猊下からディクシャを授かる

 2018年11月15日

我が師、マハヨギ・パイロットババジ猊下のディクシャを受けた時の写真です。ディクシャとはイニシエーション(秘技伝授)のことです。この当時ディクシャは4ステージありました。最初がマントラディクシャで、次はサンスカーラディクシャ、そしてサンカルパディクシャ、最後がサンニャスディクシャです。

このディクシャをいただけるとサンニャシン、即ち、直弟子として認められます。何人たりとも、ワンステップずつステージを上げていくしかないと聞いていました。

しかし、猊下は私に最初から「サンニャスディクシャ」をくださいました。日本人初のサンニャシンに選んでいただきました。しかも飛び級です。

そればかりか、それから数年後に私を【サンカルパヨガ・ファンデーション】の代表者に推挙してくださいました。ファンデーションとは、財団とか教団とかいう意味です。

当時「ファンデーション」の名乗りを許されていたのは、“ 世界に二人しかいないインド政府公認のサマーディーヨギ ” である、パイロットババ猊下とヨグマタジ(相川桂子師)だけでした。私は畏れ多いので辞退いたしましたが、猊下は譲りませんでした。

そこで私は、私の弟子に相談して賛同を得たので重い腰をあげて引き受けました。猊下はこう仰いました。

「貴方のファンデーションは貴方に属する。私にもヨグマタジにも属さない。貴方の好きなように運営しなさい」

私は重圧で押しつぶされそうになりました。

私は猊下や、ヨグマタジを心の底から尊敬しています。インドでは猊下に師事し、日本ではヨグマタジに師事できると喜んでいたのです。猊下は私の父として、ヨグマタジは私の母として尊敬しています。

私はその後色々あって、私の弟子と信者にのみ瞑想指導する道を選びました。私のような未熟者が表にでて、猊下やヨグマタジの「ワールドピース・キャンペーン」の邪魔をしてはいけないと考えました。

しかし、ヨグマタジは、今や日本で最も偉大なサマーディーヨギとして有名になられました。近くの大きな書店に行けば、27冊の著書が置かれていました。私が和尚(OSHO)と命名した世界的に有名なインドの神秘家「和尚ラジーニーシ」の著書の在庫数を、上回る時もありました。私ごときの者が、なにか失敗してもヨグマタジはびくともしないほど、確固たる名声を得られています。

ヨグマタジのような本物のサンカルパ・サマーディーヨギを、日本人が理解してきている状況は、ヨグマタジを母として、師として仰いだ私には嬉しい限りです。

私がヨグマタジに初めてお会いしたのは、確か1995年でした。

ヨグマタジは、1991年インドで「公開サマーディー」を成就されました。日本でサマーディ成就を宣言される前のことです。サマーディーから戻られた後、猊下は、ヨグマタジに私を紹介してくださいました。ヨグマタジはサマーディのお話をたくさんしてくださいました。私に起こった「宇宙意識体験」の話をすると、ヨグマタジは驚かれ、私の体験がサマーディー(=ニルバーナ)であることを認めてくださいました。

そしてババジ猊下にテレパシーで呼ばれて、お隣の猊下のお部屋に行かれました。猊下はマタジとしばしやり取りをされていました。

私にはその話がテレパシーで伝わっていたのでした。

ババジ猊下のお部屋から帰られた後、マタジは私にこう仰いました。

「貴方に起こったことは間違いなくサマーディです。

しかしそれはゴールではなく、サンカルパ(意思)の力で、いつでもどこでもサマーディーに行けるステージがあるのです。貴方はそこまで行かねばなりません」

詳しい内容は秘密に属することなので口外できませんが、その時、私はヨグマタジが本物のサマーディーヨギだと確信しました。

私は今でもヨグマタジに対する畏敬の念を持っています。猊下が私の父であり、ヨグマタジが私の母であると思っています。

Om Shanti Shanti ! (愛と平和を!)

 

写真の説明はありません。
タイトルとURLをコピーしました