〇今回久しぶりにマハヨギ・パイロットババジ猊下に拝謁できました。
マハヨギ・パイロットババジ猊下は私を見るなりこう仰いました。
「長い間、私は長い間貴方を待っていたのだよ」
その一言でこれまでの苦労が報われました。
ババジのお身体は大変な状態ですが、猊下のサマーディパワーの物凄さは何も変わっていませんでした。
肉体(粗大身)のエナジーとは全く違ったサトルボディー(微細身)及びコーザル体のエナジーを如実に感じられる方はその繊細にして強大なエナジーを覚知できるはずです。
これはあくまで比喩的な言い方ですが、マハヨギ・パイロットババジ猊下は世界の闇を吸収して光や光を超えた何かに変容する救済行をされています。
何故比喩的かと断ったかと言いますと、光りも闇からきているからだとババジは仰っているからです。ニコラ・テスラもそのことに気づいていたことを先日知りました。
闇を虚空とか無とか言いなおせば、闇が悪で光が善だと言うのは物事を分かりやすくするための方便だと分かる人も居るでしょう。
覚者は光がこの世界を創っていることを覚知していますが、その光が絶対無の世界、色も形もましまさぬ存在から発生していることをも覚知しています。恰もブラックホールからホワイトホールが抜け出すようなもので、ブラックホールが悪でホワイトホールが善だと言う科学者はいないでしょう。
それと同じことです。
パイロットババ猊下の著書「ベールを脱いだヒマラヤの秘密」(邦題ヒマラヤへの扉)にはこれまで死者を蘇らせたことも三度あったと述べられていますがこの三人以外にもババジ猊下の慈悲心によって蘇った方もいらっしゃいます。
私はたまたまその一人に会って直接話を聞いたことがあります。
彼の名はパントと言う電気工事士です。
彼は一万ボルトの高圧電線の工事をしている時に感電して即死しました。
幸運なことにその現場にたまたま猊下が通りかかったのです。
猊下は死者を蘇らすことは彼らのカルマを変えてしまうので普段はされないのですが、たまたま現場を通りかかったのでパントを蘇らせたそうです。
確かにパントの腕には高圧電流を受けた火傷の痕がくっきりと残っていました。
〇かくいう私も猊下には何度も命を助けられています。
色々ありすぎて総てを書くことはできないので。ここでは一つだけ取り上げます。
私はババジ猊下のヒマラヤのアシュラム(道場)で1999年の10月から翌年の6月まで240日間不眠断食無心瞑想を楽しんでいました。
その結果三か月目には達磨大師のように半身不随になって立ち上がることが出来ず、トイレに行くときも這って行く状態でした。
それでもノーマインド(無心)の状態、至福状態が素晴らしすぎて体のことや死ぬことなど一切考えることはありませんでした。
ノーマインド(無心)や至福状態は素晴らしかったのですが、それらとは位相を異にする神秘体験も又、素晴らしいものでした。
それも一度や二度と言うことではなく、一秒か0.1秒に一回か知らないけれど走馬灯のように立て続けに神秘体験が起こり続けることが何度もありました。
一秒に一回起こったなら一日8万6400回、0.1秒に一回なら一日86万4千回の割合です。
一度や二度程度の悟りの体験をグランス(一瞥)と言います。ヒマラヤでは宇宙の真理を一瞬にして悟る事さえ、グランス(一瞥)に過ぎないと言うのです。
これが真のマスターの臨在する「アヴァターフィールド」「ブッダフィールド」の恩寵です。有難いことにその恩寵は日本の私たちのアシュラムにも降り注がれています。
だから覚者にサレンダー(明け渡す)している人には数々の恩寵が降り注がれています。
それがヒマラヤのレベルです。
ババジ猊下のアシュラム・アバターフィールドでの真実です。
その恩寵は私ばかりでなく、オンラインダルシャン(講話)やサンカルパヨガリトリートに参加した人たちにも降り注がれてきました。
〇今度のアシュラム来訪でヨグマタジとパイロットババ猊下が私をシバ神の長男で神々の王であったカルティケヤ神の化身だと仰っていた事実が判明しました。
カルティケヤ神の別名はクマール神と言います。
クマール神は永遠の若さを保つ神として表現されますが、実際私の写真を見ればお分かりのように肌つやはいまだに衰えません。膝小僧など小学生のころから艶々としていて71歳になった今でも膝小僧はテカテカ光っています。
私のエナジーを感受した人は、お会いしてすぐに肌つやが良くなり老若男女問わず若返り綺麗になります。
〇そんな私でも「インド2000万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛され、インド政府が公認するシッダマスターである我が師パイロットババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)と比較すればその足元にも及びません。
ヨガスートラや仏典を見れば分かるように覚醒にもいろいろな段階があります。
それを知っている真の覚者は、自分よりステージが高い存在を自然にリスペクトします。
それは当然のことです。
それが出来ない“自称覚者達”は自分が最高のステージに在ると勘違いしています。
或いは勘違いしていたいのでしょう。
だから「世界平和・母なる地球の保護の為に人類の覚醒を願うワーク」を共有できません。彼ら、彼女らの目的は自分の生徒や弟子をとることだけに見えてしまいます。
覚者同士手を取りあうことが出来ないのなら覚醒とはなんと空しいことでしょう。
でも真の覚者は仏仏想念と言って高い意識で想念を交わしています。
だから他者には不仲に見える覚者同士も、実は不仲とかそういう卑近な関係ではないのです。
例えば、仏教からは六師外道の一人とされるジャイナ教の開祖のマハーヴィーラと
釈尊の関係もそうだったのではないかと推測しています。
マハーヴィーラと釈尊は同時代で、お互い王族出身で同じ場所で布教されていました。私は基本的には仏教とジャイナ教、ヒンドゥー教は共通する部分が多いので
教義の細かい違いに拘ることはしなくなっています。
現在、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の対立が第三次世界大戦の火種になっています。だからせめてインドから生まれた、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教などは宗派を超えて「世界平和・母なる地球の保護の為に人類の覚醒を願うワーク」の為に共に手を取り合っていくべきだと願っています。
勿論キリスト教やイスラム教も溝を作り対立を作らず、世界平和・母なる地球の保護の為に共に手を取り合って欲しいものです。
〇昨今は覚醒したと宣言する人が多いようです。
その人たちは何ほどかの神秘体験をされたのでしょう。
釈尊(お釈迦様)やキリストが誕生して何千年もたつのだから、その頃から修行してきた人達が今生(こんじょう)種々の霊的体験をしても不思議ではありません。
神秘体験をすることは素晴らしいことです。
でも我々は増上慢に陥ってはいけません。
私は自分より遥かに上の存在が有ることを知っています。
その事実を事実として認められるようになったのは、私が24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められている、マハヨギ・パイロットババジ猊下や兄弟弟子のヨグマタジ(相川圭子師)にお会いしているからです。
上には上が有ることを知って私は幸せでした。
真実を知ったが故に、素直に至高の存在を認めることが出来ました。
〇“自称覚者”が増えていることはそれだけ霊性の高い人たちが増えていることなので、
地球や一切衆生、全宇宙の霊的進化において喜ばしいことです。
しかし多くの自称覚者達は増上慢に陥っているように見えます。
増上慢は総てを破壊します。
中には覚醒とは程遠い体験をした方が、自分は覚醒したと主張している人もたくさん居ます。
覚醒したと宣言する人が増えたことを喜んでばかりはいられません。
一例を挙げます。
私はご縁があって1998年の12月8日にインドのプーナ市にある和尚(OSHO)コミューンに行きました。
それから一月後の1989年の1月7日に、当時バグワン・シュリ・ラジニーシと呼ばれていた彼に和尚(OSHO)という新名を提案するご縁を頂きました事はこれまで何度か申し上げた通りです。
OSHO(和尚)はその名を気に入ってくれて、和尚(OSHO)という新名を受けいれてくれましたが、その翌年1990年1月19日に遷化しました。
和尚(OSHO)が遷化した途端それまで覚醒のカの字も言わなかった人々が突然、覚醒したと言い出したのです。
急に自称覚者が大量発生した理由は和尚(OSHO)がこんなようなことを講話で言っていたからです。
「我々は元々ブッダ(覚者)だ。覚者はそのことに気づいている。覚醒していない者はその真実に気づいていないだけだ」
さあ、それで和尚(OSHO)滅後に「そうだ私は覚者だった。そのことに気づいた」などと宣言する人が雨後の竹の子のごとく増え続けました。
まるで漫画です。私はそういう人を”勘ちがい覚者”と名付けました。
気づくと言ってもマインドで覚醒したと気づくことは出来ません。
マインドで覚醒した意識を獲得(ぎゃくとく)することはできません。
それなら覚醒を宣言したものがすべて覚者になりますが、そうではないでしょう。
マインドの意識を超えた超意識や超超意識などで気づくと言うことを和尚(OSHO)は言いたかったはずです。
人間の意識を超えた超意識と言うもの等についてこんな譬え話をしましょう。
譬えはあくまでも譬えなので現実にはあり得ない話をします。
少々のことで目くじらを立てずに大目に見てください。
私の言いたいことが何であるのか気づいていただければ幸いです。
〇或るところに何生もの間覚醒に向けて修行を重ねた猿がいました。
彼は何生にも渡り修行してきたので覚醒する準備が出来ていました。
その猿が、或る日覚醒して猿の意識から人間の意識にステージアップしました。
(猿から人間に進化したことを覚醒とは言いません。これあくまで譬えです)
人間になったその猿は量子力学や相対性理論、ヨガスートラや仏典を研究して完全に理解できるようになりました。
この時、例え彼の姿形は猿のままでも意識は猿ではなく人間であることは言うまでもありません。
彼の意識が猿であるなら最先端の物理学やヨガ経典、仏典を理解することはできません。
彼が猿でなく人間になったからこそ理解できたのです。
これと同じように猿が猿の意識のままで自分の覚醒に気づくことはできません。
猿が猿の意識のままで「覚醒していることに気づいた」と覚醒を主張するのは馬鹿げたことです。それを気づくことが出来るのは人間だけです。
そこが人間と他の動物の違いです。
猿が人間の高度な気づきを得るには人間にならねばなりません。
我々の本質が仏陀(覚者)であることは確かです。
我々が体内に居る時はサマーディ状態だとパイロットババ猊下は仰います。
そこに気づいた人が覚者(=仏陀)であることも事実です。
でもそれを気づくのは覚醒した存在だけです。
覚醒していない人間が覚醒に気づいたと言うのは滑稽です。
覚醒を宣言した人間が覚者(=仏陀)だとしたら、宣言した人がすべて覚者になりますが、実際そうではないことは言うまでもありません。
〇和尚(OSHO)によればインドには誰かが覚醒すれば三人の覚者が現れると言う伝説があるそうです。
私の場合、ババジやヨグマタジ、太母さん、一万二千年間肉体(粗大身)を交換しながら生きていると言われるマハ・アバターラ・ババやアバターラ・ババなどが私の覚醒を認めてくださいました。
さて余談ですが、その猿が人間から猿に戻ったとします。
その時、かの猿は仲間の猿に人間世界の素晴らしさを説明しようとします。
「ヨガスートラではこんなことを明らかにしている。ヨガスートラができて千年以上過ぎて量子力学がヨガスートラの真実にやっと追いついた」
そう言う話を他の猿たちがどうやって理解できるのでしょうか?
しかも彼は猿語で仲間の猿たちに覚醒の内容を教えるしかないのです。
覚醒した存在が覚醒していない人たちを教導していることはこのようなことなのです。
覚者はこのように不可能に見えることをし続けています。
それが覚者(=仏陀)の大慈悲です。
猿の言葉で量子力学やヨガスートラを説明することは不可能です。
言葉では説明できるはずが無いのです。
禅が不立文字というのは当然のことです。
だからヨガや仏教を学問的に研究している学究者は真理から最も遠い存在になる可能性が高いのです。
私が仏教研究者であった頃を思い返すと残念ながらそう言わざるを得ません。
真理はマインドでは理解できないし表現もできません。
何十年たってもヘッドで動いている方に霊的進化は望めません。
彼ら、彼女らは同じところをぐるぐる回っているだけです。
でもマインドで理解できないことでも人はハートやサードアイで理解することはできます。
それ故、覚者はハートとサードアイを開くことを徹底します。
〇群衆は覚醒していないにもかかわらず、勝手に覚者のイメージを膨らませます。
これが所謂「偶像崇拝」です。
これは「綺麗な女優さんはおならはしないし、排便もしない」と思いたがるファンの心理と変わりません。
そして「覚者ならこんなことはしない」などと覚醒したこともないのに、ババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)のような偉大な覚者さえもジャッジして、せっかく仏縁を頂いたのに離れていく方もいらっしゃいます。
自分がどんな人に出会い、どんな人を失ったか知るのはチベット仏教の死者の書によれば死んだ後になります。
神話としては閻魔大王に会った後ですね。
釈尊(お釈迦様)は自分が普通の人間と変わらない部分を持っていることを主張しました。
所謂人間仏陀の主張です。
覚者(=仏陀)も食事をすれば排便もします。
おならもすれば、マインドも駆使します。
親鸞が自分自身を煩悩具足の凡夫と告白したら
それは言い訳だと言う人がいましたが驚きです。
猿が猿である以上猿の制約があるように、覚醒した存在でも肉体(粗大身)を纏っている以上、人間の制約を受けます。
釈尊(お釈迦様)であろうとキリストであろうと人間です。
覚醒したスペースを持つと同時に、普通の人間であるのは当然です。
それなのに群衆は勝手に覚者を偶像化します。
それで釈尊(お釈迦様)は人間仏陀を宣言し、キリストは神の子ではなく人の子イエスを宣言せざるを得なくなります。
覚者(=仏陀)の肉体(粗大身)は普通の人間と同じで、マインドも普通の人と変わらない同じ人間です。
そのことと、覚醒した意識があることは矛盾しません。
覚醒した意識はノーマインド(無心)の中に在りますが、
覚者が説法する時は言葉を使います。
マインドも当然使います。
ノーマインドでは話もできません。
拈華微笑で総てが分かるのは、大迦葉(だいかしょう)などの少数の覚者だけです。
覚者はマインドが無いから説法する時もノーマインドだと主張する人は流石にいないでしょうが、それと似たようなことを仰る方は意外に多いのです。
覚者にも性格や人格の違いがあるし、感情もあります。
慈悲心はありますが、好き嫌いもあります。
無意識的すぎる人に苛立つこともありますが、その根底には無意識の闇に捉えられた人に目覚めて欲しいという願いがあります。
但し覚者がサマーディ世界に往くときはそういう制約がありません。
何故なら肉体(粗大身)を脱ぎ捨てて微細身(サトルボディ)に代わっているから
その時は肉体(粗大身)に付随しているマインドは無くなっているからです。
サトルボディー(微細体)にはサトルボディ(微細身)に相応したマインドとノーマインドがあることはヨガスートラを見れば分かります。
〇サマーディはとてつもなく素晴らしい体験でした。
240日間不眠断食瞑想三か月目くらいで私は達摩大師のように半身不随になりました。
あまりにも素晴らしい神秘体験が続いたので、私は半身不随になっていることや死への恐れなど一切ありませんでした。
ああいう状態であればそんな思いは起こりようがないのです。
私が不眠断食瞑想をしている途中、ババジ猊下は真のヨガを伝えるために渡米しました。
インドの弟子からの報告で私が死にかけていることを知った猊下は私に電話でこう伝えました。
「このままではあと三か月で死ぬから瞑想をやめなさい」
でも毎瞬が至福であった私は不眠断食瞑想を止めませんでした。
それで猊下は私の命を救うために向こう三カ月のアメリカ講演をすべてキャンセルしてインドに戻って私の瞑想を止めるように説得しました。
私は猊下に言いました。
「お願いですからこのまま私をサマーディの世界に居させてください。私は生も死もマーヤだと知りました。死など怖くはありません。どうかこのままこのマーヤの世界から離れさせてください。」
すると猊下はこう私を諭しました。
「貴方は達成した。今度は日本に帰って貴方の覚醒のスペースを人々にシェアしなさい。」
そのお言葉が強烈な光となって私の全身を貫き、私は久しぶりに「光と至福・ワンネスの体験」をしました。
その出来事があったので私は不眠断食瞑想を断念しました。
私は日本に帰国してヒマラヤの神秘を人々にシェアするという提案に同意しました。
でも私は半身不随のままです。
立つこともできないので私は猊下にこう伺いました。
「私はこのとおり立つこともできません。一体どうやって帰国したらいいのですか?」
すると猊下はこうお答えになりました。
「心配するな。私が治す。」
そして半身不随だった私は僅か三日後には歩行できるようになったのです。
この記事は以下です。
〇私はババジ猊下による奇跡を何度も体験していますので猊下のシッディ(悉地と音写=神通力)を疑うことなどありません。
しかし猊下はご自分のお身体にそのパワーは使いません。
その理由は不明ですが、覚者は他者を助けるためにシッディを使っても自分の為には使わないことは歴史上多くみられます。
釈尊(お釈迦様)が遷化された時の状況やキリストが磔刑に処せられた時の状況を考えれば、理由は不明でもそういうものだと理解することはできます。
〇猊下は2010年の7月28日に翌年2011年3月11日に起こる福島原発事故の予言をされ、メルトダウンによる日本壊滅から世界壊滅の悪夢のシナリオを阻止しましたが
その為にババジ猊下は、3月11日当日は大病を患っていたそうです。
人の邪気や放射性物質の毒気を受けるので肉体(粗大身)は損傷されたのでしょう。
この記事は以下です。
〇真のマスターはこのように人知では計り知れないシッディーパワーを持たれています。
この私でさえ色々な奇跡が起こりました。
私は皆さんが見ている前で10回以上台風を止めました。
この記事は以下です。
①は2019年のサンカルパヨガ瞑想リトリートat 静岡
史上最大級の台風19号が2019年10月に静岡を直撃した時に起こった奇跡の数々
②には翌年2020年のオンラインダルシャンat 沖縄のものです。
史上最大の被害をもたらすとされた台風が2020年9月オンラインダルシャン開始直後に消えた奇跡
〇2024年の元旦に発生した令和六年能登地震の時私は地震を止めました。
しかも一度ではなく三度連続でした。
どういうことか説明します。
日本では地震が来る前に携帯電話にお知らせが来て警告音が届きます。
警告音があまりにもうるさかったので私は地震を止めようとしました。
スマホで地震の警告アラームが鳴りだしてから止まれと念じたら、アラームが鳴ったにもかかわらず地震は来ませんでした。
それも三度立て続けでした。
サティヤ・プレム・ギリ(サリー)はこの事実をアシュラムで目撃しています。
又、私の御同朋 御同行である被災地の方でアラームが鳴ったのに揺れが来なかったことを証言する方は何人もいます。
〇とは言え、私のシッディ(悉地と音写=神通力)など、ババジ猊下のそれと比べれば何ほどのものでもありません。
そのくらい猊下のシッディーパワーは桁外れに凄いものです。
『歎異抄』第7章に「念仏者は、無碍(むげ)の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇(てんじんじぎ)も敬伏(きょうぶく)し、魔界外道(まかいげどう)も障碍(しょうげ)することなし」とあります。
真の覚者に対しては、天の神や地の神も敬服(きょうぶく)し、地球も覚者の願いに応じて台風を止めたり地震を止める力を持っています。
ババジ猊下ほどの偉大な覚者になると地球すべてにその力が及びます。
パイロットババ猊下はその著「ベールを脱いだヒマラヤの秘密」(邦題ヒマラヤへの扉)の中で日本が沈没することを予言しましたが、アヴァター様のシッディ(悉地と音写=神通力)が働けば回避すると述べています。
私が「ベールを脱いだヒマラヤの秘密」(邦題ヒマラヤへの扉)を読んだ時は半信半疑でしたが、福島原発事故の予言と抑止を目の当たりにしたことで、それがまごうかたなき事実だったと確信しました。
パイロットババ猊下や兄弟弟子のヨグマタジ(相川圭子師)はこのようなお力が有ることをご存じの方は世界中にたくさんいます。
〇18世紀の幼稚な科学マインドに支配されている人には信じがたいことでしょうが、
科学も量子力学の発展によってヨガの科学であるサンキャ科学に近づいてきました。
科学者の中にもヨガや仏教の神秘科学を信じる人たちが増えています。
真の覚者に奇跡が伴うことは歴史が証明しています。
それに対して偽覚者にはシッディが伴いません。
真の覚者にはシッディが付随しますが、彼らはシッディに拘泥せずそれが付いたら捨てていきます。
瞑想が深まればシッディが起こりますがそこに執着すると、より高いステージに到達できないので覚者はシッディを捨てていきます。
そしてそれを捨てればまた別のシッディを授かりますが、それもまた捨てていくのが良いのです。
私が瞑想し始めたころは、まず、エナジーが解るようになり、その後テレパシーや予知能力などのサイキックパワーがついたものです。
でもそこに拘ると魔境に陥るのでそれも執着しないようにしました。
すると他者に悟りの意識を伝播するインナーコミュニュケーションという遥かに高度なシッディーパワーが現れました。
この能力は以前より遥かに進化しています。
〇だからサンカルパヨガ瞑想リトリートに参加した人たちの半数が無心を体験しました。
生まれて初めて瞑想をした人が三泊四日のリトリートで56時間不眠断食瞑想を貫徹できたのはその方がサレンダー(明け渡す)出来ていたからですが、それと同時に「アヴァターフィールド」「ブッダフィールド」に在るからです。
これは低いステージのサイキックパワーとは比べ物にならないレベルのステージです。
ババジ猊下はアッシジのフランチェスコ、セント・フランチェスコが動物と話が出来たと言うことの内実はインナーコミュニュケーションだと教えてくださいました。
こういうことが口コミで伝わっているので、少しずつ自己啓発を求める人たち、覚醒を目指す人たちが集まってきています。
〇私が上述したようなシッディに執着しないようになった時に、そうなったことを見計らうかのように、猊下はシッディによって私をヒマラヤの聖地に呼び寄せました。
ババジ猊下にお会いして、僅か1時間後に猊下は私に公開サマーディを勧めました。
私がサイキックな力に拘泥していたのなら公開サマーディが出来るステージには至らなかったでしょう。
そして今は私が何もしなくても必要な時に必要なことが起こります。
準備が出来た人たちは神秘体験をしたり、
深い瞑想体験をします。
サティヤ・プレム・ギリ(サリー)は最近、エナジーが解るようになったと思ったら、
テレパシーや予知の初期段階のサイキック能力も出てきました。
一般論として言いますが、サレンダー(明け渡す)が出来ていない人たちは「ブッダフィールド」・「アヴァターフィールド」から篩い落とされますが、代わりに霊性の高い人たちが集まるものです。
そういう霊性の高い人たちは、人類の総数から見れば少数ですが人数の問題ではありません。。
達摩大師は慧可という一人の弟子しかとらなかった。
しかし、後年達磨大師はアジアの人々に多大な霊的影響を与えています。
日本人で達摩さんを知らない人は殆どいないでしょう。
最初は少人数でも歴史を振り返ってみればその少数者が歴史を変えてきました。
〇マスターは一人の弟子をサマーディに導けば良いと言われます。少数の弟子を選ぶことを差別だとか、選ばれなかった弟子をジャッジしているとか、まったくお門違いのことを仰る方もいますがそうではありません。
瞑想の世界は実力の世界です。
マスターは初級者には優しいけれど上級者にはとてつもなく厳しいものです。
良い子良い子と頭を撫でて欲しいだけの人たちは覚醒の準備が出来ていません。
マスターは弟子のエゴに対して時には鬼のように厳しくなるのです。
だから貴方がマスターに厳しいことを言われたら、マスターは貴方の霊性の高さを認めているからそれを曇らす貴方の闇を叱責したと喜んでください。
中東に「神は叔父さんのように優しくない」という諺がありますが、エゴを増長させては
本人に良くないのでマスターは時にはとてつもなく厳しくなるものです。
それはマスターの慈悲心から起こるものです。
〇私もババジ猊下から何度も厳しいお言葉を頂きました。
エゴにとっては厳しい状況も作られました。
それはエゴにとっては厳しいものですが、ババジ猊下は私の為を思って叱ってくれていることを理解していました。
時には厳しすぎる状況もあり、暫く身を潜めたこともありましたが、すべて私の霊的成長の為に必要なことでした。
マスターから厳しいお言葉を頂ける弟子は弟子として認められていることを私は理解していました。
〇さて瞑想が進めば自然に事が進むようになるものです。
何十年も前から地球は私の潜在意識を読みとってくれるようで勝手に天候が変わってくれるようになりました。
勿論それが絶対に必要な場合です。
あまり頻繁に変わってしまうと自然のバランスが崩れてしまうのです。
富山県射水市大門(だいもん)町にお生まれになり、鎌倉市に佛眼宗のお寺を構えられた太母さんという覚者もそうでした。
どんなに雨が降っていても太母さんが外にでると雨が止んだそうです。
それを或る信者さんは「太母晴れ」と名付けていました。
私にも同じようなことが起こり続けています。
太母さんと言えば、太母さんが和尚(OSHO)コミューンでOSHO(和尚)にお会いした時、OSHO(和尚)が太母さんの覚醒を認めバラの花を散華し讃嘆したことは有名な話です。
因みに太母さんは私の覚醒を最初に認めてくださった覚者です。
以下は太母さんとババジ猊下との出会いの記事です。
鎌倉の覚者太母さんとの出会いとマハヨギ・パイロットババジ猊下との出会いと再会
以下は昨年アシュラムでの樵セヴァ(=ボランティア)があったときの奇跡譚です。
この日は天気予報ではずっと強風大雨注意報だったのに、雨も降らず風も吹かなかった奇跡が書かれています。
こういうことは数え切れないほど起こり続けています。
〇最後に、太母さんのご縁があって私は富山県でアシュラムを創ることに成りました。
太母さんは私の過去世での僧侶の名を二人示してくださいましたが、今回三人目の僧侶の名をパイロットババ猊下が教えてくださいました。
三人とも歴史の教科書に出てくる僧侶なのでここでは申しません。
過去は過去だし、それを言ったら皆さんから非難されるからです。良いことなど一つもありません。
それに私の過去世の僧侶は歴史的人物ですが彼らはあの時点でサマーディを成就していなかった。
私は今生(こんじょう)サマーディを達成したので過去の栄光に拘る必要はありません。
私は過去の事より今生(こんじょう)覚醒を目指す人々のサポートをしています。
それが、私が現在していることでこれからもしていくワークです。
Aum Namah Shivaay🙏
コメント
面白い像を見つけました
https://search.yahoo.co.jp/shopping?ei=UTF-8&p=カルティケヤ神&fr=applep2&sftype=&aq=-1&ai=a216c802-6d86-4e2d-b57f-57d5c1aa0105&oq=カルティケヤ神&aa=0&ts=12874&at=&iau=0&ml=view%3Agrid%3Bsort%3Arelevance%3Bq%3Aカルティケヤ神%3Bprop%3Aec_pdlist%3Bitmid%3A8342521945%3Bcvpk%3A1041_1%2C1057_1%2C104_1%2C78_1%2C650_2%2C1054_1%3B&nasb=1
覚者は生命活動してる以上その制約を受けるのは当然なわけですね
でも愚かな衆生はそのことを知らない悟ったことがないので偶像を作り出すわけなんですねそして勝手に作った偶像に当てはまらないと離れていくなんとも愚かなことこの上ないですね
だから本物がシャバ世界にいないとそうした世界の存在すら認知されないわけなんですね
サマーディに入ってる時が真我なわけですねだからわざわざ悟った人が肉体を降ろして教えを説いてくださることの苦労がわかりますね