パイロットババ猊下が公開サマーディに導いたお弟子さん達 No2

2022年9月2日

パイロットババ猊下が公開サマーディに導いた御弟子さん達の殆どを私は知っています。
彼らは総て素晴らしい人たちです。
サマーディの種子を持っていた方達だと私は思います。

世間には覚醒したと主張する人がたくさんいますが、ほとんどの方たちは誤解しています。
「光と至福ワンネスの世界」の体験をしたと言う人はたくさんいますが、それにも色々ステージが有ります。段階があります。

私も17歳の時に「光と至福・ワンネスの体験」をしましたが、それはサマーディ(=ニルバーナ・真如)のスタートラインである光のステージ、即ち、エンライトメントとは程遠いものでした。

拙い譬えで言えば、サマーディにおける光のステージがエベレストの頂上とすれば、17歳の時の「光と至福・ワンネスの体験」など高さにして1㎜程度のものでした。

そしてそのエンライトメントさえサマーディの第一段階に過ぎないのです。
エンライトメントの体験は素晴らしいものですが、それとてサマーディのスタートラインに過ぎないと猊下に教えていただいた時は流石に驚愕しました。

とは言え、エンライトメントは勿論の事、エンライトメントの遥か手前の光の体験でさえ素晴らしいものです。こうした体験が起こることは稀有です。
それが貴方に起こったのなら、貴方自身の良きカルマを喜ぶべきです。

しかし、そこで慢心すれば総てを失います。
慢心した人々は、色々間違ったメッセージを人びとに発信しています。
その方が真の覚者なら慢心はしません。
先には先が有ることを潜在意識で知っています。

私は1989年にサマーディを達成したと知らされましたが、先には先が有ることを知っていました。
私はパイロットババ猊下のような偉大な覚者の足元にも及ばないことを自覚しています。

覚醒したと主張する方たちが真の覚者なのか、そうでない方なのかを判別するのは簡単です。

”勘ちがい覚者”はサマーディの極秘事項を知りません。
具体的に言えば、真の覚者は、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの宇宙意識体験の半分の方便を理解できる方です。
華厳経の半分の方便が理解できるはずです。

あらゆる経典は方便で満ち満ちていますが、真の覚者はその方便が何であるのかいずれ知ることになります。
真の覚者の前には必ず真のマスターが現れて導いてくださるはずです。

そしてあらゆる覚者が方便を使うのは、偽マスターの輩出を防ぐためだと理解するはずです。
真実のすべてを経典で教えれば、偽覚者がそれを悪用します。
覚醒していないのに覚醒したと言いくるめ人を騙すことができます。
そういう偽マスターは必ずカルトを形成します。
旧統一教会のような組織主義、拝金主義のカルトを作ります。

覚醒した方でも色々なステージがあります。
猊下によれば、サマーディの第一段階である光のステージ、つまりエンライトメントはサマーディのスタートラインでありますが、その上には更に3ステージあります。
最終ステージがニルビチャールサマーディです。
このステージは釈尊(お釈迦様)がブッダガヤで到達したステージと言われています。

更に真我独存の段階がありますが、ここまでくればマーヤ(幻想)の世界には戻れなくなると経典で語られています。

ところが、ババジ猊下は真我独存に到達してからもこの世界に戻る方法を発見したと仰っています。
私はこの話が真実だと確信しています。

話はここでは終わりません。
猊下の仰るサンカルパ サマーディヨギと言う更に途方もないステージがあります。
それはサンカルパ(意思・決断)の力で何時でも何処でも真如(真実の世界)の世界に往き還って来られるステージです。

例えば釈尊(お釈迦様)はブッダガヤでニルビチャールサマーディを成就しました。
このステージに何時でも何処でもサンカルパ(意思・決断)の力で往き、還って来られるヨギの名がサンカルパ サマーディヨギなのです。

釈尊が六年修行してやっと到達したステージに、ほんの一瞬で往き来できるステージです。どう表現して良いか分からないほど物凄いステージなのです。

仏教で言えば如来←→如去のステージですが、仏教では仏の称号として、ブッダ(覚者)と如来を同列にしています。

ところが、如来は単なる覚者ではなくサンカルパ サマーディヨギなのです。
このことを知っている仏教学者はいません。
何故なら学者は覚醒を体験していないからです

仏教でよく言うように「唯、仏のみぞ仏を知る」です。これは言うまでもないことです。
私は学者を批判しているつもりはありません。ただ当たり前のことを言っているだけです。
彼らはサマーディを成就していないので真理を知らないだけです。
それは当然の事であり批判すべきことではありません。

私は猊下がサンカルパ(意思・決断)の力でサマーディに往き来する時、時空が変化するので猊下のお言葉が正しいことを知りました。

私は 24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められているパイロットババジ猊下のような、世を超えたマスターに出会えた幸運に歓喜します。
このようなグレートマスターに出会えた我々は、なんと幸運なことか筆舌し難いものです。

*猊下は2004年7月18日の講話でこう述べられました。

「それは 思考の力とエネルギーを使うことで簡単にできるのだが、私のエネルギーで連れて行っても意味はない。」

このことを更に具体的に猊下は仰いました。

「私は誰でもサマーディに導く秘法を開発した。サマーディに導くことは簡単だが、性格を変えることはもっと難しかった。貴方は私の願いを理解して欲しい」

私は理解しています。
覚醒とは夢から覚めることです。
しかし、マインドやキャラクターはマーヤ(幻想)の世界でのシステムです。

マインドやキャラを変えることは、夢の中で悪人のキャラを演じている人が善人のキャラに変えるようなものです。
それだけのことが目的なら倫理団体にでも行った方がいいです。
倫理団体に属しても覚醒はできませんが、マインドコントロールによってキャラは変えることは可能です。
キャラを変えたところで夢から覚めることはできません。

覚醒とは夢から覚めることであり、夢の中でのキャラを変えることではありません。
一休禅師は悟ったにもかかわらず、破戒僧であったと指摘する人がいますが、そういう方は夢の中で品行方正であるのが覚者だと誤解しています。

映画マトリックスのネオたちはコンピューターシュミレーションが作っている幻想世界から覚醒します。
勿論、これは本当の覚醒ではなく譬えです。

ネオたちは電脳世界の幻想から現実と言う名の幻想世界に戻っただけです。
サマーディという真如(真実の世界)に還った訳ではありません。
譬えはあくまでも譬えですので誤解しないでください。

ネオたちは電話線を通って電脳世界と現実世界を往き来します。
この電話線が象徴するのがクンダリーニです。
これも譬えです。念の為。

殆どの人がこの事実を知りません。
皆さんが知っているクンダリーニと本当のクンダリーニは全く違います。
真実はサマーディ成就した人にしか話せないことなので、ここまでしか言えません。
偽マスターや耳学問の人を育てても仕方ないので、サマーディ成就した方にだけお話しできることです。

さて、ネオたちは必要があって幻想世界に戻りますが、その時のキャラは幻想から覚めた世界のキャラと同じです。

このことを理解できれば覚醒とマインドのキャラとは関係が無いことは分るでしょう。
でもマトリックスの世界でのネオたちの暴力性は覚者の理想とは違います。
但し、覚者は愛と平和の道を説くのでそこがマトリックスの世界とは違います。

偶々インターネットで発見したのですが、
猊下から「人を覚醒に導いたことは簡単だったが、性格を変えるのはさらに困難だった」という話を聞いたある人が、猊下のお話を勘違いしてこんなことを書いていました。

「覚醒よりも人格の変容が大事だとババジは言っている」
この人はインドで猊下にお会いした沢山の日本人の一人に違いないでしょう。

その方がどなたなのか存じ上げませんが、失礼ながらその方は猊下の真意を全く誤解しています。
夢の中で良い人の役割を演じても、所詮、マーヤ(幻想)はマーヤです。

問題はマーヤの中でキャラを変えることではなく、マインドの全体を捨て去ることです。
夢の中でキャラを変えることではなく、マーヤから覚めて真我に還ることです。

そのために必要なことはエゴを捨て去ることです。
マインドを死滅させることです。
それが覚醒という事です。

覚醒が問題なのであって、覚醒すれば大慈悲が自然にあふれ出ます。
それは倫理道徳によって外側から人格を形成するようなものではなく、内側から溢れ出る大慈悲なのです。
倫理道徳が外側から強制される時、人は多くの間違いを起こします。

我々は覚醒するためにこの世界に生まれました。
覚醒することが問題なのであって、覚醒を体験していないのに、悟りがどうの、サマーディ(=ニルバーナ・真如)がどうのと言ったところで何も変わりません。

覚醒を体験したからといって直ちにマインドが変化するわけでもないのです。

それ故、覚醒していない人が覚醒を訳知り顔で語ることは危険です。
煩悩具足の凡夫の自覚をもって、謙虚さを忘れずにいることが肝要です。

キャラの変容という事で言えば、大した体験をしていない方が覚醒したと勘違いしてキャラが変容している例が多いです。
反対にインド人は覚醒が何であるのか知っている人が多いので、多少の神秘体験をしたことで覚醒したと勘違いしないので、キャラも変容しない例をたくさん見てきました。

覚醒を語るのではなく覚醒を体験することだけが大切です。
マーヤ(幻想)の世界では「三つ子の魂は100まで」と言うように性格を変えるのは困難です。
猊下が謙遜して「サマーディに導くのは簡単だったが、性格を変えるのは困難だった」と仰っていますが、真の力点は人をサマーディに導く方法を発見したという事です。
性格を変える云々に力点をおくと肝心なことをとり逃します。
猊下は誰でも覚醒に導く大秘法を発見したと仰るところに力点を置かず、キャラを変えるのがもっと困難だったという事に力点を置くのは私から見れば不思議です。

どんな人でもサマーディに導くことができた覚者は、歴史上 24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められている、マハヨギ・パイロットババジ猊下以外にはいらっしゃらないのです。
そのような偉大なマスターに今生(こんじょう)で会えた幸運を我々は心の底から歓喜します。

或いは諸般の事情で猊下にサマーディに導かれながら、その事を公表しない弟子も何人かいます。それを不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんので少し説明します。(続く)

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