2023年11月アシュラムリトリート体験談 No.1

井上明洋様の体験談

2023年11月開催 サンカルパヨガ瞑想リトリートの体験談をご紹介します。

No.1  井上 明洋 

2023年11月のリトリートに参加して

今年の9月のダルシャンからスワミジと御縁を頂き今回初めてリトリートに参加しました。

参加する迄は一般常識的な疑問『不休不眠断食(※1)で4日間の瞑想なんて本当に出来るのか』という疑問と言うより不安がありましたが始まりのセレモニーでスワミジの足に触れてのご挨拶でスワミジから発せられる精妙なエナジーに包み込まれた瞬間に疑問や不安は消えて無くなりました。

そしてそのスワミジのエナジーの精妙で高い波動は一気に私を引き上げてくれ本当に心地が良くいつまでもそのエナジーに浸って居たいと思いました。

なので他の人よりも随分と長くご挨拶してしまいました。(笑)

自分にとって大きな体験は初日の夜の瞑想で起こりました。

それは瞑想を始めて多分8時間ぐらい経った頃だと思います。通常、瞑想している間も思考が起こったり消えたりすると思いますがその間隔がゆっくりとなり始めました。

そして、それを観ていると思考と思考の間隙が現れ始めました。

以前、クリシュナムルティにハマり彼の本をよく読みました、その中に思考と思考には間隙があり時間的には一瞬の何百か何千分の一だがその間隙を観る事が大切だと何度も述べていましたのでそれを実践していました。しかしその間隙が判別出来ない状態が10年近く続いていました。

その10年の間には南インドの聖者の所に計10回も通い、1回に平均1ヶ月程滞在し修行を行いましたが思考には間隙がある事すらまったく分からない状態でした。

その南インドの聖者からは思考を本当に観る事が出来ればその思考は消えるとも教えられました。そしてそのステップとして痛みを感じた時に痛みを観ると痛みが消える体験が出来る様になると思考が消える事に近づくと・・・。

だからまず痛みを観る練習をしなさい・・・。

痛みが消える事は直ぐに出来るようになりました。(※2)

例えば自分の中では痛みの中で頭痛が一番の苦手でしたが観ていると本当に消えます。

又こんな体験もしています。

その南インドに滞在していた時、食事中に歯が折れて歯の神経が向き出しになりました。

余りの痛みにインドで歯医者に行きましたが、ちゃんとした治療を受ける事が出来ず帰国し日本で治療しました。それまでの間、水を飲むだけで激痛が走りましたが痛みがする時間は一瞬の事で又それも観る訓練だと思えばなんとも思わなくなり結局治療したのは帰国した3ヶ月後でした。

歯医者に行くと歯医者から普通こんな神経が剥き出しであれば、のたうち回る程の痛みだが大丈夫ですか?特異体質で痛みを感じられない人が中にはいますがそう言う体質ですか?と聞かれました。私はいいえ特異体質では無く普通に痛みを感じますと言ったところ歯医者は本当にビックリしていました。

観る事で痛みが消えるレベルまでは南インドの聖者のお陰で達成していましたが思考の間隙は全く分からない状態が10年程続いていました。

ところが今回、スワミジのリトリートに始めて参加し、それも初日の夜の瞑想で思考がゆっくりと流れ始め、そこに集中していると思考と思考の間隙が現れました。そしてさらに集中すると間隙が大きくなりその間隙に入る事が出来ました。

その間隙の空間には何も無く全くの「無」の世界がそこには広がっていました。

クリシュナムルティは思考の間隙を観る事は述べていますがその先に何があるかは言明していません。

その先は自分自身で体験せよとの事だと思いますが、それを今回のリトリートで体験させて頂きました。

これはこのアシュラムがアバターフィールドと間違いなく繋がっている証拠だと確信しています。

ヨガナンダの本を読んで宇宙意識への探究を始めて約10年になりますが、10年掛けてやっとスタートラインに立つ事が出来ました。

この先、魅惑的な山が次々と現ると思います。

例えばサイキックな能力とか・・・。

でもそんな小さな山では無く自分が本当に制覇したい最高の山である宇宙意識を目指して探究の道をスワミジの元で歩んで行きます。

小さな山を目指すならそれに見合った小さな師で充分ですが、最高の山には最高の師でなければそこまで引き上がら無いと考えています。

スワミジは宇宙意識まで引き上げてくれる最高最上の師だと確信しています。

今後ともどうか宜しくお願いします。

※1 今まで断食の経験もあります。通常1日目や2日目は空腹が凄くあり3日目で空腹感を感じなくなるのが普通ですが、リトリートでは最初から最後まで空腹感はまったくありませんでした。アバターフィールドのエナジーで満たされ食事が必要無いんだと感じました。

※2 今のところ私のレベルでは全ての痛みが消えるわけではありません。痛みを感じても我慢が出来る鈍痛などは観ても消えません。逆に激痛やズキズキする苦手な痛み、自分にとっては頭痛や歯痛とかは本当に消えます。多分、集中力が高まるからだと思いますが最も効果があるのは全託です。

 

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スワミジ師の返信
明洋さん。素晴らしい体験をしてくださいました。とても嬉しいです。
瞑想中に思考を見ていると最初は激流のように思考が流れてとても、ウォッチングできないことに驚きます。釈尊(お釈迦様)さえ飛び跳ねる魚を捉えられないように、思考を捉えることは何と難しいことかと嘆息されています。
私も瞑想を始めたばかりの頃は、思考の激流、奔流に驚き、瞑想性が無いのだと落胆したことが有ります。
でも安心してください。釈尊(お釈迦様)でさえ最初はそうだったのです。
実は、我々は毎瞬思考し続けていてエナジーの無駄遣いをしていますが、普段は無意識的、無自覚的なので気づかないだけです。
でも内面を観ることによって、初めて思考の無駄遣いに気づくことができたのです。
だから思考の激流を観察できるようになることは一つの進歩です。
思考をウォッチングしつづけると、ずんずん思考がゆっくりになります。
すると、とめどもなく流れる思考と思考の間にギャップがあることに気づく。
そのギャップに入ると無心になると言うことを体験したのは、観る瞑想であるビパサナ(正確にはサマタ瞑想)をした時のことでした。
和尚やクリシュナ・ムルティがそういう話をしていると知ったのは、その体験の後でした。
私は体験が先で知識が後になる場合の体験をより信頼しています。
経典などに書かれた教えを読んだ後に神秘体験する場合は、自己暗示がもたらす幻想である場合があるけれど、体験が先の場合はその確率は低いものです。
それは「悪い意味での自己暗示」の影響が無いからです。
悪い意味での自己暗示と断る理由は、自己暗示すべてが悪いものではないからです。
例えば子供に「貴方は優しくて、他人が困っていたら助けてあげる人ですね」みたいな暗示を与えることは悪いわけがありません。
それで誤解されないように「悪い意味での自己暗示」と前置きしました。
さて思考と思考、感情と感情のギャップの中に入ることによって得られる無心のステージは中々体験できないものです。
それは顕在意識の思考の遥か根底にある潜在意識や集合的無意識のレベルまで内観できないと起こらないものです。
仏教では無心は即ち悟りとして認識されているのは、深いレベルでの無心には、中々到達できないステージだからです。
無心と言っても何段階もありますが、思考観ることにより、思考がゆっくりしてきて、そこからギャップに入ることは、ニルバーナやサマーディに至る重要なステップです。
私はリトリート中、何度も皆さんのエナジーをスキャンしていますが、ほとんどの皆さんが、深いレベルでの静寂さを保っていました。
3割の方が無心を体験していました。
無心は本人にとっては憶えていないものです。
何故なら、“無”だからです。
でもその無は総てでもあるのです。
〇ギャップのことを日本では“間”と言います。
禅の影響を強く受けた能や歌舞伎など日本の芸能では、“間”を大事にします。
悟りを得た高僧が発見したものが“間”でした。
だから“間”に入ることはものすごく高いステージです。
私はヒマラヤで240日間不眠断食瞑想をした時には、無心に至るまで二時間かかりました。
二時間かかったと言うより、二時間しかかからなかったと言うべきでしょう。
悟りを得た僧侶の無心のステージに僅か二時間程度で到達できたことは、自分自身驚きでした。更に驚いたのは私のエナジーや私の空のスペースが他者にも影響して、マインドで一杯の思考の人にも影響を与え、その人たちも二時間ほどで無心になったことです。
しかも時計を見ていなくても何故か時間が分かるのです。考えてみれば不思議です。
当時一緒に修行していた友人も同じことを言っていました。
そういう方は日本ではなかなかお会いできませんでした。
サンカルパヨガリトリートでも無心を達成できた方はサリーちゃんを含めて少数でした。
ところが、今回は4人に一人が無心を体験しました。
信じられません。何か筆舌しがたいもの凄いことが起こっています。
単純に考えれば、参加者の皆さんの準備が整っていたから、こんな奇跡が起こったのですがそればかりではないような気がします。
地球規模で何かが起こり二極化が激しくなっているような気がします。
ファンデーションは大いなる存在にシェイキングされていますが、このような素晴らしい結果が答えです。
我々のやっていることは間違っていなかったという結果がすべてを証明しています。
瞑想の世界は実力の世界なので、準備が出来ていない人、精進が足りない人にはそれなりの結果しかついてきません。
でもサレンダー(明け渡し)が出来ている人には、パーフェクトな結果が待っています。
〇明洋さんは四日間の「不眠断食瞑想」が出来るか不安だったそうですが、
「ブッダフィールド」・「アヴァターフィールド」の中では思考や感情が浄化されるので断食がしやすくなることを自覚しています。
そのとおりです。
実は、思考や感情のエナジー消費量は想像以上に多いものなのです。
「ブッダフィールド」・「アヴァターフィールド」の中に在ると自然に無駄なエナジーを使わなくなります。だからお腹が減らなくなるのです。
私が240日間不眠断食瞑想をした時は、240日間、ほぼ水だけでしたが死にませんでした。
体重も10キロくらいしか減らなかったのも不思議でした。
不眠断食瞑想と言っても一日にコップ一杯のミルクを摂るように言われましたが、ミルクが無いので、コーヒー用の粉末ミルクをミルクと勘違いして、水に溶かして飲んでいました。
数年前にあれはミルクではなくただの植物油だと知りました。
だから殆ど水だけで240日間生きていたのです。
しかも飲んだ回数は一日に一回ではありませんでした。
不眠断食瞑想の間は、至福(アナンダ)、或いは無心なので、この世界には帰ってきたくなくなります。72時間瞑想をしていたことなどざらにありました。
その頃は、命を捨てることなど何の問題もなかったので、最長は7日くらい座禅していたかもしれません。
無心であるときは時間感覚がありません。時間はマインドが作るものです。瞑想中は無心ですから、240日瞑想から戻ってきた時でも、瞑想を始めたのが、つい先ほどに感じていたものでした。
瞑想していると時間など気にしなくなるし、7日間不眠断食瞑想をしていても気にすることもなくなるのです。
無心に至るまで2時間くらいかかったと何故か分かるのは不思議でしたが、無心に入ると時間や空間を超えた世界に往くので、無心に至るときまでとは反対に時間を忘れてしまうのです。
今回サリーさんが100時間不眠断食瞑想を達成しましたが、無心の時間はあっという間に過ぎたはずです。
マインドとしては単に記憶がないと言うことに成りますが、実は無心であったのです。
時間の感覚はマインドが作るものなので、マインドがないと時間感覚がなくなります。
無心の間は永遠ですが、永遠の世界からこの娑婆世界に帰ってくると、その永遠の時間さえ、つい先ほどの感覚になると言うのが無心の状態なのです。
永遠の時間の中から帰ってくると、永遠が短く感じると言うのは、考えてみればとても奇妙な体験ですが、それが真実です。
〇 明洋さん達はサンカルパヨガ瞑想リトリート初体験にもかかわらず、僅か二日目で悟りの境地に至りました。おめでとうございます。祝福します。
これまでの参加した人達には、中々起こらなかった瞑想体験が、明洋さん達に起こった理由は明洋さんが語るところの全託のおかげです。全託とはすべて大きな力に委ねると言うことだと思います。
全託は、言い換えればトータルにサレンダー(明け渡す)すると言うことです。
口先だけのサレンダー(明け渡し)を語る方たちと違い、明洋さんは、トータルにサレンダー(明け渡し)できたから奇跡が起こったと私は確信しています。
私も、私自身の内なる神、内なるブッダ(覚者)にサレンダー(明け渡し)しています。
内なるブッダ(覚者)に出会えた人は、外側にマスターが現れると言われています。
私の場合は、外なるマスターとはパイロットババ猊下やヨグマタジ(相川圭子師)、そして太母さんでした。
釈和昇さんは私をマスターと呼んでくださいますが、私も真のマスターに成れるよう精進しましょう。
但し、私は親鸞の道とヒマラヤの道を融合した、タントリックヨガのような道を認めています。タントラと対照的なスートラの道は、難行苦行の道です。
パイロットババ猊下のように、マイナス50度の世界を腰布一枚で、4000メートルの地点から8000メートルの頂上まで、半年間断食して修行するような難行苦行の道を精進する方はごく少数でしょう。
だから私はスートラ的難行道自力の道を称賛すると同時に、易行道タントラの道も認めています。
実はヨガは易行道他力も難行道自力の両方を認めています。
前者は神への愛の道であり、祈りの道です。信仰の道です。
マントラを唱えていくような道です。
後者はババジ猊下のされたような人間になすことが不可能に見えるようなものです。
ババジ猊下はマイナス50度の世界で、腰巻一枚だけの着衣で、半年間断食しながら、8000メートル級のヒマラヤで、高度4000メートル地点から8000メートルの頂上まで半日で往き来するような道です。
それを千日回峰行と言いますが、日本の千日回峰行も大変ですが、ヒマラヤでのパイロットババ猊下の千日回峰行は想像を絶します。
ババジ猊下と一緒の道を歩める方は、インドでもそんなにいらっしゃいません。
だから私は易行道他力の道、愛と祈りの道も認めています。
Aum Namah Shivaay🙏

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