私は太母(たも)様を覚者として尊敬していました。それと同時に、とても親近感を抱いていました。
あの頃、太母様は81歳のおばあさんで、私は30半ばの男でした。
ある時、私にとても親しかった女性とインドのOshoコミューンで再会しました。彼女は口を開くなり私にこう言いました。
「実はインドに来る前に太母さんのお寺に行ったの。私が貴方の事を話したら、太母さんは『私あの人のソウルメイトなの』と言ったのよ!」
私は驚いて「それ何かの聞き間違いじゃないの?」と答えました。
すると彼女はこう言ったのです。
「聞き間違える訳がないわ!だって80歳のおばあさんがソウルメイトなんて表現をしたのよ!聞き間違える訳がないじゃない!」
その女性は、Oshoコミューンで私があるグループのアシスタントとして招かれた時、通訳として参加してくれた日本人女性です。オランダ人のディビアに最初のインナーコミュニケーションを起こした時、彼女は私の通訳として同席していました。
普通、アシスタントに通訳が付くことはあり得ません。
私は「総ての瞑想グループにアシスタントやヘルパーとして無料で参加できる特権」や「Oshoの図書室に自由に往き来できる特権」などを持っていました。Oshoコミューンでは、二人しか与えられていなかった特権でした。
その日本人女性の言葉を聞いた時、私のハートは太母さんをソウルメイトとして認識していたことを知りました。
太母様は1994年、私が内側からの強い衝動にかられインド行きを決意した時、必死で止めました。
「あんたさん。私とずっと一緒に居てね!今度インドに行ったらきっと酷い目に会うわよ!ここに居なさい!」と仰いました。
その後、私を〇〇さんと呼びました。教科書に必ず出てくる僧侶の名前でした。それから私の膝に甘えて来られたのです。
私からすれば、太母様はOshoが認めた覚者様ですから、畏れおおくて、ソウルメイトという発想は出てきませんでした。だから、このハートの直感を封印していました。
でもこの話を打ち明けられて良かったです。これは事実なのですが、内容が内容なので今まで一部の友人にしか打ち明けて来ませんでした。
太母様は「写真を撮られるのがあまり好きではないの」と仰っていましたが、この写真は太母様の方から撮ってくれるよう頼まれました。
いつもは凛としている太母様ですが、なんだかこの時は可愛らしい表情に見えるのは私だけでしょうか?
私は太母様に聞いたことがあります。
「人間の肉体を持って生まれてきても、人間の魂を持っている人はどのくらい居ますか?」
太母様のお答えはこうでした。
「人という字は、お互い支え合い、助けあうという意味です。心と心で支え合い、慈しみ合える人は10%くらいかな」
私は、最近、そういう人としか出会いません。多すぎて、ここにお名前を出せませんが、私にメッセージをくださる総ての方に感謝しています。
よく言われるように現在は二極化が激しいようです。
アセンションに向かう者と、この世界から堕ちようとする者達。
霊的進化を遂げようとする者と、現状に執着して変化を拒もうとする者たち。
私は胎児が子宮の中で、魚類から始まって両生類、爬虫類、哺乳類へ進化して生まれてくることに思いを馳せました。
これ、生物学的及び医学的な話ではないのです。遊びで聞いてくださいね?
もし、我々が魚類に執着してメタモルフォーゼを拒んだら、おそらく胎児は人間にはなりません。両生類でも、爬虫類で終わっても駄目です。この世界に生まれることを望んだ以上、肉体は人間にまで成長しなければなりません。
そして肉体が人間として形成された後は、魂が人間に成長しなければなりません。人間の魂とはハートのセンターレベルです。我々は、せめてハートまでは辿り着きたいものです。
この原稿を読んでくださっている方々は、おそらくハートのセンターより上の方々だと思います。
因みに、チャクラをセンターとして捉えるのが方便であるのは承知しています。チャクラとクンダリーニの一般的理解は、事実と違う方便であることを私は知っています。でも使える方便です。
Om Shanti Shanti !(愛と平和を!)