2021年6月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 山形出羽三山の体験談をご紹介します。
今回のリトリートは、参加前から体に赤紫色の湿疹のようなものが出たり、泣きが止まらなかったりと浄化が起こっていました。
これはリトリートで沢山の恩恵を受け取れるようにとのギフトなのだなと感じて参加させていただきました。
今回のリトリートは私が参加したリトリートではかつてないほどサイレンスが保たれていました。
サイレンスをしてみて思うのは、自分が話したいと思うときは何か自分がしている行動への言い訳のようなものでした。
こう思われたらどうしようとか、そんなことから話したくなってしまうのだと思いました。信じることが怖くて話したくなってしまうのです。
しかし、スワミジ師がリトリート参加を承諾された仲間を信頼すると決めると言い訳から話したくなる自分はすっと消えていきました。。
私が持っている信頼することへの恐怖と共に、今回見ることができたので愛と性への根強い執着です。
私は昔からなぜ、恋愛ドラマで結ばれるといったらベッドインなのかさっぱり分からずにいました。女性は自分の性を大切にしなければいけないという意味もさっぱり分かりませんでした。経験したらわかるのかと思いましたが、分からず、相手が違えば分かるかと思えば分からず、そのうちに段々と相手にこうなら分かるかもしれないのにと不満と要求ばかりの恋愛をするようになっていたように思います。そんな私でも心から愛していたのだと今は分かる人がいます。今でも残っているのはその人と一緒に見た夕日の美しさや一緒に分け合って食べた小さな駄菓子の美味しさを今でも鮮明に覚えています。でも性だけは分からないまま、私の愛と性は切り離されたままのように感じてきました。死ぬまでにこれだけはいつか分かって死にたいとずっとずっと心の奥でその思いは膨らんでいたように思います。
幸い夫婦関係は良好ですが、やはり結婚生活でも愛と性の繋がりは理解できずにいました。
いつかそれが分かる人に会えるかもしれない、会いたいと強く執着してきました。
今回瞑想中に立山リトリートで「愛は永遠だ」とスワミジ師が講話の時に話してくださり、号泣したことを思い出しました。
その時、私は愛した人が亡くなったと知って今でも自分の中に残る愛に苦しんでいました。わたしは普段「愛は永遠だ」といった言葉は鼻で笑うような自分なのにあの時は号泣しました。その時はあのタイミングだったから号泣したのだとどこかで思っていました。しかし、スワミジ師にはあの時ババジ猊下のエナジーは私の中に入ったのを見たんだよと何回も仰っていただいたのに、ちゃんと理解できずにいました。
自分の愛と性への執着を見て、愛とはなんですか?とアヴァター様に問うたときに「愛は永遠だ」でいただいたエナジーこそが愛だったのだ、あれはスワミジ師、ババジ猊下、アヴァター様たちの愛が私に入ってくれていたのだとようやく理解できたように思います。
スワミジ師は今回皆のカルマを引き受けてくださり、腰痛を発症されていました。私もみんなもずっとこのように見守っていただき、愛を与えていただき、受け取れないことがないように執着を燃やす方法を授けていただき、カルマまで引き受けてくださっていたのだとようやく気付きました。これが愛じゃなくてなんなのか。わたしはこの愛を疑ってきてしまっていたのではないか。
性と愛が繋がるのかは未だにさっぱりわからないままです。でも知りたいとは思っています。なぜ、性は神聖なものなのか、なぜ性を通じて命が生まれるのか、性と愛はつながるのか。私は全てを知りたいです。でも、性体験を重ねることや相手を変えることで分かることではないと今では思っています。
教えていただいた愛を信じて、サンカルパヨガ瞑想を続けていくことが私の知りたいことをしる道だと今回のリトリートで感じることができました。まだ、生まれたての気持ちですが、忘れないようにここに感想文として記してみました。ありがとうございました。
(典子)
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