2019年10月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡の体験談をご紹介します。
愛知県 N.N. 様
リトリートと云うものに参加するのは一体いつぶり位だっただろう。
1泊程度の小さな瞑想会を除けば、少なくとも10年以上参加する機会がなかったように思う。
今回のリトリートは静岡にある道場で行われるヨガのリトリートだった。
禅や念仏の仏教や瞑想の世界には馴染みがあるのだけど、ヨガと云うものについぞ今まで縁がなかった。
しかし不思議なことに僕の憧れた師であるダンテス・ダイジに関わる縁で、僕はアディティヤナンダ・ギリ先生とのご縁が繋がった。
更にはこれまでの僕の遍歴の中で現れた数々のキーマンとなる人物との関わりがギリ先生と被っていたり、特に僕が学んで来た念仏の世界をかつてギリ先生も学んでおられた事など、色々な網目が重なって一つの像を結ぶようにただならぬ不思議な因縁を感じて今回のリトリートに参加を決めた。
リトリートはギリ先生のお話やパイロットババジ猊下やヒマラヤのアヴァター様方のお話を交えながら、サンカルパヨガ瞑想を実践して座ると云うものであった。
30人近くの方達が参加され、その内の半数位の方がそれぞれに神秘的な体験をされ、それがどうやらギリ先生を守ってらっしゃるヒマラヤの24人のアヴァター様方が引き起こして居るようだった。
僕自身には特別神秘的な体験と云うものはなかった。
横目に羨ましい気持ちもあってモヤモヤした気持ちにもなりはしたが、そこから自分の頑なさやらエゴやらが見えて来る。
何とかなるだろう。
逃げ場があるだろう。
そうやってありのままを受け取らずに、より有利に立ちたいと云う恐怖に裏打ちされたパターンを繰り返している自分の姿が見えて来るのだ。
それは情けなくもあり、恥ずかしくもあり、惨めさを感じさせたが、ひとつの事を僕に思い出させた。
情けなさも、恥ずかしさも、惨めさも、それをどうにかしてからどうこうしようと思うのではなく、その全部を持ったままのありのままの自分全部を素直に差し出そうと云うことだった。
このままの自分からで良い。
今の自分が立ってる場所からで良い。
念仏から学んだ事が思い出されて来た。
ギリ先生が僕に話してくれた弥陀の願船に乗ると云うこと。
本当に任せる、委ねる、明け渡す。
僕のエゴやらマインドやらが何と言おうと。
今回のリトリートで得ることが出来たことはこれだった。
おまけの話だが、リトリートから帰ってきてから実践している事がある。
それは節煙だ(笑)
まだタバコに未練があるので今はまだ節煙と云っときます(汗)
僕はタバコが好きなのだが、ギリ先生からサンカルパヨガ瞑想の為にもタバコは1ミリ位のを1日1本位にした方が良いと言われた。
そんな訳で節煙を始めた訳だが、吸いたいと感じたらサンカルパヨガ瞑想をやる。
それを繰り返したら、以前は吸いたいと吸うが同時だったのが、吸いたいと言う衝動に気付き、その衝動と距離を取って本当に吸いたいのか、単にストレスや習慣に従って自動運転になってるかを見極めて選択しコントロールする事が出来るようになって来ました。
節煙に使うというのはちょっと間違ってるかも知れないのだけど、節煙をダシにして生活の中にサンカルパヨガ瞑想が取り入れられて行く事も期待しての事である。
折角学んだのだから、身に付くまで努力してみたいのである。
出来ても出来なくてもそのままのありのままを委ねて。
(追記)
僕には神秘体験はなかったと書いたのだけど、実はちょっとありました。
僕は背中がちょっと痛かったので疲れたらもたれられる様にソファーの前に座って居たのですが、瞑想中にソファーの後ろを誰かが歩いて行くのを感じました。
その前の瞑想の時間に誰かに肩を叩かれたとか、みんなの座ってる隙間を誰かが歩き回っていたとか云う体験のシェアをしてた後の瞑想の時間だったので、まさかね~ってみんなの話しに影響されてスタッフの方か誰かが通ったのを感じただけだろうと思ってました。
僕は本堂左側に座ってて、同じ本堂の内陣側に座っていたスタッフのNさんが時々記録用のカメラを回したりしてたので、Nさんが通ったんだろうなと思ってたのですが 、瞑想後のシェアでその事を話したらNさんもギリ先生もソファーの後ろを歩いてないと言う。
しかし、その誰かが通った感じがあんまり違和感なくフツーに人が通った感じだったんであんまり神秘体験!って感じに受け取れなかったのでした(笑)
最後の日の瞑想の時も瞑想中肩をツンと一回つつかれた感じがして、ややや!ついに来たか!とか思って目を開けたら隣の方が動いてたんでその方の肘か何処かが軽く肩に当たったのか、本当に神秘体験的な事なのか良く解らなかった事もありました。
僕は如何にも神々しい様なものを見たり感じたりしたら神秘体験かなーっと思ってたので、まー気のせいだろう位に思って忘れていたのですが、シェアの時に僕が話した事をギリ先生が覚えてらっしゃってて、遠慮せずに書いてとの事だったので今回追記しました。
人が歩いて行った感じがあんまり自然だったので神秘体験とは思えなかったのですが、誰も歩いてないのだから過小評価せずに不思議だなーって思って受け取っても良さそうなものなのに、僕は疑り深いヤツだな~っと再認識しました(笑)
ひとつひとつの体験を、これからはもう少し大切にして行こうと思ったのでした。
スワミジ師からの返信
「ひとつひとつの体験を、これからはもう少し大切にして行こうと思ったのでした」
そのとおりです。
瞑想中に体験したものについて無意識的でいると、大切な瞑想スペースが育ちません。
先ずは自分が受け取った恩寵に感謝することが肝要です。覚醒していない方は色々貴君をジャッジするかもしれませんが、貴方の中の仏性はそれが何であるのかを知っています。
外野のヤジは気にしないことです。
私の見る限り、N.N. 君は純粋で、道心が有る方なので、近い将来何ほどかのステージを達成することでしょう。
今後とも内側の仏陀を信頼して、楽しみながら精進してください。
我々も応援しますよ!
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