熊野ミニリトリートお礼

2018年10月30日

熊野ミニリトリート及びサンカルパヨガ熊野瞑想会に参加してくださった皆様に、心より感謝いたします。あのような深い瞑想を皆さんと一緒に楽しめたことは、とても幸せなことでした。

熊野のホーリーエナジーの凄さには正直驚きました。熊野は日本でも有数の聖域だと実感し、とても幸せな気持ちになりました。特に玉置山のエナジーは素晴らしく、私は一度で魅了されました。

私はマハヨギ・パイロットババジ猊下とご縁を頂き、ヒマラヤの聖地で修行させていただいたので、ヒマラヤの神秘的なエナジーをよく知っています。ですからヒマラヤに比肩するような聖地は世界中に無いと考えていました。熊野の神聖なエナジーフィールドに出会えたのは嬉しい誤算でした。

湯ノ口温泉でのリトリートは、長年ヨガやチャクラワークを指導されてきたMさんの主催で行なわれ、私は講師として呼ばれました。Mさんはババジ猊下のアシュラム(僧院)で行われた第二次ヨガ&サマーディーコースに参加し、猊下が12000年秘密のクリヤヨガを継承し更に発展させたサンカルパヨガを習っています。

私もその第一次ヨガ&サマーディーコースに参加しています。実は、猊下のアシュラムで行なわれた第一次ヨガ&サマーディーコースは【サンカルパヨガ・ファンデーション】を発展させるため、猊下が私のために企画してくださったものでした。しかし、私はマスター役など似合わない煩悩具足の人間なので、組織活動はせずに私の弟子と信者さんにだけ瞑想指導してきました。今後も私は弟子を取る予定はありません。

瞑想指導はババジ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)が提唱する「ワールドピース・キャンペーン」の奉仕活動の一環です。弟子や信者を集めたいからやっているのだろうと誤解されるのは面倒なので、この点は明確にいたします。私は今回邂逅できたような美しい魂を持った方々と、魂と魂で楽しみたいだけです。

お金も、地位も、名声も内なる世界にとっては必要がありません。そんなものを求めてヒマラヤの静寂な世界を離れる修行者はいません。ヒマラヤに魅了され、下山したくなくなるのです。

皆さんは熊野の聖地で生き生きとして、のびやかな生を楽しんでいらっしゃるので、私の気持ちを理解してくださるはずです。

千日回峰行しかり、護摩行しかり、密教や修験道にはヒマラヤの行法がそっくりそのまま伝わっています。正確に伝わっていないとしても、即身仏はヒマラヤの伝統である公開サマーディーがルーツです。

共に衆生済度のため、この世界が平和で穏やかな世界になることを願い行なわれたものです。違いは、即身仏は死んでミイラになるのですが、公開サマーディーは死の世界に往かず、サマーディーやニルバーナ(涅槃)と呼ばれる真如の世界に往き還って来ます。その時、意識は肉体から離れ、任意のアストラル体という微細身に乗り換えます。肉体から意識が離れれば、息、心臓、脳など、あらゆる身体活動は停止します。つまり、肉体は一時的に死にます。

サンカルパ・サマーディーヨギは、意思の力で往きたいと思えば何時でもサマーディーの世界に往け、還ろうと思えば何時でも帰れます。仏教で言えば、如来如去のステージです。如来とは「真如から来生(らいしょう)する仏陀」であり、如去とは「真如に還ろうと思えば何時でも去れる仏陀」です。

仏教では「仏の十号」といって、仏陀を表す言葉に如来など10の名称が語られます。内容からすると「解脱が起こった覚者」と「自由自在に解脱できる覚者」とは大きな開きがあると思っています。仏教学者がなんと言おうと関係はありません。私が如来=如去という場合は「何時でも自由自在に解脱できるステージのサンカルパ・サマーディーヨギ」という定義ですので、どうかご理解ください。

真如とマーヤ(幻想)の世界を自由に往き来できるサンカルパ・サマーディーヨギの公開サマーディーが日本に伝わって、即身仏や補陀落渡海が行なわれたのですから、感慨深いものがあります。即身仏は、衆生済度の為に修行者が命を捨てて行ったものです。私はその心根に感動します。

しかし、公開サマーディーは死んだまま戻って来ないのではなく、生死を超えた世界、つまりサマーディーやニルバーナの世界を自由自在に往き来します。如来=如去のステージの覚者は、肉体が一時的に死んだ後でもこの世界に戻られます。

肉体の保存期間は土中では3日間、水中では20日間くらいです。氷中サマーディーでは、理論的には肉体を永久保存できます。ババジ猊下は氷河でサマーディーに入定し、半年間冷凍状態でした。その後この世界に戻られお体を太陽で解凍しているご様子はYouTubeにもアップされています。

公開サマーディーは、即身仏や補陀洛渡海がショーではなかったように、信者集めのためのショーではありません。どこにでもひねくれた方はいらっしゃるもので、公開サマーディーをショーか何かだと勘違いする人もいます。そういう方は、命をかけて即身仏としてミイラになった聖者を笑い飛ばしたのでしょう。崇高なる願いを茶化す人は、ある意味かわいそうな人々です。命を賭して、人々の幸せを願って死んでいく聖者を馬鹿にするような人々が堕ちて行く世界は、想像に難くありません。

公開サマーディーは衆生救済のために行なわれます。願いにおいては即身仏、補陀落渡海と同じです。如来=如去のステージに至った覚者が真如に去られる時、膨大な覚醒のエネルギーがマーヤである全宇宙に降り注ぎます。このエネルギーが、衆生をマーヤから解き放ち、一切衆生を闇の苦しみから解放する力になります。

このような教えは仏教にも伝わっています。親鸞は和讃で「解脱の光輪きはもなし 光触かぶるものはみな 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ」と阿弥陀仏の功徳を讃嘆しています。

生死を超えた真如の世界が本当に存在することが証明されれば、世界中でサマーディーを求めて修行している方の大いなる励みになります。サマーディー、ニルバーナが真実であることを本当の意味で知っている方は、サマーディー成就者だけです。それを成就してない方からすれば、嘘か本当か分からないものです。

サンカルパ・サマーディーヨギ、如来=如去が真如に往かれる時は、肉体からアストラル体に乗り換える。その時、肉体は死ぬがサンカルパ・サマーディーヨギは何時でも生き返る、復活できるという教えを知っている修行者は、己の修行がいつの日か必ずニルバーナという果実をもたらすことを確信し、大いなる励みになります。

密教や修験道を始め、仏教自体にヒマラヤの叡智が伝わっています。釈尊の八正道の最終地点が「サマ・サマーディー(正定)」です。サマ・サマーディーという表現はヒンドゥー教、ヨガの用語です。インドで修行している修行者が、ヒンドゥー教やヨガの影響を受けないことは考えられません。

事実、仏教には多くのヒンドゥー神話や神々が語られます。ヒンドゥーとはインドのことです。ですから、インド人はヒンドゥー教を「インドの宗教」と捉えています。仏教も、ジャイナ教も、シク教(シーク教)もヒンドゥー教の一派として捉えています。

ババジ猊下がヒンドゥー教の祭典クンブメーラにダライ・ラマ法王を招聘された時、法王は会場でこんなジョークを飛ばしました。

「ヒンドゥー教はアートマン(真我)といい、仏教はノンアートマン(無我)という。これは大変な違いだ。だがそんなこと知ったことか!

アートマンはヒンドゥー教のビジネスで、ノンアートマンは仏教のビジネスだ!我々はヒンドゥー教の兄弟だ!」

この言葉を聞いて、私はいっぺんでダライ・ラマ法王が好きになりました。

生真面目な仏教学者が聞いたら、眼をひん剝きそうですが、私はダライ・ラマ法王の真意を理解しています。もう仏教だのヒンドゥー教だの言っている場合では無いのです。

人類の環境破壊は限界に近づいています。母なる地球は人類という可愛い我が子の横暴に、我慢に我慢を重ねています。人類の自然破壊、資源の収奪は地球に大きなストレスを与えています。ですから地球は、豪雨、豪雪、台風、ハリケーン、地震、大地震などで警告を発しています。

母なる地球は人類ごときに殺されません。反対に人類は淘汰されるでしょう。人類はこのまま行けば、又、バクテリアからやり直しになります。それをご存知ですから、ヒマラヤのアヴァター(神の化身、権化)様及び、ババジ猊下、ヨグマタジが「ワールドピース・キャンペーン」を提唱しています。そして偉大なるダライ・ラマ法王も、その呼びかけに呼応されています。ヒンドゥー教と仏教は、本質的には何も変わりません。

アクセプタンスの有る方はサマーディーが近いと思います。私はアクセプタンスだけで神秘体験をたくさんしてきました。相手の素晴らしいところを感じ、リスペクトすれば、その素晴らしいスペースがあっという間に受け取れるのです。エゴで相手をジャッジすると何も受け取れませんでした。

相手の聖性をジャッジして、反発している間は何も起こりませんでしたが、自分はどうしようもない最低の人間だ、煩悩具足の男だと自覚して相手の聖性を受け入れようとした時、つまりアクセプタンスが広がった時に、神秘体験が次から次へと起こり始めました。これが一番楽で効果絶大な瞑想法の一つです。これは言い換えればサレンダー(明け渡し・帰依)です。

実は、帰依だけでサマーディーの第一ステージである光の世界に到達します。所謂エンライトメントです。この驚くべき真実を教えてくださったのが、ババジ猊下とヨグマタジとマハ・アバターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アバターラババ)とアバターラ・ギリ・ババジです。

今回、瞑想会に参加した方は総じてアクセプタンスの有る方でした。大自然に敬虔であり、神聖なものを受け入れるキャパシティーのある方は如来=如去の正客です。ライトスタッフです。私は皆様に教えられるところが多く、毎日が感謝と感動の連続でした。南無阿弥陀仏。

私は「12000年秘密のクリヤヨガ」を指導させて頂きました。この瞑想法は{12000年肉体を交換しながら生きている」といわれるマハ・アバターラババに直接教わりました。

殆どの方が初めて習ったにも関わらず、深い瞑想状態に入られていました。普通は技法を教えたばかりの後の瞑想は、さほど深く入れるものではありません。ましてあのような短い時間であそこまで行かれたのは、皆さんの普段の生活そのものが瞑想になっているからだと思いました。毎日瞑想すれば、あの数兆倍の瞑想スペースに入れることでしょう。

サマーディー意識は無量です。無限です。ですので、光明の世界を象徴する阿弥陀如来の名称は「無量寿如来」「無量光如来」というのです。無量とは無限と同じ意味です。

因みにヨーガストラでは、無限の壽(いのち)、無限の光のステージは、第ニサマーディーと書かれています。あれは方便で、サマーディーの第一ステージが光の世界だとババジ猊下は教えてくださいました。マハ・アバターラババもそのことを認めていました。

無限に有限は決して追いつけません。あの時の意識を数百兆の2乗してもサマーディー意識には追いつきません。何故なら有限は無限では無いからです。勿論、瞑想性には個人差がありますので、深く入れた人もいれば、中くらいの方もいるでしょう。それは当然です。

Fさんのお話では、瞑想会のあと皆さんが感動して泣いたとのことでした。あまりにも素敵な報告でしたので、皆さんにFさんのメールをシェアします。

「ギリさんの話が聴きたくて、聴きたくて、あれからも熊野の皆さんはギリさんに会いに何度も足を運んでくださったり、皆さんの歓迎っぷりは本当に凄かったですね。皆さん瞳を濡らしていました。解脱に向かう為の肉体を使った直接的な方法を目の当たりにして、自分達にもその時が来たんだと感激の連続でした。皆さん素直にそう受け入れてくださいました。

わたしにも感激のメッセージが沢山届きました。HMさんは「Fさん勇気を持って今回企画してくれてありがとう」と言ってくれました。

確かに、いろいろな誤解も生じる可能性もあるし、わたしにも受け入れてもらえるのか?という恐れや不安がありました。ギリさんの恐れは私自身の恐れでもありました。結果、素晴らしい魂の出会いの場になりました。その瞬間に立ち会えて本当に感動しました」

私も幸せな気持ちになり感動して涙がでました。みなさんとハートとハートで繋がりました。何人もの方から「是非、熊野で今後も瞑想会を開いてください」とお願いされました。

私自身、諸般の事情があり、今まで私の弟子と信者さんにしか瞑想を教えてきませんでした。しかし内心では、せっかく現代の仏陀と称される偉大な覚者様であるババジ猊下や兄弟弟子のヨグマタジ、鎌倉の覚者の太母(たも)様に直接教えを伝授されたのに、皆さんにシェア出来ないのは辛かったです。「12000年肉体を交換しながら生きている」といわれるマハ・アバターラババ、そしてマハ・アバターラババと時には肉体を共有するアバターラ・ギリ・ババジといったアヴァター様方から学んだ叡智を、このまま埋もらせたままにするのは実に勿体ないことだと感じてきました。ですので、ヒマラヤの叡智をシェアできる機会が来るのをずっと待っていました。

やっとその時が来たことを知り、私のハートは歓喜しました。熊野の皆様は間違いなく何かを感じてくださいました。「魂が震える喜び」という形容は知っていても、本当に魂が打ち震えるような出会いは稀です。

有難う皆さん!出会ってくださり本当に有難うございます。心より感謝しています。

私は「ワールドピース・キャンペーン」「ガイア(母なる地球)保護」「人類覚醒」のための奉仕活動をしています。私は組織拡大のために人を集めたいなどとは考えていません。私はこれ以上、弟子はとりません。私は等身大の自分でいたいのです。

私にマスター役は似合いません。私はただの煩悩具足の凡夫です。ですから皆さん、これからも良きお友達でいてくださいね?私は今回のように、愛と祈りを持たれた人々、平和や覚醒の願いを持った人々と、その思いを分かち合いたいだけなのです。闇が光を覆いつくしそうな世界情勢の中で、愛と祈り、覚醒を求め今ここに生きている美しい魂を持った人々と出会えたのであれば、それ以上求めることは何もありません。熊野での皆様との邂逅はその気持ちを再確認させてくださいました。

私がヒマラヤで瞑想していたころは、毎日が無心であり、至福の連続でした。無心でない時は内なる神と出会ったりしました。光の中で至福に包まれていました。パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリが「宇宙意識体験」から戻った時、なんでこの世界に戻ってきてしまったのだ!と絶望したと書いています。正直申しまして、私はヒマラヤの至福の世界から、この荒(すさ)んだ世界には戻りたくありませんでした。でも熊野で美しい魂を持った方たちが集まっているのを見て、私は感動しました。希望の光が見えてきました。

熊野は素晴らしいところなので、こんな私でよければ、いつでも私が学んだことを皆様方にシェアしたいと思っています。

最後に1つだけ申し上げたいことがあります。クリヤヨガの技法はとても簡単です。技法を覚えるのにそう時間はかかりません。しかし、技法を憶えることと、技法が結果を出すこととは全く別問題です。技法が最終的な結果を出すということは、貴方がサマーディーを成就するということです。解脱するということです。ニルバーナを達成するということです。

一部の愚かな弟子たちによって、クリヤヨガの一部は間違って伝えられてしまいました。クリヤとハタヨガの呼吸法は一見同じに見えます。しかし、同じ呼吸法でもハタヨガの呼吸法で解脱した人は歴史上1人もいません。

反対に、クリヤヨガでサマーディーを成就した人は、歴史上たくさん存在します。私はそのようにババジ猊下から伺っています。私はこれまで10人の解脱者とお会いしています。そのうちのお二方は共に「12000年肉体を交換しながら生きている」といわれるアヴァター様達です。

そうした教えを皆さんにシェアできたら、私も生きてきた甲斐があります。ヒマラヤから泣く泣く下山した甲斐があります。欠点も多く未熟な私ですが、今後とも宜しくお願いいたします。

ババジ猊下は現存する覚者としては最も有名なマスターになられました。Googleで[pilot baba]とスペースを空けて入力すると、多い日では2000万件以上ヒットします。少ない日でも1200万件はヒットします。

あのような偉大な覚者に、日本人として最初のサンニャシンにしていただけたのは身に余る光栄です。しかも、最初から三階級の飛び級で内弟子にしていただいたことや、猊下やヨグマタジしか名乗れなかったファンデーションの代表者に推挙されたことは私の誇りです。喜びです。

ヒマラヤのアヴァター様たちの願いであり、現在ババジ猊下やヨグマタジが掲げていらっしゃるワールドピース・キャンペーンに、微力ながらお手伝いが出来れば良いと願っています。

OmShantiShanti!(愛と平和を!)

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