魂の友たちへ(上)

2020年2月10日

★ヒマラヤのアヴァター様

私は、「インド二千万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛される、我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下(通称パイロットババ)とヨグマタジ(相川圭子師)が提唱されている「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア(母なる地球)保護」の誓願に賛同し、その願いを実現しようと努めている一人の求道者です。
猊下方の誓願を実現するためには、出来るだけ多くの人が覚醒する必要があります。私はそのために活動しています。


覚醒するには様々な修行方法がありますが、すべての修行法、瞑想法のルーツはヒマラヤだと言われています。ヒマラヤには「一万二千年間秘密のクリヤヨガ」と言われる秘密の瞑想法があります。
その秘法はヒマラヤのアヴァター様(神の化身・権現)の間に連綿として伝わっています。アヴァター様方は、パイロットババ猊下やヨグマタジのような覚者を地上に遣わし、人類の意識を高次元へ導きます。


ヒマラヤのアヴァター様方は、普段は光体となって、地球と、地球上の生きとし生けるもののすべての霊的進化を促す神の業をなされていますが、時々、人間の姿となって我々の前に姿を現されます。
ヒンディー語の「ありがとう」という言葉ですが、英語表記は「Dhanyavaad」で、インド人はダンニャワードと発音します。このようにインド人はVAを「ワ」と発音します。そしてヒンディー訛りが強いインド人の発音はローマ字スタイルです。例えばシュガーはシュガール、ガバメントはガバルメントというように、Rをきっちりアールと発音します。
だからAvatarをアヴァターではなく、オワッタルと発音するのです。聞きようによってはオッタルとも聞こえます。
日本人にはヒンディーイングリッシュは聞き取ることも発音することも意外に難しいのです。インドの首都を日本人はデリーと発音しますが、インド人はデッヘリーのように発音します。私は何度もインド人に似せて発音しましたが、何度やってもインド人からは違うと言われました。


中国翻訳僧はアヴァターという梵語(サンスクリット語)を「神の化身」と訳しました。化身は権現と同じ意味です。
日本には化身を表す言葉で権現(ごんげん)という言い方があります。権現は、日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想による神号です。
本地垂迹説とは仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、「神様の本来の境地(本地)は仏様と同じであり、人びとを救うために仏様が神様に姿を変えている(垂迹)」という考え方です。日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)の化身として日本の地に現れた権現であるとする考えです。


権という文字は「仮の」「臨時の」という意味で、権現は仏や菩薩が「仮に」神の形を取って「現れた」ということです。こう捉えると、権力とは、仮の力という意味になるので面白いですね。


権現と言えば熊野権現が有名ですが、熊野権現の本地は阿弥陀如来です。阿弥陀如来はインドの仏なのでインド人の顔をしています。なので、インド人の顔ではなく、日本人に馴染みやすいように、日本の神である家都御子神(けつみこのかみ)として、阿弥陀如来が現れたと伝えられています。
それから修験道の大本山である金峯山寺は奈良の吉野に有りますが、ご本尊は「吉野権現」ではなく「蔵王権現」と言う名です。蔵王権現は憤怒神で青い体をしていますので、ルーツは間違いなくインドのシヴァ神でしょう。
映画「アヴァター」は、ヒマラヤのアヴァター様をヒントに作られたものです。青い体をしているので、これも明らかにシヴァ神がモデルです。因みに、アヴァターという言葉は、ネット用語にもなっています。自分(ユーザー)の分身となるキャラクターの意味です。


アヴァター様方は人間の姿で現れるので一般の人は普通の修行者だと思いますが、 パイロットババ猊下のような覚者はアヴァター様が神の化身だと知っています。そして、一部の弟子にその真実を明かします。
私はパイロットババ猊下の紹介で、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリが『あるヨギの自叙伝』に「数千年生きているアヴァター」として紹介しているマハ・アヴァターラ・ギリ・ババジにお会いしました。


猊下は私にこう教えてくださいました。
「マハ・アヴァターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アヴァターラババ)やアヴァターラ・ギリ・ババジはマハーバーラタ戦争の時代から生きている。それは一万二千年間前に起こった。つまりクリシュナ神が『リグ・ヴェーダ』を説いた時代から肉体を交換しながら生きている」
ヒマラヤのアヴァター様方は、普段、肉体をヒマラヤの氷河に冷凍保存しています。下界に戻る時は、人間に分かるように肉体に戻られ、人間の姿で現れます。


ヒマラヤのアヴァター様方の肉体と意識との関係は、パソコンに少し似ています。肉体はハードウェアで、意識がソフトウェアです。ハードウェアにソフトウェアが加わってパソコンは機能します。ハードウェアだけでもソフトウェアだけでもパソコンは機能しません。
意識は必ず身体を持つので意識体と言われます。仏教やヨガでは「心身一如」という言い方をします。肉体と意識は不即不離というのです。光体だって光の体を持っています。
この例で少しイメージを掴んでいただければ幸いです。ヨガのパンチコーシャ論(五つの鞘論)によれば、身体は肉体だけでなく五つあります。一番粗大な身体が第五身体の肉体で、それからもっと微細な第四身体、次に第三身体、第二身体となり、最後はコーザル体(宇宙体)になります。


微細身のイメージを持つのが難しいなら、肉体より分子レベルが微細で、さらに原子レベル、そして量子レベル、さらにクオーツレベルがより微細になるというイメージなら理解しやすいと思います。
ただし、物質世界の物理学とヨガの科学は似ているけど違います。量子より微細な世界に行ったら宇宙になったという話を聞くと、「原子の世界では原子核と電子の間には宇宙的なスペースがあるので、宇宙のように見える」と合理的に解釈するでしょうが、そうではありません。
サマーディを体験すれば悟りますが、極微の世界に入ったら、なぜか極大の世界に往ってしまうのです。理屈に合いませんが、そうなっているから仕方がありません。量子力学だって理屈に合わないけれど、自然がそうなっているので仕方がないのです。文句はプラクリティ(自性・自然)に言ってください(笑)。そういう宇宙のルールを設定したのは、プラクリティですから。


ヒマラヤのアヴァター様方は肉体をしばしば変えられます。パイロットババ猊下の著書『ヒマラヤへの扉』にも書かれていますが、アヴァター様同士で同じ肉体を交代で使うこともあるようです。
私はマハ・アヴァターラ・ギリ・ババジにお会いした後で、アヴァターラ・ギリ・ババジにもお会いしました。私がお会いしたアヴァターラ・ギリ・ババジは溌溂としていて、50代に見えました。
ところが、パイロットババ猊下のホームページに掲載されている、今から50年くらい前に撮られたアヴァターラ・ギリ・ババジのお写真を見ると、80代にみえます。私がアヴァターラ・ギリ・ババジにお会いしたのは1997年です。今から20年ほど前です。となると、アヴァターラ・ギリ・ババジは少なくともその頃、100歳にはなっていたはずです。それが50代の若さに見えたのです。「どういうこと?」と思いました。
後でパイロットババ猊下に伺うと、長期間サマーディに入定されていると肉体は若返るそうです。だからアヴァターラ・ギリ・ババジは、年を取らずに30歳以上は若返っていたのだと理解できました。


私はチャネリングや霊視のようにサイキックな力でマハ・アヴァターラババや、アヴァターラ・ギリ・ババジにお会いしたのではありません。肉体をもつアヴァター様にお会いしました。
お二方とサマーディの秘密についても語り合えました。サマーディ、或いはニルバーナ(涅槃)と呼ばれるものには極秘事項があります。お二人のヒマラヤのアヴァター様は、当然それをご存知でした。


昔の私ならこんな話は一笑に付しましたが、これでもかこれでもかと神秘的な出来事が何十年も続いてきたので、宗教が大嫌いだった私も考えを変えざるを得ませんでした。事実と真実の前では、人間のイデオロギーやマインドはなんの意味も持ちません。

◎アカラとは何か

ヒマラヤのアヴァター様方は一万二千年間秘密の秘法を、覚醒した弟子にだけ伝授します。所謂秘儀伝授です。多くの弟子は、更なる霊的成長の為、そのままヒマラヤに留まり過酷な修行を続けます。
しかし、パイロットババ猊下やヨグマタジのような世を超えた覚者は、衆生救済の為にヒマラヤから下山して人々を善導します。猊下のような覚者は個々人を指導するばかりではなく、インド聖者のアカラと呼ばれる教団のような会衆を直接指導されます。


アカラは、所謂、組織や教団ではありません。アカラのような「教団では無い団体」は世界中に類をみないので、的確な翻訳語が見当たりません。アカラは「組織なき組織」なのです。ですので、仕方なく協会とか団体などと訳しますが、それでもピンときません。なので、アカラという言葉をそのまま使います。


インドにはいくつものアカラがありますが、その中で最も重要で、最も大きいアカラが「ジュナ・アカラ」です。ジュナ・アカラはこのマーヤ(幻想)の世界を破壊して、苦悩に喘ぐ衆生を覚醒させる「瞑想者の神であるシヴァ神」をリスペクトするシヴァ派のアカラです。パイロットババ猊下は、そのジュナ・アカラの実質的最高指導者です。
後でも触れますが、ジュナ・アカラは世界最大の聖者の祭典であるクンブメーラを統括しています。2019年に行われたクンブメーラには1億3千万人の聖者と信者が世界中から集まりました。


インドにはサドゥーと呼ばれる遊行者が2千万人いると言われています。彼ら、彼女らは普段は個人で遊行しています。
クンブメーラの時だけ聖地に集まるのですが、その時は自分が信仰する宗派の修行者同士で集まります。それ以外の時は、各自の自由意思でインド・ネパール世界を遊行しています。
だから、アカラは組織になりえないのです。アカラは世界で唯一の「組織なき組織」なのです。


パイロットババ猊下はジュナ・アカラの最高指導者で、シッダマスターとして認められている存在です。インド聖者の最高にして最大のアカラであるジュナ・アカラが猊下をシッダマスターとして認めているので、インド政府さえも認めるのです。


ヒマラヤのアヴァター様方はジュナ・アカラの最高指導者に直接コンタクトをとられているようです。パイロットババ猊下のマスターで伝説のアヴァター様でもあるハリ・ババジ、そのマスターであるマハ・アヴァターラババ、アヴァターラ・ギリ・ババジも総て、秘密裏にジュナ・アカラを指導されています。

 

◎ギリ・ファミリー

マハ・アヴァターラババについては色んな人が色々な想像で書いていますが、アヴァター様について一番正確な情報を持っているのは当然ジュナ・アカラです。ジュナ・アカラの最高指導者であるパイロットババ猊下は「24番目のアヴァター様」として認められていますので、猊下の情報は最も信頼できる情報です。


霊能力者の方のチャネリングは正確ではありません。例えば、神智学の創始者のひとりであるブラヴァツキー夫人がヒマラヤのアヴァター様について色々霊視しています。ヒマラヤにはクートフーミなど数人のマハトマ(偉大なる魂)、アセンデッドマスターがいると言っています。しかし、本家本元のジュナ・アカラではブラヴァツキー夫人の主張を認めていません。どちらを信用すべきかについては、論議する必要もないと思います。


例えば、親鸞について霊視した方の著作を読んだことがありましたが笑ってしまいました。その本を読んだ専門家は大抵吹き出します。親鸞理解が浅すぎて、まったく素人の見解なのです。余りにレベルが低すぎて反論する気にもなれないと皆さん仰います。同感です。
これと同じように、ヒマラヤのアヴァター様方とチャネリングしていると称する方たちの仰ることは、かなり的外れです。親鸞を研究するなら浄土真宗に尋ねるべきだし、空海さんなら真言宗に尋ねるべきです。ヒマラヤのアヴァター様について知りたいなら、シヴァ派の最高にして最大のアカラであるジュナ・アカラに聞くべきです。


マハ・アヴァターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アヴァターラババ)の昔の肉体の写真や、所謂、霊視写真を信じている方は、新しい肉体のマハ・アヴァターラババのお写真を見ると「これは違います」と言います。マハ・アヴァターラババにお会いしたことがない人が、ヒマラヤのアヴァター様と長年修行を共にしてきたパイロットババ猊下の仰ることを否定するのです。困ったものです。


さて、そのパイロットババ猊下がヒマラヤのアヴァター様方についてこう教えてくださいました。
「ヒマラヤにはこれまで23人のアヴァターが存在する。24番目のアヴァターは、これまでの23人のアヴァターを統べる存在だ。私は23人のアヴァターから24番目のアヴァターとして認められている」


23人のアヴァター様の中には、ヨガの開祖として有名なゴラクナート・ババやマハ・アヴァターラババ、アヴァターラ・ギリ・ババジ、そしてインドの神様人気ナンバー1であるクリシュナ神まで含まれているのですから驚きです。
クリシュナ神を除けば、23人のアヴァター様の中で最も有名なのはマハ・アヴァターラババでしょう。彼の名を世界に広めたのは、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリです。ヨガナンダ・ギリは『あるヨギの自叙伝』の中で、数千年生きているアヴァターとしてマハ・アヴァターラババを紹介しました。
マハとは「偉大」という意味です。この言葉は日本語になっています。摩訶不思議の魔訶(マカ)です。アヴァターとは「神の化身」という意味です。マハ・アヴァターラババは「偉大なる神の化身」という意味になります。


23人のアヴァター様の中で、マハ・アヴァターラババ以外に有名な方と言えば、ハタヨガの創始者であるゴラクナート・ギリ・ババジがいます。パイロットババ猊下のお話では、そのゴラクナート・ババジにヨガを教えたのがマッツェンドラ・ギリ・ババジです。
彼は、捻じりのポーズ(マッツェンドラのポーズ)の考案者として有名ですが、実はハタヨガの開祖にハタヨガを教えていたアヴァター様だったそうです。しかも、パイロットババ猊下の過去世の一人が、このマッツェンドラ・ギリ・ババジだと言うから面白いですね。


他には、マハ・アヴァターラババと同じくマハーバーラタの時代から生きていると言われるアヴァターラ・ギリ・ババジがいらっしゃいます。
私はパイロットババ猊下の紹介でマハ・アヴァターラ・ギリ・ババジにお会いし、その二年後にアヴァターラ・ギリ・ババジの肉体にお会いしました。お写真も撮らせていただきましたし、インタビューもMDに録音させていただきました。
残念ながら、インタビューは極秘事項が多いので公開はできません。パイロットババ猊下の『ヒマラヤへの扉』を日本語に翻訳した一人であるギャンに、MDの録音を聞いてもらいました。もう一人の翻訳者のアルシャッドは聞いていません。
でも、リトリートの中でパイロットババ猊下やヒマラヤのアヴァター様方に教えて頂いた秘密の話を、私は色んなところにちりばめて書いています。
ヨグマタジのご本を読んでも、あちこちにサマーディの真実、秘密がちりばめられています。自称「覚者」と語る勘違い覚者には、それがなんだか分からないようにヨグマタジは書かれています。真のニルバーナを体験した人なら、それがどういうことか分かります。


そして忘れてはならない、もう一人のアヴァター様がいらっしゃいます。今生でのパイロットババ猊下のマスターである、ハリ・ババジです。正確にはハリ・ギリ・ババジです。
ハリとは、苦しみを取り去る者という意味のサンスクリット語です。ギリはヒマラヤの聖地を意味するファミリーネームです。ヒマラヤのアヴァター様方には、皆「ギリ名」がつきます。

 

◎私はアヴァター様を覚知しています

私はアヴァター様の存在を信じているのではありません。アヴァター様の実在を知っているのです。
私はアヴァター様に実際にお会いしているし、その神秘的な力を目の当たりにしました。従って、信じているのではなく実在を覚知していると言い切ります。
例えば貴方が私の前に立っているとします。私は「貴方がそこに立っていると信じます」とは言いません。「貴方はそこに立っています」と言います。そういうことです。


サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡で13人の方にヒマラヤのアヴァター様方が訪れました。何人かの人がこう仰いました。
「瞑想中にオレンジの服を着た方が肩を叩くので、スワミジ師かと思って目を開けたが、スワミジ師はいらっしゃらなかった」
私はその方たちの体験を疑っていません。


私はヒマラヤで瞑想中、宇宙の秘密が一瞬で解るような小さな悟りやサマーディ(ニルバーナ)の遥か手前の「光と至福、ワンネスの世界」程度の体験なら、0.1秒か1秒ごとに神秘体験をしていました。走馬灯のように瞬く間に起こり続ける神秘体験でしたので、何を体験していたのか憶えきれるものではありませんでした。
サマーディにおける光の体験の遥か手前にある光の体験をエンライトメントだと勘違いしている自称覚者には申し訳ないのですが、真のエンライトメントは遥か彼方に有るのです。それを疑ってかかる人もいるでしょうが、私は私自身が体験したことを否定できません。貴方がそこに立っていれば、貴方がそこに立っていると認識するのと一緒です。
頭から疑ってかかる人に認めて欲しいと思うのが無駄なことは、私がかつて科学主義者で懐疑論者だったのでよく理解しています。

★マハヨギ・パイロットババジ猊下について

マハヨギ・パイロットババジ猊下は、インドビハール州のササランに出生されました。ササランは、古代は釈尊(お釈迦様)が仏教を広めた国であるマガダ国でした。


パイロットババ猊下の俗名はKapil Advait(カピル・アドヴァイタ)です。Kapilと聞けば、仏教者なら誰しも釈尊の王国がカピラ城と呼ばれていたことを思い出すでしょう。一説には釈尊の王国にカピラというリシ(聖仙)が住んでいたのでカピラ城と言われたそうです。国名なのにカピラ城というのは違和感がありますが、城下町程度の国土だったのでしょう。
アドヴァイタは言わずと知れたアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)を意味します。凄いお名前です。


インド人の名前は日本人から見ると随分変わっています。シヴァとかヴィシュヌとか普通に神様の名前をつけます。日本で言えば「天照大神」とか「スサノオの命」とかいう名前は怖れ多くて付けられませんが、インド・ネパール人は神を身近に感じています。日本人とは感覚が違うのです。
シヴァ神の奥さんはパールヴァティーと言います。子供はガネーシャです。私の知り合いのネパール人にシヴァと言う男がいましたが、奥さんはパールヴァティーと言う名前でした。それで生まれた子供の名前はガネーシャでした。だから姓がアドヴァイタ(不二一元論)であっても別に驚きません。


因みにパイロットババ猊下を紹介するときに「パイロットババの本名はカピル・アドヴァイタです」と言うのはとても失礼です。ヨグマタジに対して「相川圭子」と呼び捨てで呼ぶようなものです。
ヒンドゥー教でも仏教でも俗名を捨てて出家名を名乗るのですから、出家した僧侶を俗名で呼ぶのは出家を否定した言い方になります。ですので、せめて「パイロットババ猊下の『俗名』はカピル・アドヴァイタです」と紹介してほしいものです。


インドでは猊下のような出家者をサンニャーシン(遊行者)と呼びます。パイロットババ猊下の俗名は「カピル・アドヴァイタ」ですが、出家して頂いたお名前(サンニャーシンネーム)は「ソムナート・ギリ」です。ソムナートはシヴァ神の別名です。パイロットババ猊下のことを「ソムナート・ギリ・ババジ」と呼ぶ信者さんもいます。

◎パイロットババと呼ばれる由来

ソムナート・ギリ・ババジというのが、サンニャーシンネームなのに何故パイロットババと呼ばれるのか説明します。


パイロットババ猊下はフランスの大学院で化学を学び、博士号を取得した後、帰国してインド空軍に入隊しました。23歳で空軍に入隊したという話もありますが、私はフランスの大学院で化学を勉強して博士号を取得したと猊下ご本人から伺っています。もしかして、入隊後に空軍に席を置いたまま留学したのかもしれません。なにしろ猊下はササランの王族ですから、インドでは大抵のことは通ります。インドを知っている人は事情が分かると思います。


猊下は入隊してすぐに空軍中佐に昇進しています。そしてバングラデシュ独立の時に、猊下はあることでギネスブックに載りました。猊下も「あれは私の若気の至りだった」と述懐されているので詳細は省きますが、飛行技術に関することです。猊下は空軍のヒーローでした。そういう訳で、信者さん達は親しみを込めて「パイロットババ」と呼ぶのです。弟子は「ババジ」と呼びます。高弟はもっとくだけて「ババ」と呼びます。


ちなみに空軍中佐の仲間には、元インド首相のラジブ・ガンジーがいます。ラジブ・ガンジーの母は、あの有名なインディラ・ガンジー元首相です。インディラ・ガンジーの父は、マハトマ・ガンジーの盟友で、哲人宰相として有名なジャワハルラール・ネルーです。彼はインド初代首相で、世界の賢人と称賛されました。


パイロットババ猊下は「ネルーもガンジーも、かつてはヒマラヤの修行者だった」と教えてくださいました。
因みに現インド首相であり、猊下の弟子であるモディ首相も、30歳まではヒマラヤで修行していた聖者だったそうです。たまたま見たナショナルジオグラフィックの番組『危険な時代に生きるシーズン2 1. エネルギー戦争』という番組で、モディ首相自身がそう告白していました。
彼は猊下の教えを受けて経済中心の過去の政策の誤りを反省して、インドを自然エネルギーの国に変えようとしています。おかげで、インドの自然エネルギーへの変換率は世界で一番になっています。普及率はドイツがトップですが、変換率はインドがトップだと先の番組では言っていました。

◎ 「現代の仏陀(覚者)」として世界中から称賛されているパイロットババ猊下

パイロットババ猊下は「現代の仏陀」と称賛されています。その理由の一つに猊下が釈尊と同じく王族として出生したことがあります。
もう一つの理由は、釈尊が悟りを得た後仏教を広めたマガダ国の領土がササランと重なるのです。ササランは、現在のビハール州に含まれます。ブッダガヤとかサルナートとかラジギールとか、主だった仏教の聖地は大抵ササランの領土でした。


パイロットババ猊下と釈尊は、とてもご縁が深いのです。猊下は釈尊と同じように、王族としての莫大な財産や地位を捨て、一介の乞食僧になったこと、そして修行後、短期間で覚醒した点も共通します。
釈尊は修行後6年で正定(サマ・サマーディ)を成就しました。パイロットババ猊下は、2週間でサマーディの最終ステージであるニルヴィカルパ・サマーディを成就されました。その後、サンカルパ(意思)の力でどのサマーディのステージにも往き来出来るサンカルパ・サマーディヨギになられました。
このようにパイロットババ猊下と釈尊は共通する部分が多いのです。だからパイロットババ猊下が「現代の仏陀」と称賛されるのは、決して大げさなことではありません。

◎シヴァ派とは

パイロットババ猊下は「インド二千万聖者の最高峰」として世界中で称賛されています。インドにはサドゥーと呼ばれる聖者が2千万人いると言われています。サドゥーは、地位も財産も総て捨てて、托鉢用のボール(鉢)と1枚の腰布以外は私有財産を持たない遊行僧です。サドゥーは普段、個人で遊行しています。従って組織には属していません。世界の宗教で組織に属さない聖者がこれほど多くいる国は、インドとネパールだけでしょう。


サドゥーには、二つの主要な宗派があります。一番大きな宗派がシヴァ神を信仰するシヴァ派です。シヴァ神は迷妄の世界を破壊して覚醒させる大神なので、瞑想者の神としてリスペクトされています。
次に、この世界を維持するヴィシュヌ神を信仰するヴィシュヌ派があります。ヴィシュヌ神はこの世界を維持する神なので、シヴァ派ほど瞑想中心の修行者がいないように見えます。
他にもこの世界を創造したブラフマン神(梵天)を信仰するブラフマン派がありますが、極めて少数派です。ブラフマン神はインド人にはあまり人気がありません。


ある時、インドの町の小さな服の仕立て屋さんと宗教について話したことがあります。シヴァ神を信仰していると言う彼に、私は尋ねました。
「貴方は、何故ヴィシュヌ神やブラフマン神ではなくシヴァ神を信仰するのですか?」
彼の答えは衝撃的でした。
「ブラフマン神は、苦悩に満ちたこのマーヤ(幻想)の世界を創っただけじゃないか!ヴィシュヌ神は一切皆苦であるマーヤ(幻想)の世界を維持しているだけだ。それに対し、シヴァ神はこのマーヤの世界、迷妄の世界を破壊して人々を覚醒させ、高い次元に導く神だ。彼は瞑想の神だ。だから私はシヴァ神を信仰している。信仰しているだけではなく、毎日クリヤヨガをしているよ。
よく一度や二度瞑想しただけで満足する人もいるけど、そういう人たちは何もわかっていない。日々の瞑想の積み重ねが我々を覚醒に導くのだよ」


私はこの話を聞いて舌を巻きました。彼は貧しい仕立て屋さんです。その彼が、恰もパイロットババ猊下が仰るような真理を理路整然と語るのです。インドには歴史上たくさんの覚者が輩出したので、民衆の宗教的レベルも高くなったのでしょう。街中の貧しい仕立て屋さんでも、覚者が語るようなことを普通に言うのです。


でもパイロットババ猊下の信者ならこの程度のことは誰でも知っています。シヴァ派の修行者や信者さんは、「このマーヤの世界から解脱しなくてはならない」というしっかりとした意識をお持ちです。
仕立て屋さんの見識を確認した私は、インドのスピリチュアルレベルが飛びぬけていると痛感したものです。


ユダヤ・キリスト教世界では、創造神はとてもリスペクトされています。なにせキリストが「主なる神」として崇拝しているヤハウェがこの世界を創造したと旧約聖書では語られています。
旧約聖書はユダヤ教の聖典です。キリストは「ユダヤの救世主」として登場したのですから、旧約聖書も大切にされていました。旧約聖書では創造神が崇拝されています。
しかしインドでは、この世界がマーヤであるという覚者の教えが浸透しています。だから、マーヤの世界を創造したブラフマン神は人気がありません。ユダヤ・キリスト教の人から見れば、創造の奇跡を一刀両断にするインド人の感覚は理解できないでしょう。それだけインドの宗教は次元が高いのです。


私は「天上の首座にまします人間の姿をした神」などという神話は信じません。神を人間のような下等な肉体を持った存在と一緒にするなど、なんて神に失礼なことと思うのです。
人間が霊的進化をすると「肉体」からエネルギー体になり、さらにエネルギーを超えた存在になることはヒマラヤの修行者にはよく知られています。ヨガや仏教を学んだ人は心当たりがあるはずです。


仏教でも「欲界・色界・無色界」と言います。所謂三界です。欲界より色界、色界より無色界が高い世界と定義されています。
欲界は欲望でできている世界で、色とはざっくりと物質と訳されます。「色即是空」で有名なあの色です。色界は物質界です。しかし色界が物質であるなら、欲界に生きる生物より物質が上だということになります。これは流石におかしいです。
私は色界を物質として解するよりは、色界は物質と裏表の関係にあるエネルギーと解釈したほうが良いと考えています。アインシュタインの有名な公式E = mc2は、質量はエネルギーに等価であるということですが、欲望を持った生き物がエネルギー体に進化したと考えるなら、欲界より色界が上の世界だとする三界の定義は理解できます。
そして色界より上の世界が無色界だとするならば、エネルギー体より高度な世界であり、パイロットババ猊下がアーカーシャ(虚空・空)と仰る世界だと考えれば納得がいきます。
こういう理解があると、神が人間というエネルギー体以前の欲界の人間の姿をしているなど、神に失礼だという私の主張が理解できると思います。


エネルギー体やエネルギー体を超えた微細体の存在を理解出来ない民衆の為に、人間の姿をした神の姿が創作されたのです。私が還った根源の宇宙には、天上の首座に座った神などいませんでした。私は純粋観照者であり、宇宙は、プラクリティーは小さく観えたものでした。
宇宙論では観測可能な銀河の直径は930億光年くらいと言われているようです。光の速さで930億年もかかる距離を、サマーディの中では瞬く間に超えていくのです。この速さはビッグバンの速さを凌駕していると感じます。

◎肉体が乗り物に過ぎないマーヤの世界

ハリ・ババジは「一万二千年間肉体を変えながら生きている」と言われるマハ・アヴァターラババの直弟子です。そのハリ・ババジの直弟子が、パイロットババ猊下とヨグマタジです。


パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリはマハ・アヴァターラババが「数千年生きている」と書きましたが、パイロットババ猊下は「本当は一万二千年前だった」と仰ったことがあります。


『ラーマーヤナ』と並ぶインド二大叙事詩の『マハーバーラタ』に書かれていることは今から一万二千年前の世界最終戦争のことで、マハ・アヴァターラババやアヴァターラ・ギリ・ババジはこの時代から生きているとするならば、両アヴァター様は一万二千年間生きていることになります。
勿論、肉体には耐用年数があるので、しばしば取り替えるようです。亡くなった方の肉体に神の化身が入るのですから、亡くなった方の魂も喜んでいるに違いありません。私なら喜んでこの肉体を提供します。


ヒンドゥー教、仏教等のインドの瞑想の科学では、肉体は魂の乗り物だと教えます。パイロットババ猊下はマインドのハビテーション(住居)だと仰っていました。
私は、私の肉体が乗り物に過ぎないことを知っています。私のマインド、人格もゲームの中のキャラに過ぎないことも知っています。
マインドと肉体はセットになっています。所謂「心身一如論」です。肉体ばかりではなく、マインドやキャラクターも一時的なものです。


パイロットババ猊下は私にこう仰いました。
「私は私の弟子をサマーディに導いてきた。サマーディに導くことは簡単だったが、人格を変えることはサマーディに導くより困難だった」
猊下は人格形成がサマーディより大事だなどと仰っているわけではありません。人格形成を目的とするなら倫理団体にでも行くべきです。


マーヤの中のゲームキャラを育成するのが覚醒ではありません。マーヤというゲームの世界から目覚めることが、サマーディとかモクシャ(解脱=完全な自由)とかニルバーナということです。
これは覚醒の科学にとって基本的な認識です。貴方が次の生に神や虫に転生すればキャラも変わります。だから肉体ばかりではなく、キャラも一時的なものです。


人間から人間に転生できる人はラッキーなのです。このことについて仏教ではこう説かれます。
「人身(にんじん)受け難(がた)し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし」
人間として生まれることは難しいのに、既に人間として生を受けています。仏法に出遭うことは難しいのに、仏法を聴く機会を得ています。人間として生まれ仏法に出遭っている間に救われないのなら、いつ救われることができましょうか、ということです。


我々が死んだらどうなるでしょう?人間の死後、1兆とも言われる数の微生物が死体の分解を促進し、腸内の嫌気性バクテリアが腹部にある臓器を食べ始めます。これが腐敗という段階で、腐敗中にはアミノ酸が分解されることで強烈な腐敗臭が発生します。腐敗臭におびき寄せられたダニやクロバエが卵を産み付け、その卵は1日足らずで孵化し、生まれたダニの幼虫やウジ虫が体組織を食べ始めます。
そうです。我々は無数のバクテリアと一緒になるのです。無意識的でいるとバクテリアか、ダニ、蛆虫などに転生します。


「死んだら無になる」という考えは物理学でも否定されています。化学で言う「質量保存の法則」です。物質はエネルギーとなり、形は変えても無くなりはしません。「不生不滅」の不滅の部分です。
不生を主張するのは覚者だけです。後は物質と意識が関連するかどうかですが、勿論関連します。人間の意思に水の結晶を変える力があることがその証拠の一つです。

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