2019年静岡リトリート体験談 No.11

2019/10/31

2019年10月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡の体験談をご紹介します。

スワミジ師の返信はこちら


東京都 E様

今回初参加でした。

参加理由は様々ですが、仲のいいウラゆきちゃんのご縁なこと、開催地のお寺とのご縁などもあり、参加するしかない!と決めました。

決めたとたん現実的な問題が何個もふりかかり一度参加を取り止めたのですが、再度決意したら全てがうまく回ったのがびっくりでした。

初日の瞑想は雑念がとにかく酷くて、自分の出来なさに凹みましたが、同時に嬉しかったです。自分の想像を超える領域がある、というのは、明け渡しには必要な条件だと私は感じているので。

いい意味で鼻っ柱を折られました。中々ないことなのです。

二日目、三日目になるにつれ、瞑想の間に怒りが沸いてきたり、涙が出たりするようになりました。

悲しみが沸いて止まらないので「悲しみも愛なんですか?」と問いかけると、右側に圧力を感じるのと同時に、オレンジ色の服を着た存在を感じました。

それを感じると不思議な安心感を得たので、ずっと泣くことにしました。

泣くと必ずオレンジ色の存在を感じました。

涙を流しながら「愛だけで生きていいのですか?」という問いかけをしたときもでした。

喜び、悲しみ、憎しみ。

人の世、人の心は美しいだけではないからこそ、その全ては愛から発生し、愛に還ること。

小さい頃からの、「人に優しくしよう、笑顔になってほしい」という願いや行動はここに繋がりました。

存在への明け渡しはまだまだ不十分で日常を瞑想的に過ごすというテーマが出来ましたが、「赦し」という言葉がリトリートから帰ってきてから自分の中に響いています。

どんな理不尽なこと、悲しいことも自然と赦すことができることが平和になる道しるべなんじゃないかと思わずにいれないのです。浮かんでくるのです。

そして帰宅してから連日、ぷちラッキーが続いています。

また、一見良くないことに見える、心の中を読み取られたような出来事も起きました。

ぷちラッキーは、あれいいなとか、どうしたらいいかな?という迷いが(本当に私に良いことであれば)瞬時に叶うという感じです。

病院探したら一番近いとこだけ空いててしかも安くて的確だったとか、欲しいけど諦めたものが次回割引価格で手にはいるとか、私がやりたいと思っていたことを瞬間友人にやられて、「そうやればよかったのか!」と教えられたりとか様々です。

恩恵、というより存在を感じます。

存在とはどれだけ懐が広いのかとびっくりするほどです。

痛みや悲しみの中、「神様助けてください」と願ったとき。

「こんな痛くて苦しい思いは私だけが引き受ける」と思いながら気を失った時。

どうすれば自分という人間が世界に繋がれるのか。

愛だけで生きていけるのか。

真理を得たいわけではなく、いまは道が見えたという幸福感に包まれています。

日常に教えて頂いた瞑想を取り入れ、更に心地よい自分をまず目指します。

貴重な機会をありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。
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スワミジ師からの返信

2019/11/12

「二日目、三日目になるにつれ、瞑想の間に怒りが沸いてきたり、涙が出たりするようになりました。

悲しみが沸いて止まらないので「悲しみも愛なんですか?」と問いかけると、右側に圧力を感じるのと同時に、オレンジ色の服を着た存在を感じました。

それを感じると不思議な安心感を得たので、ずっと泣くことにしました。

泣くと必ずオレンジ色の存在を感じました。」

私はその時のE様の様子を観ていました。

皆様が瞑想中、E様に限らず私はお一人お一人のエナジーを観ています。

本来なら長時間座ることができない身体なので、三次元的には場所を移動しますが、私のサトルボディー(微細体)は皆さんと共に在ります。

それを感じてくださる方が「オレンジの色の服を着た存在」を感じてくれていたはずです。

それが、ハリ・ババジでもマハヨギ・パイロットババジ猊下でも、この私でも、皆さんオレンジの服の存在を感じてくれました。

私のキャラやエゴは別ですが、微細体レベルでは私はヒマラヤのアヴァター(化身・権現)様達と一緒です。実は貴方達も一緒です。

普段は感じられないだけで、貴方が強いサンカルパ(意思)で祈っていれば、ヒマラヤのアヴァター様達は何時でも何処でも貴方のケアをしてくださいます。

ただし、エゴを強化するケアはしてくださいません。

信心すれば金持ちになるとか、進学できるとか、世間的な欲望が叶うなどと宣伝するような偽宗教とは違い、本物の覚者は欲望を叶えるのではなく、エゴや欲望自体を溶かし、無くす働きをされるのです。

仏教でもヨガでも我欲をすてて無心になることを目指します。欲望を叶えるために修行の必要を説く覚者(仏陀)はいません。

瞑想していたら色々良いことが起こる場合が多いのは確かですが、それを目的にするとサイキック道に陥り、それこそ魔境に堕ちます。幸運はあくまで副産物なのです。それが起これば素直に感謝して喜びましょう。

マインドでは大変なことが起こっても、それが自分の霊性を高めるためのテストだと思いアクセプトしましょう。

良いことが起こっている時は感謝して、少しでもしんどい思いをするとぼろくそに言うような人の霊性は低劣です。

霊的ステージが上がると三次元的には色々シェーキングされることが多いのです。大変な目に遭うこともあるのです。

存在はその時貴方が高い意識を選ぶか、それとも世間的な低い意識を選ぶか、すべて貴方のチョイスに任せます。

低い意識を選べば、貴方はどこまでも低くなります。それが習慣になるのです。そして貴方はこの世でも苦しみ、次の生では更に苦しみます。

だから私は大きな岐路に立った時、低い意識を選ばず高い意識を選びます。そうすれば自ずと道は開けます。

ヒマラヤ修業時代以来、私はずっと「オレンジ色の存在」を感じています。だって、それを感じないことは不可能なのです。

私の周りではいつも奇跡が起こり続けていたし、それが自分の力だと己惚れることが出来るほど、愚かな人間ではいられませんでした。

私は私の力ではない大きな力のご加護をいつも感じていました。とても分かりやすい形で大きな力の存在を感じていました。それが今回、皆様にもわかりやすい形で伝わったのです。

オレンジの服を着た存在を感じた人は、間違いなくそう感じたのだから 、その感覚を大事にしてあげてください。

瞑想が進むと、普段は抑圧していた悲しみや怒りなどがリリースされます。だから、怒りや悲しみが出てきます。それは良いサインなのです。

最初に私がE様と電話で話した時、私はE様を理解しました。きっとE様も私を理解してくれたのでしょう。今ならそれがお解りですよね?

「そして帰宅してから連日ぷちラッキーが続いています。

また、一見良くないことに見える、心の中を読み取られたような出来事も起きました。

ぷちラッキーは、あれいいなとか、どうしたらいいかな?という迷いが(本当に私に良いことであれば)瞬時に叶う、という感じです。」

そういうことなのです。プチラッキーでいいのです。最初の奇跡はプチから始まります。

だって、プチだろうがグラン(偉大・主要な)だろうが、そんなことは普通起こらないのです。

プチを見逃すからグランは起こりません。でもE様はプチなるサインを見逃していません。その繊細な気づきが、グランなる気づきを生み、グランなる奇跡を引き寄せます。

プチ奇跡に気づき、感謝することが出来る人は、ついにはグラン(大きな)奇跡を呼び寄せます。

ちょっとした気づきに気づいているE様!この感じでいいのですよ。

E様は世間の人が体験しえない苦悩、闇、悲しみを乗り越えた人だけが持つ本物の明るさをお持ちです。表面だけの薄っぺらな明るさではなく、闇を突き抜けた人だけが得る明るさをお持ちです。作り笑いや、外面的な作りワクワクではない本物の喜びをご存知です。

「恩恵というより存在を感じます。」

味わい深いお言葉です。

恩恵という場合、どこか上から、遠くからのイメージがありますが、存在を感じるとなると、より身近に感じているということではないのでしょうか?

私はそう感じてしまうのです。

Om Shanti Shanti Shanti Om(愛と平和を)

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