リトリートで10〜18時間瞑想を成就した御同朋・御同行

2022年11月1日

〇サンカルパヨガ瞑想リトリートで10時間以上の瞑想を成就した参加者達

2022年10月7日〜10日開催のサンカルパヨガ瞑想リトリート(中級)at 静岡では、全員が10時間瞑想できました。
中には18時間座りきれた人もいます。
数か月前まで1時間の瞑想もできなかった人々が今回10時間瞑想できたのは、ひとえにマハヨギ・パイロットババジ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のエナジーフィールドのお陰です。

私の体験では、10時間以上瞑想すれば無心の時間が必ずあったものでした。
無心といっても何段階もありますが、どんな段階でも無心に在れるならいつか必ずサマーディーにおける無心に到達します。
そして何時かは純粋観照者の世界・真我独存の世界に還ることができます。

これまで私は、浅い段階の無心から究極の無心まで色々な無心を体験しました。ヒマラヤで240日間不眠断食座禅をした時は、毎日が高いステージの無心の状態でした。72時間以上無心で在ったことはざらにありました。瞑想3か月以上経った時は時間も気にならなくなったので、時計も見ることが無くなりました。おそらく4日以上座り続けたこともあったでしょう。

ヨガの目的はマインドを死滅することなので、無心に在れることは瞑想ができていることを意味します。こころを空っぽにして無心に在れば、皆さんもいずれニルバーナに到ります。

〇こころを空っぽにすれば神秘体験が起こる

こころが空っぽになるということはマインドが無くなることですが、マインドが無くなることは同時にアーカーシャ(虚空)に満たされるということです。
つまり何もないということは、マインドが無いということでもあると同時にアーカーシャで満たされるという事です。

例えばコップの中に泥水があるとします。この泥水がエゴでありマインドであるとします。その泥水を捨てた途端に空気が入ります。
喩えていうとこの空気が空です。アーカーシャそのものです。

無心が続けば神秘体験が起こる時期が来ます。私がヒマラヤで行った240日間不眠断食座禅のときは、殆どが無心の状態でした。
無心であることに全く不満はありませんでしたが、時には神秘体験も起こりました。無心は素晴らしいけれども神秘体験も素晴らしいものでした。
ある時から、1秒に1回か0.1秒に1回か知らねども、立て続けに神秘体験が起こり続けました。それはあたかも走馬灯のように起こり続けたので、その時間が0.1秒だったのか1秒だったのかは定かではありません。計りようがないのです。

心を空っぽにするということは、別の言い方をすれば心を清浄(しょうじょう)にするということです。六根を清浄にすれば神秘体験が起こることが多々あります。

神秘体験はマインドが創るものだと言えますが、マインドが創るものだからつまらないということにはなりません。神秘体験に執着しては、更なる高みに到達できないのでよくありませんが、その体験に感謝する気持ちが有れば恩寵は次から次へとやってきます。

逆に言うと神秘体験の一つや二つ起こらないのは瞑想が足らないからともいえます。サンカルパヨガ・ファンデーションに起こった奇跡・恩寵の歴史を振り返ればその事実が確認できるでしょう。無心や神秘体験を体験せず、恩寵を受けていない方は瞑想が不十分なだけです。
あるいは、パイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方に感謝の念が足りないだけです。パイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の慈悲により高い意識に導かれた人でさえ、慈悲を忘れ増上慢に陥れば恩寵は途絶えます。

どんな高いステージに在る人でも、謙虚さを忘れ感謝の念を忘れれば一定以上の高みに昇れないとパイロットババ猊下から教わりました。私はその事実を体験しました。多くの失敗から多くを学びました。爾来、私は一瞬一刹那もパイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のご加護に対する感謝の念を忘れないようにしています。

〇サンカルパヨガ瞑想リトリート参加者に起きた諸仏現前三昧はヒマラヤのアヴァター様方からの慈悲・恩寵です

前回のサンカルパヨガ瞑想リトリート(中級)at 富山県利賀村 瞑想の郷で7時間座りきった参加者の中には、パイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方、或いは私のアストラル体を覚知した方が何人もいました。これはサイキックな体験ではなく神秘体験、或いは深い瞑想体験と呼ぶべきものです。仏教でいうところの諸仏現前三昧です。

これまで何十年瞑想をしていてもこんな体験は初めてだったと述懐する方がいました。また、瞑想しても心が騒ぎ、これまで瞑想が全くできなかった人にさえ起こりました。明らかにパイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の慈悲による恩寵です。

私が物質化して顕われたと覚知した人は、スワミジフィールドの中に在ったと言います。しかし私自身は、私を通して崇高なるものが臨在したと考えて、その時空をアヴァターフィールドと名づけています。

フィールドを創っているのが自分の法力によるものだと勘違いすれば増上慢に陥ります。アヴァターフィールドは自分を超えた大いなる何かの力と捉えることが大事です。実際そうなのです。

自分の力だと過信したり、起こったことが大したことではないなどと傲慢な態度の方、ヒマラヤのアヴァター様方の慈悲に感謝できない方は、二度とあのような奇跡に遭遇出来ないでしょう。パイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の臨在に感謝できない方に恩寵は再びやってこないでしょう。

〇アヴァターフィールドに在ることを感謝し、瞑想と愛の道に生きることでアセンションに到る

ヒマラヤのアヴァター様方の根源について敢えて大乗仏教的にいうなら、それはタタータ(巴, 梵:Tathatā)=真如(真実の世界)です。真理そのものとしての釈尊(お釈迦様)の本体である法身仏です。
光体となり、宇宙の霊的進化を司どるときの性質は、阿弥陀如来や大日如来のような報身仏でしょう。大乗仏教(北伝仏教)では、タタータから来生(らいしょう)した存在は、真如の世界から来生した存在なので如来(タターガタ)と言います。
ヒマラヤのアヴァター様(神の化身・権現)達が氷河に保存した人間の肉体に乗り移り、この世界に現れるときは釈尊のような応化身と言えるでしょう。
勿論、ヒマラヤのアヴァター様方についてのヨガの定義と、北伝仏教の仏の定義は同じではないのでこの比較はあくまで参考までのお話です。

私はヒマラヤのアヴァター様方の中でも「1万2千年肉体を変えながら生きている」といわれるマハ・アバターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アバターラババ)やアバターラ・ギリ・ババジにお会いするまで、仏、菩薩の存在を本当の意味で信じてはいませんでした。
しかし、マハ・アバターラババやアバターラ・ギリ・ババジの肉体とお会いして、神話的に語られ、誇張され、誤解された存在が実存することを知り、神話的な表現によって勘違いされてきた世界から抜け出すことができました。
リトリート参加者の中でアヴァターフィールド、ブッダフィールドを覚知された皆さんは私の言わんとすることを理解していると思います。

皆さんもご存じのとおり、現代は浄土往生、アセンションに到るためのふるい分けが厳しくなっています。
浄土往生、アセンションに到るのに最も大事ことは瞑想と愛の道です。あるいは、自力ではない他力(仏力)の信心、バクティ(信愛)の道です。

パイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方のご加護に感謝しながらサンカルパヨガ瞑想を続ければ、必ず解脱できると私は確信しています。

Aum Namah Shivaya

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