公開サマーディーから戻られたヨグマタジ

「公開サマーディ」から戻られてヨグマタジ(相川圭子師)「公開サマーディ」から戻られたヨグマタジ(相川圭子師)

このお写真は1998年に私が撮影しました。
ヨグマタジはこの写真を大変誉めてくださいましたが、私はマタジの神々しいお顔ばかりに集中していて、手が見切れていましたのでヨグマタジは残念がっていました。

公開サマーディから戻られた時のヨグマタジは、真如(サマーディ・ニルバーナ)から来生されたので仏教では如来と名付けられます。

如来とは真如から来生(らいしょう)したブッダ(覚者)の名称です。
そのとおり、実に神々しいお顔です。まさに女神様のようです。

如来とは反対に、サマーディに入定される時は“真如に去る”ので如去と言われます。
去ると言いますが、迷いの世界から見れば覚醒した世界に往くことなので、
真如に往くと表現することができるでしょう。浄土系思想では往生浄土と言われるようなことです。

マハヨギ・パイロットババジ猊下は私にこう仰いました。

「公開サマーディ」は、サマーディの最終ステージである「ニルヴィカルパ・サマーディ」(=ニルビチャールサマーディ・第四サマーディ)を成就していないと出来ない」
「釈尊(お釈迦様)がブッダガヤで最初に成就したのがニルヴィカルパ・サマーディだ」

そうなのです。ヨグマタジはマハヨギ・パイロットババジ猊下の師である伝説のアヴァター(神の化身・権現)様であるハリ・ババジに師事して、ヒマラヤで過酷な修行をされ、短期間でニルヴィカルパ・サマーディを成就されました。

それは、公開されたサマーディではないので、言わば、プライベートサマーディと言えます。

ヨグマタジはプライベートサマーディを達成された後に「公開サマーディ」を成就されました。しかも18回も公開サマーディを成就されています。
この事実はヨグマタジ(相川圭子師)が偉大なサンカルパ・サマーディヨギであることを証明しています。
ヨグマタジにせよ、釈尊にせよ、短期間でサマーディ(ニルバーナ、涅槃)を成就された覚者は、過去世から長い間修行を重ねてきたからだとパイロットババ猊下は仰いました。
勿論、猊下ご自身も短期間でサマーディを成就されています。

私は生まれて初めてクリヤヨガをして15分くらいして宇宙意識体験(The experience of Cosmic consciousness)を達成しました。

私はそれまで瞑想などしていなかったのに、
数々の神秘体験をしました。
瞑想を始めてから、無心に至る深い瞑想体験をしてきたので、一時は自分が特別な存在だと勘違いしたこともあります。

しかし、猊下のお言葉で認識が変わりました。
パイロットババ猊下は私にこう仰いました。
「貴方は過去世からずっと修行をしてきた。教科書に載るような僧侶であった。
これまでの長い修行があったからこそ、今生(こんじょう)花開いたのだ」

そうだったのか!私は今生(こんじょう)だけでなく、何生にも渡り必死に修行してきたのだ。だからこそ、今生(こんじょう)結果が出たのだ。

自分だけが特別なのではない。誰でも多生に渡って修行してこなければ結果は生まれない。
つまり、覚醒する条件は皆同じなのだ。皆平等なのだ。
努力を重ねた人だけが、修行の結果覚醒するのだという事実を心の深いところで悟ったのでした。その事実がパイロットババ猊下のお言葉で深いところで頷けたのでした。

私はヨグマタジが偉大な覚者であることを知っています。
インターネットをみると、たまにヨグマタジのことをジャッジしている人の記事が見られます。
内容を見ていると、かつて、ヨグマタジやマハヨギ・パイロットババジ猊下にご縁を持ちながら、卑劣な裏切りをしている人の記事だと解るものがあります。

マハヨギ・パイロットババジ猊下の大慈悲を頂きながら、何を勘違いしてか、宗教的独身主義を貫くサドゥーである猊下に「結婚して欲しい」と迫り、断られると今度は逆上して、言葉に出すのもおぞましい卑劣なメッセージを拡散させ、重大な裏切り行為をした○○という女性がいます。
その人は、かつてはヨグマタジの信者だったけど、ババジに師を変えたのち、ヨグマタジのことをぼろくそにジャッジしました。
そして今度はババジを裏切り、ババジにセクハラされたというブラックメールを発信して多くの人をたぶらかしました。
裏切りの魂を持った人は何度も人を裏切るというけど、彼女はまさにその典型でした。
真の仏弟子は師を変えても師へのリスペクトは忘れないものです

私はババジを信頼しているのでそんな人の言うことは歯牙にもかけませんでしたが、中には真に受けた人もいるから驚きです。

彼ら、彼女らは、そういう妄言に誑かされてパイロットババ猊下の元を離れた人たちは、救済の舟ではなく泥船を選んだのだと思います。

その人たちの一人が「或ることでババジへの信頼を無くしたので離れる」とネットで発信していました。私はネットには書いていないその人たちの隠されたエゴを観ていました。それは自分たちがサマーディに導かれなかったことについての彼らの失望と怒りでした。

偉大なマスターに会いながら離れてしまった人たちがいることを私は不思議に思っていました。
私にはそういう選択肢はなかったからです。

私はこれまで様々な試練を受けてきました。「これ以上は無理だ。もう耐えられない」と何十回も思いながらもなんとかクリアしてきました。
すると、それでも終わらず、これでもかこれでもかと何度も試練は続きました。

病気の時、発熱したり、下痢などしますが、それは健康な体に戻すための身体の自然な作用です。それを嫌っても仕方ありません。病は人を成長させます。

このような試練は私を成長させるためのものと理解し、歯を食いしばって受け入れてきました。私が出来ることは「総てを受け入れて大きな力にお任せする」ことだけでした。
自力ではどうにもできないような困難な状況に追い込まれて、人は初めて
大きな力にサレンダーが出来るものです。



修行者をたぶらかしてアシュラム(僧院)のお金を使いこませた○○という女性の投稿もありました。
彼女はヨグマタジ(相川圭子師)の信者だったが、師をババジに変えた途端、ヨグマタジのことをぼろくそに言い出しました。

そして反対にババジを誉めだしました。ところが、上記の件が発覚した途端、
ババジのもとを去り、またもや別のマスターを探しだしました。

彼女は3か月に一回マスターを変えていた人でしたが、ババジから離れただけではありませんでした。
あろうことかババジを陥れるようなデマをネットで流しだしました。
エゴから解放されていない人間は、仲間から離れた途端にかつてのマスターさえ攻撃するものです。

こういう人たちは帰依とかサレンダーがまったくできていません。
自分のエゴの都合でマスターを決め、エゴの都合でマスターから離れてしまいます。
自分が選んだのが救済の舟だったのか、ただの泥船だったのか、彼ら、彼女らは遅かれ早かれ知ることになるでしょう。

弥陀の願船のような救済の舟に乗るには一つだけ条件があります。
それは帰依心です。サレンダーです。
それがなければ、仮にババジやヨグマタジをマスターに選んだところで、得るものは少ないでしょう。

リビングマスターとの出会いがあっても内側のマスターとの出会いがなければ本当の意味でマスターに出会ったことにはなりません。

上述の○○さんのようにマスターを変えても自分が変わらなければ無意味です。
因みに彼女たちは共にインドのアシュラム(僧院)にいられなくなりました


仏教的に言えばサンガ(宗教的コミニュティ)を破壊する行為は、所謂、五逆罪に相当します。
それは地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちる衆生さえも救うという阿弥陀仏でさえ救えないとされるという最も重い罪です。

自分が泥舟に乗ったと分かるのは通常臨終の時です。
でもその時では遅いので、出来るなら早く気づいて欲しいと祈っています。

キリストが磔にあったとき、刑場に現れたのは母親のマリアとキリストの恋人と目されるマグダラのマリアだけでした。
キリストの十二使徒はヨハネを除いて全員がキリストを裏切りました。
ユダだけではないのです。

十二使徒のリーダーだったペテロは、鶏が泣く前に三度キリストを知らないと言いました。
自己保身のためマスターを裏切ったのです。
彼らはキリストが復活した話をマグダラのマリアから聞いて、悔い改めキリスト教を布教したので、裏切り者の烙印は押されませんでした。ユダは悔い改めなかったので裏切り者の烙印を押されました。

キリストでさえそうなのです。私のように自由に生きてきたものがグル(マスター)ワークをすれば、失敗は目に見えていました。
ババジは「失敗することを恐れるな。失敗すればそれを正せばよいのだ」
「貴方はなすべき仕事をしなさい」と仰いました。
その一言があって私はいばらの道を歩む決心をしました。

私は親鸞に出会い仏門に入りました。
親鸞の道は所謂聖者の道ではなく非僧非俗の道です。
自らが煩悩熾盛であることを認め、自力ではどうにもならないことを深心して
弥陀に帰命する道です。
大乗仏教(北伝仏教)は煩悩即菩提と言って、煩悩を菩提(覚醒)に変容させるというダイナミックな思想を持っています。

初期仏教のように煩悩を否定するだけではなく、煩悩があるから悟りを求める。だから煩悩即菩提だというのです。

私はそういう道を歩んできたので、聖者志向の方からは過去の言動で突っ込まれるようなことが多々あります。

私はヒマラヤでは聖者の道を歩みました。
240日間不眠断食瞑想を貫徹した人は私以外いませんでした。

しかし、世間に戻ったときに、ヒマラヤ聖者の道を貫くことは困難です。
私は親鸞的生き方が好きだったので猊下のお誘いをずっと辞退してきました。


太母さんは30年前に、私がババジによって二度と立ち上がれなくなるような困難に会うことを予言されていました。
その予言を知りながら、私のハイヤーセルフはより高いステージに至るために困難を受け入れてきました。
大きな力にはサレンダー(降参・明け渡し)するしかありません。

キリストが復活した後にキリストの弟子たちは自分の行為を恥じて、
悔い改めキリスト教を布教しました。

なので、ババジやヨグマタジに悪態をついた上述の人たちも、出来るだけ早く改心して高い世界に到達することを祈っています。

他にも、ヨグマタジやマハヨギ・パイロットババジ猊下とご縁を頂きながら、お二方の偉大さを認識出来ず、表面的でどうでもいいようなジャッジをしている方の投稿を見ることがあります。

猊下もヨグマタジもそんな人達は歯牙にもかけないでしょう。
ただ、困ったことに、その人達はある程度インドのアシュラム(僧院)の状況を知っているので、彼女たちの投稿が私からの発信だと誤解されたこともありました。


私はヨグマタジに多大な恩義を感じています。
大変感謝しています。

私がヨグマタジにお会いしたのは1995年のことでした。アーダクンブメーラが行われた時です。場所はインドのイラ―ハーバード(現・プラヤーグラージ)です。ヨグマタジが土中サマーディをされた時のことです。

それから数年後のヨグマタジの公開サマーディの時、私は私に起こった宇宙意識体験(The experience of Cosmic consciousness)をお話しさせていただきました。

ヨグマタジは、その時私のサマーディ成就を認めてくださいました。
そのヨグマタジを否定することは、自分自身を否定することになります。そんな愚かなことを私がするはずがありません。ヨグマタジは既にこのことをご存知の筈です。


猊下は土中サマーディから還られたばかりのヨグマタジに私を紹介されました。
その時、私は1989年に起こった宇宙意識体験を話しました。

ヨグマタジは心底驚かれ、「それはサマーディね!間違いなくサマーディね!」と仰いました。

その瞬間、パイロットババ猊下がテレパシーでヨグマタジを呼びました。私も時折テレパシーが働くので分かったのです。

マタジは「今、ババが呼んでいる。少し待ってね。」と言ってパイロットババ猊下の部屋に行きました。

猊下はマタジに「何故サマーディの秘密を話したのか?」やや厳しいお言葉でマタジに問われました。

するとマタジがこう答えました。
「私がサマーディの秘密を言う訳が無いでしょう。彼が私に話したのです」

それからしばらくの間ヨグマタジは猊下とお話して部屋に帰ってきました。ヨグマタジは私にこう仰いました。

「今、ババと話してきました。貴方に起こったことは間違いなくサマーディです。しかし、サマーディが起こったことは認めますが、その先が有るとババは言っています」

「ババはサマーディには二種類あると仰っています。
一つは起こったサマーディです。

「もう一つは意志(サンカルパ)の力で何時でも何処でもサマーディ(ニルバーナ・真如)の世界に往き、還って来られるサマーディです」

「ババは言っています。貴方は意志(サンカルパ)の力で何時でもどこでもサマーディに往き来できるサンカルパ・サマーディヨギになることを目指しなさい」

私はこの話を聞いて大変驚きました。
確かに仏教でも釈尊(お釈迦様)がブッダガヤで悟った時は、まだ肉体の束縛が有ったため、それは完全なるニルバーナ(涅槃)ではなかった。

肉体から離れることによってマハパリ・ニルバーナ(大般涅槃=偉大で完全な涅槃)というステージに昇ったという説はあります。

しかし、サンカルパ・サマーディヨギとはその最高ステージにさえ、意志の力で自由自在に往き来できるステージということです。

一度だけ最高のステージに還ることができたというのではありません。
例えば釈尊(お釈迦様)がブッダガヤで到達したニルヴァーナ世界に瞬時に往くことができるし何時でも帰ってくることができるのがサンカルパ・サマーディヨギということなのです。

それは一瞬にして真如とマーヤ(幻想)の世界を往き来出来るという途方もなく高いステージです。



仏教的に言えばこれは如来←→如去のステージです。
如去とは、いつでも何処でも真如(真実の世界)・サマーディの世界に去る(=往く)ことができる存在です。
反対に如来とは真如より来生(らいしょう)する存在です。

マハパリ・ニルバーナ(大般涅槃)にたまたま往ったというのではなく、往こうと思えばいつでもどこでも真如(真実の世界)の世界に往け、還ろうと思えば何時でも還ることができることができるのが如来←→如去のステージです。
サンカルパ・サマーディヨギとはまさに如来←→如去のステージなのです。

私は大学院時代、如来←→如去の研究をしていた時期がありましたが、それは現実のことではなく神話かなにかだと思っていました。
しかし、パイロットババ猊下やヨグマタジにお会いしてそれが神話ではなく事実であることを知りました。
まさか本当にそんなことができる覚者が存在するとは夢にも思っていませんでした。

パイロットババ猊下とヨグマタジに出会い、神話と思っていた如来←→如去が本当に存在することを知ったので大変驚きました。


ヨグマタジが公開サマーディから戻ってきてからの会話は4時間くらい続きました。サマーディについて新しい事実も教えていただきました。
なので、私はヨグマタジに深く帰依しました。
このインタビューはすべてMDに録音しています。
この録音は私の宝物です。

私はマタジとの会話の後、猊下が以前仰ってくれたことへの理解が深まりました。

あれは1992年のことでした。
私がパイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の神秘的な力に導かれ、ピンダリー氷河で初めてお会いした時、猊下は私にこう仰いました。

「貴方は公開サマーディの準備ができている。公開サマーディを準備するには日本円で700万円くらいかかる。私がすべて準備するから安心しなさい。昨年1991年にはヨグマタジが公開サマーディを達成したがすべて、会場その他の準備はすべて私がしたので心配はいらない」

後にパイロットババ猊下とマタジの本には「公開サマーディを成就するにはニルヴィカルパ・サマーディを達成している必要がある」と書いているのを発見しました。

私はパラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの「或るヨギの自叙伝」の宇宙意識体験を読んで
あの体験が私の体験した宇宙意識体験(The experience of Cosmic consciousness)と酷似しているのを知りました。

偽マスター防止のためところどころひっかけ問題がありますが、真にあれを体験した人たちはそのトリックを見抜けるように書いています。

猊下によればヨガナンダ・ギリの宇宙意識体験にはマインドがある。第四サマーディはノーマインドだと仰っていました。

英語ではマインドという言葉しかないのでマインドサマーディと表現するしかないのですが、実際は普通のマインドではなく、超意識としてのマインドです。

サンキャ哲学やその影響を多分に受けたヨガ派仏教の瑜伽唯識では、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感、別の捉え方では五識という認識器官に対応して、第六識である意の識が示されます。
実はこの意の識が意識なのです。
これがマインドの意識です。

しかしこの意識は根源から来ています。
清浄(しょうじょう)なる仏智から派生しています。


サンキャ哲学はこれをアハンカーラ(我慢)と言い、ヨガチャリア(瑜伽唯識・ゆがゆいしき)では末那識(マナ識)と言います。
猊下によればアハンカーラはエンライトメントした意識だそうです。
意識を超えた超意識です。

更にこのアハンカーラ(我慢)や末那識(マナ識)の源があります。

サンキャ哲学ではブッディー(菩提)と呼ばれます。
ブッディー(菩提)を達成した存在がブッダ(覚者)と言われているので
これはとんでもなく高いステージです。

そしてサンキャ哲学はブッディー(菩提)の状態が最終ステージではなく、ブッディー(菩提)から離れた真我独存のステージが示されています。

サンキャ哲学ではブッディー(菩提)がマーヤの世界の最初に顕現するものとして説かれていますが、パイロットババ猊下は、ブッディー(菩提)はプラーナから来て、そのプラーナはブラフマンから来ていると教えてくださいました。


西洋社会は、長い間「意識以外の識」を知らなかったのでこれを表す言葉さえ存在しなかった。
意識以外の意識を西洋で最初に発見したのはフロイトです。
それが無意識という概念です。

でもフロイトは無意識を原始的なものとして捉えていたようです。
それに対してフロイトの弟子だったユングは、ヨガ哲学やヨガ派仏教を研究していたので、フロイトとは違った観点を持っていました。

ユングの意識→潜在意識→個人的無意識・集合的無意識の構造はヨガやヨガ派仏教である瑜伽唯識(ヨガ唯識)で語られる意識の捉え方と酷似しています。
多くのユング研究者はユングがヨガ哲学を学んでいたこと指摘していますが、間違いなくユングはインドの覚醒の科学であるヨガを学んでいます。


ユングは意識の根源に顕在意識より深く高い意識があると捉えていたようです。
サンキャ哲学でいうところのアハンカーラ(我慢)や、その根源であるブッディー(菩提)を念頭に置いていたのでしょう。

無意識が高度な意識ではなく原始的な意識と捉えたフロイトとユングは
まったく考え方が違っています。
だから後年、ユングはフロイトと決別しました。


さて、猊下は私に尋ねました。
「貴方の宇宙意識体験(The experience of Cosmic consciousness)はマインドがあったかい?」
私は「あの時私はノーマインドでした。純粋観照者でした」と答えました。

さすると、1989年に私に起こったサマーディはニルヴィカルパ・サマーディという事になると思いました。そう思っても当然でした。

しかし、ニルビカルップ-サマーディー(無伺定)は非常に高いステージなので今ではそうであるとは断定しません。

いずれにしろあれは素晴らしい体験だったのでどのステージであろうが構いません。
万一、それがサマーディでないと言われても私にはなんの問題もありません。
私は自分に嘘はつけません。

ババジの師の一人で、一万二千年生きていると言われる、マハアバターラババを紹介していただいたときの会話を私は覚えています。

同じく一万二千年生きていると言われるアバターラ・ギリ・ババジと私がすれちがった瞬間にアヴァター様が「カピル!カピル!サマーディ!サマーディ!」と叫ばれ私のサマーディを認めてくださった事実を私はどうごまかすことができるでしょう?

人は他者を騙せても自分の中のブッダ(覚者)は騙せません。
ともあれ、自分のステージが何であるのかなど気にして執着する時期はとっくに過ぎ去りました。

私は「世界平和・母なる地球の保護の為に人類の覚醒を願うワーク」に集中しています。
このワークは覚者のみならず、覚醒に至っていない人々も参加すべきワークであることは当然です。
地球が無くなれば我々は転生先が無くなります。

私は世界、地球、人類、一切衆生(=生きとし生けるもの)総てを救済するワークを楽しんでいますので、余計なことは考える時間もありません。


パイロットババ猊下によれば、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリが『あるヨギの自叙伝』で体験したサマーディは第三サマーディだとのことでした。
第三サマーディは分かりやすく言えば、「超超超意識」というマインドが有るサマーディです。

ヨガスートラの英語翻訳では
第一サマーディはマインドサマーディです。猊下によればこれが光のステージです。即ち
エンライトメントの世界です。
ここには色があります。
無色界ではありません。
第二サマーディはノーマインド・サマーディ ヨガスートラではこれが光のステージとなっていますが実は方便で第一サマーディが光のステージだと伺いました。

第三サマーディはマインドサマーディ
第四サマーディはノーマインドサマーディとなります。

第一サマーディではマインドを超えた超意識です。
こういう表現をすれば第四サマーディは
超超超超意識です。

英語ではそういうしかないけど梵語(サンスクリット語)では個々別に名前があります。

私の宇宙意識体験はノーマインドでした。
だから私がニルヴィタルカ サマーディ(無尋定)を達成したと思ったのは自然です。
でも今は分かりませんしどうでもよいことになりました。

現在の私の関心は「世界平和・母なる地球の保護の為に人類の覚醒を願うワーク」です。
自分のステージをあれこれ考えることはエゴのなせる業だと喝破したので、
どうでもよいことになっています。

そんなことより、地球と人類の危機を救うワークが大事です。
否、一切衆生(=生きとし生けるもの)総てを救うことが大事です。

人口増加による食糧危機問題や、
環境破壊がもたらす急激な気候変動による作物の不作、それに伴う
食料危機も問題になってきます。

地球は70億前後の人類しか養えないと聞きます。
人類はもうすぐ75億を超える勢いです。
現在既に8億の人々が飢餓状態です。

人口増加→食糧危機→戦争
そして環境破壊に対して、地球は我慢の限界に達していると富山県大門町出身の覚者太母さんは、環境破壊という言葉がなかった時代から警告を発しています。

私はパイロットババ猊下に太母さんの「舟を岸につなぎなさい」という本をお見せしました。
巻末に英訳がありましたので猊下も読まれました。

そして、猊下は太母さんに感銘を受けました。
そして「パイロットババ猊下とヨグマタジ、そして太母さん」との合同セミナーを開いてサンカルパヨガ・ファンデーションの運営の資金として使いなさいと仰いました。

残念ながらどうにもできない事情があって三人の覚者による合同セミナーは実現は出来ませんでした。



私がこれまで書いたことは極秘事項を守るための方便を除いては総て事実です。
偽マスターをやろうとして他者を騙せても自分は騙せません。

偽マスターをやりたくて嘘をつく人がいますが、私は最初からグル(マスター)になる気はありませんでした。従って最初から嘘をつく必要はありませんでした。


キリストや釈尊(お釈迦様)を見ればわかりますが
マスターワークは苦労が多く傷つくことが多いワークです。

キリストは磔の日、十二人の弟子全員に裏切られました。
釈尊は従弟のデーバダッタに裏切られ弟子の半分を連れ去られました。

そんな大変なことをするより、私はヒマラヤで、一人で瞑想していた時が遥かに幸せでした。できればこの世界に帰ってきたくなかった。

240日間不眠断食瞑想の時にこの世界を離れるつもりだったがババジに止められ泣く泣く帰ってきました。
ワークしてみて予想通り苦難の連続でした。
何度も一人で瞑想していたかったと思ったものです。

今ではヨグマタジのご苦労が痛いほどわかります。
ヨグマタジのようにヒマラヤ聖者の道を歩まれた方でもカルトと罵る人たちはいます。
彼ら、彼女らはヨグマタジのような高次の存在に出会いながら、逃してしまっていることを知りません。

私は親鸞によって仏門に入ったので、真のヒマラヤ瞑想を掲げつつ、肉食妻帯を認めた親鸞的タントラの道を歩んできました。
所謂、非僧非俗の道です。

僧に非ず、俗に非ずの道です。
だから過去において私は他者から揚げ足を取られやすい生き方をしてきました。

しかし数々の試練によって、半ば強制的にヒマラヤの道に進まされています。
必然的に軌道修正させられてきました。
実に有難いことです。

さて、私はパラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの宇宙意識体験には半分くらい方便が有ることを知っています。

そのことを正確に知っていた方はパイロットババ猊下とヨグマタジ、そして公開サマーディを達成したお弟子さんだけでした。

それと一万二千年肉体を交換しながら生きていると言われるマハ・アバターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アバターラババ)や同じくアバターラ・ギリ・ババジもそうでした。

パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの方便=ひっかけ問題を見破れたのは、私がそれを体験していたからです。

私はパイロットババ猊下、ヨグマタジ、太母さん、一万二千年生きていると言われる、マハアバターラババと、同じく一万二千年生きていると言われるアバターラ・ギリ・ババジとの出会いとご指導に心の底から感謝しています。

私は肉食妻帯している殆どの方のためにこれまでどおり、
親鸞的「非僧非俗の道」も認めていきます。

と同時に、私自身は240日間不眠断食瞑想をしていた時のようなヒマラヤ聖者の道に還ろうとしています。数々の困難に見える状況の変化はその道に還ることを示しています。

外側は嵐が起こっても私と私の御同朋 御同行の内側は静かです。
総ては大きな力の恩寵なので、感謝、感謝の毎日です。

〇最後にヨグマタジは私のサマーディー成就を認めてくださった後に私をサイエンス オブ エンライトメント様のナンバー2として迎えてくださいました事に感謝の意を表します。
ヨグマタジの御慈悲には深く感謝しています。
しかし私はあの頃ババジ猊下のアシュラム(僧院)に居ました。
ヨグマタジが私をナンバー2として誘ってくださった翌日に、ババジ猊下に弟子になるように勧められました。
ただし、ヨグマタジかババジ猊下のどちらか一人を選ばなければならないと言われ、私とアメリカ人のスコットは悩みに悩みました。

因みに最近ババジ猊下とヨグマタジが私とスコットをシバ神の息子のガネーシャ神とカティケ神の化身だと仰っていることを知りました。(2024年2月22日に知らされました)

私が兄のカティケ神(=スカンダ神)でスコットがガネーシャ神だという事でした。

スコットはヨグマタジを選び、私は3カ月悩んだ末に、ババジ猊下を選びました。私はババジ猊下の元に居て、毎日猊下のエナジーを受けていたし、毎日猊下のお話を伺っていたのでババジ猊下の弟子になることを決断できました。

私が日本に居たらきっとヨグマタジをマスターに選んでいたことでしょう。
どちらかのマスターを選ばなくてはいけないというほどきつい選択は私の人生の中で最も厳しい選択でした。人生最大の苦悩でした。

私は今でもヨグマタジに大変な恩義を感じています。
ヨグマタジのお慈悲に心より感謝しています。
Om namah shivay 🙏

 

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