アシュラム滞在記 No.3

2023年1月13日

アシュラム(僧院)滞在記 2023年1月1日~5日をご紹介します。

ショコナンダ様

Om Namo Narayan
元旦からアシュラムに帰りました。新年のご挨拶とじっくり長時間瞑想をしたいと思い、スワミジ師にお願いしていました。
今回も大切な学びをいただきましたので、シェアしたいことがたくさんありました。

*寒さが怖い、から快適になりました。
富山の駅に降り立つと、寒い!と感じました。前回とても寒くてへこたれそうだったことから、寒さへの恐怖が私のマインドを襲っていました(笑)。
アシュラムに着くなり冷えてお腹を酷く壊して、休ませていただきました。何も食べられなくなり強制的に断食になったので、ある意味長時間瞑想の準備が早速整いました(笑)。アヴァター様方はいつも私のセルフの意向を汲んで、上手くいくようにしてくださるのですごいです!

次の日にサリーさんが膝下全開の裸足で冷たい廊下を歩き、平気でお掃除されているのを見て、凄い!これぞサマーディだ!と思いました。かなり勝手な解釈ではありますが、冷たい空気に溶け込んでいるように感じたのです。11月に引っ越しした時は足元には分厚い室内履きに、その他もモコモコに着込んでいたはずが、随分寒さに慣れたのだなあと思いました。
そのことから私は“寒いのが辛い”と思い込んでいる私のマインドを自覚し、都市部の現代生活で少しの寒さにも耐えられなくなった怠けきった私の体の意識は変えられるのかも知れないと感じました。

そこで瞑想室では敢えてエアコン、暖房類は一切使わずに過ごしてみました。ちなみに瞑想室の温度はわかりませんが、吐く息は白かったです!(笑)
先ずは冷たい畳の上にフワフワの布を一枚敷いてアーサナをじっくり満足するまでしてみるところからです。服装は着込んで足は裸足になりました。冷たいと感じていた感覚がだんだん当たり前になり、いつの間にかそこに心地良ささえ芽生えていました。自分でも驚く変化が起き始めました。
冷たさが当たり前になれば、そういうものだと思ってあまり気にならなくなり、意識が寒さに引っ張られなくなりました。最終的には寒さに対して気持ち良さ、清涼感さえ感じていました。
スワミジ師がいつも仰る「寒いと瞑想がしやすくなる」という言葉を心身ともに全身で感じながらプラクティスをしていました。

そしてプラクティスをもっと進めていくと、身体のセンターから火が灯るように熱くなり、全身が手足の指先の隅々まですっかり温かくなっていました。今までどんな温度のお部屋でやるよりもそのことが一番はっきりとわかりましたし、このサンカルパヨガ瞑想のプラクティスが如何に強力であるか、如何に素晴らしいのかを感じて圧倒され感激していました。
エナジーが身体に入ってきて宿る感覚がわかりやすいので、寒いお部屋でやるほうが面白い!とも思えました。自分の中の感覚の変化にとても驚きながら楽しみました。

(あくまでも個人の感想です。日々ご自身の体調に合わせた室温でサンカルパヨガ瞑想をお楽しみください。)

*周りの方は教えてくださる存在であり、どこまでもアクセプタンスするのみ。
自分の外側の世界にいる人たちはマインドから解放されるためのヒントを示してくれて気づきを与えてくれているのだなあと、アシュラム滞在中に改めて感じていました。この世の苦しみを手放すヒントはいつも降り注いでいて、そのギフトに気が付くかどうは自分次第だと。無意識でいるとそれを見過ごしてしまいます。
そうしたらサリーさんが「ショコナンダさんはわたしに気づきを与えてくれる存在なんですよ」と話してくれたので、私もちょうど同じようなことを考えていたのだよね、とお伝えしました。

前回アシュラムに滞在した時もサリーさんと同じようなことを考えていたことがあって、一緒に過ごしていると意識の交流があり、同じ思念波を拾っているせいなのか、何も話をしなくても同じことを感じていることが以前より増えたように思います。

スワミジ師もいつも周りで起きた出来事を細かく話してくださって、どのように解釈されているのかをその都度教えてくださるので、自分のレッスンとして深い学びをいただいています。無意識からいつの瞬間も意識的であるように、闇から光へといつも導いてくださっています。

 

*Om namo Narayanと書くことのお誘い
サリーさんが文書やメッセージの書き始めにOm namo narayanとよく書かれていることについて話をしました。(意味はネット検索すればたくさん解説がありますので、素人の私がお伝えするのはやめておきますね。)

日本語ではないし多くの人はよく知らない言葉なのだけど、どうして「こんにちは」の代わりに使っているのか私は以前からとても気になっていました。
サリーさん曰く、「ババジと常に一緒にいるのならOm Namo Narayanと言ってね」とFacebookのお友達に言われてから書くようになったそうです。

美しい響きを持つ言葉ですし、インドのFacebookの友達になっている人たちはみんな使っている言葉で、私にも以前にその言葉をかけてくださった方がいて、その時に予期せぬ敬意と私のことを大切にしてくださる美しい気持ちが伝わってきて、どんな意味があるのか数年前に調べたことはありましたが、自分が使うのはインドの人以外の方に向けてはなかなか照れくさいと感じていました。

そして今回、サリーさんとお話して、私も改めてこの言葉を取り入れてみようと思いました。サリーさん曰く、「ババジ猊下、アヴァター様方を信愛しているから自然とこの言葉を使いたくなりました。だからヨガメンバーへの挨拶はこの言葉をまず唱えたいんです。この言葉の恩寵がメッセージを送った相手にも伝わりますしね」と。

みなさんもよかったらご一緒にこの言葉を使ってみませんか?たくさん唱え合うことで世界平和にもなるようですし、お互いを愛し合い、高め合うのに最も適した美しい言葉だと思います。

※サリーさんの解説
Om Namo Nārāyaṇāya
この表記の仕方はサンスクリット語です。他にもOm Namo Narayana やOm Namo NarayanやOm Namom Narayanなど、統一されてないようです。シュラッダ・マタジとチェトナ・マタジでも。

*スワミジ師に教えていただいたこと

アシュラムでスワミジ師と女子田さん、サリーさんと長時間瞑想についてお話していた時に教えていただいたことがあります。
女子田さんが長時間瞑想した後の不思議な体験を話してくれました。
「16時間瞑想した後はすごく不思議だったんです。全然疲れないし、全然眠くならないし、何をやっても大丈夫みたいなすごく元気な状態が続いて……」
と仰ったのをお聞きして、私も全く同じ感じだったので、「そうそう、そうです。私もその通りでした!」
とお伝えしました。(私は40時間瞑想の後は普段瞑想した後の落ち着いた感じとかではなかったのです。)

そうしたらスワミジ師が「普通長時間瞑想(何時間以上と仰ったのか忘れてしまったのですが)できるということは、無心の状態に少しでも必ずなっているはず。そうすると真如の世界からエナジーがもらえるから、だからずっと座っていられるんだ。ずっと座っていられるということは、そういうことなんだよ」と教えてくださいました。
それで私は「そういうことなんですね~」とすごく納得しました。

私もずっとあれは何だったのだろうと不思議に思っていたのです。ぜんぜん眠くならないし、疲れないし、ずっと明晰な意識状態が続いていたのです。リトリートから巡礼に行っても全然眠くないし、疲れない。帰りの最後は東京近郊のメンバーを沢山、車の中に荷物と人が溢れかえってでもみんなを送り届けて、全然疲れず頭も体も明瞭な状態で帰宅しました。ホント不思議な体験をさせていただきました。

自分では無心になっているという自覚があまりなかったので、スワミジ師にそう言っていただけるととても有難く、初めてそうなのかな?と思えています。

 

*スワミジ師がサマーディに入られていた事もリアルに感じました。

スワミジ師は仰います。「3日、4日飲食しなくても死なないから大丈夫だよ」と冗談交じりのお顔で。でもほとんど本気のようです。
私は瞑想中に24時間過ぎて、30時間くらいの時に血糖値がすごく下がって座っているのが大変に感じたので、スワミジ師は240日不眠断食座禅の際に1日1回のミルクのような飲み物をどのタイミングで補給していらっしゃったのか知りたくて、質問していた時のことでした。
「血糖値のことなんて考えたことない」と仰ったので「そうですよねえ、飲食しなくてもきっと死なないですよね」と答えてしまいそうになりましたが、よく考えたらスワミジ師はサマーディ世界に行ってらしたのですから、「呼吸・心肺停止=死んでる状態」ですので、スワミジ師は死なないといった説明ですが死んでいる?!シャレ??うーん?と思いながら、私の場合は瞑想、正確にはもっとそれより前段階の状態なのだから、スワミジ師とは別の状態だろうと思いました。
「スワミジは240日間サマーディにいったり帰って来たりしてらしたからずっと気になったことが無かったのでは?!」とお返事すると笑っていらっしゃいました。

無意識でいるとやり過ごしてしまいそうな普通の日常会話の中に、スワミジ師の凄さが隠れていて驚きます。スワミジ師のレベルが凄すぎて、こういう場合勘違いしてしまいやすいですが、私はまだまだ参考にさせていただけるような段階ではないのだと感じました。冗談まじりのその会話から私は「サマーディ」と「瞑想、それより前段階」の違いについて以前より理解を深めることができました。

 

*スワミジ師のボディケアをセヴァさせていただく恩寵

スワミジ師のボディケアをさせていただくと普通一般的にはあり得ない様なことを感じることがあります。

私がスワミジ師のお身体に軽く手を当てて今日の状態をスキャンして感じて、左右の違いや歪み、それぞれの組織の硬さなどを感じていると、直ぐにお身体が自ら動き変化し始めます。まるで私の考えていることを読み取ったかのようにスワミジ師の細胞や組織が連携して動き、自ら修正をし始めます。しかも、もの凄い速さです。その動きが面白くて思わず口にしましたら、驚くべきことに、スワミジ師はよく言われると仰っていました。
また、先日は「この辺が凄く硬くなってますねえ」と言いながら大胸筋の辺りをさすって解そうとしていたら、あっという間にその周辺の組織が柔らかくなって私が何もしていないのに解れてしまったので、「あれ?細胞さんが私の言葉を聞いて勝手に解れてしまいました」と驚いてお伝えしたら、「それも良く言われる」とスワミジ師は仰います。

このような奇跡がよくあるので本当にいつも驚きます。
なるほど、「覚醒する」ということは細胞一つ一つが目覚める、アクセプタンス、アウェアネス(受容と気づき)が高まることなのだと、こういったことからも理解することができました。
スワミジ師のお身体は、本当に細胞単位から意識が高いのです。一つ一つの細胞に意志、意図が伝わりますし、何なら日本語も理解してくれるようです(笑)。本当に驚きます。

普通の人間の一般的な細胞の意識ではあり得ないことが起こります。
通常そのようなことはなかなか起らないのですが、スワミジ師には何度もそれが起こっているのを見させていただいてきました。

*アウェアネス(気づき、意識的であること)について

長時間瞑想をすると、スワミジ師はエナジーが良くなったと直ぐに言ってくださるので、とても有難くお言葉を受け取らせていただいているのですが、
「自覚がないんです」とお伝えすると、「エゴはそれに気が付かないよ」と教えてくださいました。

そうなんですね、エゴの私は瞑想のエナジーが深まって良くなっていても気が付かないのですね……その認識が出来ないことを初めて知りました。
エゴ、顕在意識がどれほどのことを認識できて、できないのか、今の自分には計り知れないと思いました。確かにセルフの意識とエゴの意識が違うことだけはよくわかります。

自分のことを客観的にみてくださるグル(導師)がいてくださることで知らぬ間に道を間違えずに済んでいることを改めて有難く思います。そしてアウェアネスについてもっと意識的に実践してくことが必要だと感じました。
パイロットババ猊下もアウェアネスについて、「観ることを忘れてはいけない。何が起ころうとも、アウェアネスをキープしていきなさい」と以前の講話で語られているのを拝見したことがあります。

グルの教えてくださることをきちんと受け止められなければ、いつでもエゴの道に迷いこんでいきそうです。増上慢、勘違い、マインドトリップ、覚者へのジャッジ、自分への誤魔化し、どれも皆したくてするのではなく、自分も含めて誰もが気が付かないで陥ります。覚醒していない人間として危機感、危うさも改めて感じます。
「自分の世界をもっと明晰にしたい!アウェアネスを深めるのだ」と思えて、やっと自分はまだまだわかっていないのだと、至らない部分について今までより理解できた気がしています。

パイロットババ猊下の講話録より
「あなた方は、それが何であろうと、段階を踏んで超え、自分自身を高めてゆくためにここにいる。私たちは愛の方に行ってはいけない。好みの方に行ってはいけない。
私はもっとも良い方法を教えよう。それはアウェアネスをもって愛するということだ。アウェアネスをもって食べなさい。アウェアネスをもって働きなさい。あなたはそこから離れていってはいけない。
「それは私の肉体だ。それは私のマインドだ。それは全てプラクリティだ」と祝福していきなさい。
あなたが何をしていようとも、何を考えていようとも『私はただのwatcher(観る者)だ。私はsource(根源)だ』と考えていきなさい」

 

*瞑想に専念させていただけるアシュラムに感謝します。

自宅にいると色んな理由で長時間の瞑想ができないので、アシュラムに駆け込むように伺いました。長時間の瞑想をたまにしたいと思い、そろそろまた20時間くらい座りたいなあとウズウズし始めていました。

スワミジ師のいらっしゃる仏陀フィールドでセヴァをして瞑想をして、何と幸せな時間でしょうか。セヴァに思っていたより時間がかかってしまい、思うように座れなかったので最終日に一泊延長してしっかり座らせていただきました。こんな風に自由に瞑想に集中できる環境で座らせていただけることは大変ありがたく、今の私にとってこれ以上の価値のある場所はありません。

20時間には少し欠けましたが、満足できるまでしっかり座って、セルフがしっかり満たされて“満足です、もう終わっていいです”と言うのを感じるまでサイレンスの中にいさせていただくことができました。
静けさの中にしっかり入ると、やはり普段ももっと瞑想したほうがいいと感じました。私が世界に差し出せるものは少ないけれど、こうしてサイレンスの中で平和に生きることが少しの出来ることなのではないかと感じていました。

帰りの新幹線に乗る時にとても満足で涙が出ました。自分を満たすということは、こういうことなんだなあと今更ながら感じることができて、セルフの声を感じ、それに従うこと。セルフの意識の方にチューニングすること。とても幸せで自然に涙が溢れてきました。今まで自分を如何に満たすことが出来ていなかったのかを思い、とても時間がかかってしまったなあという思いです。

もうこの大きな流れに身を委ねて、これをエゴの私が止めないように必死で集中しています。空っぽになっていると私の中から湧いてくる力の渦が富山アシュラムに向かわせます。それは大きなお力がしてくださっていると感じているので止めることはとてもできません。大きな流れに身を委ねて、これからも精進していきます。

惑星の影響から厳しい年になっていくという発表があってから、また英語がわからないながらもパイロットババ猊下の新年のメッセージを聞いていると、この先の厳しい年月に自分に出来ることは何だろうと考えます。私一人は小さな力ではありますが、喜びと共に座り、少しでもサイレンスの美しさが世界に広がっていくことを願います。

世界平和、ガイア保護、人類覚醒のワークに賛同し、今日も微力ながらも瞑想し、祈ります。それをさせていただけることに感謝いたします。
スワミジ師、パイロットババ猊下、アヴァター様方、いつも私が迷わないように強力に導いてくださりありがとうございます。

アシュラムで掃き清めをしていましたら、ついさっきまで雪や雨だったのに、急に晴れてきました。

ビフォーアフターの写真です。恩寵を感じました。

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