2019年静岡リトリート体験談 No.9

2019/10/28

2019年10月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリート at 静岡の体験談をご紹介します。

スワミジ師の返信はこちら


岩手県 W様

スワミジ師 スタッフの皆様

道場の皆様

お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

初日からサンカルパヨガ瞑想を始めた途端に悲しみが突き上げてきて、どうしたらいいか分からず、ゴックンと飲み込んでしまいました。

後で、スタッフの方に教えて頂きました。

今回は、ずーっと葛藤だらけで、頭が四六時中パンパンでした。

そのせいなのか3日目に瞑想をしているとパッーンとババジの笑った顔が出てきて、吹き出しそうになりました。

ババジが「笑え、笑え。JOY!JOY!」と言われると何人かの方々が笑い出しました。スゲっー!

その後も瞑想を続けると真っ白い寺院が見え、金の扉を開けると中にみんながいて、白地に金と赤の刺繍が入ったローブを着ていました。一人の方に「遅いよ!」と言われ、手を引いて寺院に入れてくれました。みんなで祈りました。

目を開けてボーとしているとリトリートの間中、ずーっとババジやアヴター様達が見守ってくれていたんだと気づきました。

泣けてきました。

(追記)

2019/11/2

今回のリトリートの感想ですが、もう1つあります。

その前に、今思えば私の初めての光の体験は、23才の時でした。

本のなかのある行を読んだ時「私の深い所で感じていたものは、間違ってなかったんだ」と思った瞬間、頭に稲妻が走り、輪廻や陰と陽と色々な場面の映像が凄い勢いで見えました。

それから、自分の苦しさから解放された気持ちで、大笑いしました。その日を境に私の考え方が180度変わりました。

自分自身このことで楽になり、人って変われるだと喜んでいました。

その後、色々な人が来るようになりました。その中で忘れられない出来事がありました。

ある密教系の人を紹介され、その方から弟子になって日本中を一緒に回ろうと言われ、断ると神通力を使ってきました。私自身、凄い頭痛や嘔吐で体がガタガタになりました。

お医者さんや霊能者など色々と見てもらったのですが駄目でした。ある霊能者の方に「こんな強いのは、初めてです。相手か貴方かどちらかが亡くならない限り解けません」と言われました。

私は、気力もなくなり「もう、殺したいなら殺せばいい」と思った瞬間、苦しみから解放されました。あとで聞いた話しですが、その時、その人が護摩行の事故で亡くなったということでした。

他にも仲間から攻撃されたり、先生と思ってた方に裏切られたりしました。

私は、できるだけ目立たないように本当に信頼できる人以外は、自分の事は、話さないようにしようと決めました。

今回のリトリートで、その時の恐怖がずっと出てました。なので、もう1つの体験もシェアするか迷っていました。

初日、眉間に青い光が入ってきました。お寺全体に青い網目のようなシールドが張られました。あれ?と思いました。

12日に大きな宇宙船がお寺の真上に来ていました。「ここは、守るから心配しないでいいよ。浄化をするからまた、手伝ってください」と言われました。私は、宇宙船の方から突然頼まれることが、たまにあります。笑

翌日、瞑想中にまた宇宙船の人から「今から始めるので、こちらに意識を合わせて、誘導していきます。」といわれました。

私の周りを沢山のアヴァター様達が取り囲みました。宇宙船からの強いエネルギーが降りてきました。

「最初に、ここに来ている人達が地球へ降りたったときの痛みを癒します」と言われました。それが終わるとさっきより強いエネルギーが流れてきました。私は、宇宙語を喋りながら、そのエネルギーをアヴァター様達と一緒にぐるぐるまわして、日本から地球全体に広げていきました。

しばらくするとシーンとしずまり返りました。アヴター様達と宇宙船の方々とエネルギーを地球に馴染ませているようでした。そして、宇宙船から終了ですと言われました。

これが、私のもう1つの体験です。

この体験を話すとまた凄いジャッジや攻撃が来ると思い話せませんでした。

ギリジと祥子ちゃんに相談したら、光の体験と浄化の話しは、面白い。サンカルパのみんなは、誰もジャッジや攻撃はしないから、信頼してシェアをしなさいと言われました。
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スワミジ師からの返信

2011/11/19

「これが、私のもう1つの体験です。

この体験を話すとまた凄いジャッジや攻撃が来ると思い話せませんでした。

ギリジと祥子ちゃんに相談したら、光の体験と浄化の話は、面白い。サンカルパのみんなは、誰もジャッジや攻撃はしないから、信頼してシェアをしなさいと言われました」

W様そうでしょう?

誰も貴方をジャッジしませんでしたね。どうか瞑想の先達者は後進の瞑想者に、我々の友人達のように寛大であってください。

W様の体験は、

①23歳の時の光の体験

②ブラックアタックに対する防衛

③道場での宇宙船とヒマラヤのアヴァター(化身・権現)様達とのコンタクトの3点です。

この3点は、私が過去に体験したことと少し似ています。

①23歳の時の光の体験

W様の23歳の時の光の体験は素敵です。それが起こるのを許していけば、次々と起こり続けます。

サマーディーの第一ステージであるエンライトメントのステージさえ成就していない半端な自称修行者達が、W様をバッシングしても気にすることはありません。

覚醒の兆しが出てきている人の芽を摘む輩は仏敵です。そういう人達は他者のことを心配するより、先ずはご自分のエゴに気づいてください。せめてサマーディーのスタートラインである、エンライトメントくらいは成就してから、ものを言ってください。

若い芽を無意味に摘んではいけません。

他者をジャッジしないことが瞑想のスタートラインです。ジャッジメンタルな方は、先ずはご自分の瞑想スペースを大事にしてください。

W様の光の体験は、更に高い光の体験に昇華させるべきです。もう少しそれを起こるようにさせれば、いつかは絶対的な光と至福のステージに到達します。

光のステージはもうすこし進むと、眩しくて眼を開けていられないほどの光の体験になります。そしてその次のステージになると、太陽の数百倍の光でありながら、今度はまったく眩しくない光になります。主観的には絶対的な至福と感じます。

この体験は私が17歳の時に起こったものです。

しかし、エンライトメントはそれより遥かに先に在る、きわめて高い光のステージです。

この辺りのステージで、覚醒したと誤解してマスターになると悪いカルマを作ります。どうかそうならないように私の友人達は、このアドバイスを聞いてくださいね?

私は、皆さんが増上慢に陥り、次の生で低い世界に堕ちていただきたくないのです。

エンライトメントもまた、スタートラインにすぎません。エンライトを遥かに超えたニルビチャールサマーディーでも、それを形容すれば絶対的な至福となります。

エンライトメントのずっとずっと手前の光の体験でさえも、主観的には至福です。

だからマスターがいなければ、エンライトメントのずっと手前の光の体験をしただけで、最終ステージに至ったなどととんでもない勘違いをします。

そうすると霊的成長が止まります。

そして次の生は、偽マスターをやった重い罪で、再び闇の世界で苦しむことになりかねません。

私が最初の光の体験をした時、私は無神論者でした。だから、覚醒したと勘違いすることはありませんでした。反対に「あれは幻想だった」と思うことにしました。

二度目に光の体験をした時は親鸞に傾倒していて、チャクラやクンダリーニという発想は無かったので、起こった事を忘れました。

その執着しない姿勢が良かったようで、その後何度も光の体験をしました。

ある時期から、神秘体験が起こることを許すようにしました。すると次々に起こり始めました。

そして1989年、それとは知らずにサンカルパヨガ瞑想をしている最中に、サマーディーを成就しました。

しかし私は懐疑論者だったので、増上慢には陥りませんでした。

1992年にマハヨギ・ババジ猊下の神秘的な力でヒマラヤの聖地に引き寄せられてお会いしました。

お会いして1時間かそこらで、ババジ猊下は私に公開サマーディーを勧められましたが、私は自分が煩悩具足の凡夫であると自覚していたので、増上慢に陥る暇はありませんでした。

その数年後に、クンブメーラの会場でヨグマタジが公開サマーディーを成就されたとき、ババジ猊下は私にヨグマタジを紹介してくださいました。

私はあの時起こった「宇宙意識体験」が何であったのかヨグマタジに尋ね、それに至ったプロセスを具体的に説明しました。私の話を聞いたヨグマタジは驚愕した表情で「それは間違いなくサマーディーね」と仰いました。

その直後、ババジ猊下はテレパシーでヨグマタジを呼ばれました。私もテレパシーやインナーコミュニケーションなどの神通力が盛んに起こっていた時期でしたので、それが容易に分かりました。

ヨグマタジは猊下の部屋に行かれ、猊下と私の事について話し合われました。猊下のお部屋はヨグマタジの隣の部屋だったし、クンブメーラ用の仮設プレハブだったので、会話は殆ど聞こえてきました。

マタジは猊下の部屋から戻られた後、私にこう仰いました。

 「貴方に起こった事は間違いなくサマーディーです。でも貴方にサマーディーが起こったけれど、それは“起こったサマーディー”です。

我々はサンカルパ(意思)の力で、何時でも何処でも、サマーディーの世界に往き来出来ます。それをサンカルパ・サマーディーと言います。貴方はそのステージまで往かねばなりません」

私はヨグマタジのお言葉を伺った時、総てを了解しました。それは、理解というよりは小さな悟りと言って良いものでした。

私は、サンカルパ・サマーディーヨギという更に上のステージがあることを知り、とても嬉しく思いました。宇宙意識体験だけでも素晴らしかったのに、サンカルパ(意思)の力で自由自在に行けるステージが在ることを知り、私はワクワクしました。

仏教で言えば如来←→如去のステージです。

如来は真如から来生(らいしょう)しようと思えば、いつでも来生でき、反対に真如に去ろうと思えば何時でも真如に去れます。我々から見れば、覚者が真如に往く時が如去の状態です。

公開サマーディーで肉体が死の状態になって、サマーディー世界に往く時が如去です。

私のステージが否定されたとショックをうけることなど全くありませんでした。もしショックを受けるようなら、その方はエゴから抜け出せていないだけです。

だから、自分は煩悩具足の凡夫であると自覚を深めることで、増上慢に陥らないように注意しています。

私はそれまで、信じたい為にあらゆる大きなものを疑い続けてきました。そしてその姿勢が、私を偽マスターにさせなかったのです。

真の覚醒を指摘できるのは、真に覚醒したマスターだけです。マスターがいなくて、覚醒したと思った人は、独りよがりの勘違いをしてしまいます。

そういう方はマスターの慈悲によるサジェスションさえも、悪意にとってしまいます。それから、彼や彼女たちは、果てしなきエゴトリップに陥ります。そしていずれ闇に堕ちます。

私はそのような人達に早くそのことに気づいて欲しいと祈っています。心底そう願っています。

そのような人たちを私は愛しています。決して憎くて言っているのではなく、反対にとても心配して言っているのです。

私はババジ猊下という偉大なマスターに出会えました。だから、エゴトリップする暇はありませんでした。本当に幸運でした。

ババジ猊下の指摘は、私のエゴにとって厳しいこともありましたが、傷つくのはエゴだけです。ハートは傷つきません。

真の仏弟子は、必要な時期が来ると必ずマスターが現れると言います。リビングマスターは亡くなる前、弟子に対して必ずこう言います。

「私の死後、貴方が新しいマスターに出会ったら、迷わず新しいリビングマスターに師事しなさい」

これは当たり前のことです。

例えば、不治の病で亡くなる寸前の親がいるとします。普通の親でも残された幼い子供の将来を案じて、「これからは叔父さんと叔母さんに、お父さんとお母さんになってもらいなさい。お母さんは天国からずっとあなたを見守ってあげるからね。元気に育ってね?」そう言う筈です。

「私が死んだあとは誰の世話にもなるな。私だけが親なのだ。ご飯が食えなくて死んでも誰の世話にもなるな」などと言う親はいないはずです。いたら鬼畜です。

マスターが「私以外のマスターに師事するな」と言う筈がありません。そんなことを言う鬼畜がマスターの筈がありません。

幼い子供の方も「私の親以外は親ではないから、一人で生きる」とは言わないはずです。

こんな簡単なことも解らない人は、何かに執着しているだけです。「武士は二君に仕えず」みたいな見当違いのヒロイズムに酔っているだけです。

用意の出来た人には必ずリビングマスターが現れます。リビングマスターと出会える方はほぼいません。もし貴方が出会えてないなら、この次いつ出会えるのか誰にも分りません。

貴方に用意が出来た時、貴方の前には必ず新しいマスターが現れます。真のマスターは、貴方に新しいマスターが現れれば心から喜ぶはずです。

貴方が新しいマスターに出会ってサレンダーできないとしたら、貴方にまだ準備が出来ていないと言うことです。実は、私もかつてはそういう時期がありました。

実はサマーディーやニルバーナについて、100%正しく書いてある経典はないのです。何故かというと、経典に100%真実を書けば、まだ覚醒していない者がその経典を引用して如何にも覚醒したようなふりをするからです。だから、あらゆる経典には仕掛けがあります。

私はババジ猊下にお会いしてすぐに、猊下が本物の覚者だとは気づいていました。

宇宙意識体験について、猊下は事細やかにご存知でした。

こういうと「覚者はオーラを見れるからオーラで判るはずだ」と思う人が多いですが、間違いです。

サマーディーの第一段階である光のステージ、所謂エンライトメントをした時にはサイキックな力が付き、オーラが観えたり、予知能力やテレパシーの力がついたりします。この力に溺れてしまうと、魔境に陥る危険があるので、早くエンライトを越えたビヨンド・エンライトメントのステージに往きたい人は、サイキックな力が現れた途端にその力を落とすべきです。それがエンライトを超える近道なのです。

でも魔境に陥ることを心配するのはずっと後でよいのです。大した神秘体験もしていないのに、魔境に陥ることを心配するのは愚かです。

先ずは神秘体験が起こるように、それが起こるのを許してあげたほうが良いのです。

私の場合も、テレパシーや予知能力、幽体離脱などが起こっていた時はそれを楽しみました。でも落ちるべき時期が来たときには、それは自然に落ちました。

話を戻します。私はババジ猊下が本物の覚者であることを知りました。

しかし、かつてのマスターであるOshoへの愛が断ちがたく、私はババジ猊下に完全にサレンダーできませんでした。

私はある日、猊下にこう告白しました。

「私はOshoを深く愛しています。だからOshoへの愛が断ちきれません。だからババジ猊下に帰依しきれないので悩んでいます」

猊下はこのように告白した私を受け入れてくださいました。そして仰いました。

「それは良い。愛は永遠なのだから」

その瞬間、そのお言葉が光となって私の頭頂から第一チャクラまで突き抜けました。17歳の時に起こった光の体験と同じことが起こりました。

猊下は私の考えを言下に否定されませんでした。慈悲に満ちたお言葉で「それで良い。愛は永遠なのだから」と答えてくださいました。

それは言葉の問題ではないのです。エナジーの問題でさえないのです。

エナジーを遥かに超えた空のスペース、大慈悲のスペースに私は包まれました。猊下の空のスペースが私に入り、私は猊下の空のスペースに入りました。

これは大げさな言い方ですが、浄土思想的に言えば「機法一体」みたいな感じであり、真言密教で言えば「入我我入」みたいなことでしょう。猊下のハートが私に入り、私のハートが猊下のハートと一体になりました。私とババジ猊下は一如になりました。

ババジ猊下が「それで良い。愛は永遠だから」と仰ったその瞬間、私の中の「執着の愛」は一瞬にして消えました。

私は自然に猊下に接足作礼しました。その時、生まれて初めて本当の意味でのサレンダーを体験しました。

このサレンダーの境地がわかる人達が、私の同朋です。サンカルパヨガ瞑想リトリート at 立山で典子さんに起こったことは、これに近いことだと私は理解しています。だから、彼女は激変しました。

②ブラックアタックに対する防衛

ブラックアタックに対する防御能力を観ると、W様は過去世で色々修行を積まれたようですね?

理不尽な攻撃を受けたことも良いサインです。

釈尊にしろ、キリストにしろ、親鸞にしろ、日蓮にしろ、よき宗教者は法難に会うと相場が決まっています。法難を受けたということは、霊性が高まったとみるべきです。

ただし、だからと言って、増上慢になってはいけませんよ。

私が瞑想を始めた頃は、マインドの声に色々と振り回されました。自称瞑想上級者たちは、私をジャッジしてこう言ったものです。

「君は瞑想初心者だ。瞑想者を上中下に分ければ間違いなく下だね。上中下にも更に上中下があるが、君は私の見るところ下の中でも更に下だね。大変だろうが頑張りなさい!」

この謂いは、仏教では三輩九品(さんぱいくほん)といわれるものです。 三輩九品とは『観無量寿経』で説く9つの階位のことです。

これは、阿弥陀仏の浄土へ往生を願う衆生を、

修めるべき行法の程度によって9種に分類したものです。

「上品上生・上品中生・上品下生の三は大乗の善(行福)を修める凡夫、

中品上生・中品中生は小乗の善(戒福)を修める凡夫、中品下生は世俗的な善(世福)を行う凡夫、

下品上生・下品中生・下品下生の三は罪悪の凡夫とする。」(WikiArc:九品より)

最後が俗に「下の下の下」と言われる階位です。実はこれ、仏教用語なのです。

まあ、何人もの自称瞑想上級者に、私は似たようなことを言われました。でも、私は彼らの言葉に反発しませんでした。

私はその頃、苦悩の真っただ中に在ったので、自分がどうにもならない煩悩具足の凡夫だと自覚していました。だから、自称瞑想上級者の指摘を素直に受け止めました。

 「そうだ、自分はまだまだ初心者なのだ。だから必死に瞑想しよう」そう思いました。

「初心忘るるべからず」です。初心を保つことは良い結果を生みます。おかげさまで、それから3カ月後に私はニルバーナを成就しました。

自称瞑想上級者達のジャッジを私は善用出来ました。

私がニルバーナを成就する少し前のことです。

世界的に有名なSというサイキックセラピストが、日本人の為のミニセッションを企画しました。

私はそのセッションに参加しました。Sは私のリーディングはとても簡単だったと言って、直ぐにリーディングを終えました。その後、Sは満面の笑みを浮かべこう言いました。

「なんて素晴らしい!貴方のリーディングは簡単です。3カ月前の貴方とは全く違います。こんな急激に空のスペースが出来た人を見たのは初めてです。一体貴方に何が起こったのですか?」

「貴方のすべてのチャクラにOshoの光が入っています。総てのチャクラがエンプティー(空)です。もう何もしなくても良いです。

瞑想をしなくて良いです。この段階にきたら、瞑想さえしてはいけないとOshoは言っています」

ところで、人生は面白いものです。

私を「下の下の下の瞑想者」だと宣った、自称瞑想上級者が、この時我々の通訳をしていました。名前を出すのは申し訳ないのでDTとします。

DTは、Sの説明を聞くとパニックになりました。彼からすれば無理もありません。つい3カ月前に「下の下の下のステージだ」と言った相手が「すべてのチャクラにOshoの光が入った」と言われたのです。

パニックになった彼はとんでもない通訳をしました。

 DT「Oshoの光というのは、君が闇の中にいるから、Sが方便で言っているのだ。だから光というのは嘘で、実は闇のことだ」

 その場に居た日本人の大半はその程度の英語は理解できました。我々はDTの意図的な誤訳に唖然としました。

Sはとてもサイキックな人なので、DTのエナジーを察して叱りました。

「DTきちんと通訳しなさい!」

セッションが終わって暫くして、私はばったりDTに会いました。彼はどもりながら、私にこう言いました。

「ぼ、ぼ、僕は君より英語ができるものね!」

人間のマインドとはこんなものです。

こういう瞑想性ゼロの人間の言うことは、気にしないで、W様のハートの声に従ってください。

③日道場での宇宙船とヒマラヤのアヴァター(化身・権現)様達とのコンタクト

ヒマラヤのアヴァター様達と宇宙船については長くなるので、別の所でお答えします。

Om Shanti Shanti Shanti Om(愛と平和を)

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