2019年熊野リトリート体験談 No.8

2019/5/27


2019年4月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 熊野の体験談をご紹介します。

スワミジ師の返信はこちら

 

SY様

先日の熊野リトリートではスワミジ師をはじめ、魂のお導きでご縁を頂きました皆様、私達夫婦を暖かく受け入れて下さり、本当にありがとうございました。

今回の参加は主人からの勧めでした。ある日、「ヒマラヤにパイロットババジ猊下という凄い聖者がいる。日本にその直弟子のスワミ・アディティヤナンダ・ギリジ師がいる」と私に想いをぶつけてきました。
「俺にはこの人しかいない‼︎と確信した」とも言ってきました。
「この様な聖者から直接指導を受けられる。お前は素直だから、俺とは違うものを感得すると思うから、一緒に熊野に行こう‼︎」と更に熱い想いをぶつけてきました。この時にご縁が繋がりました。

しかしリトリート当日まで、何度かキャンセルしようと思った時もありました。今まで主人が瞑想やヨガをしているのを、他人事の様に横目で見てて興味を示さず、「やってみたい!と思った時でいいし、縁があったら……」と恥ずかしながら今日まで来ました。
主人はご存知の通り、神秘体験の数々、密教・仏教・修験道・スピリチュアル等あらゆる体験をしてきているのに、私が無知なため足を引っ張ってしまうのではないか?とか、本当に私に出来るのか?とネガティブな感情ばかり湧いてきて、何度かケンカした事もありました。
それを乗り越えての参加でした。

ここで箇条書きですが、感じたこと・想いを書いてみたいと思います。

【リトリート1日目】
・夕食後の瞑想会
睡魔に襲われていたからか、心のどこかでクリアヨガ等がうまくいかないな、という感情が働いていたからか、スワミジ師に「消えかけていた」と言われ驚いたこと。

【リトリート2日目】
・午前中の瞑想会
涙が溢れて止まらなくなり、胸・背中が苦しくなり、気持ちが収まるまで部屋を出てました。
休憩に入る頃、気持ちが収まったので再び部屋に入った途端、又涙が止まらなくなり、胸・背中が苦しい……
これを見兼ねたSK様が胸・背中に手をかざして下さり、しばらくしたら龍神様が出て行かれ、その後は心身ともに、超が付く位に身体が軽くなり、自然に笑顔に。素敵なギフトでした。(スワミジ師のお話が聞けず残念。)

・午後の瞑想会
瞑想中、目を閉じているはずなのに、目の前がパァ〜と明るくなり、頭上から引っ張られ、頭を持っていかれ、体が斜めに傾く事が4、5回ありました。

【リトリート4日目】
・玉置神社
呼ばれた人しか辿り着く事が出来ないとされている神域。私達は導かれました。有り難い事です‼︎
御神木の数々。精霊が宿る山。龍神様が厚い雲をどけてくれて、陽射しを与えて下さったと感じました。

・三修山学林
ここでは普通のお寺とは少し違うお経でした。
でも私が知っているお経は一緒に唱えさせて頂きました。
迫力のある印を結び、法螺貝の音。大きく燃え上がる炎。魂の浄化をさせて頂きました。
終始穏やかな雰囲気で、初心者でも分かりやすく説明して頂いて、なんとなくですが、瞑想の土台の一部分ですが、作れたかなぁ…?と思っています。

次回も全く同じメンバーでリトリートを受けたい、皆様と離れるのが惜しい。素晴らしい感情で包まれた4日間のリトリートでした。感謝、感謝です。
スワミジ師をはじめ、ご縁を頂いた皆様、本当にありがとうございました。
別れ際、皆様が私にまでハグをして下さって
感無量です。又、皆様にお会い出来る日を楽しみにしております。
ありがとうございました。

スワミジ師の返信

SYさんはとても素敵な体験をしましたね。
瞑想があっという間に進化する見本のような展開でした。
瞑想をしたことがなく、全く座れなかったSYさんがたった一日で、20年以上瞑想をしてきた人よりも、リラックスして座れていたのは驚異的でした。

「袖擦り合うも他生の縁」と言います。
他生とは、他の生という意味です。つまり一般的には過去世を示します。多次元宇宙論的には、別次元の生とする説もあります。

他生は多生という字で書かれることもあります。多生は六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味で、「多生の縁」は一般的には、前世で結ばれた因縁のことを言います。よく「多少」と誤って表記されますが、それは完全な間違いです。

SYさんのように今生初めてお会いした方でも、実は過去世でご縁があった方ばかりがリトリートに集まっていました。中には、SK師やウラゆきこさんのように、私との過去世で師弟関係だったことを思い出す方もいました。

SYさんのパートナーのSHさんや、T氏のように、私を師として直感した方も過去世からご縁が深かったはずです。
私が過去世を観たわけではないのでなんとも言えませんが、マハヨギ・パイロットババジ猊下や太母様、世界的に有名なヒーラー達の霊視では、私は教科書に必ず出てくる僧侶だったそうです。

「・夕食後の瞑想会
睡魔に襲われていたからか、心のどこかでクリアヨガ等がうまくいかないな、という感情が働いていたからか、スワミジ師に「消えかけていた」と言われ驚いたこと」

消えかけていたのはSYさんのマインドであり、エゴです。それは素晴らしいことです。
リトリートでも言いましたが、マハヨギ・パイロットババジ猊下のアストラル体は、ずっと皆様の内面に神秘的な力で働きかけていました。
それを霊視できた人も、出来なかった人にも、猊下やアヴァター様達のサマーディーエナジーは皆様を包摂して、瞑想の助けになっていました。

SYさんが「消えかけていた」とき、猊下の慈悲のエナジーがSYさんに降り注いでいたのを私は観ていました。だから私は心配していませんでした。安心して、SK師のヒーリングに任せていました。
マインドが抵抗して混乱するのは、決して悪いことではありません。それは毒だしの場合が多いのです。ナチュラリストがよく言う、所謂好転反応です。皆さんが、ある段階をクリアした後に、SYさんのように激変することはよく有ることです。

例えば、釈尊(お釈迦様)はサマ・サマーディー(正定)を成就する直前まで、限界を超えた難行苦行を続けました。釈尊は水さえも断つ完全断食をして、死の寸前までいきました。
所謂、「苦行仏」の像を見ると、釈尊のお顔はやせ痩け、骨と皮だけになり、肋骨がくっきりと見えています。

ある日、釈尊はどれだけ苦行しても解脱しないので、ついには難行苦行を放棄しました。そして瞑想から抜け出し、村に出たところでスジャータという村の娘に出会い、乳粥の供養を受けました。余談ですが、スジャータという乳製品の名前はこの娘の名に由来します。

乳粥の供養を受けた釈尊は、難行苦行による極度の緊張から解放され完全にリラックスしました。そしてリラックスして瞑想していたら、その晩にサマ・サマーディー(正定)を成就しました。

釈尊はサドゥー(遊行者)でした。インド・ネパール世界の修行者はすべてサドゥーと呼ばれます。覚醒を求めるサドゥーの多くは、解脱のためのヨガを習得しています。従って、八正道の最後のステージであるサマ・サマーディー(正定)という言葉を釈尊が使用したのは、勿論ヨガの影響です。ヨガの最終ステージはサマーディーであり、サマ・サマーディー(正定)とは正しい、真実のサマーディーという意味です。
ニルバーナ(涅槃)という言葉は、後年使われたものです。おそらく、仏教の独自性を強調するために、新しい言葉を選ばれたのだと思われます。

一時期まで、私は仏教の一般的理解に従い「釈尊が難行苦行を捨てたから覚醒した」と理解していました。しかし猊下は、こう私に教えてくださいました。
「そうではない。仏陀はそれまで極度の難行苦行をした。そして、必要な時期が来て難行苦行を放棄した。
彼は、完全にリラックスした。その時にこそサマーディーが起こるのだ。難行苦行は無意味ではないのだ」

私は猊下のお言葉に衝撃を受けました。
なるほど、ハタヨガで最も難しいアーサナ(体位・ポーズ)であるシャバアーサナは、最初、身体をギューと緊張させてから「すとん」と力を抜きます。すると容易にリラックスできます。極度の緊張の後にリラックスするのです。

座禅も同じなのです。緊張して座っていると無心にはなれません。クリヤヨガをして極度に緊張させた後、その反動でリラックスして座れるようになるのです。

このことについて、リトリート参加者のmihocoさんが以下の思いを述懐してくださいました。

「私は今まで座禅を10年以上してきましたが、皆さんがあんなにリラックスして座っているのを見て衝撃を受けました。
私は禅の接心の感じで、今までガチガチに緊張して座っていました。しかし、皆さんのリラックスしたエナジーを受けたせいか、すぐにリラックスして座れるようになりました。
あんなに楽しい瞑想は初めてです。瞑想があんなに楽しいものと知ったのは嬉しい誤算でした。素晴らしいリトリートに参加させていただき、感謝しています。本当に有難うございます。」

そういうことなのです。気づいていらっしゃる方もいましたが、猊下やヒマラヤのアヴァター様たちのスペースの中に、我々は在りました。
サンカルパヨガをプラクティスして、最初は極度の緊張状態を創出しました。勿論、サンカルパヨガの狙いはこれだけではありませんが、ここでは触れません。

サンカルパヨガを終えた後に座りました。だからこそあんなにリラックス出来たのです。
気がついた人にも、気がついていない人にも、アヴァター様達のサマーディーエナジーが等しく放射されていました。だからこそ、生まれて初めて瞑想した方々も、あんなに深く瞑想を楽しめたのです。

皆さん、マハヨギ・パイロットババジ猊下とアヴァター様達の観えないお力に感謝しましょう。これがアヌグラハ(宇宙の根源)の力です。

何人もの人が「スワミ・アディティヤナンダ・ギリジ師のお陰です。有難うございます」と涙を流して、私に感謝してくださいました。
でもそれは私の力ではありません。
私の中に在る、私という人格やエゴとは無関係のサマーディースペースのお陰です。それがアヌグラハ、即ち内なる宇宙のパワーです。

私は個人崇拝を好みません。肩が凝ってかないません。私は貴方達の友人です。貴方と私はワンネスです。私というエゴとサマーディーは無縁です。

実際、誰かがサマーディーを成就することは出来ないのです。「私」というエゴやマインドが無くなった時に、サマーディーは起こります。
「私」というエゴがサマーディーを成就することはなく、私というエゴが落ちた時にサマーディー、解脱、覚醒と呼ばれるものが起こります。
従って、私というエゴが解脱することは無いのです。私というエゴが落ち、空っぽになり、無心になった遥か彼方にサマーディーは起こります。

ヨガの定義では、誰かが解脱するとき肉体は死の状態になります。貴方はその時、肉体ではなくアストラル体で別の宇宙に行ったり、惑星間旅行をしたり、時間旅行をします。
最も高いステージでは、根源の宇宙に往きます。このステージが第四サマーディーである「ニルビチャール・サマーディーです。「公開サマーディー」の準備ができている人は、このステージに達した人だと猊下は教えてくださいました。

傍からみれば貴方は死んでいますが、意識体が死の世界には往かないので、キリストのように復活します。これが本当のサマーディーです。

色んな方が、色んな意味で、解脱とか覚醒という言葉を使用します。私はそれをすべてリスペクトしています。「どっちが上でどっちが下」みたいな馬鹿げたことは言っていません。私は誰かを矮小化することはありません。
ですので、他の皆様たちにも、ヨガの定義をリスペクトしていただきたいのです。

猊下は「何が本当のヨガで、何が本当のサマーディーなのか人々に知らしめなさい」と仰しゃり、私をヒマラヤから下山させました。
私は、それを皆さんにシェアする義務があります。私は真実を書く義務があります。

昔、インドでこんな笑い話を耳にしました。
霊気というヒーリングがあります。そのヒーリングの中で「直霊」というマントラのような言葉があります。この言葉は、本居宣長が使っていた「直毘霊(なおびのみたま)」の読みを変化させて出来たものです。直毘霊は凶事・罪悪・災害などを改め直すという霊、或いは神という意味です。

霊という字は、毘と同じように、「ヒ」と発音しますので、直霊と書いて、ナオヒ、或いはナオビと読むことができます。霊気では直霊を音読みして、「チョクレイ」と読ませます。

さてある時、私はあるレイキマスターの資格を持った、ドイツ人女性の書いた霊気の本を読みました。その中に、こんな一節がありました。
「直霊(ちょくれい)の語源については諸説ある。「超空霊」がその由来だとする漫画のような馬鹿げた説もある。他にも諸々の根拠のない説が横行している。
しかし、私は長年、その言葉の由来を研究してきた。多くの日本人に調査を依頼した。その結果、直霊の本当の意味を発見した」と書いていました。

その「真説」によると、「チョクレイ」の語源は「直礼」だというのです。「直角に礼をする」ことで、礼儀正しい日本人の魂を表した言葉だと言うのです。
私はこの説を読んだ瞬間、爆笑しました。古典に明るい日本人なら大受けするでしょう。「超空霊」と大差ありません。

でもこれと全く変わらないような、馬鹿げた「真説」が、ヨガ関係の本にたくさん散見されます。
中途半端にヨガを習った西洋人たちが、アーサナ(体位)の名前を間違えて憶えて西洋社会に伝えました。困ったことに、今では間違った名前が正しい名称として定着しています。
直霊が直礼だというような説が真実として定着するような悪夢が、体操ヨガでは既に現実化しているのです。

ヨガの本家本元は、勿論、インドのシヴァ派の修行者達です。我が師、マハヨギ・パイロットババジ猊下が最高指導者である【ジュナ・アカラ】が、シヴァ派の最大のアカラです。

【ジュナ・アカラ】は、シヴァ派のみならず総てのアカラで最も重要で指導的な団体です。世界最大の聖なる祭典であるクンブメーラを指導しています。
今年3月まで行われたクンブメーラには、世界中からのべで1億3千万人もの聖者と信者が集まったというから驚きです。

インドのサドゥーは、普段は乞食行をして自立した生活をしています。今から5000年前と変わらぬスタイルです。普段は組織活動をしていません。4年に一回のクンブメーラの時だけ、聖地に結集します。

サドゥーは、主にシヴァ派とビシュヌ派に別れています。ブラフマン派(梵天派)もいますが極めて少数です。

アカラとは組織ならざる組織であり、教団にあらざる教団のようなものです。すべての宗教が組織化され堕落している中で、アカラは宗教が堕落しにくいシステムを持った唯一無二の特異な集合体です。

猊下は「アヴァター様達が1万2千年伝えてきた技法を勝手に変えてはいけない。古代から続く覚者様達の説いた真理を勝手に変えてはいけない」と厳しく教えています。
しかし残念ながら、サマーディーを成就していない者達が、覚者の願いに違い、様々な珍説を主張しています。直毘霊を「直角にお辞儀する」と解釈するような、噴飯物の珍説がヨガの中でも横行しています。
皆さんは、そうした珍説に惑わされず、アヴァター様たちが伝え続けた正しい教えに従ってください。

私は長年の経験で熟知していることがあります。アヴァター様達と未来の24番目のアヴァター様であるパイロットババ猊下は、私や貴方たちを解脱の光輪で包摂しています。
至福を呼び起こすときもあれば、毒出しをして浄化するときもあります。SYさんはサンカルパヨガの実践で浄化が起こりました。同時に、眼には観えないアヴァター様達の至上の愛を、素直に感じ取ってください。

SYさんの素直さは一つの財産です。素直な方は、サレンダー、即ち明渡しができやすいからです。マインドのゴミを捨てて明渡せる人は、サマーディーに近い方です。どうか、大きな力に素直になってください。そして楽しんでください。

「主人はご存知の通り、神秘体験の数々、密教・仏教・修験道・スピリチュアル等あらゆる体験をしてきてるのに、私が無知なため足を引っ張ってしまうのではないか?とか、本当に私に出来るのか?とネガティブな感情ばかり湧いてきて、何度かケンカした事もありました。
それを乗り越えての参加でした。」

私はSHさんがSYさんを選んだのだから、なにも心配していませんでした。SHさんは、若かりし頃、相当ならした強面と聞いていますが、臨死体験を境に、スピリチュアリズムの世界に入りました。親鸞さんの「悪人正機」の典型のような人です。

私は上っ面で人を見ません。人の内面でものを見ます。『歎異抄』の中で、親鸞聖人が弟子の唯円に「善人でさえ往生できるのだから、悪人に往生できないはずがない」とユーモラスな返しをしました。親鸞聖人は人を外面で判断していません。
同じように、私はSHさんを受け入れ、SHさんが認めているSYさんのリトリート参加を無条件で受け入れました。

そして皆さんもご覧になったように、SYさんはたった一日であのようにリラックスして座りきれました。マハヨギ・パイロットババジ猊下とアヴァター様達のアヌグラハに感謝してください。
私はアヴァター様達と皆様を内側でつなぐことが出来て幸せです。

Om Shanti Shanti !(愛と平和を!)

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