2022年11月静岡リトリート(初級)体験談 No.17

2022/11/16

2022年11月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡(初級)の体験談をご紹介します。

梅澤麻也子様

スワミジ師、お寺の皆さま、スタッフの皆さま、参加者の皆さま、参加させていただきありがとうございました。

いつでもアルター前を陣取る割に、私は数回前までアルターに触れるのは畏れ多いと思いながら参加していました。今年、富山の中級で片付けを手伝わせてもらって、先月、静岡の中級でアルターのセバになったものの何をしていいやら。
「みんなが気持ちよく座れるように」の思いと、これまでもこんなに手をかけてもらっていたのだなと知りました。気づいたら必要なことは終わっているような感じで私に同じことはできないと思いました。

今回もう一度アルターの係になりました。リトリートに行く前は何でこんなに家では座れないのか、こんなのがセバをしていいのか、このままで参加できるんだろうかみたいな気持ちでいました。
なので滞りなくセバができますように。皆んながお祈りする場所、アバター様の思いがいつも発せられているところ。リトリート中、せめて電池や蝋燭やお線香に忘れずに目を配れますようにとお祈りしていました。
祈ったらインストラクターのみんなの顔や言っていたことが思い浮かびました。それも一緒に祈りました。
初参加の人も、2〜3回の人も、それ以上の人にも素晴らしい瞑想がありますように。
気持ちよく座れますように。

初日、机を重ねて祭壇(アルター)の準備をして、お花の準備をしてくださるのを横目に一緒に必要なものを探し出して並べたり。できないことは任せ、わからないことは相談させていただき、私は何せわかることできることをやろう。
おふたりは他のセバもあるからと勝手に気負っていたことに気付かされました。

参加できた人、参加できなかった人、参加したかった人、想いを寄せてくださる皆さんも共にあるリトリートでありますように。アルターにお祈りし、ご挨拶をして初日がはじまりました。

毎朝のセレモニーでスワミジ師に感謝を伝え、花びらを撒き接足しました。周りを見ながらも作法や流れを止めないようにと気にする自分が最初いたように思いますがシュローカを唄ううちにそんなものは飛び、なぜ泣いているのかも分からないまま泣きました。接足させていただいたらそこから動きたくありませんでした。自分から接足する勇気を持てないままセレモニーのおかげで毎日スワミジ師にこのような形でご挨拶をさせていただけたことにも感謝致します。ありがとうございます。

中級で10時間座れたのだから、今回も座れるはずと初日に翌朝まで座ることに挑戦しました。なかなかじっとしていることができず絶えず座り方を変えていて、ただそこにいた感じではありますが13時間座っていたかいないかだと思います。ふと意識が浮上するとささやかな音が聞こえ、みんなで座っていると勇気付けられ前回よりは苦しむことなく座ることができました。
2日目は9時間、3日目は4時間と4時間半くらいでした。
あ、出来そうという感じや頑張ってしまう自分、あ、ダメだ……となったときを経験できて良かったです。

今回初級ということでしたが、そんなことは忘れてしまうくらいみなさんとても静かにずっと座られていてすごいなぁと毎日思いました。時折静かすぎて、あれ?私しか居ない?と思ってしまったこともあるほどでした。一緒に座らせていただき、ありがとうございました。

最後の瞑想が終わり片付ける前、アルターにセバをさせていただきありがとうございました、また参加したいですと、ご挨拶しました。胸がぶあっとなりました。アバター様は見ていてくださる、近くにいてくださったと泣きそうになりました。

リトリート後の巡礼の夜、暑さで目が覚めて身を起こしたら胸の内側が柔らかく光っているようで、そのままいたくて座っている時間がありました。その感じがただ気持ちよく瞑想はしようとしてするのではないのかもしれない。そんな風に思いました。

巡礼では西湖でセレモニーの時にみんなでスワミジ師に捧げた花びらや、アルターにあった花から花びらを摘んだものをスワミジ師が私たちに向けて撒いて下さいました。
わたしは最初、湖に向けて撒くものだと勝手に思っていたので風でこっちにきてしまうなと考えていたのですが、スワミジ師が撒いて下さった花びらが自分の周りに届いたとき(どこか身体に触れたのかもしれませんが)何の前触れもなく泣いていました。湖に向かって立って泣きながらパイロットババジ猊下の気配をいつの間にか感じていて、同時に巡礼には参加できずに帰られた人も一緒にいるように感じられていました。スワミジ師にチューニングを合わせて思いを寄せるとはこういうことなのかと感動していました。

初めて接足させていただいたのは昨年1月の沖縄だったように記憶していますが、その時は頭で一生懸命なぜ泣いているのかと理由を探したように思います。ですが、今回後になって思ったことは本当の喜びは柔らかで細やかで静かで。〇〇で嬉しいのような説明はつかず疑問も湧かないものなのだなということでした。リトリートの終わりにスワミジ師が仰られたことをもっと実感して受け取れるようになっていきたいです。

前回、人目ばかり気にする自分に気付きましたが今回はセバのことばかり気にしていて周りの見えていなさも発揮してしまっていましたが、やっとリトリートに自分で身体ごと参加できたような、視野の狭さに助けられた感じがします。
また、神秘体験や何がしかの体験を期待する余裕がなく、そのこともとても良かったです。ずっとそうありたいです。

胸の内側に真っ白な歓喜がある。次に参加するときはセレモニーや巡礼の時に感じた静かな歓喜に委ねて座れたらいいなと思いました。

またぜひ参加したいです。
これからもよろしくお願いします。

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