2022年富山リトリート(中級)体験談 No.6

2022/7/22

2022年7月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリートat富山(中級)の体験談をご紹介します。

スワミジ師の返信はこちら

Murasaki Genji様
スワミジ師、ババジ猊下、アバター様、スタッフの皆様、ご一緒できた皆様、ありがとうございました。
7時間瞑想で感じたことは、当たり前ですが時間の長さです。時間を意識すればするほど、時間が長く感じられます。そのうちに、脚が痛くなってきます。重力に身体が押しつぶされて、痛みに耐えられなくなってきます。そうなると、一秒一秒が永遠のように感じられます。思考などする暇もなく、ただただ苦痛に耐える一秒一秒に頭にドクドク血が逆流して心臓の鼓動が早くなり、胸が苦しくなり、耐えられなくなります。そこから逃れるために、ついに脚を解いて脚を組み換えてしまいました。意志の弱さに落胆して、また一から瞑想を始めます。
でも本当は、瞑想とは自分が何かをすることではないのかもしれません。自己を手放して何もしないこと、これが本当の瞑想なのかもしれません。でも、“何もしないこと”ほど難しいことはありません。私というエゴは、“何もしないこと”を自らの肉体に強制させなければ“何もしないこと”ができません。だから、真の意味で、私はまだ瞑想が始まる段階にも達しないまま、肉体の苦痛に耐えるだけで、“瞑想をした”などとおこがましく言うことすらできなかったのだと思います。
それでも、毎日5時間を越える連続瞑想を含めた瞑想三昧の日々を送らせていただく中で、不思議な体験をさせていただきました。
三日目に、“空想の館”と名付けられた昼間の瞑想とスワミジ師が講話をされる大きな部屋から出るときでした。
今回サンカルパヨガのリトリートが行われた富山の利賀村にある“瞑想の郷”は素晴らしい施設で、チベット仏教美術の作品が多数所蔵され展示されているだけではなく、建物の建築が素晴らしく、階段の板も厚みのある堅い板に漆のような黒くて光沢のある美しい塗料が塗ってあって、一段一段がとても存在感のある高めの階段になっていました。
スワミジ師のご講話が終わって、皆が別の建物に移動するときだったと思います。その“空想の館”の二階の階段から降りるときに、素足で一歩一歩、高めの階段を降りていくとき、私は途中で思わず足を踏み外してしまいました。
アッと気づいたときには顔から前につんのめって、大怪我をしてしまいました。…と思った瞬間。ドーン!と階段を足で叩くような大きな音がして、私はつんのめったにもかかわらず、階段に踏み止まっていて、何事もなく無事でした。
そのとき、偶然にも(必然?)スワミジ師が私の横にいらっしゃって、「ここ危ないよね。私もここで同じようなことがあったよ」と言われました。私はその瞬間、スワミジ師が時間をほんの少し巻き戻してくださったのだと思いました。私は完全に前につんのめって、階段を転げ落ちたと思っていました。それが不思議なことになんでもなく、そのあと、階段をスワミジ師と一緒に降りていくことができました。
一瞬の出来事でしたが、時間が巻き戻されたような不思議な体験でした。
それから、長くなってしまいますが、もう一つ、不思議な出来事をシェアさせていただきたいと思います。
私は17才のときにインドのプーナにあったバグワン・シュリ・ラジニーシ・アシュラム(今はOshoと呼ばれています)に行き、彼の弟子になったのですが、ある日、とても精神的に落ち込んでしまいました。
そのとき「いったいこのアシュラムで悟った弟子はいるのだろうか?」と思いました。
何故なら、その頃の私は、悟りたいという強い思いしかなく、そのためにはなんでもする覚悟でしたが、バグワンのアシュラムに失望するようなことがあって落ち込んでしまったのです。
アシュラムは、光輝くようなオレンジ色のローブを纏った世界各国から来た若い男女がたむろしています。座って楽しそうに会話していたり、立って抱き合ったりしています。とても自由で解放的で平和な天国のような場所でした。
でも私はとても暗く落ち込んだ気分で、手当たり次第、日本人のサンニャシン(サニヤシン)に声をかけて聞いて回りました。
「ねえ、このアシュラムで誰か悟った弟子はいるの?知ってる?知ってたら教えてよ。こんなにたくさん世界中から弟子が集まってきて瞑想しているんだから、誰かいるはずでしょ。知ってたら教えてよ」
そう言って一人一人に訊いて回りました。
真剣に聞いてくれる人もいましたが、たいていは「何言ってるんだコイツは」という感じであしらわれました。それでも、私はめげずに訊いて回りましたが、結局誰も、弟子の中で悟った人の名前を答えられる人はいませんでした。
私はますます落ち込んで、アシュラムの隅の道端に座っていました。
すると、あまり目立たないような地味な感じの(バグワンのサンニャシンはみんな目立つような人ばかりでした)男の人がそばに座っていました。
もう諦めていましたが、最後の勇気を振り絞って、みんなに訊いて回ったことをもう一度その人に話してみました。
「バグワンの弟子で悟った人なんか、一人もいないよね。僕はみんなに訊いて回ったんだ。でも誰一人答えられなかった。こんな大勢弟子になるなるために世界中から集まって来てるのに、誰も悟った人がいないなんておかしいじゃないか。変だよね。ねえ、そう思わない?」
すると彼は、私の顔を見て、少し笑って言いました。
「知ってるよ。一人いるよ」
「えっ!誰?」
「日本人だよ」
「え、日本人で悟った弟子がいるの?」
「いる」
「名前はなんていうの?」
「アナンド◯◯◯◯」
「へえ、日本人でエンライトした人がいるんだ。いいなー!僕はその人に会ってみたい!友達になりたい!その人と話がしてみたい!」
私はこのことを思い出したのは、スワミジ師がOshoのアシュラムに行かれたときのことを話されていたときのことです。
スワミジ師がOsho からいただいた名前がアナンド◯◯◯◯だと聴いたとき、私は思い出しました。
◯◯◯◯というのは、あのとき聴いた、日本人でエンライトしたしたというOshoの弟子の名前と同じです。
でも、私がOshoのアシュラムでこのことを体験したのは、1979年の4月の出来事です。その当時はまだラジニーシ師はOshoと呼ばれていませんでした。
スワミジ師がラジニーシ・アシュラムに行かれて当時バグワンと呼ばれていたラジニーシ師にアナンド◯◯◯◯というサンニャシン・ネームをいただいたのは1988年12月だと伺っています。ですので、時間的には辻褄が合いません。でも私はあのときに聞いたラジニーシ・アシュラムでエンライトした唯一の弟子で日本人のアナンド◯◯◯◯とは、スワミジ師のことだと確信しました。
そして、そのスワミジ師と、30数年後に実際にお会いできた幸運に、大地に頭を付けて感謝する次第です。
今回、瞑想の体験ではないですが、この体験をどうしてもシェアさせていただきたいと思いました。
今回のリトリートでは、本物の覚者でいらっしゃるスワミジ師に出会えた幸運に、ただただ感謝の5日間でした。
ありがとうございました。

スワミジ師の返信

凄い体験をしましたね。💖
私はあの時、Genji君のすぐ横に居たので、貴君が階段から足を踏み外して前のめりに転んだときは思わず「危ない!」と心の中で叫びました。
しかし、不思議なことに貴君は前につんのめって転ばずまっすぐに立っていました。
一瞬時間が停止した感覚がありました。
今思えば、きっとアバター様が貴君を助けてくれたのだと思います。
Oshoコミューンの話は興味深いです。
確かに私がプーナに着いたのは1988年の12月8日でした。その日は、日本では成道会といって、釈尊(お釈迦様)の悟った日として法要が行われる日なのでよく憶えています。
翌年の1989年に私がOSHO(和尚)と言う名を提案して受け入れられたのは以前書いたとおりです。以下がそのURLです。
しかし、それより10年前に私のことを予知している日本人が居ると言うのは驚きです。
確かに、私はその年、Oshoコミューンのサイキックな人たちにエンライトを認められ、数か月後に太母さんにも認められました。
その3年後の1992年にはマハヨギ・パイロットババジ猊下に邂逅しました。お会いしてすぐに公開サマーディーを勧められました。
公開サマーディーを成就する存在は第四サマーディであるニルビチャールサマーディを達成している必要があると猊下とヨグマタジ(相川圭子師)の本に書いてあると知ったのは割合最近の事です。
だから貴君の前に現れ、10年後の私のステージを認めているとなると、その方はヒマラヤのアヴァター様方の化身なのではないでしょうか?
私の前にもヒマラヤのアヴァター様方の化身が何度も現れているので、私はそう確信いたします。
Aum Namah Shivaay🙏
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