ディビアに起こった『インナーコミュニケーション』 改訂版 第一部

第一部

私が最初に『インナーコミュニケーション』を起こしたオランダ人のモデルだったディビア。彼女はとても優しくて慈愛に満ちた人でした。

インナーコミュニケーションという概念は、私がその体験をマハヨギ・パイロットババジ猊下にお話した時、猊下が教えてくださったものです。
猊下のお話によれば、「『神がモーゼの頭の中に直接話しかけた』というようなものがインナーコミュニケーションだ。

それは普通のテレパシーとは違う。テレパシーは思考や感情を読み取り伝えるだけだが、インナーコミュニケーションは、マインドより遥かに高い意識が起こった時、近くにいる相手にコミュニオン(親交、霊的な交わり)を起こすものだ。

アッシジの聖者、聖フランチェスコは動物と話したと言われるが、マインドを使い話しているのではない。マインドを超えた超意識のエナジーフィールドにいた動物に自然にコミュニオンが起こったのだ」

私は猊下のお話を伺って、思わずうなってしまいました。
確かにインナーコミュニケーションが始まる前は高周波の音が聞こえ、上手く言えませんが世界がすべて変わります。
世界のすべてがわかっているのです。同じ世界に在りながら、同時に、マインドとは違う超意識の世界に在るのは奇妙な体験です。
そしてその超意識とは悟りの意識なのです。
単なるテレパシーは言語を介せずに自分の想念を相手に伝えるだけのことですが、インナーコミュニケーションは、悟りの意識をそのまま相手に伝えます。 言葉を変えれば私の超意識を恰も超意識のクラウド上で共有するようなことなのです。

それを猊下は総て知っておられたのが判ったので、私は猊下が本物の覚者だと再認識いたしました。

私に宇宙意識体験が起こった後、次々と私の前で神秘体験をする人が増え始めました。
最初はディビアのように、小さいときから神秘体験をしてきたような瞑想性の高い人に起こりました。その次は、瞑想初心者に起こりました。

その次は瞑想を一度もしたことがない人にも起こり始めました。
しまいには、この写真の場所の近くを歩いていた犬にまで起こりました。
犬には人間ほどの知的理解が無いので、知的には理解できなくても、超意識では理解していました。
これが『聖フランチェスコが動物と話した』ということなのだと私は初めて理解しました。

動物には人間のような知性がないので、人間のように理解はできません。超意識では悟っていても、マインドに翻訳する機能が制限されているのです。

例えば、アメーバにインナーコミュニケーションが起こったとします。
アメーバは超意識ですべてを理解するでしょう。
でもアメーバにマインドの機能はありません。

従って、起こったことを超意識で悟っても、マインドという根源の意識から遠く離れた意識で理解することはできないでしょう。
アメーバとインナーコミュニケーションが起こったことはないので、これはあくまで推測ですが。

インナーコミュニケーションが起こった時、相手の方のマインドは何が起こったか分からなくて、どういう訳か、周りをきょろきょろ見回すのです。

私には彼ら、彼女らの挙動が「この声は一体どこから聞こえてくるのだろう」と訝り、周りをきょろきょろ見回しているかのように見えました。

私が「悟るだろう?」と声をかけると、彼らは驚いてこう言うのです。
「悟(わか)ります!世界のすべてが悟ります。これはスワミジからの意識ですか!
一体これは何なのですか?これは神の意識ですか?」などと聞いてきました。

そうなのです、分かるや解るではなく、あの時のわかるは、悟(わか)るなのです。
インナーコミュニケーションは、言わば、悟りの意識がクラウド上で共有されるようなものなのです。
ただのテレパシーではありません。

私の信者のマヌーにインナーコミュニケーションが起こった時もそうでした。
彼は周りをきょろきょろ見回し、私が「悟る(わかる)だろう?」と尋ねると
「悟ります。悟ります。すべてが悟ります!」と興奮して答えました。

マヌーは「世界のすべてが悟ります!ギリジの意識はいつもこうなのですか?
これはサマーディ意識ですか?」と尋ねました。

私は答えました。
「これは非常に高い意識だがサマーディ意識ではない。
サマーディ意識は、無限の意識だ。
有限は無限にけっして追いつかないから、数兆乗かけても追いつかないのだ。
超意識を超えた超・超意識だ。サマーディ意識は無限大なのだ。否、意識というより総てをみそなわす純粋観照者というべきだ」
(※みそなわす…見るの敬語。ご覧になる)

「この意識は私の意識ではない。
超意識だ。今ならそれが悟る(わかる)だろう?」
彼は答えました。
「悟(わか)ります。悟(わか)ります。今なら総てが悟(わか)ります」

彼のマインドはこの話を理解できませんでしたが、その時起こった超意識はそれを総て理解していました。
彼は叫ぶように言いました。
「普通ならギリジの言葉を疑いますが、今は体験しているので分かります。
この意識の数兆倍の意識がサマーディ(=ニルバーナ・真如)なのですか!」

私は言葉ではなく、インナーコミュニケーションで彼に総てを伝えました。
言葉や概念ではなく、宇宙意識やアカシックレコードの智慧を伝えました。

インナーコミュニケーションはただのテレパシーではありません。
アカシックレコードにある超意識を、一時的に共有させるフォースと言ってよいかもしれません。或いは悟りの意識を相手に照射するものという言い方も可能です。
悟りと言っても色々段階がありますが、インナーコミュニケーションにおいては、サマーディ(=ニルバーナ・真如)といったレベルまではいかない超意識のレベルです。

アッシジの聖フランチェスコが動物と話したというのは、実はこういう事なのです。
アニマルコミュニケーターが動物とテレパシーで交信する事や、人がテレパシーで情報を伝達することと、アッシジの聖フランチェスコのフォースは全く違います。

動物とテレパシーで交信することは素敵なことです。
しかしそういうレベルと、聖フランシスコが起こしていたインナーコミュニケーションとは、全く次元が違うものです。
体験者以外それを理解できません。

ヨガスートラで語られる、最終サマーディ直前のニルビチャールサマーディは超意識というより純粋観照者と形容すべきです。それは意識を超えた超意識をさらに超えたもので、超・超意識というより純粋観照者と表現すべきものです。

聖フランシスコのフォースが動物に悟りの意識を与えるとしても、その意識を彼らが継続するわけではありません。
私がプーナで道を歩いていた犬にインナーコミュニケーションを起こした時、その犬は、人間と同じように、あたりをきょろきょろ見回しましたが、フォースが終わるとただの犬に戻りました。

相手が人間であっても、修行に精進しなければこの悟りの意識を継続させることはできません。
私はマヌーだけでなく、そのほかの人たちに悟りの意識を体験してもらいましたが、本人たちの努力、精進が無ければ、折角、体験してもそれは水泡に帰します。

パイロットババ猊下の周りに居て神秘体験をした人の中でも、その体験が自分の力によるものだと誤解した人は、増上慢に陥ります。

そういう人達は、パイロットババ猊下の慈悲に対してどういう訳か一様に恩を仇で返します。残念ながらそういう人は案外多いのです。
私の周りでもそういう方はいました。

私は、覚者の周りで神秘体験をしながら増上慢に陥り、意識的にしろ、無意識的にしろ覚者の恩を仇で返す事実を多く見ました。
太母(たも)さんが私に仰ったことがあります。
『人間は必ず恩を仇で返すものだ』
そういう方と出会うと、ハートは痛みました。

でも次第に、悲しい気持ちはあるけれど、私は淡々として醒めて観られるようになってきました。

サンキャ哲学や、サンキャ哲学の影響を受けたヨガ派仏教である 瑜伽唯識の考えでは、 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感に意の識を加えて第六識とします。
これが意識ですが、この意識はもっと深い末那識(マナ識)から来ます。
ユングはこれを潜在意識として捉えました。
それは意識より遥かに覚醒した意識に近い高度な意識です。

潜在意識や無意識をユングの師のフロイトは原始的な意識と捉えたけれど、ヨガの影響を受けていたユングはフロイトとは反対に、高い意識として捉えていました。
サンキャ哲学ではアハンカーラ、瑜伽唯識では末那識とは覚醒した意識です。

末那識(マナ識)は、最近の言い方をすれば超意識です。 末那識(マナ識)の奥に阿頼耶識(アーラヤ識)といわれる宇宙意識があります。 ユングは集合的無意識として捉えているようです。

ユングの影響を受けて、精神科医のスタニスラフ・グロフや、心理学者のアブラハム・マズローがトランスパーソナル心理学を形成しました。
彼らは心理学者ですから科学者であり、臨床実験を大切にしていたと思われます。

ニューエイジ思想家のケン・ウイルバーは優れた哲学者ですが、彼は科学者ではなく哲学者でした。
勿論、彼はサマーディ(=ニルバーナ・真如)を成就していませんでした。

私が彼の著作を読んだ時の印象は、とても面白い内容だが彼は覚醒していないので、
「覚醒した世界を想像で書いている哲学者」でした。

アーラヤ識(=阿頼耶識)は宇宙根源の覚醒した意識です。 この意識は体験したことのない人には絶対に分からない話です。 動物が量子力学を学んでも理解できないのと同じように、知識で唯識やサンキャ哲学を学んでいる人には絶対に分からない領域です。

瑜伽唯識は飛鳥時代に伝わったヨガ派の仏教で法相宗として伝わりました。 薬師寺や興福寺は法相宗の名を掲げています。法隆寺や清水寺などは新名を掲げていますが、瑜伽唯識の流れです。仏教に詳しい人以外には知られていませんが、 ヨガは飛鳥時代に伝わっていたのです。

末那識(マナ識)はサンキャ哲学ではアハンカーラとかアスミータと呼ばれる意識です。 中国人はアハンカーラを「我慢」と翻訳し、英語ではエゴと翻訳されているので、誤解する人が多いです。 パイロットババ猊下によれば、アハンカーラはアスミータと同義なので、エンライトした意識です。

〇或るグループに特別枠でアシスタントに招待された経緯

私が『OSHO(和尚)の名を提案した経緯』という記事で紹介しましたように
私は世界的に有名なサイキックの女性が開いた「日本人の為の○○ミニグループ」に参加しました。
そのグループには5人の日本人参加者と通訳が1人いました。
私は彼女のリーディングに勇気を得ました。彼女には感謝しています。

私には何の問題も無いのですが、彼女に迷惑をかけるかもしれないので、彼女の名をSさんと記します。
OSHO(和尚)コミューンには色々な闇があったため、私は彼女を気遣ってそうしました。
また、パイロットババ猊下が私に仰ったように、「覚者の洞察は変わらないがサイキックな人のリーディングはころころ変わる」という問題もあるので、イニシャルにしました。

実際、パイロットババ猊下の指摘は正しかったのでした。私はサイキックな人々のリーディングに勇気を得たこともありましたが、反対に失望させられたことも多々ありました。

Sさんは私のリーディングをすぐに終わらせました。
「貴方のリーディングは簡単です。おめでとう!貴方はやりました。
貴方の総てのチャクラにOSHO(和尚)の光が入っています。素晴らしい!三ヶ月前に観た時とは全然違います。ここに河があるとします。貴方はまだ河のこちら側(此岸・迷いの世界)に居ますが、すぐに向こうの岸に往きます。(向こうの岸を仏教では彼岸といいます。エンライトした世界の事です)ここまでくれば何もしなくていいです」

私は答えました。
「それでは瞑想だけして他には何もしないようにします」
すると彼女は「貴方のステージでは瞑想さえもしない方がいいと聞いています。何もしないでリラックスするのが一番なのです」
彼女の言う事は正しかった。
私はセッション後、すぐに最初のサマーディを成就しました。
だから私のサマーディ(=ニルバーナ・解脱)を予告してくれた彼女には感謝しています。

〇私はサマーディ(ニルバーナ・解脱)を成就した後に、今度は別のリーディングを受けました。
それはSさんの弟子にあたる女性のユーティさんのセッションです。
彼女はSさんのように本も出版していないので、あまり名前を知られてはいません。
34年も前の事だし、OSHO(和尚)の弟子には同じ名前の人がたくさんいるし、名前を出しても構わないでしょう。

Sさんは私がエンライト手前の時にセッションをしました。
しかしユーティさんは私がエンライトした後にセッションしたのです。
当然彼女たちのリーディングに食い違いが出ます。
しかし、ユーティはSさんの弟子なので、そのことで困難な状況に陥りました。

そのことが原因で、Sさんとユーティさんの間に或る事件が起こりました。
それが遠因となり、私はOSHO(和尚)コミューンを去り、ヨギ・チンマヤのアシュラムに行きました。そしてそのお陰で私はパイロットババ猊下に邂逅しました。
まさに、人生万事塞翁が馬です。
後で分かったのですが、総ては「ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の大きな計画による出会いと別れ」でした。

実は、私は古いOSHO(和尚)の弟子からこんな話を聞いていました。
「OSHO(和尚)はディスコース(講話)でこんな話をした。コミューンで瞑想性が深くなった人はここから出されるシステムを作った」
そして彼はこう付け加えました。
「そういう人はOSHO(和尚)の高弟である、ヨギ・チンマヤのところに行く人が多い」
私はその話を憶えていて、後日、北インドのバゲシュワールに有る、ヨギ・チンマヤのアシュラムに行きました。

〇さてユーティさんのリーディングの結果はこうでした。

「貴方のチャクラは総てエンライトしています。Sさんの言う通り総てのチャクラにOSHO(和尚)の光が入っています。
私はエンライトした人にセッションしたのは初めてです。素晴らしい体験でした。有難うございました!」

数日後、彼女は私に重要な話があるので会いたいと言いました。 そして私と会ってすぐにこう言いました。
「貴方のリーディングをした後、私は宇宙意識体験をしました。素晴らしい体験でした。
実は私はSさんが開発した或るグループのセラピストをしています。そのグループにアシスタントとして招待したいのです」

別のセラピストは、こう言いました。
「OSHO(和尚)がボディーを離れたのでOSHO(和尚)の代わりとして参加してください」

私は突然のオファーに驚きました。その頃の私は、日常会話程度しか英語が出来ませんでした。ですから高度な英語力を必要とする、アシスタントをするのは無理ですとお断りしました。しかし、どうしても参加して欲しいと言うので、通訳をつけて欲しいと頼みました。
ユーティさんはこう答えました。
「アシスタントは英語が出来なければ無理です。アシスタントに通訳をつけるなんて話は聞いたことがありません。
でも貴方に参加していただきたいので、通訳を個人的に見つけてくださればそれでいいです」
通訳を探すといっても、特に日本人は英語ができない人が多いので、OSHO(和尚)コミューンで、通訳者を見つけるのは困難だったようです。

そこで私は友人のヘマという日本人女性に通訳をお願いしてグループに参加しました。

さてグループの初日、ユーティさんは私にディビアという美しいオランダ人女性を瞑想のパートナーに選びました。

その瞑想は、瞑想というよりエナジーワークでした。
自分のハートで相手のハートのネガティビティを吸収する。そして自分のハートで良いエナジーに変換して相手のハートに返す。或いは、自分のハートで受け取ったエナジーを、相手のサードアイに返す。エナジーを交互に循環させたりするようなセッションでした。

私とディビアは目を瞑りながら、お互い向かい合って座りました。
私はディビアのハートのエナジーを受け取り、愛を込めて彼女のハートに送り返しました。
その後、自分のハートのエナジーをサードアイに回し、サードアイから彼女のハートに送りました。更には、ハートとサードアイへ、サードアイからハートへとエナジーを循環させました。

すると不思議なことが起こりました。
私が無心になった瞬間に光になったのです。 その光は私ばかりではなくディビアも包みました。
お互いに眼を瞑っているので姿が見えないのですが、心の目でディビアが涙を流し私に合掌しているビジョンが観えるのです。
私は、これは幻想かなと思いましたが、こっそりと薄眼を開けてディビアを見ると、なんと彼女は眼に大粒の涙を湛えながら私に合掌しているのです。

3人のセラピスト達を見ると、彼女たちはうっとりとした表情で私たちを見入っているのです。
暫くしてセッションが終わると、彼女は私に一礼して、歓喜の表情で部屋中を踊りました。

そして、シェアリングが始まりました。
彼女は開口一番こう言いました。
「このジャパニーズとセッションをした時、子供の頃OSHO(和尚)の前で起こった体験と同じ体験をしたの。
私の両親は二人ともOSHO(和尚)の弟子で、私が5歳くらいの時にプーナに連れてきた。
私は子供だったので瞑想をしたことが無かったし、瞑想が何かもOSHO(和尚)が誰かも知らなかった」

「その頃、OSHO(和尚)はマスタ―として世に出たばかりだったみたい。
OSHO(和尚)の周りには弟子が20人くらいしかいなかった。
ある日、私がOSHO(和尚)の前で座っていると、突然サードアイから“ティケティケティケ!”と猛烈な光が入ったの」

「私は光になりました。幼女だったので何が起こったか分からなかった。
するとOSHO(和尚)が私に尋ねたの。
『ディビア何か良いことがあったのかい?』
このジャパニーズはあの時のOSHO(和尚)と同じです。
彼はエンライトしているに違いない!」

それから私とセッションした人はディビアと似たような体験をしました。
お陰で私はグループに参加した外国人の間で、エンライテンドとして認められました。
私を受け入れた人は、神秘体験や深い瞑想体験をしました。

日本人の中でもこの噂が広まったようですが、何でもネガティブにとりたい一部の方は
私のサマーディ成就を肯定できなかったようです。
その気持ちは分ります。
私が反対の立場だったら私もそう思ったでしょう。

彼ら、彼女らは、私がついこの間まで闇の中でもがいていた姿を知っているので、サマーディ成就した私を肯定できないのは頷けます。
それにOSHO(和尚)の死後、雨後の竹の子のように”勘ちがい覚者”が急増しました。
そういう人間を見ていると否定したい気持ちは分かります。
或る外国人は「バスに揺られて眠れないので、内側に入ったらぐっすりと眠れた。その体験以降人格も変わった」という程度の体験をしただけで、エンライトしたと主張しました。
ギャンと言う当時の友人は「エンライトメントではなく人格変容と言いたい」と言っていました。

ユダヤ・キリスト教文化には覚醒の科学が発達しなかったので、ちょっとした神秘体験をしただけで、覚醒したと勘違いします。
その点、インド人や日本人はそう簡単に覚醒を主張しません。
神秘体験に慣れているから、ちょっとした体験で覚醒したとは言いません。
私も小さい頃から神秘体験をしていましたが、それがサマーディ(=ニルバーナ・真如)とは思いませんでした。
ババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方にお会いするまでは、私のサマーディに自信を持ちきれませんでした。
だから、皆さんの疑いの気持ちは分ります。

ただ、私の周りで起こり続けている、圧倒的な奇跡と恩寵を思えば、サンカルパヨガ・ファンデーションに降り注がれている大きな力の恩寵を素直に観れば、恩寵を受け入れられる人と、そうでない人の霊的成長の違いが如実に見えます。
『アヴァターフィールド』に在りながら、それを逃す人たちを見ると、勿体ないなと思ってしまいます。

続きはこちらです。
ディビアに起こった『インナーコミュニケーション』 改訂版 第二部

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