OSHO(和尚)という名を提案した経緯 改訂版

2023年2月7日

〇私が初めてOSHO(和尚)コミューンに行ったのは1988年の12月8日でした。奇しくもその日は、釈尊(お釈迦様)が覚醒した日と言われています。 実は、私はOSHO(和尚)の信者ではありませんでした。OSHO(和尚)がエンライトメントを宣言していたので、それが本当かどうかこの眼で確かめたかったのでした。仏道を歩む者として、彼が真の覚者なら何が何でも会わねばなるまいと思っていたのです。 OSHO(和尚)コミューンに着いて手続きを済ませると、直ぐに、ジャパニーズ翻訳部からお声が掛かりました。コミューンに入る時、ちょっとした書類を書いたのですが、職業欄に「僧侶・仏教研究者」と記入したので声を掛けてきたようでした。 私に声を掛けたのは日本人の或る翻訳者でした。彼は私にこう言いました。

「バグワン(和尚)が病気で長い間療養生活をしていますが、最近体調が良くなり、もうすぐディスコースに復活するという情報がありました」 「バグワン(和尚)は日本の禅が好きで、日本の禅を講話に取り上げています。 実は今、バグワン(和尚)が要望していた禅の漢文経典が日本から届きました。しかし、漢文経典はすべて白文で書かれています。我々には、何が書かれているのかさっぱり分かりません。貴方は仏教僧で研究者だと聞きました。翻訳のお手伝いをしてくれませんか?」

私はこう答えました。
「同じ仏教といっても宗派によって全く考え方が違います。お役に立てるかどうかは分かりませんが、お手伝いできることがあればさせていただきます」

それから数日して、或る日本人女性が私にこう言いました。 「バグワン(和尚)の弟子になって仕事をすると、ゲートパスやフードパスが貰えます。どうせ手伝ってくれるなら、弟子になりませんか?」

彼女がそう仰るので、深く考えもしないでその申し出を承知しました。 私はバックパッカーだったので、経費が節約できるのは有難かったからです。でもそれが良かったのです。おかげで結果的に私は信心の道から瞑想の道に入りました。

12月25日が私のテークサンニャスの日になりました。テークサンニャスとは、仏教風に言えば得度です。

因みに、12月25日がキリストの誕生日と思っておられる方も多いようですが、実はキリストの誕生日は不明なのです。

一説には、古代ローマのミトラ教のミトラス神の誕生日に冬至を祝う風習があったので、その日をキリストの降誕祭にしたとされています。

ミトラス神のルーツはミトラスという名前から分かるように、インド・イランの共通神ミトラがヘレニズム文化を介し、地中海世界に組み込まれたと考えられています。インドのミトラ神のミトラ(Mitra)はサンスクリット語(梵語)です。

Mitraはヒンディー語やローマ字発音だとミトラとなりますが、梵語や英語ではマイトレーヤになります。

イタリアも日本もローマ字発音をします。Orionはローマ字読みだとオリオンですが、英語だとオライオンと発音します。

Lionはリオンでなく、ライオンとなります。

面白いのはインド英語もローマ字風の発音があることです。言語学は専門外なので正確なところは解りませんが、日本語の50音を表記する時、英語ではなくイタリア語(ローマ字)にしたのは、50音がインドの梵語(サンスクリット語)が原型だったことと関係しているのでしょう。

日本語の50音は梵語(サンスクリット語)の簡略系です。梵語(サンスクリット語)には「あいうえお」などの母音は勿論のこと「キャキュキョ、シャシュショ」のような拗音まであるのです。

日本の50音はインドの梵語(サンスクリット語)のアルファベットから来ているという学説は仏教研究者や言語学者には常識です。

しかし、和尚(おしょう)という発音が禅宗などの訛りで、普通はワジョウとかカショウと発音すること知っている日本人が少ない事と同じように、50音が梵語から来ていることさえ、日本人の多くが知りません。

実は日本語の多くがインドの言葉から来ています。勿論仏教のお陰です。ヒンディー語と日本語の語順は一緒です。

例えば、「私の名前はGiriです」をヒンディー語でいうと、 「メラナーム Giri ヘイ」となります。

メラナームはMy name です。メラが英語のMyのルーツにあたる印欧語なのは分かります。 問題はNameをローマ字読みにするとナメになります。 ナメは名前と似てますね。「ヘイ」は日本語の「です」にあたります。 つまりヒンディー語と日本語の語順は一緒です。

インド人やネパール人が短期間で日本語を覚えるのは、50音がインド発生のアルファベットで、語順が一緒、しかも仏教の影響で日本語になったインド語が沢山あるからなのです。

例えば、旦那、尼、頭陀袋のズダなど腐る程あります。

言語学は専門外なのでよく分かりませんが、 50音を英語表記にせずローマ表記にしたのは、なにか重大な理由があるのでしょう。

少なくとも梵語の発音はローマ字音に近い気がします。 例えば、AIUEOは英語では「エー、アイ、ユー、イー、オ」に近い音ですが 梵語では「あいうえお」に近い音です。

〇ミトラとマイトレア メシアと弥勒 ミトラはパーリ語ではメッティア(Metteyya)となります。メッティアはヘブライ語でマシアハ(mashiach)、更にギリシャ語でメシアス(messias)に変化します。 日本ではメシア(救世主)として知られています。

イランのバクトリア語系ではミロ(Miro)神と呼ばれ、そのMiroを中国人は弥勒と音写しました。

弥勒は56億7千万年後に救済仏となることを釈尊(お釈迦様)が予言した菩薩です。 弥勒は菩薩であって、ミトラ神やミロ神などの神ではありません。 大乗仏教では六道輪廻という考えがあります。

六道とは地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の世界で迷いのサークルです。 天とは神の事です。ギリシャ・ローマ神話の神のように、超能力を持っていても強烈なエゴから自由ではなく、他の神や人間を支配する神は悟った神ではなく、迷いの存在であるから、輪廻から解脱しないといつかは地獄に落ちます。

この迷いの輪廻から離れた存在が菩薩ですが、まだ完全な悟りを得ている存在ではありません。 仏になって完全な解脱(絶対的自由)が成就するとされています。 完全な解脱を達成することを成仏と言います。

成仏とはブッダ(覚者)になるという事です。従って死んだくらいで成仏はできません。 気の遠くなるような長い修行を経てやっと成仏します。エンライトします。覚醒します。

マイトレーヤが仏教やヒンドゥー教、キリスト教などの宗派を超えて救世主と考えられているのは、弥勒菩薩の未来救済者的性格によるものですが、仏教者から見れば未だ悟らぬミトラ神と同一視されるのは困るという研究者もいます。

〇バグワンの名前を捨てる。
私がOSHO(和尚)の弟子になった翌日、12月26日にOSHO(和尚)は長い療養生活から戻り講話を始めました。 そこで彼は「私はバグワンという名前を捨てる」という宣言をしました。そして新しい名前を、なんとマイトレーヤ・ザ・ブッダにしました。

弥勒菩薩は釈尊に「56億7千万年後に仏陀となり世界を救済する」と予言された「未来救済仏」です。

釈尊の弟子だった当時は仏陀の一つ手前の菩薩の位でした。 それを「仏陀としてのマイトレーヤ」と宣言したのだから、多少なりとも仏教を学んだ人なら「自分は弥勒菩薩だった。この度、完全に覚醒して世界を救済する弥勒仏になった。私は救世主だ」と宣言したと理解します。
事実、OSHO(和尚)は「56億7千万年というのは計算違いで、本当は2500年後だ」と言いました。

つまりOSHO(和尚)は自分をマイトレーヤだと宣言したのです。

正直、仏教僧だった私はその講話を聞いて腰を抜かしそうになりました。 しかし翌日、OSHO(和尚)はすぐに名前を変えました。バグワンという名前を主張したことで昔からずっとバッシングを受けていたから改名したのに、自分が救世主だと主張したら、同じ轍を踏むと考えたのだと言う人もいますが、それが事実かどうかはOSHO(和尚)自身何も語っていないので不明です。

彼はその翌日も名前を変えました。そして、その翌日も。 結局、毎日名前を変えて、6日目の12月31日に「私をラジニーシと呼ぶだけで良い」と宣言して、ニューネーム騒動は終わりました。

〇私がOSHO(和尚)という名を提案する

年が明けて、翌年1989年1月7日、私がコミューン内を歩いていると、ある日本人女性が私を呼び止めました。それは昭和最後の日でした。 彼女は私にフードパスの話をして、テークサンニャスを勧めた女性でした。その人はウエスタナー(西洋人)の女性と一緒でした。

その日本人女性はウエスタナーの女性を示し、こう言いました。 「彼女はコミューンの上層部の方です。貴方に聞きたいことがあったので探していました」 後で皆さんにその日本人女性のことを聞くと、OSHO(和尚)の国際秘書のハーシャの更に秘書的役割をしていたと言うのです。 ですので、その一緒にいた女性はハーシャに違いないと翻訳部の日本人は言っていました。

ハーシャらしき女性は私に尋ねました。

「貴方は日本の仏教僧ですね?日本ではプリーストのことをなんと呼びますか?」 私は答えました。

「色々な呼び方があります。和尚とか、坊さん、坊主とか、住職、院主さん等たくさんあります。宗派によっても呼び名が違います」 すると彼女はこう言いました。
「これから私が言うことは、当分極秘にしてください。 貴方も知っているように、バグワンはその名前を捨てて、毎日名前を変えました。彼は最後に私の事をラジニーシと呼んで良いと言いました。 しかし、我々は彼をラジニーシと呼びたくはないのです。我々は新しい名前を彼に贈りたいのです」 「新しい名前には3つの条件があります。
1.バグワン(最高神)のような特別な名前ではなく、もっと普通の名前を贈りたい。

2.彼は日本の禅が好きなので、日本の禅に因んだ名前を贈りたい。

3.ヤフーの代わりになる名前を贈りたい。 この条件に合った名前はなんですか?」

私は即座に答えました。

「それなら和尚しかありません。 和尚という字は、普通『わじょう』とか『かしょう』と発音します。ところが禅宗では『おしょう』と訛って発音します。

従って、日本の禅に因んだ名前という条件に該当します」

「第二に、和尚という呼び名は本来は位の高い僧侶についた名前です。

ところが、現在、日本でお寺の和尚さんと言えば、普通のお坊さんのことを示します。日本人は親しみをこめて他宗の僧侶に対しても『和尚さん』と呼びます。 だから、バグワンのように特別な名前ではないという条件に当てはまります」

「仏教用語は、パーリ語かサンスクリット語由来のものが多いのです。和尚という言葉はおそらく、パーリ語かサンスクリット語から来ているでしょう。 しかし、私は旅先で辞書を持っていません。後で語源を調べてください」

「三番目の条件です。ヤフーの代わりにということですが、日本人からすると、バグワンに向かって『坊さん!』とか『坊主!』とか『住職!』とか叫ぶのは違和感を覚えます。サウンド的には『和尚!』が一番良いですね」

私がこう話した1か月後に、バグワンは「OSHO(和尚)ラジニーシ」という名前を採用しました。

OSHO(和尚)はこう語りました。 「この名前は、極東の国(日本)の禅僧の名前に因んでいる。バグワンのように特別な名前ではなく普通の名前だ。何より『OSHO!』というサウンドが良い」 そう宣言したのです。

OSHO(和尚)は私の勧めた理由を総て了承して、この名を採用しました。 私は世界的に有名な神秘家の名前を提案したことが嬉しくなって、OSHO(和尚)との心の距離を一挙に縮めました。

後で翻訳部に居た日本人から聞いた話ですが、ジャパニーズ翻訳部にも当然この話は来ていたそうです。 従って、「和尚」とか「坊さん」とかの案はでていたけれど、皆さんが仏教に明るくなかったので、先の日本女性が仏教僧であった私に打診してきたということのようでした。

この話を伺って、あの時コミューンの上層部と紹介された人が、私の提案をコミューンに伝えたことが真実だと知り嬉しかったのです。

その後、上層部でどういう経緯があってOSHO(和尚)という名に決定したかは知りません。ギータという日本人女性がハーシャの報告を受けて、その結果OSHO(和尚)の名を勧めたという噂を聞きました。 多分そうなのでしょう。

私はOSHO(和尚)の名をハーシャと思しき女性に勧めたまでの経緯を説明しただけで上層部での話し合いは存じ上げません。

ともあれ、私が提案した通りのことをOSHO(和尚)自身が仰ったので私は幸せでした。


私が先に申した通り、仏教用語の大半はパーリ語かサンスクリット語というインドの言葉に由来するので、それを調べて欲しいとお願いしていました。

1989年当時は現在のようにスマートフォンが無かったし、ジャパニーズ翻訳部には仏教学辞典さえ無かったのです。

私は「よくこれで翻訳が出来るな!」と呆れていました。同時に翻訳部の能力の高さに驚きました。これが信仰のなせる業かと感服しました。

研究者なら国語辞典一冊しかない環境で翻訳を引き受ける者は皆無でしょう。 私の願いを受けて、ジャパニーズ翻訳部のスタッフは日本にいる禅僧でOSHO(和尚)の弟子であるアナンド・モンジュに調査を依頼したと聞きました。

日本からモンジュのリサーチ結果が届くのに数か月を要したと思います。 そして和尚の語源がサンスクリット語のウッパディヤーヤ(upādhyāya)であることが分かったのです。 調査結果が翻訳部に届いてから、暫くしてモンジュはプーナに来ました。 私は彼がOSHO(和尚)の梵語(サンスクリット語)を調査してくれたことについてお礼を言いました。

彼は「すると君が、、、、」と絶句して沈黙しました。

OSHO(和尚)ラジニーシは最初、アチャリア・ラジニーシという名前で登場しました。 アチャリアは中国語に音写されています。阿闍梨(あじゃり)です。

次に彼はバグワンという名前に変えました。 バグワンはバガヴァンとも発音されます。バグワン(バガヴァン)とは大神であるシヴァ神、ブラフマー神(梵天)、ビシュヌ神など最高神に付く尊称です。

インド人にとってOSHO(和尚)がバグワンと名乗ることは、自分がこの宇宙を創造して、維持し、破壊して新たな宇宙を創造する絶対神だと宣言することと同じ意味にとります。

因みに、インドの神々の中の王はインドラ神(帝釈天)ですが、バグワンと尊称される最高神はインドラ神より遥か上位に位置する別格の大神です。そんじょそこらの神様にはつけられない敬称です。

そして最後の名前が、私の提案したOSHO(和尚)になったのです。

さてそれでは私がOSHO(和尚)という名の語源、ウッパディアーヤ(upādhyāya)の意味を知った経緯を説明します。
そのことで大変な問題が発覚しました。


〇OSHO(和尚)コミューンで、最初のエソテリックサークル(仮称)のメンバーに選ばれる。

実は、私はOSHO(和尚)コミューンで秘密裏に作られたあるサークルの最初のメンバーに選ばれていました。
その時、選ばれるのはエンライトを認められた者だけであり、メンバーは私をいれて現在二人だけだという事を知らされました。

どういう組織で、誰がどのようにやっているのか極秘だと言うのです。
私は責任者の女性にこう聞きました。

「それは噂に聞くエソテリックサークル(秘教サークル)なのですか?」 すると彼女は応えました。 「そう考えて貰って構わない」 その事は極秘事項なので、組織名も、 もう一人のメンバーの名前さえ教えてもらえませんでした

しかし、もう一人のメンバーが誰なのかすぐに知ることになりました。
私はエソテリックメンバーに選ばれたお陰で、OSHO(和尚)の図書館に自由に出入りして本を読むことや、総ての瞑想クラスやコースにアシスタントやヘルパーとして無料で参加出来る特権を得ていました。

私は私の覚醒を認めた人たちが、サイキックではあるが覚者ではないことを知っているので、そのことを持って自慢の種にする気はありません。 サマーディ成就者はサマーディ成就者以外の、誰の認可も必要としません。

私は太母さんやババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方を信頼しています。私は覚者の言を信じます。

従って、これから話す内容をもって私の金字塔にする気はありません。 先ずその事を明確にします。

私が金字塔にすべきことは、一応自力でサマーディを成就したことであり、ヒマラヤでの完全なサイレンス(沈黙行)の中で行われた240日間不眠断食座禅です。
そして現在進行している「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」だけです。

私はサマーディ(=ニルバーナ・解脱)成就後にOSHO(和尚)コミューンでサイキックなリーディングを何度か受けたことが有りました。

例えば、オーラの色を見るリーディングでは「すべてのチャクラがゴールドです。羨ましい!」と言われました。

チャクラのリーディングでは「すべてのチャクラがエンプティです。空です。エンライトしています。私はいつか貴方のようになりたいです!」と言われました。

「すべてのチャクラにレゾナンスがあるとも言われました」

日本でも有数の霊能力者達からは、これ以上の賛辞もいただきました。

私はその方たちに感謝しています。
でもそれを自慢の種にする気などありません。 その程度の事で自慢する人は、深い瞑想を体験したことが無い人だけです。

パイロットババ猊下が私にこう言いました。

「サイキックな人々の言う事は気にするな。彼らの覚者への評価はころころ変わる」 実際、私も同じ体験をしました。

実は、私は、世界的に有名なサイキックの方が開催した「日本人の為の○○ミニグループ」に参加したことが有ります。

私には問題が無いのですが、彼女に、色々事情があるようなので、ここではお名前を伏せさせていただきます。 私は彼女のリーディングに感謝しているので、彼女には迷惑をかけたくないのです。

その方の名前をSさんとします。 その方のリーディングの結果はこうでした。 Sさんは他の人のリーディングは念入りに行っていましたが、私のリーディングをあっという間に終えました。 彼女は「貴方のリーディングは簡単です」と満面の笑みを湛え、日本人の参加者達の前でこう言いました。

「おめでとうございます。貴方は達成しました。 貴方のすべてのチャクラにはOSHO(和尚)の光が入っています。

すべてのチャクラにレゾナンスがあります。
3か月前にリーディングした時とは全く違います。 もう瞑想をしなくて良いです。ただリラックスしてエンライトメントを待ちなさい」

「ここに河があるとします。 河の向こう側がエンライトメントの世界です」 (つまり仏教的に言えば彼岸です。彼方にある岸ということで覚醒した世界です)

「今、貴方はまだ河のこちら側にいます」 (仏教的に言えば此岸です。迷いの世界です) 「でも貴方はすぐに河の向こう側に行きます。 それまで何もしないで寝そべっていてください。

OSHO(和尚)はこういう状況の時は瞑想さえも必要ないと言っています。ただリラックスしていれば、すぐに彼岸(エンライトした世界)に往きます」

実は、その時私は彼女の言う通り、私はサマーディ成就直前でしたが、まだ最初のサマーディを成就していませんでした。

しかし、彼女の言う通り、私はその後すぐにサマーディを成就しました。

ここで新たな問題が起こりました。 サマーディ直前の時のリーディングと、サマーディ成就後のリーディング結果は違うものになります。

その事で、後日セラピスト同士で、意見の違いが起こったようですが、それは当然でしょう。

謎のサークルからの招待で、私は総てのグループやコースに参加できる特権を頂きました。 あるグループのセラピストは「OSHO(和尚)が肉体を離れたので、OSHO(和尚)の代わりにグループにアシスタントとして参加してください」と言いました。

私はアシスタントとしてそのグループに招聘されました。 アシスタントは英語ができるのが必須ですが、その頃の私はアシスタントができるほど英語力が無かったので、通訳をつけてくれれば参加しますと答えました。

そのセラピストたちは、「アシスタントに通訳をつけるなんて聞いたことがりません。 特に、日本人の通訳は圧倒的に少ないので、コミューンでは手配できません。 貴方の友人に通訳を頼めるのなら特例で認めます」と折れてくれました。

私は当時友人だったヘマという女性に通訳についてもらいました。 そこで、初めて「インナーコミュニケーション」と呼ばれる神秘体験を参加者に起こしたのです。そこで外国人の間で、「あの日本人はエンライトしている」という噂がたちました。

外国人たちがリスペクトを持って虚心坦懐に私に接してくれたおかげで、セラピストは勿論のこと、参加者も神秘体験をしました。 特にオランダ人女性のディビアに起こしたインナーコミュニュケーションは私にとっても初めての体験でしたので印象が強いです。

私が最初に『インナーコミュニケーション』を起こしたディビアと共に 改訂版


ところが一部の日本人の間では、私の自由奔放な生き方が災いしてか、「グルトリップしている」とか「エゴトリップしている」とバッシングされました。 私は過去の行いがゆえにバッシングされたのは、自業自得なので受け入れました。

私は闇の中にいたからこそ光を求めました。苦悩の中に有ったからこそ浄土を求めました。 そして光明を獲ました。

親鸞の弟子の唯円が作者だといわれる歎異抄の中で「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」と親鸞が語っています。

善人でも往生するのだから、まして悪人が往生できないはずがあろうかというのです。
悪人は闇の中でもがき苦しんでいるから光を求めます。 煩悩があるからこそ、菩提(悟り)を求めます。 善人はこの世界で満足しているから覚醒を求めません。

達摩大師はシッディーパワーを得て宮中の美しい女性を犯すなど、さんざん悪事を働きましたが、その事に慚愧してディアーナ(禅)の道に入り悟りを得ました。
サンスクリット語のディアーナ、そしておそらくパーリー語のゼンナを中国人は禅那(ぜんな)と音写しました。
禅那の短縮形が禅です。
鈴木大拙は梵語のディアーナを中国では禅那(ぜんな)と言い、日本で禅になったと語っていますが、彼は一度もインドに行っていないので間違えてしまいました。
禅という文字を中国人に見せると、大抵は北京語のチャンと発音します。


達摩大師は、まさに煩悩即菩提を地で示しています。

煩悩即菩提とは、煩悩が多い分だけ悟りが多いというダイナミックな思想です。
私も煩悩で苦しんでいました。その煩悩の苦しみがニルバーナの起爆剤になりました。

さて、私がアシスタントとして参加したグループでは、
私と面識のない外国人たちは、私の過去のカルマを知らなかった。
だから、私と出会った時、彼らは私をジャッジせず、心を空っぽにしやすかった。
そのせいもあって多くの人が神秘体験をしました。

一部の日本人の方にもそれは起こりましたが、私と同じように自分がどうにもならない人間だと自覚している人たちが多かった。

私をジャッジしている人たちには何も起こらなかった。

現在私の傍にいる人達には様々な奇跡が起こっていますが、皆さん、自分を過信せず、自力無効を自覚し、虚心坦懐に、事実を事実として受け止める方にそれが起こることが多いようです。
詳しくはこちらです。

Miracle Story-奇跡譚-
マハヨギ・パイロットババジ猊下から受け継がれたサンカルパヨガ瞑想の実践者の周りでは、多くの奇跡体験が報告されています。猊下とヒマラヤのアヴァター様(神の化身・権現)が奇跡を見せてくださるのは、世界平和・母なる地球の保護の為に人類の覚醒を...

ミスティックローズというグループができた時、私はそのグループやコースに参加したことが無かったのにヘルパーとして参加しました。

ヘルパーには○○〇という日本人女性がいました。 彼女はミスティックローズのコースを修了して、ヘルパーに選ばれました。 彼女は私に尋ねました。

「貴方は、コースはおろか、グループさえ参加していないのに、どうしてヘルパーに選ばれたの?」 私は「さあどうしてかな」と、とぼけるしかありませんでした。


さて、和尚(OSHO)と言う名前が何故問題になったのか本題に入ります。

ある時、私がOSHO(和尚)の図書館に入室すると、インド人の男性がいました。
お互い驚いて顔を見合わせました。

何故かと言うと、和尚(OSHO)の図書館で読書できる人は少ないと思っていたからです。
OSHO(和尚)の図書館で和尚の本を読む特権を持つ人は少ないので、お互いに、相手がもう一人のエソテリックサークルのメンバーだと解りました。

彼はインドの大学で、哲学科の教授をしていると自己紹介しました。
そこで、私は彼に和尚の語源がウッパディヤーヤであることを伝えました。 ウッパディヤーヤについて詳しく聞きたかったからです。
彼は私の話を聞いて驚いた表情でした。

そして「実に興味深い。実に興味深い」と答えました。 続けて彼はこう言いました。

「インドには教師を示す言葉が4つあります。
1番上の教師はグル(GURU)と言います。グルは解脱したマスターという意味です。 (注 ちなみに中国人はグルを導師と翻訳しました。)

2番目はアチャリア(阿闍梨)です。 アチャリアは、完全解脱はしていませんが、解脱直前の段階です。

3番目がウッパディアーヤ(和尚)です。

4番目がシャストリ(声明僧)です」

私は彼の説明を受けて衝撃を受けました。 OSHO(和尚)は最初、アチャリア・ラジニーシという名前でした。 教師の位で言えばグルの一段下です。 次は、そのグルを飛び越えてバグワンになりました。 そして、最後がアチャリアより更にワンランク下のウッパディアーヤ(和尚)になったのです。

私は動揺しましたが、OSHO(和尚)コミューンの上層部はこの事実を知り、更に動揺したようでした。 そしてOSHO(和尚)タイムスか何かでOSHO(和尚)の名の由来を説明しました。

それを読んで私は驚きました。 彼らはOSHO(和尚)の名の由来を変えたのです。 彼らは「OSHOという名前は、ウイリアム・ジェームスのオーシャニックに由来する」と言うのです。

私は苦笑しました。 和尚がアチャリアの一段下の位だと知ったから、名前の由来を変えたのです。

しかし、後になってOSHO(和尚)本人が「OSHO(和尚)の名前で良い!OSHO(和尚)は極東の国(日本)の禅僧を示す言葉だ。普通の僧侶の名前だ。何より私はOSHOというサウンドが気に入っている」と宣言しました。

それで上層部も納得したようです。私も胸を撫で下ろしました。

その後「OSHO(和尚)ラジニーシ」からラジニーシを抜いて、OSHO(和尚)だけになりました。

余談ですが、OSHOという名の商標登録の問題で、アメリカのOSHO(和尚)コミューンが、裁判を起こしたという噂を聞きましたが馬鹿げたことです。

私は別に命名権を主張する気はありません。 私はコミューンで何人かの人達に、OSHO(和尚)という名前を提案したことを話しました。一人だけ「凄いね!」と言ってくれましたが、他の人には無視されました。どうやら作り話と思われたようです。なので、すぐに言うのを止めました。

私は、OSHO(和尚)という名前を提案した時、ジャパニーズ編集部でも和尚という名が候補に挙がっていたことは説明しています。 だから命名権を主張していないとはっきり申し上げているのに、その事が受け入れられない人は、相変わらず、「偽物のグルの誕生を見よう」みたいな、ジャッジをしてくるのです。 私はまたかと思いましたが、すぐに何とも思わなくなりました。

OSHO(和尚)が言っていましたが、瞑想の世界は実力主義の世界です。 私のように240日間不眠断食座禅をしてからものを言えとは言わないけれど、せめて、サンカルパヨガ瞑想リトリートで皆さんが成就した程度の瞑想を体験して欲しいのです。

四泊五日のリトリートで連続81時間不眠断食瞑想をした人もいます。
次は77時間で、その次は66時間です。
一番瞑想できなかった方でも40時間は不眠断食瞑想を成就しています。

瞑想を生まれて初めてした人でも「アヴァターフィールド」の中では57時間瞑想できたのです。
口先だけのアヴァターフィールド・ブッダフィールドでないことは結果が証明しています。

私の体験では一日10時間以上トータルに座れれば1秒でも無心の状態がありました。

我が師で生身の肉体を持ちながら24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められているババジはこう教えてくれました。
「無心はサマーディ(=ニルバーナ・真如)から来る」
つまり無心は最低でもエンライトメントの世界です。

たかが10時間も瞑想できない人が何を言っても真の修行者には何も感じません。

深い瞑想を経験した人は、娑婆世間から離れたくなります。
私がヒマラヤで240日間不眠断食座禅した時は、完全なサイレンス(沈黙行)に在りました。

部屋の中に籠りアシュラム内の修行者たちとも240日間会いませんでした。

瞑想者はアローンネスの素晴らしさに浸ります。 深い瞑想体験した瞑想者は、世人と関わって偽マスターになりたいとか思わなくなります。

誰とも関わりたくなくなるものです。
修行者は一人でいるのを好みます。

マスターとして世に出るのさえ嫌がるものです。
釈尊(お釈迦様)がブッダガヤで最初のサマ・サマーディを達成した後に誰にも言わずにこの世界を離れようとしたと言うのは当然なのです。

釈尊(お釈迦様)の仲間の修行者たちは、釈尊を修行半ばで脱落した落ちこぼれとして非難していた。
サマーディ(=ニルバーナ・真如)の世界は人間の思考では理解できないものです。
グルジェフの譬えを援用するとアメーバーに量子力学を説くようなものです。
だから釈尊は覚醒後そのまま世界から離れようとした。
それを梵天さんが「一切衆生の為にダルマを説いてください」と頼んだので戻ってきたという話があります。所謂梵天勧請(ぼんてんかんじょう)です。


私の場合も世間に戻らず命を捨ててサマーディ(=ニルバーナ・真如)世界に戻ろうとしたところ、我が師パイロットババ猊下が240日間不眠断食座禅の後、私の役割を諭しました。それで私は世間に戻りました。

重い十字架を背負った感じで、私はヒマラヤから下山して「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」を始めました。

私は世間の中でさんざんマインドを使っていたことにうんざりしていました。 何かを変えていきたいという考えさえなくなりました。 変えようとしても変わらないことに気づいていました。

或る日、自分の無明を晴らすには解脱するしかないと決断しました。 一つ一つ解決するのではなく、事の全体をひっくり返したいと魂の底から望んだものです。 モクシャ(解脱=完全な自由)を強く望んだのです。

私は、解脱するしか解決できないほどの重い病にかかっていたのです。 それが成就できた時、私はその事を人びとにシェアしたかった。

でも誰も話を聞く人はいなかった。 話しても狂人扱いされるのは解っていたので、29年間その事を隠してきました。

パイロットババ猊下もこう仰いました。 「貴方が達成したことは時がくるまで秘密にしなさい。 エゴの強い人々が貴方に嫉妬して攻撃するからだ」 私はずっとそうされてきたので納得しました。

しかし、私も高齢になったので、私の話を虚心坦懐に聞け、霊的成長できる人だけの為に、私はサマーディ(=ニルバーナ・解脱)成就を明かしました。 パイロットババ猊下に「貴方は達成した。今度はそれを人びとにシェアしなさい」と言われた時、私は泣く泣くヒマラヤを下りました。
私がヘビーロードを歩むのが判っていたからです。 私は茨の道を歩んできたので、これ以上大変な思いはしたくなかったのでした。

人びとの為に動けば動くほど、多くの人々から「グルトリップしている」とか「マインドトリップしている」と非難されました。

私は孤独でした。 ヒマラヤでサイレンス(沈黙行)を続けている時は、アローンネス(独存)であり孤独では無かった。

一人で瞑想できたあの頃が人生で一番素晴らしかった。

瞑想を始めてから40年経ちましたが、240日間不眠断食座禅の時ほど充実した生は無かった。

世間に出て偽マスターをしたいなどと思う人は、深い瞑想体験が無い人だけです。 覚醒した人の多くは世捨て人になります。 世間には戻りません。 釈尊もサマ・サマーディを成就した時、世間に戻らず、そのまま隠遁しようとしました。 覚醒した内容を言葉では説明できないと悟ったからです。 悟った内容をジャッジされることも分っていたはずです。 私もそうでした。

サマーディ成就してから、一番話したかった相手はかつての僧侶仲間でした。 「仏典に書いてあることは、殆ど方便とは言え、真実を語っていた。 私は体験するまで、心の底では、経典に書かれていることは神話だと思っていた。 でもそれは真実だった」 そう言いたかったが、同時に絶対に受け入れて貰えないこともすぐに解りました。

私が長い間、世間から隠遁していたのは、ジャッジメンタルな人々との不毛な争いをしたくなかったからです。自分自身、昔はそうした世界に居たのでもうたくさんでした。

瞑想ができていない人たちだけが、あれこれ瞑想者をジャッジします。 私は聖者の道を歩んできたわけではありません。 無明の中に有りました。 自分は、どうしようもない人間だと自覚して、煩悩具足の凡夫を自覚して、サマーディ成就しか救いは無いと心の底から願いました。

そして1989年に生まれて初めてサマーディ成就を決断しました。 魂が、セラピーやら生活の為の瞑想法などでは満足できず、根本的な解決であるニルバーナ(涅槃)を求めていました。 そして幸いにも、1989年に瞑想3か月目にして最初のサマーディを成就しました。


私は色々な人が色々な立場の中で、宗派を問わず「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」に専念して欲しいと願っています。
北伝仏教では煩悩即菩提と言います。 煩悩が即ち菩提(覚醒)だと言うのです。 煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心、つまり菩提心も生まれると考えるのです。 エンライトメント、サマーディを達成しても煩悩は残ります。

ヒマラヤ秘法のヨガを習って知らされましたが、エンライトメントはサマーディのスタートラインにすぎないのです。 でもエンライトメントの世界を体験すれば、もうこれ以上の世界を望むことは無くなるくらい素晴らしい。 そうなれば、本人もそれ以上のステージを目指さなくなります。

でも、まだまだ先が有ります。 それ故、覚醒した人々は、更なる高みを目指すために、或いは衆生救済のために、輪廻の世界から解脱した後に、もう一度この迷妄の世界に戻ります。

24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められている、マハヨギ・パイロットババジ猊下の出生から現在までの在り方をみると、法華経の如来寿量品第16にある「久遠実成の仏」の考えは正しいと思います。

多くの覚者は、更なる高みに到るため、スタートラインのエンライトメントから最終ステージのニルビチャールサマーディに到るために煩悩を残しました。 或いは究極に達した後も衆生救済のために煩悩を残しました。そうしなければ輪廻転生の世界に戻り衆生を救えないからです。 究極のサマーディであるニルビチャールサマーディを成就しても、実はまだ先が有るのです。

パイロットババ猊下のように、「いつでもどこでも、一瞬にして覚醒した世界に往き、還って来られるサンカルパヨギの世界」が本当の意味での究極です。 それは、釈尊(お釈迦様)が6年も修行して到達した真如(真実の世界)・サマーディーの世界に一瞬にして往き来できるステージです。

サンカルパ・サマーディーヨギのステージはかように、とんでもないほど高い世界です。 OSHO(和尚)がパイロットババ猊下にヨガの教えを請うた所以です。

私はあの当時、OSHO(和尚)を誰よりも愛していました。 OSHO(和尚)という名前の由来を知ったにもかかわらず、 その名前を受け入れたことが、OSHO(和尚)の勇気と覚悟を示しています。

OSHO(和尚)はバグワンでもなく、アチャリア(阿闍梨)でもなく、その一段下のウッパディアーヤ(和尚)の名を受け入れたのです。 私はOSHO(和尚)の心中を察しました。
私はOSHO(和尚)を深く愛していました。 私は彼の教えを愛していました。 パイロットババ猊下が仰ったように、彼は只者ではありません。 彼の講話は説得力に満ちています。

私はOSHO(和尚)の勇気と誠実さを信じます。 彼は異色の才能を持っています。 彼の体験は素晴らしい。 彼の洞察力は素晴らしい。 彼の教えも素晴らしい。 そのことは事実です。私は彼を愛していました。愛は永遠です。

OSHO(和尚)はリビングマスター(生きたマスター)の重要性を常に説いていました。 OSHO(和尚)はこう言っていました。 「私の死後、貴方がリビングマスターに会ったら迷わずその方の弟子になりなさい」

マスターがそう言うのは当然です。 例えば幼い子供を残して親が死に行くとき、「私が死んだら伯父さんのところの子供になるのだよ」と言うでしょう。 「私が死んだ後に他の人を親にしてはいけない。餓死してでも私以外の親を持ってはならない」と言ったら鬼畜です。 私は「インド二千万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛され、インド政府が公認する世界に二人しかいないシッダマスターであるマハヨギ・パイロットババジ猊下にお会いしてすぐに、猊下が我々など足元にも及ばない高い存在だと気づきました。

それでも私はOSHO(和尚)への愛が執着になり、猊下の弟子になることが遅れました。 OSHO(和尚)を愛したことに悔いはないけれど、これだけは失敗だと思っています。

OSHO(和尚)に本当の意味で感謝するなら、できるだけ早くパイロットババ猊下に師事すべきでした。 もっと早く猊下の弟子にさせていただくべきでした。

そうであったのなら私はもっと早く霊的成長を遂げていた事でしょう。 それが弟子たちの霊的成長を願うOSHO(和尚)の本望に違いありません。 〇OSHO(和尚)を二度も助けた我が師パイロットババ猊下


パイロットババ猊下がOSHO(和尚)を二度も助けたことは、私にとってとても嬉しいことでした。 OSHO(和尚)は1980年代、アメリカのオレゴン州にOSHO(和尚)コミューンを持っていました。 彼は堕落した組織宗教を厳しく批判しました。とりわけ教会キリスト教や組織主義的仏教教団を歯に衣着せず批判をしていたので、キリスト教右派のレーガン大統領からは憎まれていました。

OSHO(和尚)コミューンの発表では、彼は冤罪を着せられ留置され、猛毒のタリウムを盛られ、アメリカから追放されたとのことです。 彼はアメリカを追放されたばかりではありません。アメリカは世界各国に手を回し、彼を危険人物として二十数か国から入国拒否させました。

しまいには、母国のインドからも入国拒否を食らったのです。 ところがそのOSHO(和尚)を二度にわたって助けたのがパイロットババ猊下だったのです。

私はこの話をネパール最初のOSHO(和尚)の弟子、アナンド・アルーンから聞きました。 私がアナンド・アルーンに会うことになったのは、OSHO(和尚)がエンライトメントを認めた太母さんが私をサイババへのアシュラムにメッセージを届けさせたお陰です。

太母さんは富山県の大門町生まれの覚者です。
私がお会いした当時は鎌倉にお寺を持っていました。

私は太母さんの使いでサイババ・アシュラムに行きました。
その過程の中で私はアナンド・アルーンに会いました。 私は信じられないような偶然の重なりを経て、パイロットババ猊下とサイババ・アシュラムの近くで再会しました。

その時パイロットババ猊下は私にこう仰いました。

「ヒマラヤに一万二千年間秘密の瞑想法がある。私は貴方に3か月間マンツーマンで伝授したい。ナイニタールのアシュラム(僧院)に来なさい」 私はあまりの幸運に喜びました。

私は勿論行きますと答えました。ただインドビザの有効期限が迫っているので、新しいビザを取得するためにネパールに向かってからインドに再入国しますと申し添えました。

そしてネパールの首都カトマンズでビザを取得した帰り道で偶然、アナンド・アルーンの弟子に会い、彼のアシュラムに行ったのです。

こういう偶然が何百回も続くのです。 私が鎌倉の覚者の太母さんの願いでサイババに会いに行き、パイロットババ猊下に再会するまでの信じられないような偶然についての記事は以下のURLをクリックしてください。

私をソウルメイトと仰った太母様。年々、白光と黄金色に変化する不思議なお写真

私はアナンド・アルーンに会ってすぐに彼に聞きました。
「貴方はパイロットババ猊下を知っていますか?」 予想外なことに彼はこう答えたのです。

「勿論知っています。我々OSHO(和尚)の弟子はパイロットババ猊下に感謝しています。 今パイロットババ猊下はネパール王宮にいらっしゃいます」

ネパール国王夫妻はパイロットババ猊下の信者なのです。
猊下はSasaram王国の王子として出生されました。王妃はパイロットババ猊下の元恋人だったそうです。 「オレゴン追放以前はインドの政治家の信者もたくさんいました。

彼らはOSHO(和尚))をなにかと助けてくれました。 しかし、オレゴン追放以降は誰一人助けてくれませんでした。あの当時OSHO(和尚)を助けることはアメリカの怒りを買うことなので、とても危険だったのです。 それなのにパイロットババ猊下はOSHO(和尚)を助けてくれました。だから我々弟子はとても感謝しているのです」 私はアナンド・アルーンのその言葉を聞いて、パイロットババ猊下にお会いする喜びが更に湧きました。 後日知ったことですが、OSHO(和尚)とOSHO(和尚)がボディーサットヴァ(菩薩)と認めたヨギ・チンマヤもパイロットババ猊下にヨガを習ったと知った時は心底驚きました。

私はヨギ・チンマヤに会いに行った時にパイロットババ猊下のことを教えられたのです。

ヨギ・チンマヤはパイロットババ猊下のアシュラムに滞在したことを認めていました。

私は、パイロットババ猊下にお会いして直ぐに伺いました。 「どうしてパイロットババ猊下はOSHO(和尚)を助けたのですか?」 すると猊下は予想もしなかったことを答えてくださいました。

「私は彼のことで大好きな部分もあるし嫌いな部分がある」 続けて猊下はこう仰いました。 「彼の良いところは言葉のチョイスが美しいことだ。私も彼の言葉を使うことがある。言葉は誰にも属さない。 ブッダもヒンドゥー教の言葉を沢山借用した。人類の覚醒の為にはそれが必要だから。誰もブッダを著作権侵害の疑いで告発はしない」

「私が彼を助けたのは、一つには彼が私に教えを請うた過去があったからだ。 彼はクンブメーラの会場で私にヨガを教えてほしいと言ってプラナーム(接足作礼)してきた。 私は彼にヒマラヤ秘法のヨガの一部を教えた。 私は彼の素晴らしい部分を知っているが、彼はあちこちで論争を仕掛け敵を多くの作った。

それ故、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シーク教徒からも憎しみを買った。シーク教徒からは暗殺されかけたこともあった。 しかし、ヒンドゥー教はすべての宗教をリスペクトしている宗教だ。 ヒンドゥー教徒が他宗派を弾圧するのは良くない。私は彼を助けたかった。 だから私の信者のネパール国王夫妻を説得してラジニーシをネパールに入国させた」

「入国してからしばらくして、ネパール国王が彼を王宮に招待した。 ところがラジニーシは、グルに会いたければ貴方から来なさいと国王に言った。 国王からすれば、ラジニーシは多くの国が入国拒否した危険人物だ。その彼を助けるにはリスクが伴う。そのリスクを冒して招待したにもかかわらず、会いたければ貴方から来なさいと言われて国王は激怒した。 だから国王はラジニーシを国外追放にした」

実は、この話を私はプーナでも聞いていました。 OSHO(和尚)本人がディスコースで同じことを言っていたので間違いありません。

そして偶然ですが、私は同じ時期にOSHO(和尚)が滞在していたソルティーホテルの目と鼻の先のホテルに滞在していました。 アナンド・アルーンのOSHO(和尚)センターもすぐ近くにありました。

猊下はさらに仰いました。

「その後、ラジニーシはインドに帰国しようとしたが、今度は母国のインドから入国拒否された。 その時のインド首相は、インディラ・ガンジー首相の息子のラジブ・ガンジー首相だった。 インディラ・ガンジー首相と私は懇意だった。 息子のラジブ・ガンジー首相と私は空軍中佐仲間だった。 私はラジブ・ガンジー首相を説得した。

『ヒンドゥー教はあらゆる宗教を認めている。貴方がインド人のラジニーシを母国インドに入国させなければ、貴方は歴史に汚点を残す』 結局彼は私の説得を受け入れてラジニーシを入国させた」

パイロットババ猊下には、釈尊(お釈迦様)と同じように、権力者も帰依しています。 元インド首相でインドのナラシマ・ラオはパイロットババ猊下の信者です。 現インド首相のモディ氏はパイロットババ猊下の弟子です。 彼は30歳までヒマラヤで修行していたサドゥー(遊行者)でしたので、信者ではなく弟子になります。 こうした話を伺ったので、OSHO(和尚)オンリーだった私も次第に猊下に心を開いていきました。 私はOSHO(和尚)の没後、ラマナ・マハリシの高弟のプンジャジのアシュラムに行きました。

OSHO(和尚)の弟子だったのに、OSHO(和尚)を攻撃する人たちの中で私一人だけが、OSHO(和尚)コミューンで使用する白いローブを着ていました。 この姿はプンジャジのセンターで発売されているビデオに収録されています。 というのは、私がプンジャジ師のセンターに行った時、たまたまブッダセレブレーションの日に当たったので、仏典の読経を頼まれたのです。 その時、私はOSHO(和尚)コミューンで使っていた白のローブを着ていました。 多くの和尚系サンニャシンがOSHO(和尚)を批判する中で、私一人だけが白のローブを着ていたくらい頑固なOSHO(和尚)フリークでした。

そういう私でしたので、すぐにパイロットババ猊下の弟子にはなれませんでした。 しかし、パイロットババ猊下の圧倒的な真実の前で、毎日起こる奇跡の中で、時間はかかったけれど私はパイロットババ猊下の弟子になりました。

上述したように、OSHO(和尚)の高弟でOSHO(和尚)からボディーサットヴァ(菩薩)として認められていたヨギ・チンマヤも、ババジ猊下にヨガを教わりに行った事実を後年知り、驚きました。

このことはヨギ・チンマヤ自身も認めていました。

総てはババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のお力のお陰です。 ヒマラヤのアヴァター様方の橋渡しをしてくださった太母さんにも感謝しています。

ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の恩徳には骨を砕いても報ずべきです。 総ての仏縁、神縁に感謝しています。 私を瞑想の道に導いてくれたOSHO(和尚)にも感謝しています。

OSHO(和尚)は「私が死んだ後、貴方がリビングマスターに出会えば、すぐにそのマスターに師事しなさい。前のマスターには感謝して別れなさい」と言っていました。

私はその言葉のお陰で24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められている、マハヨギ・パイロットババジ猊下の弟子に成れました。

私はOSHO(和尚)コミューンでサンニャスセレブレーションをするグループに招待されましたが、色々あってお断りしました。

それがきっかけとなって、私はコミューンを出る決意をしました。 そして、OSHO(和尚)の高弟だったヨギ・チンマヤのところに出かけました。 それがご縁で、私はヒマラヤの聖地で将来のマスターとなる我が師パイロットババ猊下にお会いできました。

まさに人生万事塞翁が馬です。 すべてのマスターの御恩に報いるために私は、娑婆世間の無明の荒波に戻ってきました。

五濁悪世の世界に戻るのは苦しく、ヒマラヤで、一人でサイレンス(沈黙行)している中で、この世界を離れたかったのです。よりによってマスターになるために世間に戻されることになるとは思いませんでした。

私はまず、自分が何時でも何処でも、エンライトメント、サマーディ、ニルバーナと呼ばれる真如(真実の世界)に自由に往き、そして自由に還って来られるパイロットババ猊下のようなサンカルパ・サマーディーヨギになるまではヒマラヤに留まりたかったのですが、それは許されませんでした。

過去の私のカルマの為、試練が続き、努力が実を結びませんでした。
それで、隠遁生活を決め込みました。

しかし、ヒマラヤのアヴァター様方に何度も娑婆世間に戻されました。 そして、最近、やっと努力が実を結び「宇宙船地球号・弥陀の願船」に乗船できる人々が集まってきています。 やっと「愛し合い、助け合い、高め合う御同朋・御同行達」が集まってきています。 「憎み合い、ジャッジし合い、低め合う」つまらない世界はもうたくさんです。 それが好きな人たちとは自然に離れていきます。

私の御同朋・御同行は皆、愛し合い、助け合い、高めあっています。 総てはババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の大きな力のお陰です。 その奇跡、その恩寵は台風を消滅させたり、癌患者の癌を半減させたばかりではありません。 ヒマラヤのアヴァター様(神の化身・権現)は何度も私や、私の御同朋・御同行の前に物質化して顕われています。

これらの奇跡の数々は有無を言わせません。 私の周りで起こり続けている奇跡が大きな力が存在する証拠です。 論より証拠です。以下これまでの奇跡譚です。

Miracle Story-奇跡譚-
マハヨギ・パイロットババジ猊下から受け継がれたサンカルパヨガ瞑想の実践者の周りでは、多くの奇跡体験が報告されています。猊下とヒマラヤのアヴァター様(神の化身・権現)が奇跡を見せてくださるのは、世界平和・母なる地球の保護の為に人類の覚醒を...

私は大きな力のご加護を、身をもって体験している人々が、真剣に覚醒を求める人々を引き寄せていることを確信しています。 統一教会のようなカルトに騙される人々は、盲目的になり覚醒した眼を持ちません。

自分の師をリスペクトする気持ちは分りますが、真の仏弟子、真の覚者の弟子たちはパイロットババ猊下のような真の覚者(=仏陀)をリスペクトします。

私は総ての覚者をリスペクトする魂だけが「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア保護」「人類覚醒のワーク」を成就できると確信しています。 Aum Namah Shivaay

最後にネットでpilot babaと検索した時のこれまでの最大検索数を紹介します。

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