サンカルパ・サマーディーヨギへの道

2022年6月8日

★サンカルパ・サマーディヨギへの道

マハヨギ・パイロットババジ猊下は私にこう仰いました。

「生を楽しく生きるのも良い。生をより良く美しく生きるのは良い。人々と愛し合い、助け合い、高めあう生き方は素晴らしい。しかし、我々が最終的に望むのは“生死を超えた道”だ。

“生というマーヤ、死というマーヤの世界を超えた道”を我々は求めているのだ」

私は、ババジ猊下が「生死を超える道」という表現をされたことに驚きました。仏教でも同じ表現をするからです。仏教徒は「仏教はヒンドゥー教より上で教えが違う」と刷り込まれているので、ヒンドゥー教に接した時に基本的な教えが同じであることを知って驚きます。私もそうでした。

私はババジ猊下のお言葉を伺って目が覚めました。

そうだ!私が求めてきたのはこれだった!「生死を超える道」だった!この世界をよりよく生きることも素敵だが、それよりも私が求めてきたのは、このマーヤの世界から解脱することだった!

だからこそ、猊下のように、サンカルパ(意思)の力で、何時でも真如の世界に往き来できる存在になるまで、ヒマラヤを降りる気はありませんでした。

私は1989年にサマーディを成就して、宇宙の根源に還りました。生死を超えた世界に還りました。

そこには超意識としてのマインドさえもありませんでした。ただ観るものとしての「純粋観照者」と、観られるものとしての宇宙が存在していました。

時間はありませんでした。時間がないことが永遠であることを知りました。無量の命、無量の時間とは、逆説的に聞こえますが「時間が無い永遠の世界」だということを知りました。

疑似宇宙意識体験でも似たような経験はします。そこでもワンネスの感覚はあります。しかし、真のニルバーナ(涅槃)、真のサマーディにおけるそれとは全く違います。

皆さん同じような表現をするので、真のサマーディ体験者以外は真のサマーディか疑似サマーディか判別できません。

古代から定義されているサマーディの定義は明確です。それは「クンダリーニの上昇」です。

クンダリーニの上昇は、世間一般で理解されているようなものとは全く違います。それは極秘になっていますので、もし貴方がそれを体験したとするなら、ババジ猊下かヨグマタジ、或いは、この私にそっと教えてください。真偽の判別は簡単です。私は体験したから悟ります。

しかし、私にサマーディが起こりましたが、何時でも根源宇宙に還れるサンカルパ・サマーディヨギには到達していませんでした。根源宇宙を離れて観照する純粋観照者に自由自在に往き来できるステージには到達していません。

釈尊(お釈迦様)でさえ、最初はそうだったのです。釈尊がブッダガヤで最初のサマーディを成就したとき、それは確かに起こりましたが、いつでもどこでも成就出来る段階ではありませんでした。

だからこそ、後代「釈尊のブッダガヤでのニルバーナ(涅槃)は完全ではなかった。釈尊はニルバーナ成就後も精進を続け、ついにマハパリ・ニルバーナ(大般涅槃・だいはつねはん)という完全なニルバーナを成就した」という説が発生したのでしょう。

しかし、サマーディ(ニルバーナ・真如)を体験していない学僧はこのことを誤解しています。

実は、サマーディ世界・真如(真実の世界)には肉体では往けません。呼吸停止、心臓停止、脳波停止という肉体の死を経て、サトルボディ(微細身)で真如に往くという事実を知りません。こういう事実を知った上で「釈尊は肉体の束縛を離れて完全なニルバーナに到達した」と語る方は居ません。

私もババジ猊下に教えてもらうまでは知りませんでした。

ババジ猊下はこうも教えてくださいました。覚者には2種類あると言うのです。一つは「サマーディが起こった覚者」、もう一つはサンカルパ(意思・決断)の力で何時でもどこでもサマーディの世界に往き来できる「サンカルパ・サマーディヨギ」です。

言うまでもなく、後者のステージは前者より遥かに高いものです。

仏教者もこういう事実を後年知ったので、釈尊はブッダガヤでの悟りに留まらず、それを凌駕したステージに到達したという理解が生まれたのではないかと私は推測しました。それがマハパリ・ニルバーナの理解でした。

しかし、サマーディ成就者でない学僧たちは、その事をうまく説明できなかったので、「肉体があるうちは肉体の束縛がある。肉体を離れた後で、偉大で完全なマハパリ・ニルバーナに到達した」とだけ解釈したようです。

でも事実は全く違います。

サマーディ、ニルバーナ、真如と呼ばれる世界に往くには、肉体(粗大身)は死の状態になり、サトルボディー(微細身)と呼ばれる身体で往くしかないのです。それが肉体の死を通してヨガではコーザル体と呼ばれ、仏教ではマハパリ・ニルバーナと言われるステージに到達するです。

それを意志(サンカルパ)の力で何時でもどこでも往き来できる存在が、サンカルパ・サマーディヨギと呼ばれます。

サンカルパ・サマーディヨギの事を、仏教では、後年、如来←→如去として表現しました。如来とは真如から来生(らいしょう)する仏陀であり、如去とは真如に去る(往く)仏陀です。それも意志の力で何時でも何処でも自由自在に真如に往き来できる仏陀というのですから、まさにサンカルパ・サマーディヨギのことを示します。

私はサンカルパ・サマーディヨギになるために、命を賭けて瞑想しました。それは1999年のことです。最終的に240日間不眠断食瞑想しました。

断食しながら、最初の頃から1日最低24時間は寝ないで座禅していました。

瞑想を始めてすぐに72時間無心で座り続けました。

ずっとノーマインド(無心)でいると時間感覚がなくなるので3日以上だったこともあると思います。
日本にヨガ仏教を伝えた道昭は1週間から10日坐禅したと伝えられています。
ノーマインドでいると24時間であろうと10日であろうと一瞬のうちに過ぎ去るので、3ヶ月程すると何日不眠断食瞑想をしたのか気にすることは無くなりました。

外には雪が降り、部屋の中でも零下になる冬のヒマラヤで座禅しました。暖房などありません。蝋燭1本の熱が暖房でした。

冬着はありませんでした。寒くて仕方がないので、無心になるしか逃げ道はありませんでした。だからすぐに無心になりました。暖かいところだと、こうはいきませんでした。厳しい環境だからこそ集中できたのです。

集中ができれば、無心は近づきます。無心は何段階もありますが、一番深い無心になれば、サマーディが起こります。

パイロットババ猊下はノーマインド(無心)はサマーディから来ると仰っています。

無心になれば、睡眠は必要が無くなります。ひょっとして睡眠は、無心に至る過程で道を間違えた状態かもしれないと、ふと思いました。深い睡眠は無心に少し似ているからです。

不眠断食座禅を始めて8ヶ月経ちました。後3ヶ月で死ぬというところで、ババジ猊下に瞑想を止められました。

私は命を捨ててでもサンカルパ・サマーディヨギに到達したかったので猊下に懇願しました。

「このまま死ぬまで修行させてください。既に生も死もマーヤ(幻想)だと悟っています。死など怖くはありません」

ババジ猊下は私にこう仰いました。

「貴方は既にサマーディを成就した。今度は人々にその功徳をシェアしなさい」

それを聞いた途端、ババジ猊下のお言葉が光の本流となって私の頭頂から第1チャクラまで突き抜けました。私は一瞬にしてババジ猊下の意思を悟りました。そして、私はヒマラヤを下山しました。

★マスターに不向きなタイプの修行者も存在する

私はマスタータイプの人間ではありません。マスターとして教えるテクニックもありませんでした。何故なら私は、本格的な瞑想を始めてから僅か3ヶ月でサマーディを成就したからです。

私がビパサナ瞑想を始めて3ヶ月目の事でした。
パイロットババ猊下にサンカルパヨガ瞑想を教えられたヨギにサンカルパヨガ瞑想を教わりました。

それが一万二千年間秘密のサンカルパヨガ瞑想とは知らずに初めてやってみて、僅か10分から15分くらい後に最初のサマーディを成就しました。

私は何の苦労もなくニルバーナを成就したので、教えることがあまり出来ないのです。

パイロットババ猊下によれば私は過去世からずっと修行をしてきた。教科書に載るような僧侶だったそうです。太母さんにも同じことを言われました。
太母さんは○○さんと或る僧侶の名を言い、私の膝に甘えてきました。
パイロットババ猊下は私を見るやいなや、Oh ○○と言いました。
二人とも教科書に必ず出てくる僧侶だったので私は驚きました。
そういう訳で今生(こんじょう)はたやすくサマーディ(=ニルバーナ・解脱)を達成できたらしいのです。

ですが、ある意味教えはさほど重要ではありません。

教えは「サンカルパヨガ瞑想は、ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方が一万二千年かけて生み出した史上最高の神秘的な瞑想法だ」という事であり、「それを実践すればサマーディに到達する」という事実だけで十分です。

後は覚者の臨在とサレンダー(明け渡す)だけです。
アヴァターフィールド・ブッダフィールドへの信頼だけが必要です。
そうなれば、事は自然に起こります。

我々は知識を得るために教えを学んでいるのではなく、サマーディ成就の為に学んでいるのです。

知識だけの人は体験が無いのに、上から下に覚者をジャッジします。
私はババジをさえジャッジする愚か者達を何人も見ました。

私はサンカルパヨガ瞑想を体験する以前は、サマタ瞑想しかしていません。だから私は瞑想テクニックをほとんど知りません。私にとってテクニックは、さほど必要では無かったのです。

実は、色んな瞑想テクニックを試しているうちは、深い瞑想に入れません。

自分に合った瞑想法に出会うまでは色々試しますが、それが決まれば後はただ座ればいいのです。

私はサンカルパヨガ瞑想に出会ってからは座ることができるようになりました。ヒマラヤでは最初から24時間から72時間座り続けられました。

それ以上座ったこともありますが、無心なのであっという間に時は過ぎ去りました。

テクニックが落ちて、只管打坐になった時が一番深い瞑想状態に入れました。何故なら、瞑想とは「Nothing to do」だからです。「あれこれやること」をやめて「在ること」に至る道です。「在ること」に至るまではトータルにやるのですが、その後は只管打坐です。

釈尊もトータルに苦行しました。やることをやりつくして、良い意味での断念が起こった後に、ブッダガヤでサマーディを成就しました。

釈尊はそのサマーディを「サマ・サマーディ(巴:sammā-samādhi)」と名付けました。これはサンスクリット語ではなくパーリ語です。

釈尊はブラーミン(婆羅門、僧侶カースト)ではなく王族だったので、カースト的にはブラーミンの一つ下になります。古代、サンスクリット語はブラーミンしか習えないので、釈尊は解さなかったのです。

サマーディはサンスクリット語では「samyak-samādhi」といいます。中国翻訳僧はそれを三藐三摩地(サンミャクサマジー)と音写しました。

パーリ語のサマ・サマーディの「サマ」は正しいという意味です。従ってサマ・サマーディは「正しいサマーディ」という意味になります。釈尊はヨガの行者でしたから、最初はサマーディというヨガの用語を使用しました。

中国翻訳僧は、サマーディを三摩地(さんまぢ)音写して「サマ・サマーディ」を正定と翻訳しました。

釈尊の説いた「八正道」の最後のステージが正定です。マインドフル瞑想でよく言う、サマサティー(正念)の次のステージが正定です。

正念は「正しい気づき」ですが、気づきといっても普通の気づきではありません。殆ど解脱に近い意味での気づきです。口語で「ここが正念場」などと使われますが、本来の意味からはかけ離れています。

ヨガの八正道であるアシュタンガヨガ(ヨガの八つの道)でいう「瞑想」の定義が、日本人の考える「悟り」の概念より遥かに高い意識状態であるのと同じく、八正道でいうところの「正念」は、日本人のイメージする「悟り」の概念を遥かに超えた意識状態です。

本当のことを言えば、マインドで正念を保つことなどできません。あれは方便です。しかし、役に立つ方便です。

私が、色んな修行をしてきたのなら、他者にも教えることが出来たでしょうが、私にはそれが出来ません。現代の日本人に必要な初心者向けの瞑想法を私は殆ど知りません。私はセラピー的瞑想の資格を一切持っていません。

私が教えるのは「一万二千年秘密のクリヤヨガ」だけです。そして、あるのは「サンカルパヨガ・ファンデーション代表」の肩書だけです。勿論、これだけで十分です。

クリヤヨガのテクニックは、誰でもすぐに憶えられます。一つ一つのテクニックは、誰でも知っているハタヨガの呼吸法と一緒です。

このテクニックを習得しただけで、ババジ猊下の元を離れた人もいます。彼らは、それを教えてビジネスにしようとしたのです。こういう人たちがクリヤヨガを無意味なものにしました。

ババジ猊下やヒマラヤのアヴァター(神の化身・権現)様達と繋がっていなくてテクニックだけを憶えても、ただのハタヨガの呼吸法と同じになります。それはただの健康法にしかなりません。

その呼吸法で解脱は出来ません。何故なら、宇宙の源のパワーであるアヌグラハをいただいていないからです。

ヨグマタジのHPでは、アヌグラハをこう説明しています。

「神の恩寵(祝福、恵み、慈しみ)のこと。

すべてを創造した至高なる存在、高次元の意識からくる神のパワーであり、心身を浄め、まるで原子力のような強大な力を持つ。

シッダーマスターは至高なる存在とつながっているので、アヌグラハを与えることができる。その力によって、速やかに内側を浄化し、変容させることが可能になる。」

「クリヤヨガをした後に瞑想が深くなった」と仰る人が、たくさんいらっしゃいます。そういう方と私は出会い続けたいのです。私のようなスタンスでは、瞑想をビジネスとするのは難しいのです。

人々はあれやこれやの技法を求めます。呼吸法をやったり、ハタヨガをやったり、音楽療法、アロマテラピー等、様々な技法をやりたがります。勿論それはそれでOKです。私もそういうのは大好きです。

でも、貴方が本当にサマーディを成就したいのなら、テクニックは「サンカルパヨガ」だけで十分です。人によってはクリヤヨガだけでも十分です。

しかし、これではビジネスとしては成り立ちにくいです。だから私はボランティアで瞑想指導をしてきました。でもそうすると、準備が出来ていない人が集まるのも現実でした。

私は29年間、サマーディ成就を隠して来ました。ほんの一部の人にしか話してきませんでした。私が体験したことをシェアしようとしても、受け入れてくれる方が少数だったからです。

私が神秘体験を話しただけで、古い友人は去りました。それを匂わせただけで敬遠されました。「サマーディを成就した」などと言えばどうなるか目に見えていました。

私は10年間頑張ったけれど、話を聞きたいと思われる方はごく少数でした。反対に、私をジャッジして攻撃する方が多くいました。私の話を自慢話だと言う方が山ほどいました。

私は世間にうんざりしていました。こんな面倒臭いプロセスを我慢して「偽グル・偽マスター」をやりたがる人の気が知れませんでした。

「偽グル」をやりたがる人たちは、詐欺師の才能があります。彼らは馬鹿げたおとぎ話を飽きもせず永遠に繰り返しています。自分がマイトレアであり、救世主だと信じる人もいました。僅かの体験をしただけで「自分が選ばれた民である」と勘違いして、増上慢に陥る人は腐るほどいました。

私は自分に正直でありたいので「偽グル」には不向きです。人を良い方向に導くための方便としてなら「嘘も方便」で使います。それは良いことです。

しかし「偽グル」の嘘は、利益、名声、打算などのエゴから出てきます。そういう事をやっていれば、自分の霊性を貶めます。そんな馬鹿げたことは出来ません。深い瞑想に入り、内側の素晴らしい世界を知ったメディテーターは、くだらないエゴの世界などに帰りたくはないのです。

結局、私は世間に出ることをやめて、達磨大師のように少数の弟子と信者さんだけを指導する道を選びました。その私がこうして表の世界に引っ張り出されたのですから、地球はとても急いでいるのでしょう。

★ババジ猊下のヒマラヤでの過酷な修行

極寒のヒマラヤで不眠断食座禅するのは、一般の人には少しハードルが高い修行です。しかしババジ猊下は、私など及びもつかない過酷な修行をされました。

猊下はマイナス50℃の極寒のヒマラヤで、腰布一枚で一日50キロ以上歩く回峰行をされていました。しかも高度3000メートルから8000メートルまで、腰布一枚で昇り下りされたのです。人間業ではありません。まさに神業です。

食料は4000メートルまで下がれば高山植物があるので、動物が食べる草を観察して、それを食したそうです。

猊下はササラン王国の王子として出生し、何不自由なくお育ちになりました。いわば、超のつくお坊ちゃま育ちだったのです。それにも関わらず、人間業とは思えない過酷な修行を貫徹されたのですから、やはり只者ではありません。

修行者になる前はインド空軍の中佐で、国民のヒーローだったのです。その後、映画監督になりヨガの映画を撮影していた最中に突然発心して、そのまま服を脱ぎ捨てて、乞食椀(こつじきわん)を1つ持ったサドゥー(遊行者)になりました。異色中の異色の覚者様です。

ババジ猊下が腰布一枚で、誰も登頂できなかったヒマラヤへ半日で往復する姿を見て、世界の登山家達は「ヒマラヤには神が居る。仙人がいる」と噂しました。

日本の登山隊のメンバーで歯科医師の方がその噂を聞いて、ババジ猊下にお会いしました。それがご縁となって、猊下が富士五湖の一つの西湖で3日間の水中サマーディをされた時、その歯科医師さんもお手伝いしたそうです。

★アセンション、選民思想の落とし穴

二極化が激しくなり、アセンションに向かう人と闇の世界に堕ちる人は、激しく選別されていると感じます。

最近出会う方は、殆ど準備が出来ている人たちだと感じます。複数の魂の求道者達に出会っています。

少しずつですが、そういう方達からサンカルパヨガ瞑想会に参加したいというお声があがっています。地域がバラバラなので現段階では調整が難しいのですが、アセンションに向けて事は運んでいます。というか、とっくにアセンションは始まっています。

アセンションが選民思想のような馬鹿げた差別思想と無縁であることを確認しながら、世界平和、一切衆生皆平等、母なる地球を護る事、人類覚醒の願いを成就したいものです。

道半ばの人たちがアセンションを語る時、「自分は選ばれた者で、他の人は劣っている」と慢心している姿をよく見かけます。

それは増上慢と言って一番危険なマインドトリップです。こういう人々の特徴は、覚者に対してリスペクトがなくて、とてもジャッジメンタルなことです。

ババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)にご縁を頂きながら、身の程を知らずにジャッジして、すべてを失った愚か者たちを私はインドで何人も見ました。

そういう方は、神秘体験と言うことも出来ないような僅かな体験をしただけで増上慢に陥り、猊下やヨグマタジをジャッジしていました。私もジャッジされました。

彼らがババジ猊下にさえ、「信頼を失った」などとブログで書いているのを見かけます。私は自分の身の程を知っているので、彼、彼女らのように傲慢にはなれません。

覚者は我々を色々テストします。私もこれまで何十回も、これでもか、これでもかという厳しいテストを受け続けました。我々の覚悟を試されるのです。

私が一切悪くないことで、批判を浴びる状況もありました。まさに受難でした。キリストは何も悪いことをしていないのに磔にあいました。しかし、私は最後まで猊下をリスペクトし続けています。

キリストにはユダが居て、仏陀にはデーヴァダッタという反逆者が居ました。しかも彼らは覚者とものすごく近いところに居ました。デーヴァダッタは釈尊の従弟で、阿難尊者の兄でした。彼らは覚者に反逆し、悪い見本として、ある意味世界に貢献しています。後世の修行者がユダやデーヴァダッタのようにならないための悪い見本となりました。

一例をあげます。かつてヨグマタジの信者だった人が、インドのババジ猊下のアシュラムに来たことがあります。それまでヨグマタジにさんざんお世話になったのに、猊下にお会いした途端に手のひらを返して、ヨグマタジをボロクソに言う愚か者達がいました。そういう人達さえも、猊下は大慈悲で受け入れました。

そうした者の一人、とりあえず彼女をJと呼びます。猊下は私に仰いました。

「Jは精神に異常がある。クックー(狂人)だ。彼女は必ずアディティヤナンダのワークの邪魔をする。私がJのケアをするから、貴方は彼女のことは放っておきなさい」

そして、猊下はJを特別扱いされました。自分が特別扱いされた理由を勘違いした彼女は、凄まじいエゴトリップをしました。

「皆は、ババジを批判しないで盲信しているが、私は違う。言うべきことは言う、他の人と私は違う」などと、強烈なエゴトリップをしていました。

覚者にサレンダーできない人は、皆同じことを言います。自分は特別だと勘違いしています。

Jは問題を起こし続けました。

ヨグマタジとババジ猊下の高弟の一人に教えられたのですが、何を勘違いしたのかJはババジ猊下に結婚を迫ったそうです。当然、猊下は相手にされませんでした。

すると、今度は卑劣な手段でババジ猊下を脅したそうです。噂では「猊下にレイプされそうになったとヨグマタジに訴える!」と言ったそうです。ババジ猊下はJの話を一蹴しました。そしてアシュラムから追放されました。

もう1人のMも同じでした。その人もヨグマタジにお世話になったのに、ヨグマタジをボロクソに言い出しました。終には「ヨグマタは地獄に堕ちるだろう」などと暴言を吐きました。

それを私が咎めると、今度は私を攻撃してきました。このMも問題を起こし続け、結局アシュラムを追放されました。

そして驚いたことに、このMは平然とした顔でヨグマタジのところに戻ったのです。しかし「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」の諺通りに、総てが白日の下に晒け出され、彼女たちは出入り禁止になったと伺いました。

何時の世も裏切者はいます。ババジ猊下に慈愛を注がれながら裏切ったJとかMのような脱落者達は私の反面教師でした。

覚者をジャッジする人は仏弟子としての資質に欠けています。結局そういう人たちは救済の網から漏れ、ヨグマタジやババジ猊下の解脱の光を失いました。どうか、そうならないように気をつけてください。

★ヨグマタジをジャッジする人たちへ

ある人が「ヨグマタはイカサマだ」と宣(のたま)いました。その方は、瞑想性が全く無い方で、他者をジャッジばかりする方でした。

その方のようにヨグマタジをジャッジする人々が決まって言うことがあります。「ヨグマタジの瞑想指導料金が高い」、そう彼らは非難します。

でも、ちょっと待ってください。ヨグマタジはご自分の家もなく、車もなく、とても質素な食生活をされています。衆生救済のために、寝食を惜しんで活動されています。ご自分の贅沢のために、一切お金を使っていないのです。

ヨグマタジは、瞑想普及のためにインドやアメリカなど、海外にしょっちゅう行かれます。国連に招聘されて講演することもありました。その経費がいかほどするのか、一度考えていただきたいのです。

私は、数人のスタッフと共にアシュラムを運営する事を考えたことがあります。その時、経費がいくらかかるか試算しました。私の想像以上の経費が必要でした。実際にアシュラムを運営すれば、私が考えた以上の経費がかかる筈です。

霊性の高い方でも、ヨグマタジを誤解していることがあります。得られる情報が限られているので、誤解されている方もいます。でもヨグマタジの存在は稀有なのです。

★ヨグマタジとの出会い

私は1995年に開かれたクンブメーラの会場に居ました。ババジ猊下の瞑想キャンプにいたのです。その時ヨグマタジは公開サマーディを成就されました。

公開サマーディの後は、ヨグマタジに拝謁したい方たちが行列をなして待っています。そのような中で、ヨグマタジは私に3時間あまりお話して下さいました。ヨグマタジに拝謁したい方々を3時間も待たせました。後で聞くと、待たされた方の中にはインド政府の大臣や州知事がいたそうです。実に有り難いヨグマタジのご配慮でした。

ヨグマタジは、問わず語りで私に仰いました。

「インドでは聖者を社会的にバックアップするシステムが出来あがっています。多くの信者さんや国家がババジ猊下をバックアップしています。

日本にはそういうシステムがありません。私だってインドのように、アシュラムに来る人からお金を取るようなことはせず、反対に食事を施すような運営をしたいけれどお金がありません。日本ではそういうことができません。私はインドが羨ましいです」

ヨグマタジを誤解している方には、是非聞いて頂きたいお話でした。

ロシアの神秘家のグルジェフは、一つの質問に対して100ドル請求したそうです。今から100年前の100ドルですから、相当な金額です。

グルジェフが高いお金を取る理由は明快です。「人間は無料だと真剣にならないが、高いお金を出すと真剣に聞く」と言うのです。グルジェフはお金持ちの人からは法外とも思える金額を請求しましたが、そのお金は覚醒を願う修行者の育成の為に使ったと言われています。

私は、ワールドピースキャンペーン、ガイア(母なる地球)保護、人類覚醒の誓願のために動き出しました。ババジ猊下やヨグマタジのワークのお手伝いの為に瞑想会を開いています。

私は解脱を求める方に出会うために瞑想会を開いています。「生と死を超える道」を進みたい人に出会うためにやっています。

この世界をより良く生きるために瞑想することは素晴らしいことです。でも私は、この迷妄の世界から解脱するために瞑想する人と出会いたいのです。興味本位の人、道場破り的感覚で来られる方には関心がありません。

そういう意味では、ヨグマタジのような料金設定をすることは理にかなっていると思います。後者のような方は高いお金を払ってまで瞑想会に参加することはないからです。

サンカルパヨガ・ファンデーションは組織ではないし、ビジネスでもないので、ヨグマタジと競合している訳ではありません。

ヨグマタジのディクシャを受けた方々は、それぞれの持ち場でそれぞれの役割をお持ちでしょう。ヨグマタジの薫陶を受けながら、それぞれの場所でそれぞれのやり方で、ヨグマタジの教えを広宣していることでしょう。

私がやっているのも同じことです。サンカルパヨガ・ファンデーションは、実質的には組織ではありません。

ババジ猊下は私に「サンカルパヨガ・ファンデーションは独立した存在だ。私にもヨグマタジにも属さない貴方のファンデーションだ」と仰いました。

私は、ヨグマタジをサポートするスタンスの方が、自分には合っていると思っています。勿論、大きな流れには従います。存在が私に指示する流れには従います。

今回、私は表の世界に引っ張り出されました。私まで表の世界に引っ張り出す状況を創るということは、地球がとても急いでいるという証です。

Om Shanti Shanti Shanti(愛と平和を)🙏

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