魂の兄弟であるダンテス・ダイジ師と私の共通項

2020年2月26日

 
私は昔からダンテス・ダイジ師と共通する部分を感じていました。

ダイジ師は遊び人で、短期間でサマーディーを成就したこと。

マハヨギ・パイロットババジ猊下とマハ・アバターラ・ギリ・ババジ(通称マハ・アバターラババ)が、幼き頃からダイジ師をケアしてくださったらしいこと。

サマーディー成就後は、禅の十牛図の最終ステージである入鄽垂手(にってんすいしゅ)の境地に至ったことなどです。

入鄽垂手とは、悟りを開いたとしてもそこに止まらず、再び世俗の世界に入り、人々を悟りに導くステージです。私はダイジ師が日本酒を飲みながらギターを弾いている写真が大好きです。憚りながら、私も入鄽垂手の境地でいます。

私にババジ猊下の情報を最初に与えてくれたのが、ダイジ師が「クンダリーニ3兄弟」と呼ぶお弟子さんの一人であるカルタール(鈴木君)でした。私は、彼と彼の仲間たちとは気が合い、暫くプーナで行動を共にしました。

私がカルタールに「Oshoに会いにインドに来たのかい?」と聞いたら、カルタールは「私はOshoには興味がない。私の師であるダイジは、パイロットババジだけが究極のサマーディーヨギだと言っている。パイロットババジに会うのは早い。先ずはOshoコミューンに行け。ご縁ができたらパイロットババジに会えるかもしれないと言われた」と答えました。

そして私にこう尋ねました。

「ところで貴方はパイロットババジを知らないか?」

丁度その年か、その前年に、私がOshoという名前をOshoコミューンに推挙して、バグワンからOshoに改名した経緯があったので、カルタールの「Oshoには興味がない」という発言には正直、カチンときました。でもなぜか彼とは気心が通じました。

結局カルタールはババジ猊下に会えませんでした。皮肉なことに、ババジ猊下のお名前も知らなかった私が、それから2年後に、猊下の不思議な力に導かれヒマラヤの聖地でお会いすることになりました。

そしてお会いして1時間後には、公開サマーディーを勧められました。

ダイジ師が遷化したのは、1987年の12月11日でした。奇しくも12月11日はOshoの誕生日でした。

私がプーナのOshoコミューンに着いたのは、翌年1988年の12月8日で、日本では釈尊(お釈迦様)のサマ・サマーディー成就の日とされている日でした。たまたまそうなりました。

私は当時、日本の禅の経典を翻訳していたプーナの「日本翻訳部」の手伝いを頼まれたご縁で、12月25日にOshoのサンニャシンとなりました。

12月25日はキリストの誕生日として一般に認識されていますが、本当は古代ローマのミトラス神の誕生日です。ミトラス神のルーツはインドやイランで信仰されたミトラ神です。

元々、ミトラス神は、古代インド・イランのアーリア人が共通の地域に住んでいた時代までさかのぼる古い神ミトラであり、イラン、インドの両地域において重要な神でありました。特に『リグ・ヴェーダ』においてはアーディティヤ神群の一柱です。

つまり、私の名前のアディティヤという根源の太陽からミトラは生まれました。インド・イランではミトラは太陽神です。

MITRA(ミトラ)を英語風に読むとマイトレアになります。パーリ語では metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)です。つまりメシア(救世主)です。

パルティア語(ペルシア語)ではMIRO(ミロ)です。これが中国で弥勒と音写されました。

私がOshoの弟子になったその日12月25日に、Oshoはディスコースに現れました。長い間病気だったのに、突然姿を見せました。実は、この日、私は初めてOshoに会ったのです。

この偶然に私は感動しました。

彼は1988年12月25日に、バグワンという名前を捨て、「マイトレア・ザ・ブッダ」という新名を宣言しました。

マイトレア・ザ・ブッダとは「仏陀としてのマイトレア(弥勒菩薩)」という意味です。仏教研究者だった私は「この人、自分で言っていることが分かっているのか?」と最初は驚きました。

弥勒菩薩は釈尊(お釈迦様)滅後、56億7千万年後に仏陀になるとされる、未来救済仏です。救世主です。メシアです。

その弥勒が完全な悟りを得て仏陀になったと宣言したのですから、仏教徒なら誰でも驚くはずです。

そしてOshoは、それから毎日名前を変えました。1週間後の大みそかに「ラジニーシと呼べばよい」ということになりました。

私は1月7日にOshoの国際秘書から呼びかけられました。

「我々は彼をラジニーシとは呼びたくない。新しい名前をプレゼントしたい。ただし、条件がある」

1.バグワンのようにスペシャルな名前ではない

2.日本の禅に因んだ名前

3.ヤフーに代わるもの

即座に、それならOshoしかないと答えました。

私が提案した1か月後に、Oshoラジニーシという名前にしました。

Osho…ラジニーシの最後の名前 – サンカルパヨガ・ファンデーション (sankalpayoga.org)

こう考えてみると、私とダイジ師とババジ猊下やマハ・アバターラババとOshoとは、見えない糸で繋がっているようです。

Oshoはかつて、アメリカから国外追放され、アメリカの圧力で20数ヶ国から入局拒否されました。あの当時、誰もOshoを助けなかったのに、唯一助けてくれたのがババジ猊下でした。ババジ猊下は、猊下の信者だったネパール国王夫妻に親書を送り、Oshoをネパール王国に入国させました。この話は最初、Osho最古の弟子の一人である、ネパール人のアナンドアルーンから聞きました。

ネパール王妃であるアイシュワリヤは、青年期にササラン王国の王子だったババジ猊下を愛したプリンセスでした。しかし、プリンセスの結婚相手はネパール王国の王子という伝統があったので、プリンセス・アイシュワリヤはババジ猊下と泣く泣く別れたそうです。

そういうご縁があって、ネパール国王はババジ猊下の信者になりました。

その後、Oshoはある失態を犯し、ネパールからも追放されました。そして母国インドに入国しようとしましたが、インド政府からも入国拒否されました。

そのOshoを再び助けられたのがババジ猊下です。猊下は空軍中佐仲間で、当時インド首相だったラジブ・ガンジーを説得してOshoをインドに入国させました。

私が「何故Oshoを助けたのですか?」と尋ねたとき、猊下はこうお答えになりました。

「ヒンドゥー教は総ての宗教を認めている。そのヒンドゥー教が宗教弾圧をするのは良くないからだ。それと、Oshoは無名時代に私に会いに来て、サンカルパヨガを教わりに来た縁がある」

私にとっては衝撃の事実でした。

Oshoを愛するあまり、私は他のマスターに目がいかなかったのですが、Oshoを助けたという事実が、私の心をババジ猊下に向かわす大きな要因になりました。

その後猊下は、猊下が創設されたサンカルパヨガの名を冠した【サンカルパヨガ・ファンデーション】の代表者に私を指名してくださいました。あの当時、ファンデーションの名乗りをしていたのは、ババジ猊下の【マハヨギ・ファンデーション】とヨグマタジの【ヨグマタ・ファンデーション】だけでした。「世界に二人しかいないインド政府が公認するシッダマスター」しか名乗れない名称でした。

私は、私のためにババジ猊下がOshoを助けてくださったのだと思えてなりませんでした。

それはおそらく事実とは違うでしょう。でもそんなことは関係ないのです。

「私のために」と深く信じられることが大切なのです。

親鸞聖人は、「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案(あん)ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」と、述懐しました。

阿弥陀如来の願いが「私のために」と受け止められるほど、ただひたすらに私へ向けられている。そう感じさせられたときに人は実存的な了解に至ります。

そしてその願いは、ただひたすらに私へ向けられているように、分け隔てなくすべての一人ひとりに同じく届けられているのだと知るのです。

阿弥陀如来がシヴァ神であろうがババジ猊下であろうが、キリストであろうが、私にとっては同じです。

シモーヌ・ヴェイユは著書『重力と恩寵』で「神は存在しないのだと考えて祈ること。」と書きましたが、信仰対象よりも信仰者が内側の神に祈ることが私にとっては重要なことです。

ヒマラヤのアヴァター様方の教えは、内なる神に出会うことです。

内なる神に出会った者だけが、外側の神に出会えます。丁度インナーウーマンやインナーマンに出会った者だけが、外側のソウルフレンドに会えるのと同じです。

私は、20年前にヒマラヤで瞑想中にインナーウーマンに出会いました。それは、人間ではなくまさに女神でした。内側の女神に会えば、外側にも素晴らしい女性たちが現れてきます。

願望や期待で、パートナーをソウルメイトとかツインソウルと仰る方はたくさんいます。それに目くじらを立てる必要はありません。

サマーディーの遥か手前の体験をした方が「覚醒した」と語っても、私は目くじらを立てません。普通の人には体験できない何ほどかの神秘体験をされたのだと思っています。人類の霊的成長の為には良いことです。

その方たちが「世界平和」「母なる地球の保護」の為に人類が覚醒することを祈ってくれるのなら、私も応援いたします。

問題なのは、大半が「自分は最高の境地に達した」と勘違いして増上慢に陥っていることです。これは危険です。信者の方々を惑わします。

和Oshoはかつてこう言いました。

「この世界で最大の悪しきカルマは、覚醒していないのに覚醒したふりをすることだ」

私はサマーディーを成就しましたが、常に煩悩具足の凡夫であることを自覚して、増上慢に陥らないように気をつけています。

私がダイジ師のことをババジ猊下にお伺いした時、猊下はこうお答えになりました。

「私は日本人の名前を覚えきれないが、確かアマミヤとかアメミアという名前の日本人は知っている」

猊下はこういうお茶目な話し方をされます。

ダイジ師の日本名は雨宮第二です。

Om shanti shanti Om(愛と平和を)

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