霊的進化を促進する早道

2020年8月17日

★霊的進化を促進する早道

オンラインダルシャン体験談を皆さんから頂きました。

実は、私が瞑想を始めた時こんなことを発見しました。他者に神秘体験や瞑想体験が起こった時、こころを空っぽにしていれば、他者の体験をそっくりそのままいただけるという有難い事実です。

反対に、他者の体験に嫉妬を抱き、無関心を装ったり、ジャッジしたり、疑いに覆われている人は何も頂けません。スピリチュアリストにとって、この世界でエゴに支配されて得になることなどは何ひとつ無いのです。

私は、皆さんが何ほどかの体験をしたと聞いた時は、我が身のことのように喜びます。ハートが開き、楽しくなって未来が明るくなります。

誰かがサマーディーを成就する。あるいはサマーディーに近づけば、生きとし生けるものすべてに覚醒のエナジーが放射されます。それは他者のみならず、自分の霊的進化をも促進します。だから皆さんの瞑想体験を伺うのは喜びになります。

もし、他者の体験をやっかみ、疑い、ジャッジしたのなら、体験した人を貶めるだけではなく、同時に本来自分も受け取れるはずだったかもしれない境地、神秘体験、瞑想体験を逃してしまうことになります。

さて、他者の体験に無関心を装い、疑い、やっかみ、ジャッジして「邪な魔」に邪魔される道を選ぶか、他人の体験を我が身のこととして受け止めて、自分もそうした体験を享受できる道を選ぶか、すべて自分の選択次第です。

皆さんはどちらの道でも選べます。そうであるなら、邪なる魔に邪魔される道を選ぶ必要がどこにあるのでしょうか?私は後者の道を選びました。

私が瞑想を始めて1週間ほどした時のことです。自分の心を空っぽにし、ジャッジしないで総てをアクセプトすると、1週間に1回起こった体験が3日に1回になり、それから1日1回になりました。そして1日に何度も起こるようになりました。

マハヨギ・パイロットババジ猊下のアシュラム(僧院)で240日間不眠断食座禅修行をしていた時は、世界のすべてが一瞬にして悟る、宇宙の秘密が一瞬にして悟るという程度の小さな悟り、即ちグランス(一瞥)なら、毎瞬毎瞬起こり続けました。あるいは、太陽の数千倍の光の体験程度なら、1日何百回も起こり続けました。この光の体験も、サマーディー以前の光の体験と、サマーディー時の光の体験とでは全く違います。

★サマーディー、サンカルパ・サマーディーヨギと公開サマーディー

◎サンカルパ・サマーディーヨギとは

サマーディーとは、クンダリーニの上昇を経て根源の光に還ることや、その根源の光を遥かに超えた世界に還ることです。そこには肉体では往けません。肉体は一時的に死にます。真如の世界には微細体でしか往けません。

究極のサマーディーヨギは、サンカルパヨガ瞑想の力で、この生というマーヤ(幻想)の世界を去り、この世界に戻って来ることができます。仏教では如来←→如去と言われる存在です。

このサンカルパ・サマーディーヨギのステージを達成した存在は、ヒマラヤのアヴァター(神の化身、権化)様方を除けば、我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下と、兄弟弟子のヨグマタジ(相川圭子師)、ババジ猊下が公開サマーディーに導いた数人の弟子達だけです。

私はサンカルパ(意思)の力で自由に真如の世界とこの迷いの生を往き来できるステージには、まだ至っていません。まだまだ先があるので楽しみにしています。皆さんも先には輝かしい未来が待っていますので楽しみにしてください。

◎公開サマーディー

生もマーヤ、死もマーヤであり、真如の世界が存在することを証明する証行が公開サマーディーです。

普通は何かを修行して、悟りと言う証果を得ます。

例えば、この世界はマーヤであり、マーヤから解脱しなければならないという教えがあります。解脱するためにサンカルパヨガの修行をする。その修行の結果、サマーディーという証を得る、果実を得るという流れです。

ところが、ババジ猊下やヨグマタジのようなサンカルパ・サマーディーヨギは、既にサマーディーという証果を得ているのですから、行から証の流れではないのです。サマーディーという証果を公開する行なので、証行と私は言いました。

もう1度繰り返します。普通は、教→行→証と言う証果の流れです。

この世界はマーヤであり、マーヤから解脱しなければならないという教え(教)があり、マーヤから覚醒するためにサンカルパヨガという修行(行)をする。そして結果として、サマーディー(ニルバーナ、涅槃)と言う証果を得る(証)という流れです。

しかし、ババジ猊下やヨグマタジは、既にサマーディーと言う結果を得ているので行→証の流れではなく、サマーディーと言う証果を再現するための行なのです。証果を得た後で、サマーディーと言う結果を証明するための証行が、公開サマーディーなのです。

◎サマーディーに縁のある方は覚者に出会う

サマーディーに縁のある方は覚者に出会うといわれています。となれば、霊的に、あるいは現実としてババジ猊下やヨグマタジに出会っている皆さんは、そして両シッダマスターにご縁が深い私に会っている皆さんは、サマーディーにご縁のある方でしょう。

私は1992年に、ババジ猊下やヒマラヤのアヴァター様方の神秘的なお力に引き寄せられて、ヒマラヤの聖地で猊下にお会いしました。

私は猊下にお会いする3年前にサマーディー成就したことを、色々な方に認められていましたが、半信半疑でした。そこで完全な覚者と出会い、真実を教えていただきたいと願っていたら、信じられないほどの偶然が重なり、ヒマラヤの奥地で猊下にお会いできました。

現在では、それが偶然などではなく、24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様方に認められているババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のお力だと確信しています。

ババジ猊下にお会いして1時間後に猊下は私にこう仰いました。

「貴方は公開サマーディーの準備ができている。やりなさい」

しかし、私はババジ猊下のお勧めを即断することはできませんでした。何故なら、猊下は土中サマーディーをこう説明されたからです。

「土の中に3日入って一旦肉体は死ぬ。しかし、3日後にはキリストのように生き返る」

この説明を伺って驚いた私は、ババジ猊下にお尋ねしました。

「それでは、どのくらいの人が生きて戻ってくるのですか?」

猊下のお答えはこうでした。

「98%の人がサマーディーを達成できなくて、ただ死んでしまう。1%の人はこの世界に還って来るが、発狂する。残りの1%の人だけが還ってくることが出来る。しかし心配するな。私がいるから大丈夫だ。昨年はヨグマタジも達成した」

私がババジ猊下のお名前を初めて伺ったのは1989年頃でした。ダンテス・ダイジ師の弟子でカルタール(鈴木君)という男から、猊下とダンテス・ダイジ師の名前を聞いたのです。しかし、ちらっとお名前を聞いただけだったので忘れてしまっていました。

再びババジ猊下について話を聞いたのは、ピンダリー氷河でお会いする1週間くらい前のことだったと記憶しています。私は猊下が覚者だという情報以外何も知りませんでした。ヨグマタジのお名前もその時初めて知りました。

ババジ猊下は現在世界中で「2000万聖者の最高峰」と称賛されています。pilotbabaと検索すれば2000万件前後ヒットする、世界でもっとも有名なサマーディーヨギです。

しかし、ババジ猊下の身なりは普通のサドゥー(遊行者)と同じような粗末な衣1枚でした。ローマ法王や仏教教団の管長のように、煌びやかな服を召されているわけではありません。その辺のサドゥーと変わらない質素な身なりでした。

私はババジ猊下にお会いした時、3年前に起こった宇宙意識体験のことをお話ししました。その話をした瞬間、猊下はサマーディーに入定して、私がサマーディーを成就した1989年にタイムトラベルしてチェックしてくださいました。

極秘なので詳しくは申せませんが、覚者がサマーディーの世界に去る時(如去の状態)は、ある音や光が聴こえます。所謂オームの聖音が聞こえます。ただし、皆さんが想像しているような、あのオーム音とは全く違います。オームサウンドは方便の音です。しかし、役に立つ方便だから否定する必要はありません。

私の神秘体験をお話した時も、ババジ猊下のお答えは世界的に有名な自称マスター達とは全く違っていました。この方は本物だ!と確信させる、説得力、迫真力がありました。ですから私は、今まで起こった神秘体験について色々教えていただきました。私はババジ猊下が本物のシッダマスターだと理解できました。

それでも、土の中に入定して一旦は死ぬと聞いた時、日本の即身仏を思い出し、死んだまま還ってくることが出来なかったらどうしようと悩みました。もし土中サマーディーをして死んだまま還ってこられなければ、一巻の終わりだと思いました。

こんな状況で、貴方なら土中サマーディーを即断できますか?出来ないでしょう?私もそうでした。

★光の体験・神秘体験・瞑想体験 

◎神秘体験

話は変わりますが、人が瞑想体験や神秘体験のことを語ると、大した体験もしていない方に限って、したり顔で「神秘体験にこだわると禅でいう魔境に陥る」などと説教します。

彼らの言うことは、言っている限りにおいては間違ってはいません。私も神秘体験が起こり始めた頃は、魔境に陥らないように注意していました。

しかし、誰が一体どんな状況で、誰に対してそう言うのかが問題です。

私の体験では、大した瞑想体験をしていない人が先輩ぶって偉そうに説教したいだけか、後輩の体験に嫉妬して上から下に言うことが殆どでした。要するに、自分は貴方より上だ、お前はまだまだだと偉ぶって、後輩の霊的進化の邪魔をするのです。

私はいつもこう言います。

赤ちゃんが初めて立ち上がったら、親は喜んで「〇〇ちゃん。あんよが上手ね」とほめてあげますよね?どんな親でも、初めて立ち上がった赤ちゃんに「やっと立てたくらいで調子に乗ってはいけない。そうなれば魔境に陥る。お前は立ち上がれたばかりだ。この先にお前は走らねばならない」などと馬鹿げた説教はいたしません。

どうか後輩の霊的進化を助けてあげてください。あんよは上手と言って喜んであげてください。赤ちゃんは貴方の言葉の意味は分からなくても、貴方の笑み、貴方のエナジー、貴方のハートを感じて一生懸命歩こうとします。

どうか普通の親が普通に我が子にするように、貴方の後輩を愛してあげてください。貴方の後輩の覚醒の芽を摘まないで、育ててあげてください。

私も「魔境に陥る」という禅の教えが大好きでした。瞑想したての頃は、魔境に入らないように心がけていました。しかし、世界のすべてを一瞬にして悟るような小さな悟りが1秒ごとに起こる体験をしていると魔境に入る暇などありませんでした。

私が魔境に入ることを警戒していた時は、せいぜい1日数回程度の神秘体験をしていた頃でした。その程度の時だからこそ、魔境に入ることを警戒する余裕(?)があったのです。

一瞬一瞬が悟りの連続であり、神秘体験の連続である時は、数えることもできないし、憶えておくこともできませんでした。仮に1秒に1回神秘体験が起こったとしたら、1日8万6400回神秘体験が起こった勘定になります。0.1秒に1回起これば86万4000回です。憶えていられるはずがありません。魔境に陥る暇など全くありません。

そんな私でも、ババジ猊下やヨグマタジの足下にも及ばないことを自覚しています。ですから、自称覚者がヨグマタジをジャッジするのを聞くと、折角覚者にお会いする機会が持てるのに勿体ないと思います。

◎瞑想体験

神秘体験が起こらない時は無心でした。これがまた素晴らしかったです。神秘体験が起こるのも素晴らしいのですが、無心であることも素晴らしいのです。私は神秘体験と区別して、そういう体験を瞑想体験と呼んでいます。

実は、この無心にもいくつものステージがあります。

最初の無心は、顕在意識の思考が消えただけの状態です。これを達成することは割合に容易でした。本格的な瞑想を始めて2ヶ月目くらいで、初期のステージの無心になれました。

しかし、潜在意識や無意識の中に刻印された印象を消し去り無心になる事は少し難しかったものです。

更には、クンダリーニの上昇過程を経て起こる無心は、一瞬にして世界を悟るような小さな悟り(グランス)を遥かに超えた難しいステージです。

しかし、一番低いステージの無心や光の体験も、一番高いステージの無心や光の体験も、言葉で表現すると同じようなものになります。ですから初期の無心を体験した人は、より高いステージの無心を体験した人と変わらない体験をしていると誤解します。

◎光の体験

これは光の体験についても同様です。

私は17歳の時に光に戻る体験をしました。その体験は、太母(たも)様の表現では「太陽の光の何百倍もの光か知らねども、物凄い光量で、しかも眼には眩しくない光」となります。

ダンテス・ダイジ師の表現を借りれば「太陽の数百万倍の光でありながら眩しくはない」「無心であり、至福であり、ワンネスだった」となります。

太母様とダイジ師では表現に大分差がありますが、それは方便なのだから、目くじらを立てる必要はありません。実際、光度計で測定している訳ではないので、数百倍も数百万倍も変わらないのです。

私は太陽の数百万倍の光の体験を何度もしました。先ほど申しましたように、最初は17歳の時でした。

それから29年後に起こったサマーディーを体験した後で分かったことですが、サマーディー成就以前の光の体験も、言葉で言えば「無量の光の世界に在り、ワンネスで至福だった」となるのです。

サマーディーにおける光の体験、即ち真のクンダリーニ上昇における光、至福、ワンネスの体験と、クンダリーニ上昇以前の光、至福、ワンネスの体験では、表現する言葉は同じでも、その質、その次元が全く違うという事を知りました。

例えて言えば、サマーディーにおける光の体験のステージがヒマラヤの頂上だとすれば、サマーディー以前の光の体験はせいぜい、高さ10mくらいの小高い丘にすぎません。いや、正直に言えば10mくらいの丘と天の川銀河の端から端まで、つまり光速で10万年はかかる距離位の差があります。

私は過去世からのカルマのおかげで、サマーディー以前の光の体験をした時に覚醒したと勘違いすることはありませんでした。当時無神論者で、あの体験は幻想だったと忘れることにしたので、自分が釈尊(お釈迦様)やキリストの転生者だとか、如来に至ったなどというよくあるマインドトリップに陥らずに済んだのです。

古来より、偽マスターをするほど悪いカルマは無いといわれていますから、当時私は無神論者で良かったと思っています。私は無神論者だったが故に、どこかの某カルト教団の教祖のように、瞑想中に自分の娘が風邪を引いたビジョンを見た程度の体験で覚醒したと勘違いしなかったのです。

私はマスター役を未だにしていません。私は皆さんに友として接しています。今のところそれでいいと思います。画像に含まれている可能性があるもの:1人、屋外、自然

コメント

タイトルとURLをコピーしました