2023年9月オンラインダルシャン体験談 No.2

2023年9月9日

2023年9月開催 オンラインダルシャンにご参加頂いた方からの体験談ををご紹介します

NO.2  井上 明洋 様

ナマステ🙏スワミジ♪
ダルシャン後に起こった私の体験をシェアさせて頂きます。
今迄、インドに何度も行き執着がかなり薄くなっては来ていましたが、食と女性に対するものは依然強くありました。
仕事上強いストレスを感じますが、そんな時は食べる事で発散させていました。そして好きな物をお腹いっぱいになるまで食べていました。
それがダルシャン後、先ず味覚が変わりました。
非常に敏感になり何を食べても味が大変濃く感じるというか辛くて食べにくくなりました。
例えばチーズなど素材の味の物を食べたとしても味も香りも凄く強烈に感じます。
それと食べる量が半分くらいで充分になりました。又、肉、魚が大好きでしたが食べたい思わなくなりました。
それよりも何よりも食べる事でストレス発散する事をどうにか止めたい思っていてもどうしても止める事が出来ずにいた事が苦も無く解消されました。
釈さんお話したのはここからです👇
今まで女性に対して数々の失敗があります。
離婚もそうですが、離婚後もロマンス詐欺に何度も引っ掛かりお金を騙し取られた事も2度3度あります。
いつもこちらが女性を追う立場でしたが、女性に対する執着が無くなると自分から相手を求める事が無くなりました。すると逆に相手から求められる様になりました。
本当に不思議です。
そして相手から求められても下心が湧き上がる事も無く冷静で居られる事が何よりも平和です。
そして平和な心持ちは何もしなくても周りに広がって行きます。身近な人やご近所さん、職場、通勤で乗り合わせる人達・・・。
きっとこの状態は又元に戻ると思います。
ただ今まで執着が薄くなる体験は何度かしていますが、執着が消えたと感じたのは今回が初めてです♪この様な体験を繰り返し少しずつ成長していくんだと思っています。
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スワミジ師の返信
明洋さんはオンラインダルシャンに参加しただけで味覚が鋭くなり、女性にもてるようになったと仰います。
尚且つ女性に対する執着もなくなったというのですから、仏教的に言えば眼識と鼻識、などの五識(五感)と第六識(第六感)である意の識(意識)が覚醒してきたことになります。
六根が浄化されたことによって覚醒に一歩近づいたわけです。
仏教では喜 び も 悲 し み も 、 苦 し み も 楽 し み も 、 す べ て 六 根 に よ る ものとされています。
し た が っ て 六 根 は 煩 悩 の もとと な り 、 迷 い や 罪悪 を 起 こ し やす い の で 、 こ れ を 浄めることが重要だとされています。
山を登るとき「六 根 清 浄 」と唱えますが、六根が浄化されると煩悩が無くなるというのでそう唱えるのです。
実は今回、能登さんという方が私と一緒にいただけで味覚が鋭くなったと仰っていたのでそのシンクロニシティに驚きました。
六根を語る場合、六境と六識との関係を語らねばなりませんので、六根と六境と六識について説明します。
1,六根とは六つの認識器官(能力)のことで、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六つの根を指します。
2,六境とは六塵ともいい、六つの認識対象のことで、色境・声境・香境・味境・触境・法境の六つの境を指します。
3,六識とは六つの認識のことで、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六つの識を指します。
こう書くと難しそうですが内容的には簡単です。
例えば眼根を例にとって説明します。
眼という感覚器官で見る対象が色境です。色を見て赤色とか紫と認識することが眼識です。
眼識に限らず五識には必ず意の識が介在します。
グルジェフワークで意の識を介在しないで「ただ見る」という瞑想法がありますが、普通は眼識には意の識が介在します。
例えば赤い花を赤いと認識し、更に好きだとか嫌いだとかの価値判断をするのは意の識の仕事です。
赤い花を赤いとして認識するとき脳の働きが介在します。
従って意の識とはとりあえず脳の働きのようなものです。
とりあえずと言うのは、仏教の認識論は唯物論でも唯心論でもないのでこう言いました。
仏教の認識論と西洋哲学の認識論について話すと長くなるので別の機会に論じます。
赤い花を美しいとか可愛いとか判断するとき、意の識である意識が介在しているのは明白です。
今回明洋さんが実感したのは味覚が敏感になったことなので、舌根が清浄(しょうじょう)になり舌識に気づきが生じたわけです。
しかし、舌識には眼識や耳識などの他の感覚器官が作用します。
食べ物を見ておいしいと感じるときは眼識や耳識、身識などが複合的に作用します。
料理を見て、触って、食べる音を楽しんで食べ、意の識で
自然や神仏、或いは農家の方に感謝しながら食べれば料理は一段とおいしく感じます。
だから味覚が鋭くなっただけではなく,実は五感六感すべてが活性化しているはずです。
私の周りにいらっしゃる方は「ブッダフィールド」・「アヴァターフィールド」の中に在るので、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感に気づきが生じます。そしてそれだけではなく、第六識(意の識)が覚醒します。
第六識は俗に第六感(意識)と言われています。
六識が浄化されるとその根底にある高い意識が覚醒します。
ヨガ派仏教である瑜伽唯識(ゆがゆいしき)ではそれを末那識(マナ識)と言います。
瑜伽(ゆが)とはヨガのことです。
瑜伽行唯識学派(瑜伽唯識学派)は釈尊(お釈迦様)の弟子の弥勒菩薩(マイトレーヤ)を祖とし、無著(アサンガ)・世親(ヴァスバンドゥ)が教学を大成したとされています。
因みに、ヨガ派仏教を最初に日本に伝えたのは遣唐使の一員として中国に渡った道昭です。
道昭は三蔵法師として有名な玄奘三蔵に学び、660年頃に日本に瑜伽唯識を伝えました。
以外と知られていないのですがヨガは飛鳥時代に伝わっていたのです。
奈良の興福寺や薬師寺、法隆寺や京都の清水寺などが瑜伽唯識学派のお寺です。
私の体験では、五感と六感(意識)が浄化されると意の識が覚醒して、意の識の底流にある第七識である末那識(マナ識)と言われる高い意識が開かれます。
その時に神秘体験が起こります。
井上さんはそれに近い体験をされたようですね。
瑜伽唯識の考えでは、第七識を超えて第八識である阿頼耶識(アーラヤ識)に到達したとき完全な覚醒状態になるとされています。
井上さんの体験で興味深いことは味覚・舌識が鋭くなったことだけではなく、女性にもてだしたという記述です。
匂いに敏感になっただけではなく、周囲に良き香りをシャワーリングしていることです。
釈尊(お釈迦様)のダンマパダ(法句経)に、「花の香りは 風にさからいてはゆかず 善き人の香りは 風にさからいつつもゆく」とあります。
良き人、即ち、覚者の香りは風に影響されずに人々に悟りの香りをシャワーリングすると書かれています。
井上さんもそのような香りをシャワーリングするようになったのでエナジーに敏感な女性が良きエナジーに惹かれてきたのでしょう。
OSHO(和尚)がこんなことを言っていました。
「誰かが覚醒するとそのエナジーに惹かれて異性が集まってくる」
男性なら女性が集まり、女性なら男性が集まってくるというわけです。
クリシュナ神は1万4千人の恋人をもっていたといいますが、国中の女性たちがクリシュナ神の覚醒の香りに惹かれたということを意味しています。
クリシュナ神の恋人には独身の女性もいれば人妻もいました。
クリシュナ神の最高のパートナーはラーダという女性ですが実は彼女は人妻です。
そういうことに目くじらを立てる人もいれば、憧れる人もいます。
それは人それぞれです。
セレバシー(宗教的禁欲主義)を好む人もいれば、クリシュナ神やインドのタントラ、チベットタントラ仏教のように、性も覚醒の手助けになると主張するタントラの考えを支持する人もいます。
自分は結婚していて子供もいる方が、修行者がタントラ的生き方をすると、むきになって否定している人がいます。
自分は良いのに他人は駄目だというのは、私には随分身勝手な理屈に見えます。
日本では空海が理趣経というタントラ経典を重んじました。理趣経のテーマは煩悩即菩提です。菩提とは菩提心、覚りを欲する心です。あらゆる煩悩、欲望は本来清浄なものであり、この菩提心の現れであると説くのです。従ってセックスも愛と瞑想の中でなされれば悟りにいたるものだと主張しています。
親鸞は公然と肉食妻帯しましたが、彼の著作である教行信証の中で理趣経についても論じています。
鎌倉時代「隠すは上人。せぬは仏」と後鳥羽上皇が言ったそうですが、親鸞さんは
それを隠さず公然と妻帯しました。
親鸞は偽善を嫌い、魂に正直であったのです。
それを嫌う人もいるし共感する人もいます。
『ヨハネによる福音書第8章2節-11節に不倫した女性を石打ちの刑に処せられそうになった時、キリストがこう仰った話を思い出します。
 「汝らの中、罪なき者、まず石をなげうて」
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」石を投げつける女性たちは一体どういうつもりで石打ちの刑で殺そうとしたのだろう。正義を盾にした集団攻撃の怖さを感じます。
そういう倫理的束縛を離れたクリシュナ神の自由さに私は魅力を感じます。
因みに、クリシュナ神はインドの神様で常にナンバーワンの人気を誇っています。
たくさんのインド人がクリシュナ神に帰依しています。
クリシュナ神みたいに異性を惹きつける現象がオンラインダルシャンに参加しただけで井上さんに起こっていることは素晴らしいことですね。
「ただ今まで執着が薄くなる体験は何度かしていますが、執着が消えたと感じたのは今回が初めてです♪この様な体験を繰り返し少しずつ成長していくんだと思っています。」
11月のリトリートで魂を浄化すれば必ず貴君に新たな変化が起こります。リトリートでは自然に瞑想スペースを吸収していくでしょう。これまでも多くの人たちが深い瞑想体験をしています。
そのことを本当に体験した人達だけが残っています。今度のリトリートはこれまで以上に素晴らしいものになるでしょう。
Om Shanti Shanti Shanti(愛と平和を)🙏

 

 

 

 

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