山形出羽三山リトリート体験談 No.13

2021年6月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 山形出羽三山の体験談をご紹介します。

出羽三山は修験の地で「生まれ変わりの地
と言われるそうですね。

行く前から色々と起こりました。
先月の静岡Sリトリートから毎日瞑想を続けてきたので
あまり出来事や感情には翻弄されずにいられるようになったのは嬉しいことでした。

新幹線は2時間あったので瞑想をしていたら
思い出したことがありました。

わたしは子ども時代によく嫌味を言われたり誤解されたり、嫌われました。
けれどそれが嫉妬であったのかもしれないと
ふと思い当たったのです。

貧乏や学歴から来る卑屈さだったり、
世間体や昭和の価値観や同調圧力の中で不自由だった両親や親戚、叔母さん達に
囲まれて育ちました。

素直で無邪気な空気を読まない発言や
知能指数が高く自尊心の強い子どもは
生意気で鼻持ちならなくて、その鼻っ柱を
折らずにはいられなかったのだと思います。

子ども時代にはどこにも理解して受け入れてくれる場所はなく
自分を否定し直そうとする生き方を覚えてしまいました。


嫉妬や否定、攻撃的なエネルギーに敏感で
向けられるのが本当に苦手です。
それでずっと自分を小さく目立たないようにおどけてふざけて、敵を作らないように
遠慮してきたのでした。

誰にも存在を評価されないと傷つきながら
自らが先に隠していることに気付きました。

もう嫉妬から攻撃してくるような人は
居ないのにその人達への対策をまだやって
いたと気付き笑ってしまいました。

自分が隠して出さないくせに
「見てくれない!見て!見て!」と、
自分がここに居ることを知って欲しいと
アピールしてきた矛盾(笑)
抑圧されたエネルギーはとても不自然で歪に周りに放出されていたと思います。

ごめんなさい。

スワミジ師に「ゆきちゃんのエゴの問題」とたびたび指摘されましたが、
わたしは自作自演をやって消耗していたのですね。
がっくりして苦笑いです。

静岡リトリート以降、わたしの持っている
本質的な部分やエネルギーや愛を見抜いてくれる人が現れてきました。
とても有り難いと同時にわたしも本来の自分を思い出し始めました。

怖いという気持ちを癒すことと
周囲とうまくやれなかった自分を許すことと
嫌われてもいいから自分を遠慮なく出して
行こうと決心し、アヴァター様にも宣言しました。

早速効果が現れて、リトリート前日に夕食を
一緒に食べた波動がよくわかるサイキックな
OMちゃんとS.A.さん五十嵐さんから
「波動が高くてキラキラしてる!さすがホワイトターラ!!食べている姿だけで愛を振りまいています!」とめちゃくちゃ褒められました。

わたしは謙遜しないで受け取ろうと思いましたが、褒められ慣れていないので、ものすごくお尻がムズムズしました(笑)
わたしはこの方達の言葉にずっとエンパワーされています。ありがとうございます。💕🙏


初日の瞑想では真っ暗な空間に金色の粒子が
集まり、「人類の鍵」という音になりました。
するとわたしの上半身が花の蕾になりました。
トルコキキョウの様なきゅっと絞ったように
閉じた蕾が緩み始め、蕾がほころび開き始めました。


今回のリトリート中に瞑想で見たもの
感じたものはそれだけでした。

あとは何故か家で瞑想するよりも時間が
3倍くらい長く感じました。
その話をスワミジ師にすると
「それは子どものようになったということだよ。子どもの時には1日が長かったでしょう?」
と言われました。

そうか、大人になると分かった気になって
雑に流してしまうことが増えた気がします。
頭の中にあったこれまでに溜め込んだ価値観
や常識、情報などが瞑想で消えたのかもしれませんね。

インストラクターをさせていただいて前に
座ることが多かったので目につく機会が
多かったのかたくさんの人から変わったと言われました。✨🙏


ずっと宿坊では高周波音が聞こえていました。
耳栓をするとさらにはっきり分かります。
それと共に耳から周囲の気配を受け取っていたことが分かりました。
アイマスクと共に瞑想の時には絶対につけた方がいいと思いました。

そのことでちょっと不思議なことがありました。

28日に湯殿山の宿坊に移り、自主瞑想の時間にはじめての人の前で座っていました。
サンカルパヨガ瞑想に入るのにいつものようにアイマスクをして、
耳栓をしようと手探りでケースを開けたら、
中身が入っていないのです!

少し焦りました。薄目を開けて周囲を見ましたが、見つからず諦めて瞑想に入ることにしました。

30分くらいして耳が痒くて触ったら耳栓をしていました!!!
「えっ!?」とびっくりしましたが、そのまま瞑想を続けました。

あとで考えたら不思議です。
自分で着けたのを忘れていたとしても途中では付けないだろうし。
そこだけ記憶が飛んでいるのかしら?

Facebookでババジ猊下やアバターラババジに
わたしの名前がタグ付けされたり、
静岡ではデコピンされたり、アヴァター様は
よくわたしで遊んでくださるんですよね。😅

深刻になりやすいわたしにはそれもとても
ありがたくうれしく感じています。



わたし自身はわからなくても、スワミジ師とのご縁や仲間の方々との深いご縁を教えてくれる人が現れて教えてもらえます。

迷った時にはアドバイスくださる諏訪仙人や
古くからのスタッフ仲間が支えてくれます。
周りにすごい人達、心強い人達、優しい人達が
ちゃんと居てくれます。
今回のYさんの働きにも心から感謝です。

もう全てが完璧で安心なのです。


わたしがFacebookを2018年のあの日に
見なかったらスワミジ師とのご縁が始まらなかったし、S.A.さんとのご縁が無かったらリトリートをお願いしなかったし、わたしがインナーチャイルドのセミナーを開かなかったらS.A.さんとのご縁はなかったし、親子関係で苦しまなかったらインナーチャイルドに向き合わなかったし、あの母や父や環境じゃなかったら、あの家に生まれなかったら、、、、

S.A.さんとのご縁はババジ猊下が結んでくださったご縁。
そう考えるとわたしの人生の全てがババジ猊下やアヴァター様の手のひらの中。計画の一部。


わたしは今のわたしになってスタッフになるようにもう生まれる前から準備されていたのだと思うのです。
ここに集まるように仲間たちと過去世から約束してきたのだと思うのです。

何もないところに鍵穴を作って鍵を開けるという能力はミステリースクール時代にも言われたことがあり、それでセッションなどを行ってきましたが、それさえもこのために与えられたのだと思いました。

自分の全ての人生がアヴァター様の意志によって見守られていたのだという感動と感謝が溢れてきます。


少し傲慢に聞こえるかもしれませんが、
わたしはわたしという個人を生きてきながらも深いところに「みんな」のために生きているという思いがあります。
(させられているという被害者意識ではなく、してやってるという恩を売るものでもなく、使命感でもなく、愛の表現のようなものです。)

わたしがわたしらしく生きることがみんなのためになり、仲間たちそれぞれが自分らしく生きてくれることがわたしのため、みんなのためになる。

本来の在り方を生きることが全ての存在へのギフトになる。それがお互いを助けることになり、喜びになる。

存在することが他への愛になる。
お風呂や車でAさん、OMちゃん、S.A.さんと一緒になるたびにお互いへの気付きとエンパワーときっかけを与えあっていたのです。

これからもっとそうなっていく、そんなことを感じています。

自分という存在への信頼を取り戻しつつあります。それは他への信頼、アヴァター様への信頼、バクティを取り戻しているのとイコールです。

この毎月のリトリート期間は
あり得ない奇跡的な時間でした。
みんな飛躍的に進化しました。
癒されて生まれ変わりました。
そしてまだ続いています。

スワミジ師がお身体が大変な中でも
講義をし、みんなとハグをし
カルマを引き受けていらっしゃることに
涙が出ます。
いつもそこに居てくださることに感謝します。

わたしはスワミジ師から頂いた沢山の愛とギフトをちゃんと受け取れてこなかったと反省しています。
瞑想できる環境を与えられていたのにちゃんとしてこなかったことを悔やみます。
昨日より1ミリでも覚醒に近づくように祈り、瞑想を続けていきます。
ありがとうございます。心からの愛と感謝を捧げます。

(ウラゆきこ)

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