240日間不眠断食座禅

2019年9月29日

画像に含まれている可能性があるもの:スワミ・アディティヤナンダ・ ギリ、スマイル、室内

この写真は、マハヨギ・パイロットパイロットババジ猊下のナイニタール・アシュラム(僧院)で「240日間不眠断食座禅」を始めてから30日目の私の写真です。最初は3日間の予定でしたが、いつの間にか240日過ぎてしまいました。
240日目の写真はゾンビのような悲惨な顔になっていたので公開できませんでした。パイロットババ猊下のアシュラムでは多くの人たちが私のサダナ(神に至る修行)を知っているので敢えて公開しなくても良いと思いました。現在ネガが行方不明なので失敗したなと思っています。

●断食座禅した経緯

「断食します」と申した私に、パイロットババ猊下はこう仰いました。
「貴方は苦行として断食したいのか?それとも瞑想のためにするのか?
苦行には苦行の意味がある。完全断食なら水も飲まない。これなら30日が限度だ。
瞑想のために断食したいなら、1日にコップ1杯のミルクを飲みなさい。お腹が空いてたまらない時は、陽光を15分くらい首の辺りにあてなさい。それでプラーナを吸収できる」

私は難行苦行が好きではないので、迷わず「瞑想のための断食座禅」を選びました。
猊下のお話は本当でした。人間にも光合成に似た未知の作用があるらしいのです。太陽光を首にあてたらお腹は空かなくなりました。

ナイニタール・アシュラムは、「一万二千年肉体を変えながら生きている」と言われるマハ・アバターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アバターラババ)やアバターラ・ギリ・ババジ、タイガーババジなど、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの『あるヨギの自叙伝』に出てくる有名なアヴァター(神の化身・権現)様達が修行しただけあって、瞑想のエナジーやスペースが物凄い場所です。アシュラムのエリア自体がサマーディ宇宙そのものと繋がっているのです。そのおかげで、私はなんなく深い瞑想に入れました。

そうして瞑想が楽しくなり、当初予定していた3日間が過ぎても断食を続行しました。キリストが45日間断食したという話を知っていたので、次は45日を目標にしました。それを達成すると、釈尊(お釈迦様)の60日という断食記録に挑戦しました。
キリストと釈尊の場合は水抜きの完全断食で、私の場合は瞑想が出来る「ミルク断食」なので、比較して自分が凄いと主張したいのではありません。誤解なさらないでください。そうではなく、キリストや釈尊の45日、60日という断食期間が、私の断食の期限を決めるのに役立ってくれたと言っているだけです。

私は「ミルク断食」と申し上げましたが、本当なら栄養価の高い乳児用の粉ミルクをチョイスするのですが、ミルクだと思っていたのはコーヒ―用のコーヒーフレッシュで只の植物性油脂食品でした。乳児用の粉ミルクとは違って栄養価の無い水と殆ど変わらないものでした。

●無心には段階があり、最たるものがサマーディの中の無心である

断食座禅をやってみて驚いたのですが、普段瞑想してもなかなか無心になることが出来なかったのに、アシュラムではいとも簡単に無心になれました。
貴方もやってみれば解りますが、無心になることはなかなか難しいものです。

禅では無心イコール悟りのイメージがありますが、本当の意味で無心になることはとても難しいのです。無心といっても、実は何段階もあるからです。

最初の無心のステージは「熟睡して夢も見ない状態」に似ています。
最初のステージを超えると、マインドではない意識が出てきます。その意識を瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)〔梵:Yogācāra〕、すなわちヨガ派仏教では「マナ識」と名付けています。普通の意識が六識(六感)と呼ばれるのに対し、更に深く高い意識なので七識と呼ばれます。最近は「超意識」という呼び方もあります。この段階でさえ、日本人がイメージする「悟り」のステージを遥かに凌駕しています。

因みに「第六感が働く」という言葉から、六感(六識、六根)をサイキックな意識として誤解している人が多いようですが、六識は意の識で、実は普通の意識の意味も含まれています。
「六根清浄」というマントラを唱えて六感(六根)を清浄にすると、普通の意識が浄化され、霊能力が現れます。それで第六感をサイキックな意識として誤解している人が多いのです。

この先の八識である「アーラヤ識」まで行けば、それは涅槃寂滅の世界です。宇宙意識の世界です。ワンネスの世界です。一如三昧の世界です。ここまで来ると意識という言い方もあてはまりません。純粋観照者という言い方のほうが適切です。

ヨガの根本経典である『ヨガ・スートラ』の冒頭には「ヨガとは心の作用を止滅することである」とはっきり書かれています。心を死滅した状態とは無心の状態です。
深い、深い無心のステージが、サマーディやニルバーナ(涅槃)と呼ばれます。ヨガの最終目的はサマーディです。心の完全なる止滅です。

●瞑想にかかわる言葉の定義
−サマーディ、ニルバーナ(涅槃)−

アーラヤ識と同じく、サマーディやニルバーナ(涅槃)は宇宙意識の世界です。
但し、言葉の定義は宗派によって色々なので、詳細は省きます。
はっきり申し上げますが、サマーディやニルバーナを成就していない学者がマインドで色々言っているだけなので面倒です。しかも、そこに宗派主義が入り込むので、更にややこしいのです。

例えば、ヨガ行者がサマーディ(三昧)という言葉を使う時は、仏教で言えばニルバーナと同義です。しかし仏教からすると、サマーディは「集中」という意味に定義され、ニルバーナの下位に位置づけられています。

釈尊がそうしたのではありません。後年、宗派主義に陥った愚かな弟子たちが、仏教をヒンドゥー教の一段上に置くためにそうしたのです。なお、ヒンドゥー教宗派主義者たちも似たような過ちをしています。世俗的宗派主義は宗教を堕落させます。

私は仏教僧だったので、仏教とヒンドゥー教の「おらが村が一番」みたいな不毛な争いが止むことを願っています。
パイロットババ猊下は世界最大の聖者の祭典クンブメーラで、各宗教の指導者達に「仏教だのヒンドゥー教だの、つまらぬ争いを止めて共に手を取り合いましょう!」と呼びかけました。その呼びかけに賛同したダライ・ラマ法王が「我々仏教徒はヒンドゥー教の兄弟だ!」と呼応されたのは素晴らしいことでした。流石に覚者は覚者を知っています。

釈尊は八正道の最終段階をサマ・サマーディ(正定=正しい三昧)としました。
サマーディはヨガの言葉であり、ヒンドゥー教の概念です。釈尊もヨガの行者、サドゥー(遊行者)だったので、当然ヒンドゥー教の言葉を使います。
日本で仏教の修行をしたら日本語になった仏教用語を使うことが当たり前であるように、インドの修行者はインドの言葉を使います。サマーディもニルバーナも当然ヒンドゥー教の言葉です。

ニルバーナという梵語(サンスクリット語)は、仏教の独自性を主張するために後年使われました。因みに釈尊はブラフミン(バラモン、婆羅門・聖者カースト)ではなく、クシャトリヤ(戦士、王族カースト)なので、梵語は話せませんでした。

最近は誰でも梵語を習えるようになりましたが、つい数十年前まではブラフミンしか習えませんでした。従って釈尊はパーリ語を使っていたとする説があります。これには異論があるようですが、梵語で無かったことは明らかです。梵語経典は後年現れたものです。
というわけで、瞑想に関わる言葉の定義は大体のところを押さえてくだされば、それで構いません。

●瞑想中、無心に至ると24時間から96時間は座禅できる

さて、話を元に戻します。
私はいつも夕方6時から瞑想を始めました。瞑想の「瞑」と言う字は瞑(くら)いという意味です。瞑想は明るいときより暗いほうが入りやすいので、私はいつも日没後から瞑想しました。

アシュラムでは、瞑想を始めて2時間位たってから無心になれました。猊下のアシュラムだからこそ、それが簡単に成就できました。日本では無心に至るまで、大体5時間はかかりました。特に都市部では難しく、なかなか無心になれません。

超意識が観ているので、時計を見なくても無心に至る時間が判りました。しかし、一旦無心になればマインドや時間を超えた世界にいるので、無心の状態が何時間続いたのか解りません。ちょうど、熟睡した時にどのくらい時間が経ったのか分からないことと似ています。「寝た!起きた!」という感じです。

ある時、無心の世界からこの世界に戻ってきて、珍しく時計を見ました。すると6時5分過ぎでした。瞑想を始めたのが夕方6時ですから「なんだ!たったの5分しか無心じゃなかったのか!」と少しがっかりしました。
あらためて時計のカレンダーを見ると、次の日の6時5分でした。つまり24時間も無心だったのです。

時には48時間から96時間無心だったこともありました。毎日がこのような状態でした。
瞑想3か月もすれば時計のカレンダーも見なくなったので、4日以上座っていたことが有るかもしれませんが、そんなことは気になりませんでした。

●怒涛の神秘体験

無心でない時は、必ず神秘体験が起こりました。どんな体験をしたのか憶えていられないほど、たくさんの神秘体験が起こりました。怒涛のように神秘体験をしているのが悟るだけでした。
1秒に1回か、0.1秒に1回か分からないけれど、譬えは少し変ですが走馬灯のように神秘体験が起こったものでした。
1秒に1回なら、1日8万6千400回の神秘体験が起こった計算になります。0.1秒に1回なら、1日86万4千回起こった計算になります。こんなことは、或る程度のステージに達したメディテーターなら当たり前のことです。
私は内面の世界の美しさに酔いしれて、この世界に戻って来る気はまったく無くなっていました。

瞑想に没頭しすぎると身体がボロボロになります。それを体験したいのでしたら、試しに24時間で良いですから座ってください。足がしびれ、激痛を感じ、腰も痛くなります。24時間座禅を100日続けると、男性ならすぐに前立線がやられます。泌尿器系がすべてやられます。漢方で言う腎経も肝経もすべてやられます。臓器は機能停止に近い状態になります。

「このままサダナ(神に至る修行)を続ければ3か月後に死ぬ。今すぐやめなさい」と猊下に言われ、泣く泣く不眠断食座禅を断念した後に知ったことですが、私の腎脈はゼロになりました。腎脈は生命エネルギーです。つまり生命エネルギーがゼロになりました。それでも私は命をかけて内なる世界に入ることを決意していました。

●深い瞑想であれば寝なくて済む

「24時間不眠断食」と言うと経験のない方は驚きますが、深い瞑想に入れば寝なくても済みます。このことは真性のメディテーターなら誰でも知っている事実です。

深い瞑想中に寝なくて済むなら、サマーディ中は尚更です。何故なら、サマーディ中の肉体は生命活動していないからです。でも常温では肉体が腐敗するので、「1万2千年肉体を変えながら生きている」と言われるヒマラヤのアヴァター様達は、肉体を氷河の中に冷凍保存しているのです。
そんなアヴァター様達に対して「どうして冷凍状態で寝るのですか?」などと質問するのは馬鹿げていると思いませんか?冷凍保存されている時は当然寝なくて良いのです。

●極寒のヒマラヤ

私が不眠断食座禅を始めたのは10月でした。年中暑いインドと雖も、ヒマラヤの冬はとても寒く雪が降ります。
ところがサドゥーが着る服は、夏でも冬でも腰布一枚だけです。日本人の私は流石に寒くて仕方ないので薄手のセーターを着ました。それでも蝋燭一本の熱が暖房と感じるくらい、かなり寒かったのです。だから、さっさと無心になるしかありませんでした。

パイロットババ猊下のように、マイナス50度の世界を裸で修行しているのなら、それこそさっさと無心になるしかありません。私も同じ状況下に置かれればやれると思います。むしろ、マイナス50度の世界は寒すぎて、無心になるしか逃げ道はありません。
しかも猊下は断食しながら千日回峰行をするのですから、休息はサマーディしかありません。

●毎日のルーティン

24時間から72時間座禅して、無心状態から戻ってきて最初にすることは排泄です。断食しているので、当然大便はでません。1日1杯しか飲まないので、いくら頑張っても1滴のおしっこが出ればそれでおしまいです。

24時間以上座り続けていると足がしびれ腰も痛いので、トイレの後はハタヨガをします。
その後、1日の糧であるミルクを1杯いただきます。
誰とも接触せず、完全な沈黙行に入りました。食料はミルクと言っても水に近いコーヒーフレッシュだけでしたので、一気に買い込みました。そうすれば人に会わなくて済みます。

部屋に日光が入らないように、窓を黒色の布で目張りしました。一日中部屋の中で瞑想して、アシュラムの中の修行者とも会わないようにしました。

最初の頃はそのような日課でしたが、ハタヨガをすると肉体が現実世界に戻されるので次第にしなくなりました。水を飲むと現実に戻されるので、水も飲まなくなりました。おかげで身体はぼろぼろになりました。

●不眠断食座禅100日目頃に達磨大師のように半身不随になりました。

断食座禅を始めて100日過ぎたあたりから、頬はこけ、眼の下は隈でパンダのように真っ黒になりました。今でもその隈は完全にはとれません。
達磨大師のように半身不随になり、立ち上がる事も出来なくなり、トイレにも這って行きました。しかし、1989年にサマーディを成就して生と死を超えた世界を既に知っていたので、死はまったく怖くありませんでした。

●インナーウーマンとの出会い

ある時、猊下が「外側の女性ではなく内側の女性(インナーウーマン)に会いなさい」と仰いました。インナーウーマンとは、自分のソウルにとって最高の女性です。私はそれからインナーウーマンに瞑想しました。

ある日、私はようやくインナーウーマンに出会いました。その方は人間ではなく、女神そのものでした。私のソウルが求めている最高の女性ですから、人間のレベルではありません。私は生まれて初めて「これが女神様というものか!」と思いました。
この世界に還って来た時、感激で身体が震え、歓喜の涙がでたものです。神との邂逅体験はこれが初めてでした。猊下の著書『ヒマラヤへの扉』の中に猊下が女神と出会う話がありますが、こういうことなのだと理解しました。インナーウーマンは、神に出会った者にしか解らないであろう、限りなく崇高な存在でした。

猊下は私に「神もまた、プラクリティー(自然)の産物だ」と教えてくださいました。この意味を知っている方はそうそういらっしゃいません。宇宙意識体験(サマーディ)は神を超えた意識です。

インナーウーマンに出会った後は、必ず外側のソウルメイトが現れると聞いていました。
私が最初にソウルメイトと感じたのは、Oshoコミューンにいたオランダ人モデルのディビアでした。彼女は小さい時から神秘体験を重ね続けてきました。魂が純粋で、可憐で、その上慈愛の心に満ちた素晴らしい女性でした。内側の美しさがそのまま外面に現れたような美しい女性でした。
私が彼女と一緒にいると、誰からも羨ましがられたものです。彼女は私にとって完璧な女性でした。

しかし、自分の瞑想スペースが上がるごとに、ソウルメイトのステージが変わるようです。というより、ソウルメイトだと思っていた人がそうではなくなりました。
私は内側のインナーウーマンに出会ってしまっているので、外見が綺麗なだけの女性には惹かれません。内側の美しさがそのまま外側にでている女性にしか惹かれません。

●パイロットババ猊下の命に従い、断食座禅を断念する

瞑想230日目くらいだったでしょうか。いやもっと前かもしれません。 24時間無心でいると時間が無くなり、従って記憶も無くなります。日本語も英語も忘れます。

ある日、無心の世界から還り、トイレに這っていくところをシュリマタジという女性に見つけられました。シュリマタジは、頬がげっそり痩(こ)け、眼の隈がパンダのようになって、ガリガリに痩せた私を見て悲鳴をあげました。後で聞くと、私をゾンビだと思ったそうです。

シュリマタジはすぐさま、講演のために渡米している猊下に電話をかけ、私を死から救おうとしました。猊下は電話で「今すぐ断食座禅を止めなさい。このままいけば貴方は3か月後に死んでしまうよ!」と仰いました。アメリカに居ながら私の状態をご存じでした。猊下はアストラルトリップして私の状態を観に来られたようです。これは後に帰国してから、医師に「後3か月の命です」と言われた時に判明しました。

普段なら、猊下の仰ることならなんでも従った私ですが、この時ばかりは猊下の命に従いませんでした。わたしは死に至る瞑想を止めませんでした。

それから暫くして、猊下は私の命を救うために、向こう2か月間の予定をすべてキャンセルしてインドに帰国してくださいました。
猊下は私を見るなり、「今すぐ断食座禅をやめなさい!貴方の目の隈はまるでパンダのようだ。このまま瞑想を続ければ、貴方は3か月後に死ぬ!」と私を諫めました。それでも私は首を縦に振りませんでした。

すると、猊下はおもむろにこう仰いました。
「貴方は達成したのだ。今度はそれを人々にシェアしなさい!」
猊下は何かシッディー(悉地と音写、神通力)を使われたのでしょう。そのお言葉が光の奔流となって私の第一チャクラまで突き抜けました。私は光になりました。それは私に何度も起こった光の体験でした。
初めての光の体験は17歳の時でしたが、その時とは異質の光の体験でした。人の言葉にそんな力があろう筈はありません。あの一言は神のお言葉でした。

猊下のサマーディスペースは、いつもこのように神秘的な働きかけをしています。瞑想が深まっている時に感じる猊下のスペースは「宇宙意識体験」の時に知ったワンネスです。涅槃寂滅の世界です。

ナイニタールのアシュラムにいても、猊下の神聖なスペースを覚知できる修行者は少数です。しかし、瞑想しない人たちはサマーディスペースを認識できません。感じることが出来ません。
それどころか瞑想者をジャッジして足を引っ張り、邪魔ばかりします。そういう人間がいないと世間に戻った時に苦労するので、インドのアシュラムには、必ず俗人を居住させるシステムがあると聞きました。サイコやクックー、時には「どうしてこんな人をアシュラムに滞在させるのだ!」と思うほど酷い人間をアシュラムに居住させることがあります。
確かに心が綺麗な人々だけと暮せば、世間では暮らせなくなります。清らかな魂は「五濁悪世(ごじょくあくせ)」の世間に居るだけで傷つきます。

●半身不随の私を奇跡の力で治したパイロットババ猊下

猊下の光の洗礼で、ヒマラヤを下山して日本に帰国する決心がつきました。しかし、座禅のしすぎで私は歩けませんでした。私の部屋から猊下のお部屋まで行くのに、二人の修行者に両脇を抱きかかえられてやっと行ける状態でした。

私は猊下に尋ねました。
「ご覧のとおり私は立つこともできません。この状態でどうやったら帰国できますか?」
すると猊下はこう答えました。
「大丈夫だ。私がケアをする。貴方は歩けるようになるよ」
そのとおりでした。私は3日後には歩けるようになりました。

それから暫くして、私は猊下に尋ねました。
「私は座禅のし過ぎで腰を悪くしたようです。私の腰はどんな具合ですか?」

猊下は私の腰を見て、それからおもむろに私の首の辺りを見られました。
「貴方の腰は確かに悪いが、それよりも首のほうが遙かに悪い。日本に帰ったらすぐに手術しなさい。但し一流の医者に手術を頼みなさい。さもないと半身がパラライズになるよ!」

私はパラライズを麻痺と翻訳してしまいました。手足の麻痺なら昔からあるので「なんだ!それだけのことか」と思いました。
ピンときていない私を見て、シュリマタジは「ギリジ!貴方はパラライズになるのよ!もっと危機感を持ってよ!」と叫びました。パラライズにはもう一つの意味があったのです。それは半身不随という意味でした。

私を心配して思わず叫ばれたシュリマタジをなだめるかのように、猊下は優しく仰いました。
「心配するな。彼はすべてを知ることになるよ!私がケアをするから大丈夫だよ」

それから1年後、私は街中で突然激痛に襲われました。道行く人に助けを求め、救急車で病院に搬送されました。その激痛は、麻酔なしで虫歯の治療をするような痛みでした。
激痛の中で私は神に祈りました。生まれて初めて真剣に神に祈りました。あれは良い祈りの体験でした。激痛の中でも純粋に祈る自分を自覚するのは、素晴らしい体験でした。純粋な祈りは美しいことを知りました。

医師はすぐにMRI検査をしました。検査の後、医師はこう言いました。プライバシーなのでぼかして言います。
「貴方は○○に障害を持っています。手術しても一生半身不随のままでしょう」
私は医師に聞きました。
「それでは何のために手術をするのですか?」
医師「少なくてもその激痛は無くなります」
施術した医師は、たまたま○○の手術の名医でした。私はたまたまでは無く、すべてが猊下のケアだと理解しました。

猊下は私の病気をサンカルパ(意思)の力で治せると仰っていました。だから、私は安心していました。そして3か月後に、私はサンカルパの力で歩けるようになりました。
歩きだした私を見て医師は叫びました。
「これは奇跡です!私はこのことを学会に発表します!」
医師のいた場所のすぐそばの壁に「病院では大声を出さないでください」というポスターがあったのに気づき私は可笑しかったものです。「大大丈。パイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様がきっと私を治してくださる」という確信が、心に余裕を持たせてくれたのでした。

歩けるようにはなりましたが、長時間座ることは出来なくなりました。でも私は満足です。命をかけてやりきった達成感があります。

以前は私の体験を疑い、反発する人が多かったものです。最近はアクセプタンスして吸収しようとしてくれる人が増えています。皆様との邂逅は、新しい世界への旅立ちを予感させます。
あの時、サマーディの世界に還らずに良かった!
この世界に留まって良かった!
そう実感する今日此の頃です。

Om Shanti Shanti !(愛と平和を!)

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