私がバグワンに「OSHO(和尚)」という名前を提案した経緯 改訂版

私がバグワンに「OSHO(和尚)」という名前を提案した経緯 改訂版

1.OSHO(和尚)コミューンとの出会い

私が初めてOSHO(和尚)コミューンに行ったのは1988年12月8日でした。奇しくもその日は、釈尊(お釈迦様)が覚醒した日と言われています。

実は、私はOSHO(和尚)の信者ではありませんでした。OSHO(和尚)がエンライトメントを宣言していたので、それが本当かどうかこの眼で確かめたかったのです。仏道を歩む者として、彼が真の覚者なら何が何でも会わねばなるまいと思っていました。

コミューンに着いて手続きを済ませると、すぐにジャパニーズ翻訳部からお声が掛かりました。入所時の書類の職業欄に「僧侶・仏教研究者」と記入したのを見て、声を掛けてきたようでした。

私に声を掛けたのは日本人の翻訳者でした。彼はこう言いました。

「バグワン(和尚)が病気で長い間療養生活をしていますが、最近体調が良くなり、もうすぐディスコースに復活するという情報がありました。バグワン(和尚)は日本の禅が好きで、日本の禅を講話に取り上げています。実は今、バグワン(和尚)が要望していた禅の漢文経典が日本から届きました。しかし、漢文経典はすべて白文で書かれています。我々には何が書かれているのかさっぱり分かりません。貴方は仏教僧で研究者だと聞きました。翻訳のお手伝いをしてくれませんか?」

私はこう答えました。「同じ仏教といっても宗派によって全く考え方が違います。お役に立てるかどうかは分かりませんが、お手伝いできることがあればさせていただきます」

それから数日して、ある日本人女性が私にこう言いました。「バグワン(和尚)の弟子になって仕事をすると、ゲートパスやフードパスが貰えます。どうせ手伝ってくれるなら、弟子になりませんか?」

彼女がそう仰るので、深く考えもしないでその申し出を承知しました。私はバックパッカーだったので、経費が節約できるのは有難かったからです。そしてそれが結果的には良かったのです。おかげで私は浄土真宗という信心の道を維持しつつも、瞑想の道に入りました。それまで瞑想をしたことのない私としては新たな一歩になりました。

12月25日が私のテークサンニャスの日になりました。テークサンニャスとは、仏教風に言えば得度です。

12月25日とミトラ信仰

因みに、12月25日がキリストの誕生日と思っておられる方も多いようですが、実はキリストの誕生日は不明です。一説には、古代ローマのミトラ教のミトラス神の誕生日に冬至を祝う風習があったので、その日をキリストの降誕祭にしたとされています。

ミトラス神のルーツは、その名前から分かるように、インド・イランの共通神ミトラがヘレニズム文化を介して地中海世界に組み込まれたと考えられています。インドのミトラ神のミトラ(Mitra)はサンスクリット語(梵語)です。

Mitraはヒンディー語やローマ字発音だとミトラとなりますが、梵語や英語ではマイトレーヤになります。イタリアも日本もローマ字発音をします。例えばOrionはローマ字読みだとオリオンですが、英語だとオライオンと発音し、Lionはリオンではなくライオンとなります。

面白いのはインド英語にもローマ字風の発音があることです。言語学は専門外なので正確なところは分かりませんが、日本語の50音を表記する時、日本の学者が英語ではなくイタリア語(ローマ字)にしたのは、50音がインドの梵語(サンスクリット語)を原型とすることと関係していると思われます。

日本語の50音は梵語(サンスクリット語)の簡略系です。梵語には「あいうえお」などの母音は勿論のこと、「キャキュキョ、シャシュショ」のような拗音まであります。日本の50音はインドの梵語のアルファベットから来ているということは仏教研究者や言語学者には常識です。

しかし、和尚(おしょう)という発音が禅宗などの訛りで、普通はワジョウとかカショウと発音することを知っている日本人が少ないのと同様に、50音が梵語から来ていることさえ日本人の多くは知りません。

そればかりではありません。ヒンディー語と日本語の語順はほぼ一緒なのです。

例えば「私の名前はスワミです」をヒンディー語で言うと「メラナーム スワミ ヘイ」となります。「メラナーム」は私の名前、「ヘイ」は日本語の「です」に相当します。

このように日本語とヒンディー語はどちらも SOV型(主語‐目的語‐動詞) と聞いています。

閑話休題

メラナームはMy nameで、メラが英語のMyのルーツにあたる印欧語なのは分かります。ドイツ語でNAMEはナーメと発音します。

Nameをローマ字読みにするとナメで、日本語の名前と似ていますがこれは偶然のようです。

まだあります。実は日本語の多くがインドの言葉から来ています。勿論仏教のお陰です。檀那、尼、阿吽、最近はアヴァターなど枚挙に暇がありません。

インド人やネパール人が短期間で日本語を覚えるのは、50音がインド発生のアルファベットで、語順が一緒、しかも仏教の影響で日本語になったインド語が沢山あるからなのです。

少なくとも梵語の発音はローマ字音に近い気がします。例えば、AIUEOは英語では「エー、アイ、ユー、イー、オ」に近い音ですが、梵語では「あいうえお」に近い音です。

ミトラとマイトレーヤ、メシアと弥勒

ミトラはパーリ語ではメッティア(Metteyya)となります。メッティアはヘブライ語でマシアハ(mashiach)、更にギリシャ語でメシアス(messias)に変化します。日本ではメシア(救世主)と言う発音として知られています。

英語や梵語(サンスクリット語)ではミトラはマイトレアと発音します。

ローマ字でリオンが英語ではライオン、オリオンがオライオンと発音されるのと一緒です。

イランのバクトリア語系ではミトラはミロ(Miro)神と呼ばれ、そのMiroを中国人は弥勒と音写しました。仏教における弥勒は56億7千万年後に救済仏となることを釈尊が予言した菩薩です。弥勒は菩薩であって、ミトラ神やミロ神などの神ではありません。

大乗仏教では六道輪廻という考えがあります。六道とは地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の世界で迷いのサークルです。天とは神の事です。ギリシャ・ローマ神話の神のように、超能力を持っていても強烈なエゴから自由ではなく、他の神や人間を支配する神は悟った神ではなく、迷いの存在であるから、輪廻から解脱しないといつかは地獄に落ちます。

この迷いの輪廻から離れた存在が菩薩ですが、まだ完全な悟りを得ている存在ではありません。仏になって完全な解脱(絶対的自由)が成就するとされています。完全な解脱を達成することを成仏と言います。成仏とはブッダ(覚者)になるということです。従って死んだくらいで成仏はできません。気の遠くなるような長い修行を経てやっと成仏します。覚醒します。

マイトレーヤが仏教やヒンドゥー教、キリスト教などの宗派を超えて救世主と考えられているのは、弥勒菩薩の未来救済者的性格によるものですが、仏教者から見れば未だ悟らぬミトラ神と同一視されるのは困るという研究者もいます。

 

2.バグワンの名前を捨てる宣言とニューネーム騒動

私がOSHO(和尚)の弟子になった翌日、1988年12月26日にOSHO(和尚)は長い療養生活から戻り講話を始めました。そこで彼は「私はバグワンという名前を捨てる」という宣言をしました。そして新しい名前を、なんとマイトレーヤ・ザ・ブッダにしたのでした。

弥勒菩薩は釈尊に「56億7千万年後に仏陀となり世界を救済する」と予言された「未来救済仏」です。釈尊の弟子だった当時は仏陀の一つ手前の菩薩の位でした。それを「仏陀としてのマイトレーヤ」と宣言したのだから、多少なりとも仏教を学んだ者なら「自分は弥勒菩薩だった。この度、完全に覚醒して世界を救済する弥勒仏になった。私は救世主だ」と宣言したと理解します。事実、OSHO(和尚)は「56億7千万年というのは計算違いで、本当は2500年後だ」と言いました。つまりOSHO(和尚)は自分をマイトレーヤだと宣言したのです。

仏教僧だった私はその講話を聞いて、正直腰を抜かしそうになりました。しかし翌日、OSHO(和尚)はすぐに名前を変えました。バグワンという名前を主張したことで昔からずっとバッシングを受けていたから改名したのに、自分が救世主だと主張したら同じ轍を踏むと考えたのだと言う人もいます。それが事実かどうかはOSHO(和尚)自身何も語っていないので不明です。

彼はその翌日も名前を変えました。そして、その翌日も。結局、毎日名前を変えて、6日目の12月31日に「私をラジニーシと呼ぶだけで良い」と宣言して、ニューネーム騒動は終わりました。

 

3.私がOSHO(和尚)という名を提案する

年が明けて1989年1月7日、私がコミューン内を歩いていると、ある日本人女性が私を呼び止めました。それは昭和最後の日でした。彼女は私にフードパスの話をしてテークサンニャスを勧めた女性でした。その人はウエスタナー(西洋人)の女性と一緒でした。

その日本人女性はウエスタナーの女性を示し、こう言いました。「彼女はコミューンの上層部の方です。貴方に聞きたいことがあったので探していました」

ハーシャらしき女性からの質問

後で皆さんにその日本人女性のことを聞くと、OSHO(和尚)の国際秘書のハーシャの更に秘書的役割をしていたと言うのです。ですので、一緒にいた女性はハーシャに違いないと翻訳部の日本人は言っていました。

ハーシャらしき女性は私に尋ねました。「貴方は日本の仏教僧ですね?日本ではプリーストのことをなんと呼びますか?」

私は答えました。「色々な呼び方があります。和尚とか、坊さん、坊主とか、住職、院主さん等たくさんあります。宗派によっても呼び名が違います」

すると彼女はこう言いました。「これから私が言うことは、当分極秘にしてください。貴方も知っているように、バグワンはその名前を捨てて、毎日名前を変えました。彼は最後に私の事をラジニーシと呼んで良いと言いました。しかし、我々は彼をラジニーシと呼びたくはないのです。我々は新しい名前を彼に贈りたいのです」

「新しい名前には3つの条件があります。

  1. バグワン(最高神)のような特別な名前ではなく、もっと普通の名前を贈りたい。
  2. 彼は日本の禅が好きなので、日本の禅に因んだ名前を贈りたい。
  3. ヤフーの代わりになる名前を贈りたい。

この条件に合った名前はなんですか?」

私の回答:「それなら和尚しかありません」

私は即座に答えました。

「それなら和尚しかありません。和尚という字は、普通『わじょう』とか『かしょう』と発音します。ところが禅宗では『おしょう』と訛って発音します。従って、日本の禅に因んだ名前という条件に該当します」

「第二に、和尚という呼び名は本来は位の高い僧侶についた名前です。ところが現在、日本で「お寺の和尚さん」と言えば、普通のお坊さんのことを示します。日本人は親しみをこめて他宗の僧侶に対しても『和尚さん』と呼びます。だからバグワンのように特別な名前ではないという条件に当てはまります」

「仏教用語はパーリ語かサンスクリット語由来のものが多いのです。和尚という言葉はおそらくパーリ語かサンスクリット語から来ているでしょう。しかし私は旅先で辞書を持っていません。後で語源を調べてください」

「三番目の条件です。ヤフーの代わりにということですが、日本人からすると、バグワンに向かって『坊主!』とか『坊さん!』『住職!』とか叫ぶのは違和感を覚えます。サウンド的には『和尚!』が一番良いですね」

4.OSHO(和尚)の名前採用

私がこう話した1か月後に、バグワンは「OSHO(和尚)ラジニーシ」という名前を採用しました。OSHO(和尚)はこう語りました。「この名前は、極東の国(日本)の禅僧の名前に因んでいる。バグワンのように特別な名前ではなく普通の名前だ。何より『OSHO!』というサウンドが良い」

OSHO(和尚)は私の勧めた理由を総て了承してこの名を採用しました。私は世界的に有名な神秘家の名前を提案したことが嬉しくなって、OSHO(和尚)との心の距離を一挙に縮めました。

後で翻訳部に所属していた日本人から聞いた話ですが、ジャパニーズ翻訳部にも当然この話は来ていたそうです。従って「和尚」とか「坊さん」とかの案は出ていたけれど、皆さんが仏教に明るくなかったので、先の日本女性が仏教僧であった私に打診してきたということのようでした。

この話を伺って、あの時コミューンの上層部と紹介された人が、私の提案をコミューンに伝えたことが真実だと知り嬉しかったのです。その後、上層部でどういう経緯があってOSHO(和尚)という名に決定したかは知りません。

私はOSHO(和尚)の名をハーシャと思しき女性に勧めたまでの経緯を説明しただけで、上層部での話し合いは存じ上げません。ともあれ、私が提案した通りのことをOSHO(和尚)自身が講話で語ってくれたので私は幸せでした。

ウッパディヤーヤ(upādhyāya)について

私が先に申した通り、仏教用語の大半はパーリ語かサンスクリット語というインドの言葉に由来するので、それを調べて欲しいとお願いしていました。1989年当時は現在のようにスマートフォンが無かったし、ジャパニーズ翻訳部には仏教学辞典さえ無かったのです。私は「よくこれで翻訳が出来るな!」と呆れましたが、同時に翻訳部の能力の高さに驚きました。これが信仰のなせる業かと感服しました。研究者なら国語辞典一冊しかない環境で翻訳を引き受ける者は皆無でしょう。

私の願いを受けて、ジャパニーズ翻訳部のスタッフは日本にいる禅僧でOSHO(和尚)の弟子であるアナンド・モンジュ(文殊)に調査を依頼したと聞きました。日本からモンジュのリサーチ結果が届くのに数か月を要したと思います。そして和尚の語源がサンスクリット語のウッパディヤーヤ(upādhyāya)であることが分かったのです。

調査結果が翻訳部に届いてから暫くしてモンジュはプーナに来ました。私は彼がOSHO(和尚)の梵語を調査してくれたことについてお礼を言いました。彼は「すると君がOSHO(和尚)の名を……」と絶句して沈黙しました。

 

5.OSHO(和尚)の名の変遷──アチャリアからバグワン、そしてウッパディヤーヤへ

OSHO(和尚)ラジニーシは最初、アチャリア・ラジニーシという名前で登場しました。アチャリアは中国語に音写されて阿闍梨(あじゃり)です。

次に彼はバグワンという名前に変えました。バグワンはヒンディー語で梵語(サンスクリット語)ではバガヴァンとも発音されます。

バグワン(バガヴァン)とは創造神であるブラフマー神(梵天)、宇宙維持神であるビシュヌ神、そして迷妄の世界を破壊して覚醒した世界を創造するシバ神など最高神に付く尊称です。インド人にとってOSHO(和尚)がバグワンと名乗ることは、自分がこの宇宙を創造して維持し、破壊して新たな宇宙を創造する絶対神だと宣言することと同じ意味にとります。

因みに、インドの神々の中の王はインドラ神(帝釈天)ですが、バグワンと尊称される最高神はインドラ神より遥か上位に位置する別格の大神です。そんじょそこらの神様にはつけられない敬称です。

そして最後の名前が、私の提案したOSHO(和尚)になったのです。

 

6.OSHO(和尚)コミューンのエソテリックサークルとリーディング体験

エソテリックサークルのメンバーに選ばれる

実は、私はOSHO(和尚)コミューンで秘密裏に作られたあるサークルの最初のメンバーに選ばれていました。その時、選ばれるのはエンライトを認められた者だけであり、メンバーは私を入れて現在二人だけだということを知らされました。

どういう組織で、誰がどのようにやっているのか極秘だと言うのです。私は責任者の女性に「それは噂に聞くエソテリックサークル(秘教サークル)なのですか?」と聞きました。すると彼女は「そう考えて貰って構わない」と応えました。その事は極秘事項なので、組織名も、もう一人のメンバーの名前さえ教えてもらえませんでした。

しかし、もう一人のメンバーが誰なのかすぐに知ることになりました。私はエソテリックメンバーに選ばれたお陰で、OSHO(和尚)の図書館に自由に出入りして本を読むことや、総ての瞑想クラスやコースにアシスタントやヘルパーとして無料で参加できる特権を得ていました。

私は私の覚醒を認めた人たちが、サイキックではあるが覚者ではないことを知っているので、そのことを持って自慢の種にする気はありません。サマーディ成就者はサマーディ成就者以外の、誰の認可も必要としません。私は覚者である太母さんやババジ猊下と神の化身であるヒマラヤのアヴァター様方を信頼しています。

私が金字塔にすべきことは、自力でサマーディを成就したことであり、ヒマラヤでの完全なサイレンス(沈黙行)の中で行われた240日間不眠断食サマーディです。そして現在進行している「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」だけです。

OSHO(和尚)コミューンでのサイキックリーディング体験

私はサマーディ(=ニルバーナ・解脱)成就後にOSHO(和尚)コミューンでサイキックなリーディングを何度か受けたことがありました。

例えば、オーラの色を見るリーディングでは「すべてのチャクラがゴールドです。羨ましい!」と言われました。チャクラのリーディングでは「すべてのチャクラがエンプティです。空です。エンライトしています。私はいつか貴方のようになりたいです!」と言われました。「すべてのチャクラにレゾナンスがある」とも言われました。

日本でも有数の霊能力者達からは、これ以上の賛辞もいただきました。私はその方たちに感謝していますが、それを自慢の種にする気などありません。その程度の事で自慢する人は、深い瞑想を体験したことが無い人だけです。

パイロットババ猊下が私にこう言いました。「サイキックな人々の言う事は気にするな。彼らの覚者への評価はころころ変わる」。実際、私も同じ体験をしました。

世界的サイキック・Sさんのリーディング

私はエサレン研究所のヘッドセラピストで鳴り物入りでOSHO(和尚)コミューンに招かれた世界的に有名なセラピストであるSさんが開催した「日本人の為のスターサファイヤミニグループ」に参加したことがあります。

通訳は日本人のキヨタカさんでした。

Sさんは、他の人のリーディングは念入りに行っていましたが、私のリーディングをあっという間に終えました。彼女は「貴方のリーディングは簡単です」と満面の笑みを湛え、日本人の参加者達の前でこう言いました。

「おめでとうございます。貴方は達成しました。貴方のすべてのチャクラにはOSHO(和尚)の光が入っています。すべてのチャクラにレゾナンスがあります。3か月前にリーディングした時とは全く違います。もう瞑想をしなくて良いです。ただリラックスしてエンライトメントを待ちなさい」

「ここに河があるとします。河の向こう側がエンライトメントの世界です」──仏教的に言えば彼岸です。「今、貴方はまだ河のこちら側にいます」──仏教的に言えば此岸、迷いの世界です。「でも貴方はすぐに河の向こう側に行きます。それまで何もしないで寝そべっていてください。OSHO(和尚)はこういう状況の時は瞑想さえも必要ないと言っています。ただリラックスしていれば、すぐに彼岸に往きます」

実は、その時私は彼女の言う通り、サマーディ成就直前でしたがまだ最初のサマーディを成就していませんでした。しかし、彼女の言う通り、私はその後すぐにサマーディを成就しました。

ここで新たな問題が起こりました。サマーディ直前の時のリーディングと、サマーディ成就後のリーディング結果は違うものになります。その事で、後日セラピスト同士で意見の違いが起こったようですが、それは当然でしょう。

 

7.グループへの参加とインナーコミュニケーション

謎のサークルからの招待で、私は総てのグループやコースに参加できる特権をいただきました。あるグループのセラピストは「OSHO(和尚)が肉体を離れたので、OSHO(和尚)の代わりにグループにアシスタントとして参加してください」と言いました。

私はアシスタントとしてそのグループに招聘されました。アシスタントは英語ができるのが必須ですが、その頃の私はアシスタントができるほど英語力が無かったので、通訳をつけてくれれば参加しますと答えました。

そのセラピストたちは「アシスタントに通訳をつけるなんて聞いたことがありません。特に日本人の通訳は圧倒的に少ないのでコミューンでは手配できません。貴方の友人に通訳を頼めるのなら特例で認めます」と折れてくれました。

私は当時友人だった日本人のヘマという女性に通訳についてもらいました。そこで初めて「インナーコミュニケーション」と呼ばれる神秘体験を参加者に起こしたのです。簡単に言えば一瞬にして相手を悟りのステージに導いたのです。それは中国禅で言う悟り出会って、サマーディ(ニルバーナ・解脱)の前段階の意識です。その後、何人もの人たちがこの体験をしました。

そういう次第で、外国人の間で「あの日本人はエンライトしている」という噂がたちました。

外国人たちがリスペクトを持って虚心坦懐に私に接してくれたおかげで、セラピストは勿論のこと参加者も神秘体験をしました。特にオランダ人女性のディビアに起こしたインナーコミュニケーションは私にとっても初めての体験でしたので印象が強いです。

私がアシスタントとして参加したグループでは、私と面識のない外国人たちは私の過去のカルマを知らなかった。だから私と出会った時、彼らは私をジャッジせず心を空っぽにしやすかった。そのせいもあって多くの人が神秘体験をしました。一部の日本人の方にもそれは起こりましたが、私と同じように自分がどうにもならない人間だと自覚している人たちが多かった。私をジャッジしている人たちには何も起こらなかった。

現在私の傍にいる人達には様々な奇跡が起こっていますが、皆さん、自分を過信せず、自力無効を自覚し、虚心坦懐に事実を事実として受け止める方にそれが起こることが多いようです。

人々のバッシングと煩悩即菩提

ところが一部の日本人の間では、私の自由奔放な生き方が災いしてか、「グルトリップしている」「エゴトリップしている」とバッシングされました。私は過去の行いがゆえにバッシングされたのは自業自得なので受け入れました。

私は闇の中にいたからこそ光を求めました。苦悩の中にあったからこそ浄土を求めました。そして光明を獲得(ぎゃくとく)しました。

私はそれまで、音楽や踊り、祭りが大好きな遊び人でしたが、それでも覚醒できたのは多くの人にとって朗報となるでしょう。どうしようもない私でさえサマーディ(=解脱・ニルバーナ)を成就できたのだから、貴方たちに出来ないはずがないからです。

どうしようもない人間こそ覚醒できるという考えは、仏典でもあります。釈尊を殺そうとしたアングリマーラが釈尊に出会い一瞬にして悟ったという逸話は有名です。

この考えは浄土真宗において悪人正機として知られています。

親鸞の弟子の唯円が作者だと言われる歎異抄の中で「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」という有名な言葉があります。

善人でも往生するのだから、まして悪人が往生できないはずがあろうかというのです。一見逆説的に聞こえる謂いですが、私には順説的に響きます。

何故なら、悪人は闇の中でもがき苦しんでいるから光を求めます。煩悩があるからこそ菩提(悟り)を求めます。善人はこの世界で満足しているから覚醒を求めません。

達摩大師はシッディーパワーを得て宮中の美しい女性を犯すなど、さんざん悪事を働きましたが、その事に慚愧してディアーナ(禅)の道に入り悟りを得ました。達摩大師はまさに煩悩即菩提を地で示しています。煩悩即菩提とは、煩悩が多い分だけ悟りが多いというダイナミックな思想です。私も煩悩で苦しんでいました。その煩悩の苦しみがニルバーナの起爆剤になりました。

ミスティックローズのヘルパーとして

ミスティックローズというグループができた時、私はそのグループやコースに参加したことが無かったのにヘルパーとして参加しました。ヘルパーにはある日本人女性がいました。彼女はミスティックローズのコースを修了してヘルパーに選ばれました。彼女は私に尋ねました。「貴方はコースはおろかグループさえ参加していないのに、どうしてヘルパーに選ばれたの?」。私は「さあどうしてかな」ととぼけるしかありませんでした。

 

8.OSHO(和尚)の名前が問題になった理由──ウッパディヤーヤの意味

ある時、私がOSHO(和尚)の図書館に入室すると、インド人の男性がいました。お互い驚いて顔を見合わせました。OSHO(和尚)の図書館で和尚の本を読む特権を持つ人は少ないので、お互いに、相手がもう一人のエソテリックサークルのメンバーだと分かりました。

彼はインドの大学で哲学科の教授をしていると自己紹介しました。そこで私は彼に和尚の語源がウッパディヤーヤであることを伝えました。詳しく聞きたかったからです。彼は私の話を聞いて驚いた表情で「実に興味深い。実に興味深い」と答えました。

続けて彼はこう言いました。「インドには教師を示す言葉が4つあります。1番上の教師はグル(GURU)──解脱したマスターという意味です(中国人はグルを導師と翻訳しました)。2番目はアチャリア(阿闍梨)──完全解脱はしていませんが解脱直前の段階です。3番目がウッパディヤーヤ(和尚)。4番目がシャストリ(声明僧)です」

私は彼の説明を受けて衝撃を受けました。OSHO(和尚)は最初、アチャリア・ラジニーシという名前でした。教師の位で言えばグルの一段下です。次はそのグルを飛び越えてバグワンになりました。そして最後がアチャリアより更にワンランク下のウッパディヤーヤ(和尚)になったのです。

私は動揺しましたが、OSHO(和尚)コミューンの上層部はこの事実を知り、更に動揺したようでした。そしてOSHO(和尚)タイムスか何かでOSHO(和尚)の名の由来を説明しました。

それを読んで私は驚きました。彼らはOSHO(和尚)の名の由来を変えたのです。彼らは「OSHOという名前はウイリアム・ジェームスのオーシャニックに由来する」と言うのです。私は苦笑しました。和尚がアチャリアの一段下の位だと知ったから、名前の由来を変えたのです。

しかし後になってOSHO(和尚)本人が「OSHO(和尚)の名前で良い!OSHO(和尚)は極東の国(日本)の禅僧を示す言葉だ。普通の僧侶の名前だ。何より私はOSHOというサウンドが気に入っている」と宣言しました。それで上層部も納得したようです。私も胸を撫で下ろしました。

その後「OSHO(和尚)ラジニーシ」からラジニーシを抜いて、OSHO(和尚)だけになりました。

命名権について

余談ですが、OSHOという名の商標登録の問題でアメリカのOSHO(和尚)コミューンが裁判を起こしたという噂を聞きましたが馬鹿げたことです。私は別に命名権を主張する気はありません。

私はコミューンで何人かの人達にOSHO(和尚)という名前を提案したことを話しました。一人だけ「凄いね!」と言ってくれましたが、他の人には無視されました。どうやら作り話と思われたようです。なので、すぐに言うのを止めました。

私はOSHO(和尚)という名前を提案した時、ジャパニーズ編集部でも和尚という名が候補に挙がっていたことは説明しています。だから命名権を主張していないとはっきり申し上げているのに、その事が受け入れられない人は、相変わらず「偽物のグルの誕生を見よう」みたいなジャッジをしてくるのです。私はまたかと思いましたが、すぐに何とも思わなくなりました。

 

9.瞑想は実力主義の世界

OSHO(和尚)が言っていましたが、瞑想の世界は実力主義の世界です。私のように240日間不眠断食サマーディをしてからものを言えとは言わないけれど、せめてサンカルパヨガ瞑想リトリートで皆さんが成就した程度の瞑想を体験して欲しいのです。

サンカルパヨガ瞑想リトリートでは、すべての参加者が五日間から30日間にわたる「サンカルパヨガ式四無行」──寝ない、横にならない、食べない、無心──を達成しました。瞑想を生まれて初めてした人でも「アヴァターフィールド」の中では57時間の瞑想を達成できたのです。口先だけのアヴァターフィールド・ブッダフィールドでないことは、結果が証明しています。

私の体験では一日24時間以上トータルに座れれば、1秒でも無心の状態がありました。我が師で生身の肉体を持ちながら24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められているババジはこう教えてくれました。「無心はサマーディ(=ニルバーナ・真如)から来る」。つまり無心は最低でもエンライトメントの世界です。

たかが24時間も瞑想できない人が何を言っても真の修行者には何も感じません。

私のお弟子さんたちはミニマムで5日間(90時間)マキシマムで31日(744時間)無心で寝ない、横にならない、食べない、サイレンス(沈黙行)を簡単に成就しています。

リビングマスター(生きたマスター)の臨在の元、ブッダフィールド・アヴァターフィールドでは瞑想における奇跡が起こると言われますが、私たちはそれを実証し続けています。

 

10.深い瞑想体験とアローンネス──ヒマラヤでの240日間

深い瞑想を経験した人は、娑婆世間から離れたくなります。私がヒマラヤで240日間不眠断食サマーディした時は、完全なサイレンス(沈黙行)に在りました。部屋の中に籠りアシュラム内の修行者たちとも240日間会いませんでした。

瞑想者はアローンネスの素晴らしさに浸ります。深い瞑想体験した瞑想者は、世人と関わって偽マスターになりたいとか思わなくなります。誰とも関わりたくなくなるものです。修行者は一人でいるのを好みます。

マスターとして世に出るのさえ嫌がるものです。釈尊がブッダガヤで最初のサマ・サマーディを達成した後に、誰にも言わずにこの世界を離れようとしたというのは当然なのです。

釈尊の仲間の修行者たちは、釈尊を修行半ばで脱落した落ちこぼれとして非難していました。サマーディ(=ニルバーナ・真如)の世界は人間の思考では理解できないものです。グルジェフの譬えを援用するとアメーバーに量子力学を説くようなものです。だから釈尊は覚醒後そのまま世界から離れようとした。それを梵天さんが「一切衆生の為にダルマを説いてください」と頼んだので戻ってきたという話があります。所謂梵天勧請(ぼんてんかんじょう)です。

私の場合も世間に戻らず命を捨ててサマーディの世界に戻ろうとしたところ、我が師パイロットババ猊下が240日間不眠断食サマーディの後、私の役割を諭しました。それで私は世間に戻りました。重い十字架を背負った感じで、私はヒマラヤから下山して「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」を始めました。

 

11.解脱への決断とサマーディ成就

私は世間の中でさんざんマインドを使っていたことにうんざりしていました。何かを変えていきたいという考えさえなくなりました。変えようとしても変わらないことに気づいていました。

ある日、自分の無明を晴らすには解脱するしかないと決断しました。一つ一つ解決するのではなく、事の全体をひっくり返したいと魂の底から望んだものです。モクシャ(解脱=完全な自由)を強く望んだのです。私は解脱するしか解決できないほどの重い病にかかっていたのです。

それが成就できた時、私はその事を人びとにシェアしたかった。でも誰も話を聞く人はいなかった。話しても狂人扱いされるのは解っていたので、29年間その事を隠してきました。

パイロットババ猊下もこう仰いました。「貴方が達成したことは時がくるまで秘密にしなさい。エゴの強い人々が貴方に嫉妬して攻撃するからだ」。私はずっとそうされてきたので納得しました。

しかし、私も高齢になったので、私の話を虚心坦懐に聞け、霊的成長できる人だけの為に、私はサマーディ(=ニルバーナ・解脱)成就を明かしました。パイロットババ猊下に「貴方は達成した。今度はそれを人びとにシェアしなさい」と言われた時、私は泣く泣くヒマラヤを下りました。私がヘビーロードを歩むのが判っていたからです。私は茨の道を歩んできたので、これ以上大変な思いはしたくなかったのでした。

人びとの為に動けば動くほど、多くの人々から「グルトリップしている」「マインドトリップしている」と非難されました。

私は孤独でした。ヒマラヤでサイレンスを続けている時はアローンネス(独存)であり孤独では無かった。一人で瞑想できたあの頃が人生で一番素晴らしかった。瞑想を始めてから40年経ちましたが、240日間不眠断食サマーディの時ほど充実した生は無かった。

世間に出て偽マスターをしたいなどと思う人は、深い瞑想体験が無い人だけです。覚醒した人の多くは世捨て人になります。世間には戻りません。釈尊もサマ・サマーディを成就した時、世間に戻らずそのまま隠遁しようとしました。覚醒した内容を言葉では説明できないと悟ったからです。悟った内容をジャッジされることも分っていたはずです。私もそうでした。

サマーディ成就してから一番話したかった相手はかつての僧侶仲間でした。「仏典に書いてあることは、殆ど方便とはいえ真実を語っていた。私は体験するまで心の底では経典に書かれていることは神話だと思っていた。でもそれは真実だった」──そう言いたかったが、同時に絶対に受け入れて貰えないこともすぐに解りました。

私が長い間世間から隠遁していたのは、ジャッジメンタルな人々との不毛な争いをしたくなかったからです。自分自身、昔はそうした世界に居たのでもうたくさんでした。

瞑想ができていない人たちだけが、あれこれ瞑想者をジャッジします。私は聖者の道を歩んできたわけではありません。無明の中にありました。自分はどうしようもない人間だと自覚して、煩悩具足の凡夫を自覚して、サマーディ成就しか救いは無いと心の底から願いました。

そして1989年に生まれて初めてサマーディ成就を決断しました。私の魂はセラピーやら生活の為の瞑想法などでは満足できず、根本的な解決であるニルバーナ(涅槃)を求めていました。そして幸いにも1989年に瞑想3か月目にして最初のサマーディを成就しました。

 

12.煩悩即菩提とエンライトメントの先にあるもの

私は色々な人が色々な立場の中で、宗派を問わず「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」に専念して欲しいと願っています。

北伝仏教では煩悩即菩提と言います。煩悩が即ち菩提(覚醒)だと言うのです。煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心、つまり菩提心も生まれると考えるのです。エンライトメント、サマーディを達成しても煩悩は残ります。

ヒマラヤ秘法のヨガを習って知らされましたが、エンライトメントはサマーディのスタートラインに過ぎないのです。でもエンライトメントの世界を体験すれば、もうこれ以上の世界を望むことは無くなるくらい素晴らしい。そうなれば本人もそれ以上のステージを目指さなくなります。でもまだまだ先があります。

それ故、覚醒した人々は更なる高みを目指すために、あるいは衆生救済のために、輪廻の世界から解脱した後にもう一度この迷妄の世界に戻ります。

24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められている、マハヨギ・パイロットババジ猊下の出生から現在までの在り方をみると、法華経の如来寿量品第16にある「久遠実成の仏」の考えは正しいと思います。

多くの覚者はスタートラインのエンライトメントから最終ステージのニルビチャールサマーディに到るために煩悩を残しました。あるいは究極に達した後も衆生救済のために煩悩を残しました。そうしなければ輪廻転生の世界に戻り衆生を救えないからです。究極のサマーディであるニルビチャールサマーディを成就しても、実はまだ先があるのです。

パイロットババ猊下のように「いつでもどこでも、一瞬にして覚醒した世界に往き、還って来られるサンカルパヨギの世界」が本当の意味での究極です。それは釈尊が6年も修行して到達した真如(真実の世界)、サマーディの世界に一瞬にして往き来できるステージです。

サンカルパ・サマーディーヨギのステージはかように、とんでもないほど高い世界です。OSHO(和尚)がパイロットババ猊下にヨガの教えを請うた所以です。

 

13.OSHO(和尚)への愛と感謝

私はあの当時、OSHO(和尚)を誰よりも愛していました。OSHO(和尚)という名前の由来を知ったにもかかわらず、その名前を受け入れたことがOSHO(和尚)の勇気と覚悟を示しています。

OSHO(和尚)はバグワンでもなく、アチャリア(阿闍梨)でもなく、その一段下のウッパディヤーヤ(和尚)の名を受け入れたのです。私はOSHO(和尚)の心中を察しました。私はOSHO(和尚)を深く愛していました。私は彼の教えを愛していました。

パイロットババ猊下が仰ったように、OSHO(和尚)は只者ではありません。彼の講話は説得力に満ちています。私はOSHO(和尚)の勇気と誠実さを信じます。彼は異色の才能を持っています。彼の体験は素晴らしい。彼の洞察力は素晴らしい。彼の教えも素晴らしい。そのことは事実です。私は彼を愛していました。愛は永遠です。

リビングマスターの重要性

OSHO(和尚)はリビングマスター(生きたマスター)の重要性を常に説いていました。OSHO(和尚)はこう言っていました。「私の死後、貴方がリビングマスターに会ったら迷わずその方の弟子になりなさい」

マスターがそう言うのは当然です。例えば幼い子供を残して親が死に行くとき、「私が死んだら伯父さんのところの子供になるのだよ」と言うでしょう。「私が死んだ後に他の人を親にしてはいけない。餓死してでも私以外の親を持ってはならない」と言ったら鬼畜です。

私は「インド二千万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛され、インド政府が公認する世界に二人しかいないシッダマスターであるマハヨギ・パイロットババジ猊下にお会いしてすぐに、猊下が我々など足元にも及ばない高い存在だと気づきました。

それでも私はOSHO(和尚)への愛が執着になり、猊下の弟子になることが遅れました。OSHO(和尚)を愛したことに悔いはないけれど、これだけは失敗だと思っています。OSHO(和尚)に本当の意味で感謝するなら、できるだけ早くパイロットババ猊下に師事すべきでした。もっと早く猊下の弟子にさせていただくべきでした。そうであったなら私はもっと早く霊的成長を遂げていた事でしょう。それが弟子たちの霊的成長を願うOSHO(和尚)の本望に違いありません。

 

14.OSHO(和尚)を二度も助けた我が師パイロットババ猊下

パイロットババ猊下がOSHO(和尚)を二度も助けたことは、私にとってとても嬉しいことでした。

OSHO(和尚)は1980年代、アメリカのオレゴン州にコミューンを持っていました。彼は堕落した組織宗教を厳しく批判しました。とりわけ教会キリスト教や組織主義的仏教教団を歯に衣着せず批判していたので、キリスト教右派のレーガン大統領からは憎まれていました。

OSHO(和尚)コミューンの発表では、彼は冤罪を着せられ留置され、猛毒のタリウムを盛られ、アメリカから追放されたとのことです。彼はアメリカを追放されたばかりではありません。アメリカは世界各国に手を回し、彼を危険人物として二十数か国から入国拒否させました。しまいには母国のインドからも入国拒否を食らったのです。ところがそのOSHO(和尚)を二度にわたって助けたのがパイロットババ猊下だったのです。

アナンド・アルーンとの出会い

私はこの話をネパール最初のOSHO(和尚)の弟子、アナンド・アルーンから聞きました。私がアナンド・アルーンに会うことになったのは、OSHO(和尚)がエンライトメントを認めた太母さんが私をサイババのアシュラムにメッセージを届けさせたお陰です。

太母さんは富山県の大門町生まれの覚者です。私がお会いした当時は鎌倉にお寺を持っていました。私は太母さんの使いでサイババ・アシュラムに行きました。その過程の中で私はアナンド・アルーンに会いました。私は信じられないような偶然の重なりを経て、パイロットババ猊下とサイババ・アシュラムの近くで再会しました。

その時パイロットババ猊下は私にこう仰いました。「ヒマラヤに一万二千年間秘密の瞑想法がある。私は貴方に3か月間マンツーマンで伝授したい。ナイニタールのアシュラム(僧院)に来なさい」。私はあまりの幸運に喜びました。

私は勿論行きますと答えました。ただインドビザの有効期限が迫っているので、新しいビザを取得するためにネパールに向かってからインドに再入国しますと申し添えました。そしてネパールの首都カトマンズでビザを取得した帰り道で偶然、アナンド・アルーンの弟子に会い、彼のアシュラムに行ったのです。

こういう偶然が何百回も続くのです。鎌倉の覚者の太母さんの願いでサイババに会いに行き、パイロットババ猊下に再会するまでの信じられないような偶然についての記事は以下をご覧ください。

アナンド・アルーンの証言

私はアナンド・アルーンに会ってすぐに聞きました。「貴方はパイロットババ猊下を知っていますか?」

予想外なことに彼はこう答えたのです。「勿論知っています。我々OSHO(和尚)の弟子はパイロットババ猊下に感謝しています。今パイロットババ猊下はネパール王宮にいらっしゃいます」

ネパール国王夫妻はパイロットババ猊下の信者なのです。猊下はSasaram王国の王子として出生されました。王妃はパイロットババ猊下の元恋人だったそうです。

「オレゴン追放以前はインドの政治家の信者もたくさんいました。彼らはOSHO(和尚)をなにかと助けてくれました。しかしオレゴン追放以降は誰一人助けてくれませんでした。あの当時OSHO(和尚)を助けることはアメリカの怒りを買うことなので、とても危険だったのです。それなのにパイロットババ猊下はOSHO(和尚)を助けてくれました。だから我々弟子はとても感謝しているのです」

私はアナンド・アルーンのその言葉を聞いて、パイロットババ猊下にお会いする喜びが更に湧きました。後日知ったことですが、OSHO(和尚)とOSHO(和尚)がボディーサットヴァ(菩薩)と認めたヨギ・チンマヤもパイロットババ猊下にヨガを習ったと知った時は心底驚きました。

私はヨギ・チンマヤに会いに行った時にパイロットババ猊下のことを教えられたのです。ヨギ・チンマヤはパイロットババ猊下のアシュラムに滞在したことを認めていました。

パイロットババ猊下が語ったOSHO(和尚)救出の経緯

私はパイロットババ猊下にお会いして直ぐに伺いました。「どうしてパイロットババ猊下はOSHO(和尚)を助けたのですか?」

すると猊下は予想もしなかったことを答えてくださいました。「私は彼のことで大好きな部分もあるし嫌いな部分がある」

続けて猊下はこう仰いました。「彼の良いところは言葉のチョイスが美しいことだ。私も彼の言葉を使うことがある。言葉は誰にも属さない。ブッダもヒンドゥー教の言葉を沢山借用した。人類の覚醒の為にはそれが必要だから。誰もブッダを著作権侵害の疑いで告発はしない」

「私が彼を助けたのは、一つには彼が私に教えを請うた過去があったからだ。彼はクンブメーラの会場で私にヨガを教えてほしいと言ってプラナーム(接足作礼)してきた。私は彼にヒマラヤ秘法のヨガの一部を教えた。私は彼の素晴らしい部分を知っているが、彼はあちこちで論争を仕掛け敵を多く作った」

「それ故、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シーク教徒からも憎しみを買った。シーク教徒からは暗殺されかけたこともあった。しかしヒンドゥー教はすべての宗教をリスペクトしている宗教だ。ヒンドゥー教徒が他宗派を弾圧するのは良くない。私は彼を助けたかった。だから私の信者のネパール国王夫妻を説得してラジニーシをネパールに入国させた」

「入国してからしばらくして、ネパール国王が彼を王宮に招待した。ところがラジニーシは、グルに会いたければ貴方から来なさいと国王に言った。国王からすれば、ラジニーシは多くの国が入国拒否した危険人物だ。そのリスクを冒して招待したにもかかわらず、会いたければ貴方から来なさいと言われて国王は激怒した。だから国王はラジニーシを国外追放にした」

実はこの話を私はプーナでも聞いていました。OSHO(和尚)本人がディスコースで同じことを言っていたので間違いありません。そして偶然ですが、私は同じ時期にOSHO(和尚)が滞在していたソルティーホテルの目と鼻の先のホテルに滞在していました。アナンド・アルーンのOSHO(和尚)センターもすぐ近くにありました。

二度目の救出──インド入国

猊下はさらに仰いました。「その後ラジニーシはインドに帰国しようとしたが、今度は母国のインドから入国拒否された。その時のインド首相はインディラ・ガンジー首相の息子のラジブ・ガンジー首相だった。インディラ・ガンジー首相と私は懇意だった。息子のラジブ・ガンジー首相と私は空軍中佐仲間だった。私はラジブ・ガンジー首相を説得した」

「『ヒンドゥー教はあらゆる宗教を認めている。貴方がインド人のラジニーシを母国インドに入国させなければ、貴方は歴史に汚点を残す』。結局彼は私の説得を受け入れてラジニーシを入国させた」

パイロットババ猊下には、釈尊と同じように権力者も帰依しています。元インド首相のナラシマ・ラオはパイロットババ猊下の信者です。現インド首相のモディ氏はパイロットババ猊下の弟子です。彼は30歳までヒマラヤで修行していたサドゥー(遊行者)でしたので、信者ではなく弟子になります。

こうした話を伺ったので、OSHO(和尚)オンリーだった私も次第に猊下に心を開いていきました。

 

15.OSHO(和尚)コミューンからパイロットババ猊下の弟子へ

私はOSHO(和尚)の没後、ラマナ・マハリシの高弟のプンジャジのアシュラムに行きました。OSHO(和尚)の弟子だったのにOSHO(和尚)を攻撃する人たちの中で、私一人だけがOSHO(和尚)コミューンで使用する白いローブを着ていました。この姿はプンジャジのセンターで発売されているビデオに収録されています。

というのは、私がプンジャジ師のセンターに行った時、たまたまブッダセレブレーションの日に当たったので、仏典の読経を頼まれたのです。その時私はOSHO(和尚)コミューンで使っていた白のローブを着ていました。多くの和尚系サンニャシンがOSHO(和尚)を批判する中で、私一人だけが白のローブを着ていたくらい頑固なOSHO(和尚)フリークでした。

そういう私でしたので、すぐにパイロットババ猊下の弟子にはなれませんでした。しかしパイロットババ猊下の圧倒的な真実の前で、毎日起こる奇跡の中で、時間はかかったけれど私はパイロットババ猊下の弟子になりました。

上述したように、OSHO(和尚)の高弟でOSHO(和尚)からボディーサットヴァ(菩薩)として認められていたヨギ・チンマヤも、ババジ猊下にヨガを教わりに行った事実を後年知り驚きました。このことはヨギ・チンマヤ自身も認めていました。

コミューンを出てヒマラヤへ

私はOSHO(和尚)コミューンでサンニャスセレブレーションをするグループに招待されましたが、色々あってお断りしました。それがきっかけとなって私はコミューンを出る決意をしました。そしてOSHO(和尚)の高弟だったヨギ・チンマヤのところに出かけました。それがご縁で、私はヒマラヤの聖地で将来のマスターとなる我が師パイロットババ猊下にお会いできました。

まさに人生万事塞翁が馬です。

 

16.すべてのマスターへの感謝と現在の使命

すべてのマスターの御恩に報いるために、私は娑婆世間の無明の荒波に戻ってきました。五濁悪世の世界に戻るのは苦しく、ヒマラヤで一人でサイレンス(沈黙行)している中で、この世界を離れたかったのです。よりによってマスターになるために世間に戻されることになるとは思いませんでした。

私はまず、自分がいつでもどこでもエンライトメント、サマーディ、ニルバーナと呼ばれる真如(真実の世界)に自由に往き、そして自由に還って来られるパイロットババ猊下のようなサンカルパ・サマーディーヨギになるまではヒマラヤに留まりたかったのですが、それは許されませんでした。

過去の私のカルマの為、試練が続き、努力が実を結びませんでした。それで隠遁生活を決め込みました。しかしヒマラヤのアヴァター様方に何度も娑婆世間に戻されました。

そして最近、やっと努力が実を結び「宇宙船地球号・弥陀の願船」に乗船できる人々が集まってきています。やっと「愛し合い、助け合い、高め合う御同朋・御同行達」が集まってきています。「憎み合い、ジャッジし合い、低め合う」つまらない世界はもうたくさんです。それが好きな人たちとは自然に離れていきます。

私の御同朋・御同行は皆、愛し合い、助け合い、高めあっています。総てはババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の大きな力のお陰です。

その奇跡、その恩寵は台風を消滅させたり、癌患者の癌を半減させたばかりではありません。ヒマラヤのアヴァター様(神の化身・権現)は何度も私や、私の御同朋・御同行の前に物質化して顕われています。

これらの奇跡の数々は有無を言わせません。私の周りで起こり続けている奇跡が大きな力が存在する証拠です。論より証拠です。以下これまでの奇跡譚です。

私は大きな力のご加護を身をもって体験している人々が、真剣に覚醒を求める人々を引き寄せていることを確信しています。統一教会のようなカルトに騙される人々は、盲目的になり覚醒した眼を持ちません。

自分の師をリスペクトする気持ちは分かりますが、真の仏弟子、真の覚者の弟子たちはパイロットババ猊下のような真の覚者(=仏陀)をリスペクトします。

私は総ての覚者をリスペクトする魂だけが「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」を成就できると確信しています。

総てはババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の大きな力のお陰です。ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の恩徳には骨を砕いても報ずべきです。総ての仏縁、神縁に感謝しています。私を瞑想の道に導いてくれたOSHO(和尚)にも感謝しています。

OSHO(和尚)は「私が死んだ後、貴方がリビングマスターに出会えば、すぐにそのマスターに師事しなさい。前のマスターには感謝して別れなさい」と言っていました。私はその言葉のお陰で24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められている、マハヨギ・パイロットババジ猊下の弟子に成れました。

Aum Namah Shivaay

最後にネットでpilot babaと検索した時のこれまでの最大検索数を紹介します。4380万件です。

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