初めて公の場で宣言したサマーディー成就(前編)

2018年12月17日

もう人類には時間が残されていません。

私は2000年に後3ヶ月の命と宣告されながら、大きな力に生かされてきました。

マハヨギ・パイロットババジ猊下、ヒマラヤのアヴァター(神の化身、権化)様達によって生かされてきました。その大恩に報いる時が来たと私は実感しています。

私は1989年に起こった「宇宙意識体験」がサマーディーであることを熊野瞑想会で告白しました。それがサマーディーだと教えてくださったのは、ババジ猊下であり、ヨグマタジ(相川桂子師)であり、マハ・アバターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アバターラババ)であり、アバターラ・ギリ・ババジです。

存在は何時も我々に、高い意識を選ぶのか、低い意識を選ぶのか選択させます。

私の場合、低い意識を選べばとてつもない苦難を与えられました。私が世俗的幸福を選び、スピリチュアルな道を離れようとすると、とんでもない苦しみを与えられました。

低い意識を選べば、高くつきました。代価はとても高くつきました。存在の警告はとても悟(わか)りやすかった。だから私は、いつも高い意識を選択してきました。

最初の光明体験は、私が17歳の時でした。

私は普段、オーラを観るなどのサイキックな振る舞いをしないのですが、必要な時は勝手にシッディーパワーが発動します。2005年にババジ猊下のアシュラム(僧院)で行なわれた「ヨガ&サマーディーコース」に参加中、私は三度目の光明体験をしました。

ババジ猊下は、2011年3月11日に起こる「東日本大震災、福島原発事故発生と日本壊滅」の予言をされました。

ただ予言されたばかりではなく、日本壊滅を防ぎ、原発事故の被害を最小限にするため、2010年7月から10月にかけて何度もヤッギャ(護摩法要)を執り行いました。猊下やヨグマタジばかりではなく、世界中の覚者による目に見えないお力の結集が必要でした。憚(はばか)りながら、この私もヤッギャに参加させて頂き、翌年に起こる原発事故を抑止するべく祈りました。

このような事は以前にもありました。猊下は40年ほど前に「このまま行けば世界は壊滅する」という予言をされて、アヴァター様や世界の覚者様達が壊滅を阻止するため、シッディーパワーで抑止したことが何度もあります。

それを知らない方は猊下の予言が間違えていると誤解しますが、「福島原発事故」の予言とその抑止を実際に見た私はそうでないことを確認できました。こういう猊下の奇跡を、私は何度も見せられてきました。

アセンションは着々と進んでいます。ですから、存在は覚醒に近づいた魂に覚醒を求めます。そのような方々が、世界中に沢山出現しています。今回アセンションに乗り遅れると代価は高くつきます。

存在は人類の覚醒を望んでいます。だから、この時期に存在の覚醒の意思を受け止め、光明を得た人が多いのだと思います。世界中にまだまだ光明を得た覚者がいらっしゃると思います。

ババジ猊下は、「人間のサンカルパ(意思)ほど強い力は無い。サンカルパの力で何でも出来る」と常々仰っています。そのサンカルパが覚者のものであるなら、これほど強いものはありません。

覚者様達の意思の力で、地球は人類に対するリベンジを抑えてきました。人類の殲滅(せんめつ)を抑えてきました。しかし、人類が覚醒して母なる自然を大切にし、生きとし生けるものを大切にしようとしない限り、人類は他の生物を巻き込んで自滅するでしょう。

福島原発が1基メルトダウンしただけで東日本が壊滅するのなら、世界中に443基もある原発が地震や津波で崩壊したらどうなるでしょう?原発は電力が喪失すると、直ぐにメルトダウンし、メルトスルーも始まります。その先は、全生命体の壊滅です。

化石燃料の事故は長くても半年で終わりますが、原発は何万年、何十万年という、気の遠くなるような長い間、世界中に放射性物質を撒き散らし続けます。そうなれば、殆どの生物が死に絶え、放射性物質に耐性の出来た生物が現れるのを待つしかなくなります。おそらく、高等生物にそれは出来ないでしょう。放射性物質に強いバクテリアから人類はやり直さなければならないかもしれません。

となれば、我々の転生先はバクテリアかもしれません。もっと良くて、ゴキブリかもしれません。ゴキブリは人類が殲滅された後に生き残る昆虫として必ず候補にあがる、生命力の強い生物です。

ゴキブリの母親は、子供を産むと、すぐに子供を餌として認識して食べるそうです。母親が餌として子供を食べる世界は地獄です。こういうのを地獄といいます。地獄は絵空ごとではないのです。

ですので、心ある方は、「世界平和」「環境破壊防止」を願い、人類の覚醒を願う覚者達のムーブメントを応援してください。つまらないエゴで、決して足を引っ張らないで欲しいのです。

この地球が核汚染されれば、貴方の大切な愛する人達、子供さん、お孫さん、お父さん、お母さん、親友、恋人たちが転生出来ない惑星になるかもしれません。地球が人類を滅ぼすと決意すれば、簡単に滅ぼせます。人類は今や地球の癌です。あるいは、人類はエイズウイルスのような悪性のウイルスとも言えます。

ババジ猊下やヨグマタジのような偉大な覚者が「サマーディーを成就した」と宣言すると、自称スピリチュアリスト達が反発します。「私達はみな光でできている。貴方も私も光でできている。みんな覚者だ」という奇妙なロジックで反論します。

私達が光でできていることは知っています。私は三度それを体験しました。

でも、みんな覚者だというのは少し違います。みんなが覚者なら、釈尊(お釈迦様)も、ババジ猊下もヨグマタジも誰も瞑想を勧めません。みんな覚者なら、どうして瞑想や修行をする必要があるのでしょう?こういう奇妙なロジックを支えるのは、その方たちのエゴです。

覚者が覚醒を宣言するのは、例えば地球を救いたい、一切衆生を救いたいという慈悲心からなのです。誰もこちらが上で貴方が下だとは言っていません。勝手にその人達が思うだけです。その結果、衆生済度、ガイアを守ろうとする覚者の願いに抵抗することになります。自ら地獄を引き寄せることになります。

人類が壊滅し、愛する者達を失った時に貴方はひどく後悔するでしょうが、その時は遅いのです。悔やんでも泣いても、もう引き返すことはできません。母なる地球は大切にしましょう。

私は魂レベルでしか覚者を観ません。老いも若きも、性別の差も関係ないのです。美しいものは美しいのです。

ババジ猊下の前では、私のインナーウーマンが顕れます。だからとても女性的な表情になる時もあります。Facebookのカバー写真に使った最初のものがそうです。猊下が5日間の土中サマーディーから還られたときの写真で、私が猊下に合掌しているものです。大抵の人は、あの写真の私を見て女性だと思ったようです。

時にはインナーチャイルドが出てきます。インナーメンも出ます。彼らは自由自在に出没します。

マスターと弟子の関係はフォーリンラブなのです。良質の魂を持っている猊下の信者さんは、その事を良くご存知です。

私は太母(たも)様を覚者として尊敬していました。

太母様は、私がソウルメイトだった事を思い出されました。私達は互いに尊敬しつつ、垣根がありませんでした。壁も作りませんでした。私と太母様は、とてもリラックスしていて親密な関係でした。

このような関係に垣根を作られると傷つきます。ひどく傷つきます。愛執は愛を醜くします。私と太母様の間には一切そのような垣根がありませんでした。私達の関係は恋愛のようでしたが、恋愛感情ではありません。感情センターは低いセンターです。感情センターで動くと人は高みにいけません。私と太母様のリレーティングはハートより遥かに高いセンターでのものでした。

「80歳のおばあさんと恋愛関係だなんて、おかしいじゃないの?」と揶揄した自称スピリチュアリストもいましたが、私はその方がスピリチュアリストだと言うのが信じられませんでした。

真実の愛は、老いも若いも、性別も超えたものであることなど、当たり前のことです。そんなことも知らないで、私と太母様のリレーティングを揶揄する方をスピリチュアリストとしては見做(みな)せませんでした。

自分が体験した黄金の光の体験、その体験がワンネスであった事をどう分かち合えるのか、シェアできるのか、どう言葉に表現して良いのか、命を削って魂を込めて語っていらっしゃいます。だからその願い、その思いは魂レベルで私に伝わりました。

私は美しい魂に巡り合うためにヒマラヤから下山させられました。内面の美しい世界を知っている者としては、差別、レイプ、虐待、殺人、戦争などおぞましいものに満ちた世界には、帰ってきたくはありませんでした。

今たくさんの美しい魂に再会して、私の心は踊っています。

釈尊は「袖すりあうも他生の縁」と仰いました。他生とは多生とも言います。ここでは過去世のことです。皆様とは過去世でご一緒していたから、今生再びお会いしていると釈尊は言うのです。

覚者に対するスピリチュアリストの反応は様々です。有名なマスターに対してはリスペクトする方でも、無名のマスターに対しては懐疑的なものです。

多くの傲慢な方がヨグマタジに対して「ヨグマタはイカサマだ」と言ってきました。その方は何も知りません。一体貴方はヨグマタジの何を知っているのでしょう?何も知りません。

その方が瞑想性の高い方なら解ります。ヨグマタジをジャッジするなら、ヨグマタジを超えた覚醒をしているに違いありません。でもそういう方たちに瞑想的な方はいませんでした。

また、ある人はこう仰います。

「女は子宮で感じる。私はパイロットババを子宮で感じない」

なるほど。今まで何度もこの手の話は聞きました。

ではババジ猊下を子宮で感じている女性は世界中に数百万いるけど、その数百万人の子宮より貴女の子宮の感覚が正しいとする、その恐ろしいまでの自信と根拠は一体どこにあるのでしょうか?

全く反知性的な主張です。最近はこういう人が増えています。そのように言えば、争いをつくりますので私は何も言いませんでした。

このように、全く非知性的な感情論で覚者を批判したり、遠ざけてしまうのはご自分にとって大いなる損失だと思う方だけが、アセンションの対象者だと私は思います。

私は煩悩具足の凡夫であり、この煩悩があるからこそ、より高いステージを目指すエネルギーになっています。利他行より自利行を優先してきました。自分自身が先ず救われなければ、他者を救えないと思う感覚も大事です。

覚者をアイドル化する方々がいます。これは綺麗な女優さんがトイレにもいかないと信じているようなものです。

覚醒すれば、この世界に光を持ち込む聖なる存在だと言います。確かに解脱の光輪は放射されています。そこは間違いではありません。

しかし、人格や性格は別の話です。覚醒して気が触れてしまう方がいることを、多くの方が知りません。古代の人々はそれを知っていました。

古代人は、狂人の中に聖性を見いだせるほど霊的に進化していました。物質文明に犯された現代人は霊的には劣っています。狂人を聖者として敬う信仰があることが、古代人の霊性の高さを示しています。

サマーディーを体験したことがない人は驚くでしょうが、サマーディーのある段階では、物凄い恐怖体験があるのです。それを乗り越えていかないと覚醒はできません。

猊下は私に仰いました。

「サマーディーを成就した人の98%はショックで死ぬ。後の1%は恐怖で発狂する。

だから、覚者を見たければ精神病院に行きなさい。そこに覚者が独りくらい居るよ!残りの1%の人だけがこの世界に戻ってくるのだよ」

覚醒を三次元に持ち込まなければ無意味だと主張する方にはショックでしょうが、安心してください。マインドは狂人でも解脱の光輪は総てを包んでいます。

サマーディーを成就していない皆さんは覚者に過大な期待を持ちますが、覚醒したからと言って誰しも人格者になるわけではありません。

インドには必ず「クレージーババ」と呼ばれるサドゥー(遊行者)がいます。彼らは覚醒していますが、日頃の言動は狂気じみています。しかし、彼らの解脱の光輪は世界に放射されています。

人格者になりたければ倫理団体にでも行けばよいのです。倫理団体に入れば、覚醒は無理になるけれど人格形成は出来ますね。ただ、外側で作った人格に私は意味を見出しません。

猊下が「私は弟子たちをサマーディーに導くのは簡単だった。しかし人格を変えるのは遥かに難しかった」と仰る意味を「サマーディーの目的は人格形成だと猊下が言っている」と勘違いしている方がいますがそうではありません。

サマーディー成就の目的は人格形成などではありません。あくまでも生死を超える世界に還ることです。

覚者には色んなタイプがあって良いのです。達磨大師のように、現代なら暴言と捉えられるような毒舌をもって人に悟らせようとする方もいらっしゃいます。梁の武帝が達磨大師に謁見した時の問答(『景德傳燈錄』第三巻)に、達磨大師の抜きん出た覚醒が現れています。

帝曰「對朕者誰。」

師曰「不識。」

帝不領悟。師知機不契、是月十九日,潛回江北。

帝は言った。「では朕と対座しているのは誰なのか。」

師は言った。「認識できません。」

帝はその意を理解できなかった。師は機縁が合わなかったと知り、この月の19日にひそかに江北に帰った。

(Wikipedia「達磨 」より)

そして、武帝が「何か望むものはありませんか?」と尋ねると、「そこをどいてくれ。日光が遮られるから」と答えるのです。帝王に対して無礼極まる応対ですが、武帝も偉かった。達磨大師を殺しませんでした。しかし、武帝は達磨の答を喜びませんでした。達磨は縁がなかったと思い、北魏に向いました。後に武帝は後悔し、人を使わして達磨を呼び戻そうとしたができなかったとのことです。

達磨の弟子になれたのは少数でした。それはそうでしょう。こんなに厳しい師についてこれる弟子はそう多くはいません。

このマーヤ(幻想)の世界で、三次元の世界で、聖人役をするのも悪人役をするのも、凡人であるのも狂人であるのも、ひとつのゲームキャラです。

ただ、ババジ猊下やヨグマタジのような覚者は、常に覚醒した意識を保っているのです。そこが非覚醒者との違いです。

私はこの世界では「煩悩具足の凡夫」のスタンスです。何故なら、それが事実だからです。誰かのイメージを押し付けられて、聖者にされるのは勘弁してくださいね。私は聖者のキャラを選んでいません。

ただし、私は真如に還りました。ワンネスの世界を知っています。サマーディーワールドが何であるかを知っています。それをシェアしたいけど、今までは中々受け取ってくれる方がいませんでした。相変わらず反発する方もいらっしゃいますが、最近は受け取って貰える方が少しずつですが増えています。

私には幼少時に受けた大きなトラウマがありますが、このトラウマがあったからこそサマーディーを求めました。

トラウマを無くし、この世界を楽しく生きることは簡単ですが、そうするとサマーディーの種も消えてしまうので、更にステージアップしたい覚者はそれを残します。

ヨガスートラによれば、覚者にもそれぞれ各段階があるのです。トラウマはステージアップの為の大事な種子なのです。煩悩は菩提の種なのです。

太母様は生に苦悩し、セラピーを受けようとした私を制止しました。

「あんたさんのような人が、セラピーなんて受けたら駄目!あんたさんは、もっと上に往って貰いたいの。セラピーなんて受けたら、開眼の種が無くなってしまう!セラピーが必要な人にはセラピーがいるけど、あんたさんは駄目!」

まさに煩悩即菩提であり、煩悩がそのまま覚醒の種になるのです。

ある時、ウオッチング、見る事の大事さ、気づきの大事さを私が猊下に伺った時、猊下は私にこう仰いました。

「見ると言っても、マインドでマインドを見るだけだろう?それは生きることには役立つ。この生を楽しむことは良い。何も問題がない。

だが我々の目的は、このマーヤの生のなかでより良き生を楽しむことでは無い。生と死のマーヤを超えることなのだ!」

私はハッとしました。「仏道は生死を超える道」という言葉を思いだしました。

生もマーヤであり、死もまたマーヤである。ビデオゲームの中で聖者の役割をしたり、凡人の役割をしても、所詮マーヤの中での話である。問題はこのビデオゲームの世界から解脱することだと仰るのです。

今、GoogleなどのIT産業でマインドフル瞑想が取り入れられています。気づきを持てば、仕事にも生活にも役立つからです。生をより良く生きることは良いことです。家族を愛し、友人を愛し、ペットを愛し、平和な生を楽しむことは素晴らしい。何も問題がない。

ただし、それもビデオゲームのルールに則った幻想の世界だと悟った覚者は、ビデオゲームの世界から解脱する道を選びます。

ヒンドゥー教の世界なら、シヴァ派のサドゥーがその典型です。シヴァ神は瞑想の神です。シヴァ神はこのビデオゲームの世界を破壊するという意味では破壊神であり、覚醒した世界を創造するという意味では創造神です。

これに対し、ビシュヌ神はこの世界を維持する神です。従って、神に祈り、歌い、踊り、この生を楽しむ道を歩みます。自然を愛します。それもまた、聖なる道です。何も問題がない。

ビシュヌ神の道を中途半端に歩む人は、シヴァ派のサドゥーに対し、ジャッジメンタルになりがちです。生の美しさを満喫していると、生と死を越えようとするシヴァ派のサドゥーの苦悩が理解できないからです。

「我々は光でできている。私は貴方で貴方は私である。別け隔ては無い。私にとっては総てが覚者である」と仰る方がいます。その通りです。私もそう言っています。

しかし、我々が総て覚者なら、どうして総ての覚者は覚醒を促すのですか?

我々がすべて覚者なら、瞑想をする必要もないし、覚醒を勧める必要もありません。例えば、太母様も「総てが皆それぞれに美しい」と仰るけど、開眼を勧めます。当たり前のことです。こんな簡単なことを分からなくするのが、マインドのトリックなのです。

解脱を勧めると「貴方は誰かが解脱していると言い、誰かが解脱していないとジャッジしていますが、私にとっては皆さまがすべて解脱者です」という反論も今まで何百回も聞きました。

先ず第一に、私はババジ猊下、ヨグマタジ、太母様の解脱を認めました。しかし、解脱していない方に解脱していないと言ったことは一度もありません。

なにか、こちらが解脱している人としていない人を線引きして、差別していると勝手に勘違いしているようです。それで「私達は皆平等なのだ」と主張するのです。私が差別を認めているのならそう言われても仕方がありませんが、そんな事は一言も言っていません。私は一貫して平等を説いてきました。

覚者が解脱している方を解脱していると認めるのは、それは単に事実だからです。だから解脱していない方を解脱していないと言って差別することなどありえません。本人が言ってもいないのに、そのように捉えるのは間違いです。狡猾なマインドの罠に嵌(はま)ってはいけません。

覚者は、解脱してない方を見下し、優越感にひたりたいのではありません。そのように捉えてしまうのは、貴方のエゴの投影です。

人は相手のことを語るとき、実は自分の事を語ります。そのような方は覚者を語る時、覚者ではなく、自分のエゴの投影を語るのです。

どうか、猊下や、ヨグマタジの臨在を感じてください。つまらぬジャッジに執られると、今生において頂けるはずのものだった、大きなギフトを逃しますよ!

覚者をジャッジしてはいけません。貴方は大切な何かを失いますよ。


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