった」人は瞑想の道に入るのではないかなと感じます。私が唯一スワミジ様やババジ猊下にお礼出来ることは、私の覚醒だけだと思います。スワミジ様やババジ猊下の事を批判する人に対して、私が成長した姿を見せることで、サンカルパヨガ瞑想の大切さをその人達に知ってもらいたい。
次回はもっと内側の世界に進んで行きたいなと思います。
ありがとうございました。

